元気と勇気は誰でも出せる 

2009-12-15

[]共に

 中学校に支援に行っているNさんが用事で研究室に訪れた。

 その際、「先生、生徒たち意外と話を聴いてくれましたよ~」と嬉しそうに報告してくれた。彼女は教職経験もそれなりにあり、現場ではバリバリと授業や生徒指導をしてきた人だ。しかし、それでも生徒が「話を聴いた」という一つの事実を嬉しそうに語る。なんと謙虚なことだろう。彼女の支援の道は決して楽ではなかった。なかなか登板のチャンスがなく、よく堪えているなあと思った。しかし、彼女のメールには「担任の先生に足を向けられません」と来る。

 一時間の授業をした、一つの肯定的な事実があった、そうしたことに喜べる教師に出会った児童、生徒は幸せだろうなと思う。先日、ストレートのNさんの授業もそうだった。彼女は本当に授業をすることが楽しそうだった。どんな発言も彼女が嬉しそうに拾うものだから、控えめな子どもたちが堂々と発言する。授業って楽しい営みだと思えた授業だった。

 教師の仕事は、あふれるほどのルーティンワークや心を重くする出来事の連続といった側面もあるが、ちょっとしたやりとりに喜びや幸せをみつけ子どもと共有できることもこの仕事のすばらしさであろう。

 

[]宝探し2

 本日は、朝から資料の整理に負われていた。年末年始のセミナーの準備をするためだ。種々雑多に積んでおいた資料を整理していくとある論文が目にとまった。読もうと思って机上に置いておいたのだが、ジュラ紀白亜紀と過ぎるうちに下層に堆積してしまっていた。しかし、本日の発掘調査により陽の目を浴びることになった。

 ぐぐぐっと文章に引き込まれること2時間。数ページの中に頭の中を混沌としていたパズルが組み合わさっていくのを感じた。凄すぎる!

 しかし、知的欲求は満たされたがこれを実践化するには、もう少し階段を上らないとダメだろうなあと思う。でも取り敢えず実行あるのみ。今週のセミナーに応用できるところは応用していこう。

 自分の中ではヴィゴツキーアドラーとボウルビィがつながった。これは感動ものだ。なおかつ自分が小学校の教室で立てていた仮説と同じことをヴィゴツキーが言っていた。これが学校で集団教育をする意味だろうと思う。今後はこの理論から授業モデルをつくって授業化してみてたい。できるか?どうかな?でも楽しみである。実践は来年からだろう。

 明日は新潟市保育園での講演会。保護者と保育士さんを対象に話をさせていただく。土曜日は新潟市新潟日報主催の保護者向け講演会。そして、来週は千葉、富山と続く。年末はまだ遠いなあ。