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rion_fujiの日記


Hirotaka FUJISAKIです。
鹿児島市の小学校で『学び合い』を実践しています。
授業はいつでも都合が合えば公開いたします。
いつでもメールください。メールのやりとりで『学び合い』ましょう。
メールアドレスは、rion_fujiとybb.ne.jpを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。

2008-12-07ブログ再開

学び合い」,『学び合い』という括りが必要か?

 う~ん,ちょっと過激なタイトルに取られてしまうかな?

決してそんなつもりはありませんので,最初に断っておきます。

まず最初にブログを更新していない間に次のようなことをしていました。

 ①他の人のブログを見ることなく,自分の目標と自分の学校の現状を見据えてとことん実践していた。

 ②①の原因となった『学び合い』が広まらないわけと他の人がすんなり受け入れない理由を考えていた。

 ③理科に関する原稿を書く作業と九州大会の作業をこなしていた。

                       などなど・・・

 しばらく『学び合い』が広まらないと思われているわけを考えていた。結局,これといった答えは出ませんでした。しかし,教師がいかに先入観や教師像にしばられているかがよくわかった。それを打ち消すぐらいの実践の参観及び語りか,自分の実践での自信か,強制的な何かがないと変わらないような気もする。へたすると『学び合い』という括りが邪魔をしている可能性も高い!

 いろんな学校が勝手な解釈で「学び合い」という言葉を使って公開をしている。また,『学び合い』である一定規模ののコミュニティーができてしまったことにより,教育技術を広めようとする団体のようにとられてしまったりする。

 

先入観,教師像はどこで形成されていくか

 いくつか考えられるが,私の周りの人間で考えると,

 ①教育実習での方法に偏った指導

 ②初任校での先輩及び研究授業での方法に偏った例や指導

 ③自主研究団体での指導法や教材に偏った研究

 ④教育について語る場の減少(目的や目標,夢など)

 以上の4つが大きいと思われる。

 その中で数年のうちにこうあるべきという型が出来上がり,

 確固たる自信を持つか批判を受ける勇気を持たない限り,その型からはずれることを恐れてしまう。

では,『学び合い』をどうやってすんなり広めるか

 1つの答えは『学び合い』という言葉を出さずにいつの間にか「学び合い」を行っていた状況を作ってしまうということである。

 そのためには,学校の中で教育の目標や育てたい子ども像や授業のあり方について語る場を作る必要がある。(これが一番重要だと思う。できれば,校長先生が最初に語れば最もはやい!)

 「そんなことは分かっている」「でもそんな時間はない」などとご批判を受けそうだが,なぜこんなことを思っているかというと私の経験では,ほぼ全ての先生方が,『学び合い』の考えによる子ども像を目指しているし,そのためにどうしたらよいかを日々悩んでいるからだ。しかし,先入観やとらわれからはずれられないのである。

 時間はかかるが,ひとつずつ先入観やとらわれを引き剥がしていくほうが,最終的には定着するのではないかと思っている。


 

daitouirukadaitouiruka2008/12/08 00:12特定の名称を出すと、それだけで拒否反応を示されることってありますよね。
自分の学級の事実で見せていくしかないですよね。
でも、その事実に対する価値観・評価から違うことってありますよね。だから、やっぱりFUJISAKIさんのおっしゃるように「教育について語り合う」ことに行き着くのでしょうか。教師も『学び合い』ですよね。

rion_fujirion_fuji2008/12/08 20:35 教師も『学び合い』だと思います。その状況をいかに作っていくかが重要ですが・・・。茅ヶ崎のある小学校の研究会に参加したとき,学校の文化という言葉がありました。その文化に触れることで自分が変わったということを聞いたとき,これが今足りないんだと実感しました。志は伝播するものだと思っています。