sakusaku日記◆山口

昨年度からは、宇部市内の小学校に勤めております。 この学校の前は、埋蔵文化財センターで遺跡を発掘調査していました。
私のNo1宣言は…『夢をあきらめない男日本一!』です。
私の夢は…①【学校】×『学び合い』×「自問清掃」×「てっぺんの朝礼」→∞(「無人購買部」) です。
       ②マンガやアニメで宇部市を活性化させ、シャッター街に活気を甦らせる!
          
   いろいろな方々と出会って、いろんなことを学ばせていただきたいと思います。
    
     

2009-12-17

生きがいの創造2

| 06:20

p269より

「その人の人生に、死と『来世』に対する新しい考え方が定着すると、毎日毎日を一生懸命に生きようとする気持ちがあらわれることが多い。末期状態にある患者や死を目前にした患者がこのような気持ちを抱くと、『今、この時』を精一杯生きようという気持ちになり、死や未知なるものに対する恐怖にとらわれることがなくなるのである。

 臨死体験をしたからといって、現実の死が迫ってくることを否定したり、一刻もはやく死にたいと願ったりするようになるわけではない。むしろ逆に、生や死を理屈抜きで受け入れることができるようになり、その結果、『生きる意志』があらためて強化されるのである」

p270より

信仰心のある人は、そうでない人に比べて、孤独感におちいることがないのだそうです。なかでも孤独感に対して最も関係が強いのは、「自分の人生にはある種の目的が存在している思う」か、逆に「自分は何者であり、どこから来てどこへ行くのかがわからない」かという、実在的幸福の尺度でした。すなわち、「自分の人生にはある種の目的が存在している」と思うことができれば、私たちは、孤独感を持たないで生きていくことができるのです。

p271より

しかし、宗教として「死後の生命」や「生まれ変わり」を「信じる」ことも、科学的観点からこれらの仮説を「認める」ことも、結果として同じ効果をもたらします。それは、これらを信じたり認めたりすることによって、「自分は何者か」「自分はなぜ生きているのか」「自分は人生において何をなすべきか」という問題意識が明確になり、それらを自問することができるという効果だといえるでしょう。



私(saku)は現在勤めている母校に来て1年目の今ごろ(年末年始)、精神的にとてもまいっていました。

まず、「生徒のことが信じられなくなりました」そして「自分自身のことが信じられなくなっていきました」…負のスパイラル

そこから抜け出すことができたのは、

恩師の先生宅にうかがったときに、その先生が切磋琢磨された仲間の先生をわざわざ呼んでくださいました。

その先生は優しい口調で「お前は、まだ何もやってないじゃろーが。」と言ってくださいました。

その一言で、今までとてつもなく大きく感じていた重荷が、急に巨視的視野になっていく感じでどんどん小さな小箱のように感じられていきました。

それと同時に、頭ではわかっていたはずの「同僚や家族の存在」(そのときは、どうせだれもわかってはくれない、と考えていました)を心から感謝の気持ちで感じ取ることができ、一人ではないということが改めて実感することができました。

その翌年の3学期から「自問清掃」を何とか導入し、次の年に『学び合い』と出会って今に至ります。ここ母校で残された時間は約3年ですが、あせらずに、でも確実に一歩一歩を同僚の先生方や生徒たちと歩んでいきたいと考えています。