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rion_fujiの日記


Hirotaka FUJISAKIです。
鹿児島市の小学校で『学び合い』を実践しています。
授業はいつでも都合が合えば公開いたします。
いつでもメールください。メールのやりとりで『学び合い』ましょう。
メールアドレスは、rion_fujiとybb.ne.jpを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。

2008-12-17『学び合い』になっている?

「自分では無理」に気づく

 今日,隣のクラスの先生と話す中で,学力の定着度の低い子に関する話の中で「私が関わるより他の子が関わったほうが伸びている」

ということを話されていた。しかも,その関係をきちんと見ておられて,

 「AくんはBくんが関わったときが分かるようだ。Cくんは,Aくんにはうまく関われないようだけど,なぜかDくんにはCくんとの学びがあっているらしい。そして女の子でも同じようなことがおこっているよ」

 とおっしゃっていました。

 「私が関わらないほうがいいってことが良く分かったよ」

 とも話されていました。

実際にそのクラスは,高いレベルでの『学び合い』をしています。

これでますます子どもたちが自分で学ぶ状態になるでしょう。

学び合い』とは知らず知らず・・・

 隣のクラスの先生との会話では,『学び合い』の『ま』の字も出していません。ただ,目指す子ども像と授業のあり方を話しているだけです。その会話の中に私のクラスでの子どもの例を織り交ぜたりしながら,教師が出すぎた場合の状況について話したりしているだけです。

したがいまして,私のクラスとはやり方など異なっていますが,『学び合い』です。

 

広がる!

 実は,私の受け持つ6年生と1年生は,今年度,様々な場面で学習を共に行っています。

 ですから,一年生の先生方も6年生と共に学習することで1年生が飛躍的に伸びることを知っています。もちろん6年担任は,1年生との関わりで6年生が飛躍的に伸びたことを知っています。このような関わりを増やしていくことで,『学び合い』はあっという間に広がっていくのかも知れないと思っています。

 

 この裏には,常にどんな子どもを目指すかという教師間の会話があります。やはり,これが大事なのかもしれません。この子ども像で会話することが最も共有できる会話に発展していきます。

2008-12-14存在感を示しつつ,存在感を消す

 『学び合い』に取り組み,教師は学級の中でどうあるべきかを常々考えている。やるべきことは,もちろん列挙できる。そして,それ以外は,なるべくやるべきではない。

 つまり,教師は,存在感を示しつつ,存在感を消さないといけないのではないだろうかと思っている。数年前までは,存在感を示すそして,子どもたちを引っ張ったり,押したりしながら前に進ませることを考えていた。ふと気が付くと,何人か置き去りにしていたり,よくわからないまましかたなくついてきている子がいたりしたと思う。

 最近,「みんな」の求め方もちょっと悩みつつある。

子どもたち自身が「みんな」を求めることの意味を納得していないと強制以外の何でもなく,効果が激減する可能性もある。

 だからこそ,目標を示すための語りは,なおさら重要だと認識している。

 教育っておもしろい!

jun24kawajun24kawa2008/12/15 06:47きっと、教師の目標はあって、教師の姿は消えていく、てな具合なのだと思います。

rion_fujirion_fuji2008/12/16 23:12 そうですね。今,子どもたちに単元レベルの目標を考えさせるようにしているのですが,さらに上の目標を考えるのは,教師かなと思っています。

2008-12-08明治維新

立役者と言われる人々が育った場所・環境

 今,鹿児島は篤姫ブームです。その篤姫が活躍した頃,明治維新の立役者として薩摩の志士たちが多くいるわけですが,その中心となった西郷や大久保,その他主要メンバーは,下加治屋町という非常に狭い地域から輩出されています。薩摩は昔から郷中教育という地域ごとの異年齢集団による学びが実践されてきました。その時代の下加治屋町のリーダーは西郷でした。地元に住み,そのことを学び,調べるにつれ,それは『学び合い』そのものであることがわかります。だからこそ,その地域から多くの人材が輩出されたのだと思います。たまたまそこに有能な人材がいたというわけではないはずです。

覚悟

 今は,江戸末期と似たような状態にあるともいえます。江戸末期と今と何が違うか・・・。

江戸末期は,覚悟を決めて,現体制を叩き壊してでも新しいものを生み出そうとする覚悟を持っていた。でも今は,過去の遺産で食いつないでいる状態なので,そのような覚悟をもてていないのではないだろうか。私も,郷土の先輩を見習って覚悟を持ちたいと思う。

褒賞

 人間は褒められると何か物をもらったときに喜ぶときと同じ状態が脳の中で起こるらしい。『学び合い』では,他者と一緒に考え解決する,そして,他者に「わかった!」という反応をもらう。これは,褒めてもらうとの同じ状態であろう。ということは,教室のあちこちで,脳が活性化しているのかもしれない。今日,子どもたちの活動を見ながら,これをトポグラフィーなどを使い脳を可視化するとどうなるだろうなどと考え,勝手にニヤニヤしていた。多分,真っ赤っ赤だろうなあ。

