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rion_fujiの日記


Hirotaka FUJISAKIです。
鹿児島市の小学校で『学び合い』を実践しています。
授業はいつでも都合が合えば公開いたします。
いつでもメールください。メールのやりとりで『学び合い』ましょう。
メールアドレスは、rion_fujiとybb.ne.jpを「@」で繋げて下さい(スパムメール対策です)。

2007-11-09浜之郷小学校の研究発表会

 本日,茅ヶ崎市立浜之郷小学校の研究発表会に参加してきました。東大の佐藤学先生が関わって10年目の学校です。

 一昨年も参加したので2回目です。前回も今回も自分なりには視点を持って参加しました。前回は発見のため今回は確認のために参加しました。(詳細は特に述べませんね。)

 今回,前回に比べて,「!」という部分が少なく「?」という部分がたくさんありました。

 子どもたちが関わり合う授業やその他の場面での様子に変わりはありません。では,何が変わったのか?私が変わったのだと思います。「学び合い」の視点から一日学校の様子を参観し,自分の実践を通した子どもの姿のイメージとの比較がありました。

 一言で言うと「もったいない」,言い換えると「もしかして限界と感じているのかな?」です。

 以下に感じたことのいくつかを私なりの考えとして述べます。あくまでも私の考えです。

聴き合う関係・同僚性はすばらしい 00:19

 1年生と6年生の朝の活動の様子や授業のある場面をみて子ども同士,教師の聴き合う関係はすごいなあと感じました。妙にテンションをあげた教師は一人もいませんでした。静かにしっとりと語るのを子どもたちは心を向けて聴いていました。

 また,授業研究などで見られる様子や伝え聞く様子から教師同士で学び合い助け合っていることがよく伝わってきました。一歩間違えるとただの仲良し集団になりそうですが,お互い高めあうための意見が交わされていました。でも,教師が「学び合う」ところまでいたっていないのではとも思わされました。しかし,平均年齢が31歳?で半数が初任者という中でよく育っていることが伝わってきました。

だれのための授業? 00:19

 授業をいくつか見る中で,子どもたちは本当に自分の学びをしているのだろうかと思わされました。もちろん教師が教材研究を十分に行い,子どもの声を聴きながら考えを紡いでいこうとする姿は見えるのですが,子どもたちがお互いに紡いでいこうとする様子とか教材にのめりこむといった場面は見られませんでした。むしろ,一部の子達がドンドン意見を述べ,教師がそれを教材と関連付けていっているといった感じを受けました。へんな言い方かもしれませんが,教師の中にある答えを子どもが探っているように見えたのです。

 なぜだろう?

 私は,その時間の目標が子どもたちにとって意識されておらず,考えるための情報が不足?(小出しにされている?)しているからではないかと考えました。

評価の意味と重要性 00:19

 授業中の評価は,学習の目標に向けて学習者へフィードバックするためのものだと考えています。

 もちろん,今日の授業でも評価は行われていました。4人グループや近くの子との関わりによる活動がほとんどのクラスだったのですが,評価の対象は,そのグループや近くの子に対して行われていました。その結果,子どもたちは,多様な考えをつなぐことに苦労していました。

 授業研究会で,佐藤学さんは,グループでの学習のねらいは二つあり,ひとつは「底上げ」でもう一つは「ジャンプ」?とおっしゃっていました。確かにそうだと思いました。

 でも,私は,グループじゃなくてもいいし,それは,教師が管理するためじゃないとかな?とかおもっちゃいました。むしろ,子どもが学び合う邪魔をしているとさえ思っちゃったのです。(そう見えたのです)

 それに,「学び合い」では,グループによるねらいの両方を同時に達成すると共に多様な考えが絡み合うことによる大ジャンプまで起こりうると信じています。(これは,実践を基にした実感です!)

 話がそれましたが,評価は,全体に向けて行うことによって学び合いを引き起こすことをあらためて実感しました。

情報の可視化 00:19

 子どもの思考の流れと称して,教師が考えた流れに沿うために情報(物)を分けて見せることがあります。

 本日の授業でも見られたのですが・・・

 それは,内容によっては効果的な場合もありますが,基本的に子どもが見える場所に出しておき,必要に応じて使えるようにしておいたほうがいいのではないかと思いました。

 そして,教師はちょっと離れたところから全体の様子をぼんやり眺めておき,変化をとらえて評価をしていくほうがいいのではないかとあらためてかんじました。

 なぜなら,教師が設定した思考の流れは,全ての子ではなく,ある一部の子(おそらく中位以上)であり,その流れに乗れない子は,思考をストップするはずだからです。(他の子に任せておけばいいや~)

学びへの参加? 00:19

 学びに参加できていない子達がいました。もちろんどのクラスでもいるかもしれません。様々な理由が考えられますが・・・(上記も理由の一つです)

 佐藤学さんは,4人グループにすることで学びへの強制ができる?とおっしゃっていまいた。つまり,人数が少なくなることで,子ども同士で関わり評価する関係ができ,学びに参加せざるをえなくなるということでしょうか。

 私は,それは,あくまでも方法にすぎないと思います。学びへの強制は目標(教室で学ぶことの)で納得したところで行うべきであると考えています。う~ん,「学び合い」は,目標及び様々な子との関わりのなかで学びの強制をしていることになるのかな?こっちのほうが,実社会に近い気がするけどなあ。

単元 00:19

 5年生の社会科で,工業から環境問題までつなげた大きな単元の学習の中の一時間を公開してくださいました。

 まず思ったのは,こういった単元は発見や学びによる楽しさがあり,「学び合い」がもっとも適しているいうことです。

 フィンランドなどがこういった大単元をとりいれているのは,大きな目標に向けて,自分たちで答えを見つける学習の中で基礎・基本を身につけていくことができるものだからなんでしょうね。

 世界基準の学力を目指すのであれば,

日本も細切れの単元の中で基礎・基本の定着と称してドリル学習に近い形で知識を詰め込むような学習を脱却して,大単元による学び合いの学習を

行っていけばいいのになあと思っちゃいました。

 

教師同士の学び合いや保護者との学び合いなど

まだまだ思ったことはありますが,今日はこの辺で・・・。

satosato2016/10/04 20:29立派です。ぜひ浜之郷小に行って理想の授業をやってみてください。