ogymの日記 @浜松  このページをアンテナに追加

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  • 07/03見捨てない、得。

    「どうでもいい」感 22:52

    『一人も見捨てない』の逆、切り捨てる世の中をすると、


    クラスが見捨てれば、切り捨てられた側は、クラスの仲間は仲間でなくなりただの人となる。そうなれば、「そちらがモノ扱いするならこちらもモノ扱いするのは当然だろう」と言う理屈で攻撃が始まる。


    先生がすれば、「俺を切り捨てたのは先生だ。こうなったのは先生のせいだ」と負の感情が向けられる。同じ理屈。


    職員組織も同じ。


    先生を一人見捨てれば、戻ってくる場が無ければ、押し付けて助けの手が無ければ、仲間は仲間でなくなり、まわりはただの人となる。



    自分がどうなろうが、周囲のただの人がどうなろうが、どうでもいい、と。



    どの人々も同じ。どうであれ、周囲は仲間にも敵にもできる。仲間であるほうが、互いにとって、得。



    学習の個別最適化? 22:53

    異年齢・異学年など多様な協働学習?

    スタディ・ログ等を蓄積した学びのポートフォリオ?


    発達支援の抱えている問題に近い…が第一印象


    育てられたか、切り開いたか 22:52

    余りに制度が整いすぎると、「完成された社会に参加する」だけに見える。

    いつの時代も「敷かれたレールを走りたくない」と思うものだ。


    きっと、子どもは、自分で探究する自発的な活動を取り上げられると、

    主体的でないため「やらされる活動」と感じ、「学びから逃走」するのではと感じている。



    徘徊したり、指示に従わなかったりする「からだ」の訴えは、自分のやりたいようにやりたい、生き直しを求めているのではないかなと思う。


    じっくり自分で納得して切り開いて考えていくことをしたり、

    稚拙であっても自分の考えを試して失敗してどうしてだろうと考えたり。


    人に寄るけれども、学べるゆとりのある世の中であってほしい。