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夢を紡ぐ~茶畑の香りの中で~

多くの人たちとの出会いが、自分を大きくしてくれます。 ここに来てくれた人たちに感謝し、常に前向きな思いを紡いでよりより『学び合い』を作っていきたいと思います。

2009-08-18リスト最下段!

今見たら・・・ 14:07

なんとこの日記の更新が滞り、「学び合い」リストの最下段になっていました。

やはりまめにアップしないといけないと思いながらもつい・・・

ちょっと気をつけないとね・・・

内容のない内容でアップしましたが、とりあえず今頭の中で暖めているものを近日書こうと思います。

kokohagwkokohagw2009/10/22 21:14はじめまして、『学び合い』wiki管理人です。
もしよろしければ、『学び合い』wikiのトップページにリンクを張らせていただけませんか?
近場で『学び合い』を実践しようと考えている人からアクセスしやすくなるかと思います。

『学び合い』wikiはこちらです。
http://www24.atwiki.jp/manabiai/

sakusaku0428sakusaku04282009/12/26 14:25こんにちは、お元気にされていらっしゃいますか?

「力が正義ではない!正義が力だ!」
さてこのアニメは何でしょう? ヒント:ガンダムではありません。

sakusaku0428sakusaku04282010/01/07 21:03あしたのジョーでもありません。
しかし、矢吹ジョーを見習って、何度倒れても立ち上がりましょう!!!

お元気ですか?

夢紡ぎ夢紡ぎ2010/01/10 12:12多分ですが、「タイガーマスク」だったような気がしますが・・・
ちがいました?
とりあえず元気にやっています。いつもコメントありがとうございますね。「潜水艦」のほうもよろしくお願いします。(ブログが2つあるのは、メンバーの方だけわかるようになっています。)

makine45makine452010/01/24 22:25上越の会で静岡から参加された方がいらっしゃいました。
「静岡の方ならいますよ」
とお名前だけ伝えました。
次は静岡の会でしょうか。

rx178gmk2rx178gmk22010/01/24 23:48makineさん、久しぶりです。
静岡の方が上越まで行ったんですか・・・。
名前や連絡先は教えてくれて結構です。ただ、「静岡の会」は・・・。
今度群馬に行きます。会えたらいいですね。

2009-06-11久しぶりに

何回こうして書くのでしょうか。まったく不精ですみません。

さて・・・ 22:45

まずは、sakuさん。コメントありがとうございました。返事が大変遅くなりすみません。

RXというととかく車のほうに思われますが、見事にヒットです。ガンプラも多数持っていますが、基本的にガンダムよりもザクのほうが多いと思います。やっぱりはじめのガンダムが良いですね。

ここで書きたいことは・・・・ 22:45

最近の実践で思ったことは、学習は、学習者がやらされているから自分でやるに変わらないと効果が出ないということです。さらにちょっとしたきっかけがその転換を大きく促すことにも気づきました。

促すポイントをとても大まかに言うと学習者(子ども)が自分を知るととてもやる気になるようです。実はできる自分でもできない自分でも自分の状況を知ることは、学習する意味を自分で作り出す元になります。

でも、表面上は、そうなっていないように見えることもあります。できない自分を見て落ち込む、できた自分で満足してしまう、このような学習者は、きっと心や体が疲れています。なので休むことも必要だと思います。

そうした学習者には、「今のカラータイマーは何色?」と聞くようにしています。まずは心にエネルギーがなければ、次を考えないですよね。

2009-02-12他の人を引っ張る力

学び合い」では・・・ 00:11

 教師は、困ったときに子どもから学ぶという”奥義(笑)”があります。

N先生のブログに「学び合い」ができる教師の力量についての記述がありました。「学び合い」における教師の力量については、これまで何度も考察されてきたことですが、以前よりも加速度的に「学び合い」の実践に挑戦する人が出てくると、これまでの考えを語る上での「方便」をいくつか用意する必要があると思いました。

