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ogymの日記 @浜松 

  • 浜松でも『学び合い』を増やします♪
  • 連絡はogymと@hkg.odn.ne.jp をつないでください。
  • 『学びあい』浜松の会…今年度は奇数月の第1土曜日9時~12時開催。
  • 三方原協働センターで行っています。お待ちしています。
  • 05/11参観

    美和中学校を参観 20:56

    美和中学校を参観。関係の諸先生方ありがとうございました。学ぶものがありました。感謝します。

    ――――

    午後より参観。幸い発着が第二東名沿いで、6時間目の語りに間に合った。


    静岡でも『学び合い』を研修している学校があったことを知れたことが何よりうれしい。勇気づけられた。


    手立てを見て、「科学だなぁ」と思った。どこでも、同様の成果が現れる。どの手立ても、裏付けがあり説明ができる。欠けると、できない。


    2時間目は10分早く達成ができていた。が、時間はきっちりとった。その時間の間、問題の出し合いをしている子の行動が広がっていた。自分は10分早く達成できていたら、そこで振り返りに入っていたが、なるほど確かに、子ども達の時間をこちらの都合で奪ってはいけない、と思った。


    その10分間の間に、理科プリントが間違ったままの子やサインが3人もらえていない子を自分は見つけた。達成に見える10分間で、周囲からの協力でで解決をした子や「そのままでいいや」にした子、それぞれの選択をしていた。その後の語り。全員達成の拍手のあと、西川先生は「理解は本当か?」語った。その子にとっては、心を見透かされているかのようで、ずいぶん胸にくる語りだったと思う。今更できてないなんて言えない。この気まずさ。授業が終わり、その子に声を掛けようとしたけれどはぐらかされた。声を掛けた所でどうなるのだろう。その子は自分で十分わかっているはずだ。人に胸は張れない。プリントを見せられない。テストで出たら、自力で答えられない。次どうすれば得かは、繰り返し『学び合い』をすればおのずとわかる。そしてその子を見捨てないように周囲は手を伸べることもうながされる。よくできているなぁと思う。この時の自分の声掛けは本当に余計なお世話だなと反省した。



    教師が余計に口出しすると、教師の言葉を子供がまち、会話が止まってしまうだろうなぁと思った。先輩後輩で教え合っていたり、男女で話し合っていたりと、中学生に大切にしてほしい交流がたくさん見られた。さえぎりたくないなぁ、と正直に思った。不登校の原因・仲直りのきっかけ・男女の交際・相手を知らないことからの誤解・緘黙。それを解きたいなら、別の共同作業をする。毎日共同作業(協働作業)ができる。×3年間。これは大きい。


    3学年でしかも異教科でどうなることかと思っていたが、何のことは無く至って普通に『学び合い』だった。構えることなく、セオリー通り。自分は頭の中で考えすぎ。「実験もするのか?」「英語?」「社会?」と、授業を見るまでは「異教科異学年???」だったが、なるほど、普通にできるものだなぁと思った。3学年いて、3年生の動き、2年生の動き、1年生の動き、それぞれにクセがあって、「多種多様な方が良い」ということになるほど、と思った。部活のつながり、男女のつながり、同学年のつながり、友達のつながり、話す機会をたくさん提供できるのは、とても貴重だと思った。


    のっかることと作り出すこと

    研究成果の『学び合い』にのっかることと、これまで培ってきて自分の中で作り出してきたこと、その二つのせめぎ合いが、教員へ落としていくときの難しさなのかなぁと思った。体育館の床に這った状態の是非。『学び合い』ではそんな子葉末節は置いといて、もっともっと人生にとって大切な学びであることを語るけれど、まずは姿勢!ノート!で成功してきた経験を持つ教員では、なかなか受け入れにくい拒絶反応が起きやすいところかなぁと思った。



