sakusaku日記◆山口

昨年度からは、宇部市内の小学校に勤めております。 この学校の前は、埋蔵文化財センターで遺跡を発掘調査していました。
私のNo1宣言は…『夢をあきらめない男日本一!』です。
私の夢は…①【学校】×『学び合い』×「自問清掃」×「てっぺんの朝礼」→∞(「無人購買部」) です。
       ②マンガやアニメで宇部市を活性化させ、シャッター街に活気を甦らせる!
          
   いろいろな方々と出会って、いろんなことを学ばせていただきたいと思います。
    
     

2009-12-24

大掃除

| 16:24

今日は大掃除のとき、教室で掃除をしていると、ある生徒が「今日からまじめにやるから…」と言ってほうきをやりはじめました。

私はめちゃくちゃ嬉しかったです。感動しました。

なぜなら、その子は私が先日名前を呼び捨てて叱った子だったからです。

私は「こちらこそ、申し訳なかった…」と心では言ってましたが、素直に声に出して言えませんでした。「正直清掃」はまだまだです。私も、まだまだこれからです。

でもめちゃくちゃ嬉しい気持ちで最後の掃除をすることができて感謝しています。

自由学校の設計

| 05:59

今読み終わりました。凄すぎます。

「自分の子をここに通わせたい」「自分もここで勤めてみたい」と思いました。

そして「もしも自分が学校を創るようなことがあるなら、こんな学校を創ろう」と思いました。

そして改めて今私にできることは何か?を考えてみました。

それは『学び合い』と「自問清掃」だと再確認しました。

そして私の場合は原動力は「てっぺんの朝礼」です。

昨日は、奇跡の集落「やねだん」が紹介されていましたが、あそこで活き活きとされていらっしゃる人たちのように、子どもたちを活き活きとさせたい。

みんなで「競争」ではなくて『共創』するような社会創りに貢献していきたいと思っています。

小さな第一歩として、この本を校長先生におすすめしてみようと考えています。

(メモ:本より抜粋)

p98

「困った子というのは、実は不幸な子である。彼は自分自身とたたかっている。その結果、まわりの世界とたたかうのだ。」(ニイル『問題の子ども』より)

p106

「為すことによって学ぶ」(デューイ)

p127

「自由になるというのは、孤独が増すこと」(E・フロム『自由からの逃走』より)

人間の成長とは、心理的な「へその緒」から解放され、自分自身に気付き、外面的な権威への依存をやめて、自分自身の主人公になる課程である。この自由人への成長を妨げる最も大きな障害が、罪の意識つまり自己否定の感情や自己憎悪である。初めに述べたように、今日の子どもの内面には、避けがたい自己否定感情がわだかまっている。現代は、子どもたちにとって自由な人間へと育ちにくい時代といってよい。

p159

つまりこの時期の幼児は、「ぼくは、おとうさんとは違う」「わたしはわたしよ」と自己主張したくてたまらないのである。それが正しい発達のすじみちなのだ。平井信義さんの表現を借りれば、「親や大人に反抗する子どもこそ、自発性が順調に発達している『よい子』である」といってよい(『子どもに「まかせる」教育』より)

ytk0820ytk08202009/12/24 18:53『共創』、いい言葉ですね。それと、堀先生も自己肯定感という言葉を書籍の中で使っておられたと思いますが、この「自己肯定感」は今の学校現場でも叫ばれている言葉だと思います。でも、多くの学校は結局、お題目でしかない気がします。そして、この本を読めば読むほど、今の学校の中で皮肉にも自己否定的な子どもを作り上げてしまっているのかもしれない、と考えさせられます。きのくにの教育にしても『学び合い』にしてもこれからの教育の道しるべたり得るものがあるわけですから、多くの教育関係者に知ってもらいたいですね。...sakusakuさんの学校の校長先生、どのような感想を持たれるのでしょうか。多くの部分は共感されるかもしれませんが、気になりますね。

sakusaku0428sakusaku04282009/12/25 06:30ytk0820さん、コメントありがとうございます。
教師が生徒を「管理」する、という考え方があります。教師と生徒が『共創』する、という『考え方』もあると思います。
今本校では、異装や茶髪などの生徒は「きちんと正してから再登校して教室に入る」という至極当たり前の指導を行っています。しかしこれは、教師が生徒を「管理」する考え方の限界だとも私は思っています。
この「考え方」「方法」では、何年やっても「給食をみんなと一緒に食べたかった」という生徒はなくならないと思います。この限界を超えていくには「教師」だけでなく「生徒たち」の力が必要不可欠だと思います。
私は、もちろん同僚である「先生方」と主人公である「生徒たち」と一緒に限界を突破するつもりです。