気づき

 今日,ふと気づいたことがある。『学び合い』により,子どもたちが成長するにつれ,会話のやりとりの語尾に変化があるのではないかと感じた。また,閉鎖的な質問から開放的な質問に変わっている気もする。つまり,子どもたちは,協同で,目標に向けて,いったん開放的に考えを広げ,その後,広がったものをつなげて収束して,他者に分かるものをつくりあげている気がする。

 

MizuochiMizuochi2008/12/12 01:23気がつけば、いつのまにか再開してました~!
待ってましたよ~ん。
篤姫毎週楽しみに観てます。
来年は新潟が舞台だよ~!
ご期待ください!!!^^;

mitaka2mitaka22008/12/13 01:03初めまして。
篤姫にひかれてきました。
うちのクラス(小学校3年生)に、熱烈な篤姫ファンがいます。
よろしくお願いします。

munehiromunehiro2008/12/13 22:17今は、幕末そのもの
私は、N先生という龍馬と行動をともにするかくごじゃき。
教科の専門性とかいう、藩から脱藩してもうたきに。
わしらFREEじゃけんのー

がはははは!

はじめてのコメントでおふざけが過ぎました、しつれいしもうした。

2008-12-07ブログ再開

学び合い」,『学び合い』という括りが必要か?

 う~ん,ちょっと過激なタイトルに取られてしまうかな?

決してそんなつもりはありませんので,最初に断っておきます。

まず最初にブログを更新していない間に次のようなことをしていました。

 ①他の人のブログを見ることなく,自分の目標と自分の学校の現状を見据えてとことん実践していた。

 ②①の原因となった『学び合い』が広まらないわけと他の人がすんなり受け入れない理由を考えていた。

 ③理科に関する原稿を書く作業と九州大会の作業をこなしていた。

                       などなど・・・

 しばらく『学び合い』が広まらないと思われているわけを考えていた。結局,これといった答えは出ませんでした。しかし,教師がいかに先入観や教師像にしばられているかがよくわかった。それを打ち消すぐらいの実践の参観及び語りか,自分の実践での自信か,強制的な何かがないと変わらないような気もする。へたすると『学び合い』という括りが邪魔をしている可能性も高い!

 いろんな学校が勝手な解釈で「学び合い」という言葉を使って公開をしている。また,『学び合い』である一定規模ののコミュニティーができてしまったことにより,教育技術を広めようとする団体のようにとられてしまったりする。

 

先入観,教師像はどこで形成されていくか

 いくつか考えられるが,私の周りの人間で考えると,

 ①教育実習での方法に偏った指導

 ②初任校での先輩及び研究授業での方法に偏った例や指導

 ③自主研究団体での指導法や教材に偏った研究

 ④教育について語る場の減少(目的や目標,夢など)

 以上の4つが大きいと思われる。

 その中で数年のうちにこうあるべきという型が出来上がり,

 確固たる自信を持つか批判を受ける勇気を持たない限り,その型からはずれることを恐れてしまう。

では,『学び合い』をどうやってすんなり広めるか

 1つの答えは『学び合い』という言葉を出さずにいつの間にか「学び合い」を行っていた状況を作ってしまうということである。

 そのためには,学校の中で教育の目標や育てたい子ども像や授業のあり方について語る場を作る必要がある。(これが一番重要だと思う。できれば,校長先生が最初に語れば最もはやい!)

 「そんなことは分かっている」「でもそんな時間はない」などとご批判を受けそうだが,なぜこんなことを思っているかというと私の経験では,ほぼ全ての先生方が,『学び合い』の考えによる子ども像を目指しているし,そのためにどうしたらよいかを日々悩んでいるからだ。しかし,先入観やとらわれからはずれられないのである。

 時間はかかるが,ひとつずつ先入観やとらわれを引き剥がしていくほうが,最終的には定着するのではないかと思っている。


 

daitouirukadaitouiruka2008/12/08 00:12特定の名称を出すと、それだけで拒否反応を示されることってありますよね。
自分の学級の事実で見せていくしかないですよね。
でも、その事実に対する価値観・評価から違うことってありますよね。だから、やっぱりFUJISAKIさんのおっしゃるように「教育について語り合う」ことに行き着くのでしょうか。教師も『学び合い』ですよね。

rion_fujirion_fuji2008/12/08 20:35 教師も『学び合い』だと思います。その状況をいかに作っていくかが重要ですが・・・。茅ヶ崎のある小学校の研究会に参加したとき,学校の文化という言葉がありました。その文化に触れることで自分が変わったということを聞いたとき,これが今足りないんだと実感しました。志は伝播するものだと思っています。