 そんな矢先、子どもの書いた道徳の感想に「他の人を引っ張る力」について考えが書かれていたのを見つけました。

 このときの道徳の内容は、音楽会に向けて練習をしない男の子に同じパートの女の子が粘り強く働きかけ、一緒に練習するうちに男の子がやる気を持って取り組むようになったという話です。この内容から「やる気を出すのに必要なものはなんだろうか」という問いで感想を書かせました。そのときの感想です。

「他の人を引っ張る力」 00:11

①いつもあきらめず、なんでもチャンスに変える

②しっかりやっていない人には、はっきりと言う

(やっていない子に対して)時には、はっきりいわないと甘いばかりになる。だけど、言葉を選ばないと傷つけてしまう。普通にやること。さらにやる気にさせたり、楽しくさせるための工夫を入れるとよい。

③根気よく教える

根気よく教えないと相手にもがんばってもらえない。見捨ててはだめ。

④プレッシャーをかけずにゆっくりと見届ける

まず自分からがんばる姿を見せて、やさしさと厳しさの両方を取り入れる。見届けるのは、自分ばかりできてもだめだから、ついてきてないときは、ゆっくりと待つ。(大切)

だそうです。 00:11

どうですか?「学び合い」の考え方に寄り添った部分が多いと思います。この子は、きっと子ども同士の中でどうしたらみんなで学び合っていけるか、そのときに自分が引っ張っていくならばこうしたほうがいいと常に考えているのだと思います。(実際にそうした役回りをすることが多いのですが・・・)実は、この感想の下にメモ書きがされています。「相手の気持ち」自分は無理、できない、面倒。言葉を選んでいわないとこんな気持ちになる。

この感想から・・・ 00:11

全てが「学び合い」の教師に当てはまるかは、検討の余地があると思います。でも、相手の気持ちを察し、自分がどうあるべきかをこの内容で見つめなおせば、少なからず子どもにこちらの考えは伝わっていく環境ができると思います。教師は、子どもに考えが伝わらない原因をつい子どもに押し付けてしまいますが、伝わらない原因のほとんどは、発信側の方法に問題があると考えてもよいかもしれません。

学び合い」の教師の力量を推し量る1つの参考になればと思います。

o4dao4da2009/02/13 21:23やさしさと厳しさ、なるほどです。

nome2733nome27332009/02/19 21:44>「学び合い」の教師の力量を推し量る1つの参考になればと思います。

まさにその考えに同感です。そしてうまくいった時に自分の成長を見ることができると信じています。今はまだうまくいかないけれど,すこしずつよくしていけたらいいなと思います。

sakusaku2009/03/20 21:41他の人を引っ張る力=リーダーに必要な要素ですね。人間力とも言えるでしょうしカリスマ性とも言えるでしょう。
しかし常に先頭に立って引っ張るいわゆるリーダーではない先生や生徒などの中にも、「この人はあまり目立つような存在ではないけれど実は陰ながら尊敬していて目標にしている」というような場合もあります。
自分が出会う全ての人を師とすることができる人はものすごく成長できると思いますし、人を見下すような人は自分という尺度のなかだけで生きる「井の中の蛙」になってしまうと思います。

最後にRX78というブログのタイトルに絡めて...『学び合い』で「ニュータイプに!」「ザクとは違うのだよザクとは!」とはいうものの私は旧ザクがカッコいいと思います。『温故知新』です。

2009-02-07コメントに書いたけど・・・

hayato-rikaさんの言葉に・・・ 07:37

多分、コメントで応えたことでわかってもらえると思いますが、自分の中でどうもうまく言いたいことが伝わっているか不安だし、納得できないので、ここに記事としてもう一度まとめなおすことにしました。

まず結論! 07:37

「教師は、子どもの状況を変えることができる「語り」を持っている。一方で「学び合い」の考え方では、教師の「語り」は、子どもの(自立的な)学習にとって最も障害になりうるのがその教師の「語り」である。したがって、教師の「語り」には、必要な「語り」と不必要な「語り」が存在する。この必要と不必要を見極めて、教師が語らなければ、現在の多くの学校の状況の中で「学び合い」は形成され、機能していくのは難しい。」(ちょっと大げさ??)

