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ogymの日記 @浜松 

  • 浜松でも『学び合い』を増やします♪
  • 連絡はogymと@hkg.odn.ne.jp をつないでください。
  • 『学びあい』浜松の会…今年度は奇数月の第1土曜日9時~12時開催。
  • 三方原協働センターで行っています。お待ちしています。
  • 05/29道徳チャレンジ中

    試行錯誤中。 23:37

    試行錯誤と言っても、流れは『学び合い』なので、課題をどうするか。です。


    「相互理解」の価値について、「人と分かり合うためには、(     )が大切」を考え、みんなが2人に説明することができる。


    教科書の小見出しに書いてあった問いかけをそのまま利用してみた。

    「人と分かり合うためには、何が大切でしょうか?」と書かれていた。


    しかしながら、評価があいまい。何が必要かは大まかには同じだが、人によって ?? という回答もあった。

    そうした時に、どうなの?となる

     「言葉で伝える」「相手をはっきり見て言う」「ゲーム(仲介するものの意味?)」「分かろうとする気持ち」等々。



    失敗と言うのは無く、上手くいかない方法を発見しただけ、とかいう、こうするとうまくいく、いかない、こうなる、ああなる、ということが分かるだけ、という発明家の言葉も分かる気がする。


    そうするとよいことを例を挙げて説明することができる、だとハードルが高いか…等々。考えている間に次の日が来る。

    でもやることが大事。研修のつもりで続けます。

    流れ 23:37

    教材文の朗読→課題→『学び合い』→評価→感想。で行ってみています。


    学校生活適応能力 23:56

    支援級にいる子は、書くスピード、話を理解するスピードが追い付かない。

    通常の学級で生活する場合、書く速さ、話しの理解の速さ、がゆっくり目だと、やたら叱られることが増える。



    能の様に話していたらみんな発達障害と判定されるのだろうか。


    速読術教室に通常の人が入ったら、「普通じゃない」のは、通常の人だろうか速読の人だろうか。


    ピアノ学院にピアノが弾けない私が入ったら、右手と左手で別の曲が弾けることは「普通」だろうか「超人」だろうか。


    「普通」がどこかは分からない。

    だれも切り捨てず、一つ一つ進めば、先に進める。

    日大問題 23:56

    関東のリーグの事も知らない。

    アメフトの流儀も知らない。

    関係者もどんな業績経歴の人か知らない。

    だから何も言えることが無い。


    「今、何ができるか」「学べることは何か」思考    と   「誰が悪いか」思考


    きっと前者は、騒動に関わらない。君子危うきに近寄らずって、きっとそういう思考の問題かもしれない、などと思った。

    私だって、どんなに一生懸命やったとしても、なにかのはずみで「お前が悪い」と責められ巻き込まれるかもしれない。だから何とも複雑。


    切り捨てる、見捨てる、ような動きに世の中何だかなぁとは思うが、自分ができることは、自分の周囲の手の届く範囲で見捨てないことだ。

    流儀 00:17

    鳥を食べる実践について大学生の頃考えた。

    豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日

    豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日

    先行事例から学んだり、屠場を見に行ったり、遊牧民経験者を訪ねて話を聞いたり。


    結果、文に表われない流儀があること、その流儀が大事、ということに気が付いた。

    (今思えば、これも「目に見えないこと」だった)

    遊牧民には遊牧民の流儀がある。

    屠場の人にも。

    畜産農家にも。

    ペットの様に名前を付けないとか、年老いたものから感謝して屠畜するとか、痛がらせないとか。祈るとか。

    学校での飼育動物にも流儀がある。

    http://www.vets.ne.jp/~school/pets/

    名前を付けてペットとして育て、それを殺して食べるのはいたたまれないことはPちゃん事例からも学んだ。

    年度をまたいで飼育動物を飼育するときには、教員の異動やその後の負担についても考えなくてはいけないことも流儀。

    屠畜するにしろ殺せばいいわけでなく、なるべく痛み苦しみ少なくする方法があることも遊牧民キャンプから学んだ。

    その際の殺す側の心の痛みを交わす方法も。


    単に、「飼って、潰して、食べる」や「採って、食べる」という形だけを真似して「命を頂いてるだろう、感謝しなさい」と単純化しても自分がピンとこないのは、そうした流儀を知らないままだったからなのだろう、という結論になった。

    屠畜の時うまれてくる感情は、「感謝」だけではすぐに消えない。うまく処理しきれなかったり、処理の仕方をいちから考え出さないといけなかったりする。その感情をうまくかわしたり昇華したりするために、儀式があったり手続きがあったり宗教があったりと、それぞれに流儀がある。


    目に見えないそれぞれの流儀を知らず、尊重せずに批判したり、責めたりしても、なんだか的外れになる。


    違う分野の物事に関わるには、それぞれの流儀考え方言い分を公平に聞くことができる、学んでいける、そうなっていけるといい。

    現実にはなかなか難しく、その世界の流儀などまったく無視して責めらてしまう御時勢だけれども。


    言論 23:56

    公平、双方の言い分が言い合えない、聞かれないというのが大変心配。

    何かしらの問題で「いや、それは違うんじゃないの?」と言おうとすると、


    「日本人なら贅沢はできないはずだ」

    「非国民」


    のような雰囲気がある。

    当時だって「洗脳されてた」なんて話ではなく、みんなその時々を必死に生きていただけだろうなぁということがようようわかってくる。


    今だって、後日談になれば「みんなどうかしてた」なんていう時代が来るかもしれない。

    スポ根だって、部活だって、授業だって。


    今、できることを一生懸命に生きるしかないのだろうなぁ、なんてことを最近考えます。

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