ogymの日記 @浜松  このページをアンテナに追加

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  • 06/23『学び合い』

    学び合う ことを 実際目の前の子供たちに多く体験してもらい自立を啓発するために、


    自分ができることは?



    グレーゾーンの子どもや子どもとAIの対決を憂う前に、

    自分は、自分の明日のことをしっかりと生きなければいけない。

    06/22いつでも起こり得る

    雲仙で

    災害を受けた人へ「大変でしたね」と声を掛けたとき、

    「私らも起きるまでこんなことになるなんて思っても無かったよ。あなたのところも気を付けな」といった返答をもらったことがあります。

    自分は安全であなたは大変、でなく、誰もが等しくいつ大変になってもおかしくないのが生きるということです。福島も、地震も、交通事故も、災害も。どれも同じように思います。

    自分の周りにも 22:27

    ALSの病気の人がいます。

    人工透析の人がいます。

    癌で闘病後無くなった人がいます。

    阪神震災を体験した人がいます。

    浜松空襲を体験した人がいます。


    人生経験が長くなるほど増えていきます。

    起きたり、失ったりしてから気付くこと、あります。

    その前に気付いて行動したい、してほしいと願っても、人間なかなか動けないもので、

    人間は難しい生き物だなぁ…と思います。


    「自分事」か「他人事」か 22:27

    障がいをもちながら何かにチャレンジする人がいます。

    TVのコメントを聞いて、「障がいをもっている『のに』すごい」というニュアンスで紹介されていて、何だか感じた違和感は、自分事か他人事かのとらえなのだなと感じるようになりました。

    障がいをもっている『のに』通常人?に追いつこうとしていることがすごいーといっているのではなく、「自分ができることは何だろう」と行動した結果であって、誰もが自分ができることを行動して自分の命を生き切ると得ですよーっていうように自分は感じるようになりました。障がいがあるからないから、できるできない、とは違うように思うようになりました。


    考え方はセリフひとつをとっただけではなかなか読み取れません。が、世の中には他人事にとらえて言葉を出す人もいれば、自分事ととらえて言葉を出す人もいていろいろなものが混在しているのだろうなぁと思います。若者の言葉と老人の言葉と、同じ言葉でも含む意味や重みが違うこともいっぱいあるのだろうと思います。そんな混沌が常です。その複雑怪奇の中で世の中はそれなりに動いているのだから、すごいなぁと思います。


    人はみんな違う、という考え方は、発達支援に入らなければ、『学び合い』の考え方を知らなければ、これほど納得して腑に落ちることは無かっただろうなと思います。『学び合い』に感謝です。

    06/21

    日々ガンバ。

    06/20確認

    目指す姿を明示できる、語れる、は、強い。


    グレーゾーン 22:51

    発達学級知的の子・自閉の子・通常学級の下部の子

     

     進路は、①知的で高等部に進むか否か。

         ②何を目指すか。現実的に。


    どうする?

    「障碍者枠」をめざすか 22:52

     支援理解のある職場を目指すか、 障碍を隠して生きるか


    大事なのは、だれもが、自分で、切り開くということ。

    決定権は、保護者・本人にある。それを自覚しなければならない。


    そしてそれは孤立ではなく、それこそ『学び合い』的であること。


    よくある「未来を切り開く子」というお題目が、「未来を切り開く人」として実際に生きなければ!と思います。


    廊下を走らない 22:51

    工場の安全項目

    商業施設のバックヤード


    安全確保を守れない人は採用されないよね、クビになるよねって、そんな見方をしたことは無かった。

    そう言われれば、そうだ。


    つらいとき 23:17

    一斉授業と学習規律がこの状態では無理だよな、という時に、

    学び合い』を知っていたから比較的多数への授業内容の提供ができてよかった、と感じた時がありました。


    彼らが学習規律が守れなかった理由は、分かりません。モヤモヤしたことは、当人たちに聞きました。が、いろいろな家庭環境からくる理由や地理的な理由など、そうだよな、つらいよな、やになるよな、でもいい方法ないよな、つらいよな、と共感だけで終わることもあり、対話が成り立たないこともあり、すっきり解決はありませんでした。私が知る常識外で生きている人々もいるのだ、と思ったこともありました。悪い意味でなく、一般人とトップアスリートのメンタルが違うように、経営者と労働者のメンタルが違うように、常識というものも、「人によって考え方は違う」と『学び合い』的に考えると、自分の常識で測れない生き方をしている方々がいてもおかしくない、と認めることもできました。


