ogymの日記 @浜松  このページをアンテナに追加

  • 浜松で『学び合い』に興味をもった方、連絡ください。浜松でも『学び合い』増やします♪
  • 2か月に1度定例『学び合い』の会してきます。
  • ogym と @hkg.odn.ne.jp を繋いでくださいね。はてな
  • 05/29道徳チャレンジ中

    流儀 00:17

    鳥を食べる実践について大学生の頃考えた。

    豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日

    豚のPちゃんと32人の小学生―命の授業900日

    先行事例から学んだり、屠場を見に行ったり、遊牧民経験者を訪ねて話を聞いたり。


    結果、文に表われない流儀があること、その流儀が大事、ということに気が付いた。

    (今思えば、これも「目に見えないこと」だった)

    遊牧民には遊牧民の流儀がある。

    屠場の人にも。

    畜産農家にも。

    ペットの様に名前を付けないとか、年老いたものから感謝して屠畜するとか、痛がらせないとか。祈るとか。

    学校での飼育動物にも流儀がある。

    http://www.vets.ne.jp/~school/pets/

    名前を付けてペットとして育て、それを殺して食べるのはいたたまれないことはPちゃん事例からも学んだ。

    年度をまたいで飼育動物を飼育するときには、教員の異動やその後の負担についても考えなくてはいけないことも流儀。

    屠畜するにしろ殺せばいいわけでなく、なるべく痛み苦しみ少なくする方法があることも遊牧民キャンプから学んだ。

    その際の殺す側の心の痛みを交わす方法も。


    単に、「飼って、潰して、食べる」や「採って、食べる」という形だけを真似して「命を頂いてるだろう、感謝しなさい」と単純化しても自分がピンとこないのは、そうした流儀を知らないままだったからなのだろう、という結論になった。

    屠畜の時うまれてくる感情は、「感謝」だけではすぐに消えない。うまく処理しきれなかったり、処理の仕方をいちから考え出さないといけなかったりする。その感情をうまくかわしたり昇華したりするために、儀式があったり手続きがあったり宗教があったりと、それぞれに流儀がある。


    目に見えないそれぞれの流儀を知らず、尊重せずに批判したり、責めたりしても、なんだか的外れになる。


    違う分野の物事に関わるには、それぞれの流儀考え方言い分を公平に聞くことができる、学んでいける、そうなっていけるといい。

    現実にはなかなか難しく、その世界の流儀などまったく無視して責めらてしまう御時勢だけれども。