    例えば、ノート指導で9年間の発達に合わせた書き方を定義したとする。それは9年間そしてその後もノートを使うものとして定義をするだろう。では今後、電子教科書やタブレットが入ってきたら、その定義はどうするか。ノートを使い続けるか。揺れる。でも、『学び合い』で伝えていることは、モノが何になろうと、人間が集団で暮らしている限りほぼ変わらないだろうと思う。その観ている先の違いで折り合いをつけていくのが今後の課題なのだろうなと思った。



    引き付ける語りだった。言葉は少なく、重く。これまでも講話が上手な先生はおのずと耳をそばだてたくなる。背筋が伸びる。そうした語り。

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    参観できて良かったです。ありがとうございました。


    百聞は一見に如かず。異教科の『学び合い』も可能と言うことが十分わかりました。今まだイメージがつかめない『学び合い』は……体育・道徳での『学び合い』。また機会あれば見てみたいと思います。


    名人授業 20:56

    市内のスーパーティーチャーや名人、うまいなぁと思える授業を参観すると、『学び合い』に近い形になっていることを感じます。

    自分が『学び合い』でなるほど!と思いを深めていたのも、そこにあります。

    うまくいっているあの先生は、何がちがうのか……。


    見えないはずです。公開されている授業に肝は無く、肝は「最初」と「最後」、先生の日常の振舞いでくさびが入っていました。




    ある先生は「今自分が何をしているか目標を明確に持っていれば、あとは子供が自然に動く」と言っていました。


    ある先生は「ドリルの〇ページまでを全員が終わらすことができる」を行っていました。子供同士教え合い、学び合っていました。

    「今日は勉強部活なの、子ども達自分たちでやってくれるから楽~素晴らしい」と言っていました。


    ある先生の学級の子は行事の時に本当によく子どもが動く。運動会の練習が始まる初日に最終ゴールを語るそうです。そしてそれを本気で実現できることを願い、本気で求めていました。だからその目線で本気で叱ってもいました。


    共通して指示は短く明確。子供の活動時間が多い。


    本人が意識するにしろしないにしろ、『学び合い』のような考え方のクラスになっている。


    参観授業で 20:56

    一般に、参観授業ではすでに素晴らしい子供たちが出来上がっていて、素晴らしすぎると「仕込みが」「基礎基本が」「普段からの姿勢が」と言われ、「自分にはできない」となってしまう。そんな風に思うことがありました。


    一番知りたい、「最初の語り・導入」の部分を公開することは、ほとんど無いからだったのだろうと思います。


    学び合い』の授業公開は、その導入部分を毎回公開しているもの、そんな風にも思えます。

    mei-c5mei-c52015/05/13 06:58わたしも、名人授業と呼ばれる授業の中には『学び合い』に似たところを感じることが多いように思います。スーパーティーチャーを目指す人の心には、「一人も見捨てたくない」という強い思いがあるからなのかな、と思っていました。
    でも、これは精神面の話です。
    形まで似てくるのは面白いですね。余分なものを削ぎ落としていくと、形が似てくるのでしょうか。

    rx178gmk2rx178gmk22015/05/13 20:53まずは、ブログへのコメントありがとうございました。ここでの話題にコメントさせてください。
    結論から言えば教師が本気で思っていなければ願い(理想)はかないません。そして本気で思っているとその気持ちをもとに立ち振る舞いが決まってくると思います。心と体の一致していることが本気だと考えれば、願っていることを実現するのに最も合理的な言動になりますね。
    余分なものを削り取るというよりも余分なことをしないのかもしれません。いらぬ心配がなくなっていくのでしょう。デキる人のほうがカバンがスリムですよね。それです。(学生のカバンがスリムなのは違うけど(笑))

    ogymogym2015/05/14 22:06mei-c5さん ありがとうございます。
    >>余分なものを削ぎ落としていくと、形が似てくるのでしょうか。

    そう思います^^。自力で辿り着く人、生まれながらに身に着いた人、努力で身に付けた人、様々だと思います。


    rx178gmk2さん ありがとうございます。
    >>本気で思っているとその気持ちをもとに立ち振る舞いが決まってくると思います。
    心と体の一致が本気、なるほどと思いました。