    いろいろ話そうと意気込んでいくと、何を話しているか分からなくなりやすいので、事前に紙に書いて推敲してから読み上げの形で話をしたり、伝えたいことをプレゼンにして朝の先生の話で伝えたり、クラス会議では互いにけん制し合って挙手発表がまるでなかったので、アンケート→教師が口頭で名前を伏せて意見伝達→それを聞いて思ったことを再アンケート→教師が口頭で名前を伏せて意見伝達…という学活をしたり、いろいろ試しました。


    学び合い』で学んでいる間にケンカの解決がされた子や話を聞けたこともありました。最善、ではなく「まし」な状態で一年を終えました。


    数年後、卒業時、『学び合い』を覚えていた子がいました。40分の1でも伝わったので、幸いです。


    皆、数年後は、覚えていません。 23:17

    どれだけ迷惑をかけたか、費用対効果でどれだけ損害を与えたか、どれだけ授業をつぶしたか、当の本人は、本当に採るに足らないことらしく、覚えていません。御免の一言も機会が無いので(心の中では思っているかもしれませんが)分かりません。それでいて、大きくなってから、真面目になりました、といって、もろ手を挙げて喜べるかというと、そこまでできた人間だろうかと思うことがあります。

    ホンダ創業者の本田宗一郎の小学校時代の逸話に、「早弁をしたかったので、学校を抜け出し、正午の寺の鐘を突いて鳴らした」というものがあります。

    エジソンが学校に適応できなかった逸話もあります。


    当時の同級生は、どうだったのか、分かりません。先生は、どう思っていたか、分かりません。

    当時、振り回された人々はいたと思います。

    振り回す人も多くて迷惑とはなってなかったかもしれないし、

    逆にとても迷惑をこうむっていたかもしれない。


    結果、どうなるかは、分かりません。本人が請け負うので、自分が背負うことはできない。

    当人のことも当人にしかわからないので、私も私で自分も自分のことをするしかないです。


    できる範囲で、できることをしていきます。

    06/19久しぶりの学び合い

    目標「みんなが、逆数について理解し、整数・小数・分数の逆数を求めることができる」

    ゴール 

    ①P45の問題にすべて答える。

    ②整数・小数・分数について、求め方を友達に説明し、サインをもらう。


    時間 30分。


    評価 ①可視化した磁石での確認→挙手での確認。

       ②くじによるランダム指名→整数・小数・分数について求め方を説明してもらう。


    結果: 達成。


    良い出し: 活動を理解し積極的に動く子が多かったこと。

          前回固まっていた子が、自ら動いていたこと。 

    反省:

     まだまだ、できる。

     1/2=2/1のような表記をしていた子がいたこと。逆数の場合、イコールではない。

     0が唯一逆数をもたない数、ということへの言及をしていなかったこと。

         →次回授業時に指摘。


    22:50

    同じ幼稚園・保育園の出身者で固まったり、仲良しグループ、男女別で固まって互いに縛ることを介抱することができるのも、『学び合い』の良い点だと改めて感じました。


    いつまで仲良こよしで行くの? いろんな人と関わる練習ができる環境が整っているこの場で、なぜしないの?

    仕事をするとき、異年齢のいろんな人と関わって働くよね。というように、進路指導キャリア教育につながる話もできる。というか、言って行かねば高校から先のこの子らの未来はどうなっているのだ?

