03/11追悼
追悼。
■ 六年前
津波最高点は地学で学んでいた。
しかしその予想をはるかに超えていた。
スマトラ沖地震で五万人が亡くなった津波、津波後の街のレポート映像を見たことがあった。
何も無かった。
奥尻島の津波のレポートも見たことがあった。
何も無かった。
映像も無い。見た人も死んでしまう。
もし夜に震災が起きていたら、何が起こったか分からないままもっと悲惨な状態になっていただろうと思う。
湾岸戦争で茶の間で戦争がリアルタイムで見れたことが話題になった
それ以上の衝撃。
映像で津波を明確に見たのは今回が初めて。
波でなく、海が盛り上がってくるものだと初めて知った。
それぞれの場でそれぞれができる限りに動いた結果が今。
■ 原発
原発が今後半永久的に冷やし続けなければならないこと、
メルトダウンが起きたら止められないこと、
子供に何を伝えればいいか、悩んだ。
知識を知っていることで分かる危険性に、悩んだ。
正直、今すぐ関西方面に逃げたいと思ったし、
残って対処している福島の作業員の方がいかに英雄かがよく分かっていた。
Y2K、2000年問題で、西暦2000年になったときに、コンピューターの演算が西暦下二ケタで演算している場合、2000年が1900年と区別がつかなくなり誤作動を起こすかもしれないから浜岡原発を止めよう、という動きがあったときに、原発について学習していた。鳥山敏子実践とTOSSのエネルギー教育実践(福島)プルサーマル推進の授業実践を比較し、教師が立ち入れない教師次第で子供の意志が左右されてしまう思想教育のようなものには総合的な学習は手が出せないな、そうではなくて公教育としてはそれを知っていけるだけの基礎の学力の向上に力を入れるべきだな、なんてレポートをまとめていたこともあって、ある程度知識があった。
知識は、苦しい。
知らずに普通に休日を楽しんでいる人は、幸せだ。
ならば、なぜ学ぶのだ?
科学的事実として、子供に半減期が万年と伝えて良いのか?
放射能プルームの危険性を伝えて良いのか?
絶対事故は起きないとしていた賛成派、危険性をこれでもかと書き立てている否定派。
不安がる子供らの前に何を伝えるか。
いろいろな、別に考えなくてもいいだろうことも考えた。
■ 1945年の戦争
戦時中、徴兵の赤紙が来たからといって、家族職場の人間関係を切って、逃げられるものか?
戦時中、不安がる子供達に、「日本は大丈夫だから」以外、言えるか?
まったく同じと心理だと思った。洗脳でもなんでもない。当時も、今も、できる限りを一生懸命生きていた、と。
>>それぞれが最善を尽くしての「結果」。みんなが「正しい」
まさにそう思います。原発や津波などの結果を受けて、正解のないものを探す。答えはない、ということで世の見方が変わりました。
ちなみに今の大河ドラマ直虎もそのような隠れたテーマがあるように感じています。