次に理由!! 07:37

 教師の言葉が、多くの子どもに強い影響を与えるのは、これまでの教育の成果と教師の集団を管理する立場によるものです。教室内の子どもたちの「管理者」として子どもの活動の様々な状況に責任を持たなくてはなりません。したがって、教師の言葉が子どもに影響力がないとしたら管理者としては、まったく無責任なことになります。

 一方で、その教師の責任は、その子どもが「どういう方向でできるだけ一人ひとりの子どもに必要で適した(スムーズや効率的に見える方法ではありません)学習環境になるか」を考え、場を設定することです。そこには、子どもの自主性や自立を育てること、その子が社会で生きていくための他者とのかかわりなど様々な目標があります。それらの活動は、「教科」という子ども同士の共通の「話題」みたいなもので語られたり、書き合ったり、読み合ったり、見せ合ったりします。その中でもし一方的に方向を決めてしまう言葉が入ってきたらどうでしょうか。一気に子どものそれぞれの活動の方向や力はなくなってしまいます。それが、障害になる教師の「語り」です。

つまり・・・ 07:37

 教師は、まず自分が子どもに影響力があることを自覚し、管理していく立場であることを確認しておかなくてはなりません。そして、どういう集団をどんな目標で作っていくかを把握していくことも当然の仕事です。

 「学び合い」の教師は、この上の事柄を承知した上で、子どもに影響力があるがゆえにうかつに「語り」を最小に抑えようと心がけることです。そうすることで今までの「縛り」から解放された集団ができて、子どもたちが今まで発揮できなかった力を発揮できるようになります。

 これが、大まかな考えのまとめです。

ところで・・・ 07:37

 hayato-rikaさんのご指摘の部分は、今までの「縛り」を解くということと関係があります。本来、はじめから「学び合い」であるならば、教師の「語り」は、必要しか存在せず、不必要な部分は、子どもによって取捨選択され、多くは、「雑音」と化してしまいます。(教師の皆さん怒らないでね。でも、今の教室でも「ただ無駄に言っているだけだよなー」「今子どもに無視されているなー」と実感したことありません?少なからず「夢紡ぎ」はあります。)同時に教師の「語り」は、今以上に「重く」なります。なぜなら、「学び合い」の教師の言葉は、その教師しか持っていない目の前の教師の考えや思いだからです。

 しかしながら、現在の教育や社会では、管理者が管理すべき範囲を十分に把握せず、管理者の持つ「重い」言葉が、学習者の力や活動の障害になってしまうことが少なくありません。この縛りをはずすことに関しては、子どもの力や個性に頼ってはいけないことということです。教師や管理者自身の問題です。つまり、教師や管理者が縛り付けているものを自分の手で離すことで「学び合い」は形成されていくということです。

このことは・・・ 07:37

非常に書くと長くなり、整理すると誤解させてしまいます。こうして何度も考えをまとめ、皆さんに観てもらわないと収束していきません。「学び合い」の核になるべき命題と言って良いほどの問題です。なんといっても「教師は、教師の語りが不必要であるということを語りで伝えなくてはならない。」と言うジレンマのようなものをかかえることになるのですから。(でもこのジレンマのようなものは、教師の見極めで解決します。完全なジレンマではありません。)

きっと、これからも何度も書くんだろうなー。

hayato-rikahayato-rika2009/02/07 22:16私のコメントに対して、とても丁寧に対応していただきありがとうございます。

なるほど!
こま回しは紐がなくては勢いがつきません。生徒(こま)も教師の語り(紐)がなくては色々なことを見落としてしまいます。だからこそ、教師(紐)は「語り」(力加減や長さ)を考えなくてはならない。
こういうこと・・・ですよね?w