    一気に話が、学ぶ目的、成長の先の未来まで広がる。


    多数と関われず 23:01

    引きこもる、地域に引きこもる、同じ地域の少人数と関わる。出ない。つるみつるまれつつ、ぼやいて過ごす。

    出ることもできるし、残ることもできる、そうした選択の経験が必要。


    当たり前のようで、まったく気付きにくかった。皆、それぞれ違う人生を歩むのだ。

    06/18できることをしましょう

    できることを。

    宝の持ち腐れはもったいない。

    熱い話 22:24

    いい話を講演会で聞いた。

    たった3年でも、本気で行動している人がいる。

    それだけでも、勇気付けられる。


    永年続く仕組みやシステムは一人では構築できない。

    でもできることもある。

    本気でやれば、という話 22:24

    本気でやれば、という話は、要は、ゴールが明確でまい進している状態、ではあるまいか。

    隣の芝生は青く見え 22:24

    隣の市町村の良いところはとても良く見える。

    でも、その内部の人に聞くと、その隣やお宅の方が良いという。


    では、隣の良いところ出しを互いにし合えば、良いだけの話ではないか。

    そしてその良いところを真似たり尊重したりしていけばよい。

    うちなんか 22:24

    静岡の人は「浜松は良い」といい、浜松の人は「静岡が良い」という。

    「磐田が良い」と言えば、磐田の人は「掛川が良い」という。


    共通なのは「うちは、ダメ。」


    どうやら世の中は、総じてそう見えるようにできているらしい。

    色眼鏡のピントの合わせ方の問題なのだと思った。

    06/17履歴

    仕事として、 00:00

    どうすれば飲食業ができるのか。

    どうすれば農家ができるのか。

    どうすればモノを売ることができるのか。


    商売について何も知らない一教師が、

    進路指導をする。

    「算数は将来役に立つよ」などと言いながら。


    ♪子ども相手に人の道人生などを説く男、かぁ…


    自分の道以外知らないんだから自ら学ぶ力を付けさせないと。

    06/16気づかせる

    学ぶ意欲がなければいくら教えたところで学ばない

    教えたところで本人に覚える気がなければ変わらない

    自分はどうしたらよくなれるんだろう

    どうしたら上手くなるのだろう

    どこを直せば良いのだろう

    あんなことやこんなこと試してみよう


    そんなことを考える癖をつけてあげたい


    教えてもらって、別に教えてもらわなくてもいいし、と、余計なお世話扱いされても

    言われた通りにやったけどうまくいかねーじゃねーか、と、恨みを買われても

    得はない。

    06/15こちらが思うだけでは

    こちらが思うことで価値が変わる

    教育評価論?で、壺の鑑定士と精神科医の病認定について考えた講義を思い出す。


    壺の鑑定では、壷側は鑑定士を評価しないし、自分から価値の変動もしない。


    精神科医の認定では、評価される側も医者を評価できるし、自分から価値を変動変質させることができる。



    あることで子供を叱ろうと思っていても、叱る前に子供なりに考えているかもしれない。

    何も考えていないかもしれない。


    相互作用なので、それほどすべて背負うことは無いということだ。


    これまで、背負いすぎていたなぁと反省。とともに、気付いてずいぶん楽になった。

    出したものが最適解だしそうしていけばいい。 23:29

    一番の、それこそ、納得解を出せばいいし、納得まで行かなくても、それはそれがその時点で最良。


    世の婚姻、出産、すべて、縁。最良で進んでいるわけじゃない。


    でも、子供一人一人にみんな物語があり、それなりの同じ24時間の中で、それぞれの解を出しながら歩んでいるのが、目の前の子供。





    だから、否定のしようもない。「これでいいのだ」なのだなぁ、と思う。

    06/14学べども

    教師はいくら学んだところで


    カウンセラーにはなれず

    医者にはなれず


    それでも学び、できるはんいでできることを。





    事件が起こると 23:23

    教師や親が過去の事例を取り出して

    〇〇みたいになっちゃだめという、と、


    それになる道を示したことになる



    別の道を明確に。勇気付けて。