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ogymの日記 @浜松 

  • 浜松でも『学び合い』を増やします♪
  • 連絡はogymと@hkg.odn.ne.jp をつないでください。
  • 『学びあい』浜松の会…今年度は奇数月の第1土曜日9時~12時開催。
  • 三方原協働センターで行っています。お待ちしています。
  • 01/11何のためにするか 徒然草

    明日は浜松の会 23:24

    明日は『学び合い』の会浜松です。参加者の方々は様々な場の方です。共通点は『学び合い』に興味関心があることです。フリートーク+クラス会議形式です。どうなることか、わくわくします。

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/ogym/20190112

    一人も見捨てない教育のために。よろしくお願いします。

    雑感、持久走大会 22:49

    持久走大会、体調や喘息等の配慮事項、意欲の低下、離席や座り込みなど、「絶対に全員参加する・させる」は難しくなってくるのかなと感じました。


    全員参加でなく、実際の社会のマラソン大会のように、エントリーシート申込制、昼休み等、休みの時間に開催、と、社会にリンクしていくのかなぁ…


    すると運動会や体育や…と波及すると、全体で取り組む活動が瓦解しそう…軸が無ければカオスになるなぁ…


    学び合い』がカオスな空中分解にならないのは、その時間に達成すべき目標と、それをなぜ行うかの目的の説明を明確にして、参加者に示して同意を求める場があるから。




    今は過渡期なんだな…と様々な場面で感じます。

    過渡期 22:49

    過渡期…?


    戦争を知っている世代と、戦争を知らない子供達、のギャップのようなもので、

    今の時代の問題だけでなく、いつの時代も起こっていたのだろうと想像します。

    今だけ特別ではないのだろうな、いつの時代も過渡期なのだろうな、とも思います。


    日露戦争を知っている世代と知らない世代。

    明治維新を知っている世代と知らない世代。等々。


    いつの時代も「どうなるんだろう」と思いながら、流れは止まることは無い。





    小学校教員は未来も生き残る職業に入っているが 23:07

    その仕事内容は大きく変わるだろうに、と想像しますが…


    「新しいことが指導要領に書かれていますが、先生方はもう今まで通りしています。」という

    これまで聴かれた言葉のようにはならないだろうと思います。


    これまでの教員が培ってきた、1対多数に伝授する技術、

    教師の人を動かす技術、板書の技術、ノート指導の技術は、今後何かに転用可能だろうか…。

    部活動拒否の話 22:49

    これまで苦労した先輩先生の「当たり前」であった経験は拒否され、

    何も指導したことの無い若者の法令に則った行動が、主流になるのだから、

    先輩先生は苦しい時代になるよなぁ…と思います。

    指導の二重構図 23:45

    その手抜きが荒れをまねく―落ち着いているときにしておく生徒指導

    その手抜きが荒れをまねく―落ち着いているときにしておく生徒指導


    学校では、学校の「きまり」があります。

    きまりを守る守らない、教師の言うことのずれ、教師やきまりへの不信感。

    教師の言う「許さない」の線引きのラインの違い。


    「今、落ち着いているのだから、わざわざ崩す必要は無いじゃないか。」

    「今、荒れている・学力が落ちているのだから、それに加えてさらに崩す必要は無いじゃないか。」


    「今、ある程度守れていることを、崩すひと穴になるのではないか。」

    どう考えるか。


    憎まれっ子世にはばかる 23:07

    憎まれっ子、世にはばかる、の逆?


    素直っ子、…どうなる?



    先生に対して素直な子。


    叩いてきた相手に「『いいよ』と許してあげてね」と先生に言われて許す。

    ルールを守らない相手のお隣さん、「教えてあげてね」と先生に言われてお世話する。

    廊下を走らず、ケンカになっても相手を叩かない。叩かれても叩き返さない。先生そう言ったし。

    「ルールを守らない子がいたら、先生の代わりに注意をしてね」と先生に言われて友達に「〇〇だよ!」と注意をする。

    先生と仲が良く、「いつもありがとう、助かるわ。」と、頼られ、先生が行った仕事を「はい」と素直に手伝う。

    学級で嫌がられる不潔な子、乱暴な子とペアになってね、と言われても、「嫌」と言わないで従う。

    先生から、注意を受ける機会がそもそもない。



    そして、先生は数年で去り、その子は残される。


    残されたとき、生きて行けるか、です。



    「嫌」な時に「嫌」と断れるか。

    「許さない」けどうまく折り合う、ができるか。

    「自分で選び、自分で決める」ができるか。

    「厳しい注意や指摘」を受けたとき、立ち直れるか。


    先生にとって「いい子」でなく、その子にとって「いい」を引き出していける、そうありたいです。




    できる子は教師の言うことなんか通り越して自立します。

    できない子は教師の言うことなんか聞いていられないので自立します。

    中の上、教師の言うことに共感して「いい子」であろうとした、可もなく不可もない素直な「いい子」たち。

    そうした「いい子」たちも見捨てないでいたい、『学び合い』に共感するのは、そんな気持ちもあります。