例えば、「教師」や「親」が「きちんとして高校に行こうや」とか「きちんとしろ」というよりも、仲間である「生徒」が「きちんとして一緒に高校に行こうや」と言ってくれた方が何百倍も嬉しく勇気が湧いてくると思います。
「子どもたちは有能である」と本当に思えるかどうかが、「管理体制の強化」と『自治と自由(好き勝手という意味ではない)の強化』との分かれ目ではないかなと思っています。
「管理される」ことに慣れた子は「指示待ち人間」になりやすく、「管理される」ことに拒絶反応を示すような子は叱られる事が多々あり自己肯定感がどんどん下がっていき、負のスパイラルになっていく、とも考えられます。
では、どうすれば「負のスパイラル」から抜けることができるのか…?
多くの教師は「その生徒自身がきちんとすればいい」としか考えていないと思います。
だから「その子」がきちんとしない限りは「負のスパイラル」から脱出できません。
しかしもっと別の方法もあると思います。
「親」が変わる、そして「我々教師」も…
私はこの母校にきてかなり変わったと実感しています。
私にできたのですから、他の多くの先生方にもできると思います。
そう信じて何年たっても変わらずやり続けます。

☆TAKA☆TAKA2009/12/25 23:22↑↑↑↑↑↑↑↑↑↑
いい文章!元寮生のみんなにも読んでもらいたいくらい。

sakusakuくんからいろんな本の紹介もされているので、僕からも1つ。
『コルチャック先生』に関する本、ぜひ読んでみて。
約100年前、ナチスドイツに追い詰められたユダヤ人のこどもたちの‘学びの場’をつくり、
最後まで運命を共にしたヤヌシュ・コルチャックさんの生涯と歴史背景と教育実践の本。
(引用1)「・・・皆が一つの家庭のように、一緒になって笑ったり、泣いたり、怒ったりすることができるし、
      また一人ひとりが大切にされ、決して見捨てられることがない。
      そのような家庭と学校が一つになった‘ホーム’の設立が彼の夢であった。・・・」
(引用2)「・・・授業については、始まりのベルもなく、座席も決めず、授業中の移動も、出入りも自由で、
      教室の中には休憩する場所さえあった。また教科書も、テストもなく、子供たちの自発的な学習を重んじて、
      彼らが関心をもつような題材をとりあげて学習を行い、週1回は博物館や職場の見学も行われた。・・・」

どう?ちょっと興味わいてこない?

sakusaku0428sakusaku04282009/12/25 23:59☆TAKAさんありがとう!
今日は当番だったので、トイレ掃除もしました。
やっぱりトイレの神様は見ていてくださったのですね…
といっても見返りがあるからやっていることではないのですが…

今日はたくさんのキーワード(パズルのピース)をゲットすることができました。
「ヤヌシュ・コルチャックさん」初めてお聞きします。この方も大切なピースの一つ(お一人)だと感じています。
ちなみに今日当番をしながらゲットしたピースは…
中にはキーボードで打ち込むのも難しい言葉もありますが…
「ホオポノポノ」「アルボムッレスマナサーラ」「ユタ」「葉隠」です。
当番のとき事務室で座っていると隣の座席の庶務員さんとスピリチュアルな話からいただいたキーワードです。
大阪教育大学の教育実習で教えた(?)ある生徒さんから突然数年前からお手紙が届くようになりました。
しかも沖縄から。彼は沖縄で就職しているようです。
このことも何かこれらと関係があるのかもしれないなとピンときました。
何せ全てのことは、最高のタイミングで必然的に起きているのですから…