車はあまり知らないのでスターターの話は良く分かりませんでした。><
しかし、こまは小学校のときにハマっていたので良く分かりました。良いたとえでした。ありがとうございました。

rx178gmk2rx178gmk22009/02/08 18:41コメントへの感想ありがとうございます。
車のスターターとは、キーを回してエンジンを掛けるはじめの「ブルルン」っていうのです。エンジンは、構造上、一度動くと同じ動きをするように設計されていますが、はじめの一回だけは、他のもの(人力やモーターなど)で勢いをつけてあげなくてはいけません。その仕組みをスターターといいます。まあ、(小型発電機などや小さな耕運機では、人がひもみたいなのを引っ張るあれです。)
でもこまの例えでわかってくれてよかったです。「例えレンジャー」の面目躍如でした。

2009-02-06高崎から学んだこと

二つ目・・・ 22:55

学び合い」の授業の中で「教師が語る」ことは、最重要な問題です。「学び合い」の基本は、「必要以上に語らない」です。でも、この「必要以上に」が難しいポイントです。

何が「必要」であるのかさえわかれば、初心者の方も新採の方も「気持ちよく」語ることができます。

私は、高崎でKさん、Aさん、Sさんと話しながら、ぼんやりとしていたこの語りに「必要」なことについての考えを少しすっきりすることができました。

教師の語りが持つ「必要」 22:55

 まず、この語りの「必要」と言う意味をこれまで「話す内容の必要、不必要」と考えていました。もちろん、内容にも「必要」と「不必要」はあります。

 「必要」な語りは、「学び合い」の考え方を子どもに「語り」わかってもらうことです。子どもにわかってもらわないと「学び合い」の集団は、形成されません。このときの語りは、「必要」です。いわゆる「みんなが」と「みんなで」やっていくこと、「ひとりひとり」が大切であることなどを語ればよい部分です。

 次に不必要な「語り」は何かと言うと、学習内容の「情報」です。

 理由は、教師の語りがクラスみんなに伝わる状況できないと「学び合い」の考えが伝わりません。しかし、同時に子どもに共通理解できるということは、子どもの中に「先生の言うことを聞けば良い」という価値観があることになります。その価値観のある中で教師がうかつに学習内容の「情報」(解答の仕方や答えのありかなど)を教えると、子どもにとって教師が、答えのありかすなわち、「宝の山」になってしまいます。そして、子どもが教師にだけ直接的なかかわりを求めます。

 つまり、「必要」である語りの教師の考え方や思いは、教師のオリジナルで子どもに語ることができるのは、その教師だけなのです。一方、学習内容は、教師でなくても子どもが見つけることができます。「学び合い」では、多様な人やものから自分にとって適切に選んで情報を集め、選択し、考えをつくり、表現できる子どもの力を育てたいと考えるので教師でなくてもよいものは、教師以外のものから見つけていく環境を作ることが重要だと言います。しかし、その教師の考えを子どもに示すことができるのは、集団の管理者である教師なのです。つまり、子どもにとって教師は、「聞く」対象にならないことを「聞かせ」なくてはならないという一見矛盾した状況になるのです。でも、教師がきちんと「これは、自分が話さなくてならない」と考えれば「必要」「不必要」の判断ができます。

つまり・・・ 22:55

 重要なのは、教師の「語り」は、その教師しか語れない「思い」や「考え」です。どんな方法でどんなことでもよいのですが、「学び合い」の集団を形成するポイントは、「自分の学習の結果に責任を持つ」というところです。(なんとなくですが、1つだけをポイントにするならこの1点だと私は思いますが・・・)そして、「学び合い」初期の状態で教師の語ることが子どもにとって「必要」になっていなければならないことです。言い換えると教師の語りが子どもに影響を与える力を持っていないと「学び合い」は成立しません。

理由は簡単です。学校では、教師の思いや考えの大多数は、言葉によって子どもに伝わるからです。したがって、教師は、子どもたちみんなに「自分の思いを語れる」存在になっていることがまず大切です。そして、前に書いたように子どもには、「先生の言うことは・・・」と言う価値観が存在していることを忘れてはいけません。この価値観を乱用すると「学び合い」は、かなり停滞します。

結局・・・ 22:55

学び合い」の集団が形成され、機能するかどうかは、教師の「語り」が鍵を握っているのです。子どもの力や個性ではありません。教師の「語り」の力がなくてはできないし、逆に乱用しても機能しない。そこの加減に常に気を配る部分にかなりのエネルギーを使います。

追伸 22:55

多くの「学び合い」の方は、案外子どもとの個人レベルの会話では、学習内容を話していませんか?でも、その会話の内容は、教科書の内容やねらっているレベルを飛び越えた高いレベルの話ではないでしょうか?そこは、「必要」に応じて、子どもと「対等」に語るレベルだと思います。そういう会話がとても面白かったりするんですよね。(これは「不必要」??)

hayato-rikahayato-rika2009/02/06 23:38>「学び合い」の集団が形成され、機能するかどうかは、教師の「語り」が鍵を握っているのです。子どもの力や個性ではありません。
確かに、教師の言葉は重いです。先生に褒められるとすごくうれしいし、先生に怒られるとへこみます。
しかし、時には子供の力で集団ができます。教師がいなくても、自然と仕切る子がでてきたり、自然と動く子がでてきます。
教師がいなきゃ動けない集団なんて、きっと社会にでても動けない集団です。
自立できる生徒、学校はこれを目指してるのではないでしょうか?(あれ?もしかしたら違うかも・・・(汗))

偉そうな事を書いてしまって申し訳ないです。こういう考え方もあるんだなぁ程度にとってもらえれば、と思います。

夢紡ぎ夢紡ぎ2009/02/07 06:43hayato-rikaさん、コメントありがとうございます。
まったくその通りです。学校の目的は、「自立し、互いが係わり合い、困ったときには、支えあうことができる子ども」を目指しています。
私の言葉が足りなかったので申し訳ありませんが、まず、今の(全国の多くの)学校(の状況)で子どもたちの力だけで「学び合い」が形成されるのは、とても難しいと思います。なぜなら、これまでの教師が、「先生の言うことは・・・」を乱用してきてしまい、それが卒業した親の親の代からずっと伝わってきたからです。(逆に今では、「先生の言うことなんて関係ない」となってしまい、それはそれでこちらの考えが伝わらず、大変なのですが・・・(笑))少なからず、教師自体は、「私が言えば絶対大丈夫」と言う気持ちでいます。
この子どもや他の教師の考え方を改めさせるには、まず、集団の管理者である教師の「思い」のこもった「重い」言葉が必要です。(親父ギャグですみません)そして、この「重い」言葉によって集団が、「教師を頼らない」方向に動き出していくと思います。つまり、車で言えばエンジンのスターターというか、こま回しで言うなら勢いをつける紐みたいなものです。
「学び合い」が動き出すと教師と子どもも互いが互いの活動や考えの勢いを付ける役割を持ちます。そうして互いが高まっていくと思います。
後もう1つ、「子どもの力や個性ではない」というのは、「学び合い」ができないのを子どものせいにしないと言う意味があります。「学び合い」ができない時の多くは、子どもが、縛られている昔からの制限に原因があります。それを解くのは、「学び合い」を取り入れる教師の責任です。その責任を果たすのが導入するとき(初期)の「語り」です。そうした意味で「「学び合い」が形成・機能するのは、子どもの力と個性ではない」と書いたわけです。
いい訳じみたコメントになりましたが、「学び合い」を行う教師には、教師としての役割と責任を感じながら行ってほしいと願います。hayatoさんのようにがっちりと教師にぶつかってくれるすばらしい学習者がいるのですから、その期待に応えなくてはなりません。
とても考え、自分(夢紡ぎ)の考えをまとめることができました。ありがとうございました。(誤解は解けたかな?(笑)また、へんじくださいね)