ogymの日記 @浜松  このページをアンテナに追加

  • 浜松で『学び合い』に興味をもった方、連絡ください。浜松でも『学び合い』増やします♪
  • 2か月に1度定例『学び合い』の会してきます。
  • ogym と @hkg.odn.ne.jp を繋いでくださいね。はてな
  • 08/14伝わらない

    夜9時前に在宅電話が鳴る。実家帰りの私が出る。


    相手「NTTの手続きの○×…からお電話しております○○と申します。光回線の…」


    私「え?正規のNTTさんがお盆のこんな時間に電話するんですか?」


    「ガチャ。ツー・ツー。」


    もはや何が正規かわからぬ。10年後、こうした在宅電話一択の家庭も含めてsciety5.0か…


    お盆の夜の一人暮らしのじいちゃんばあちゃんだったら、話し相手にこんな電話にのっちゃうのも分かる気がする。


    sciety5.0への切り替えまでに、 22:30

    日本は優しいから、緩やかに移行するだろうけれど、こうした抵抗もあり時間がかかるだろうなぁ…と思います。

    中国は「はい、明日からダメです」のようで、都市部の途中に突然立ち退き地区が広がる光景を昨年観てきました。

    いろいろ折り合いをつけながら進む世の中です。

    世帯主 22:30

    実家周辺の世帯主が、高齢者になったなぁと感じる。

    当時自分たちが子供で、皆若い保護者の皆さんだったのだから当然。

    田舎には土地がある。だれかが土地を守ったり家を守ったりしている。


    マンションアパート暮らしの都市部とはそうした状況も違う。おいそれとすぐ引っ越すことがない。


    あそこも一人。ここも一人。ここは長男が結婚して後継いでいて、あそこは二人。そんな感じで。


    自分の同級生たちは何割ここにいるか。実際あまりつながりが無い。都市部へ行った人も多い。子供が減るのも当然。


    母校は近く合併し小中一貫校となる。


    順番 22:30

    順番に地域の馴染みのオジサンおばさんが亡くくなっていくのも見聞きしていて辛い。

    順番だというのは分かる。でも、当り前にいた方々が体調を崩したり、骨折したり、病気になったり。


    治療法も様々選択した様子が伝わる中、徐々に亡くなっている。


    コンパクトシティも分かる。「いつまでもこのままでいたい」のも分かる。


    平等に皆、年を取る。リアルだ。


    この地域を、あの子供の人数だけで、支えられるはずがない。将来は、廃墟になるか、大地主だったころの田んぼに戻るか。


    自助、加えて自分「たち」で生きられるコミュニティの維持の大切さを痛感する。

    (近くの農協スーパーがつぶれましたが、みんな自分で畑をやっているので、やたらと野菜・米はあります)

    (コンビニに買いに行くのは、たまに「お肉」「たまご」ぐらいなもの)


    プログラミング 22:30

    NHK 「whyプログラミング」で、いびつな形の面積をプログラミングを使って判定させるものをやっていた。


    学校でやると、プログラミングどころか、いびつな形を覆うマスを数えるという指示自体が分からなかったり、


    マスを数えることが十分にできない子がいたりするのがよくある話なんだが



    そんな現実を知っているから、プログラミングにウンザリ感がある。



    まともに読書できないところに「並行読書」と2冊3冊の本を比べるとか

    作文に口あんぐりしてしまうところに「英語」とか

    教室から逃げ出してしまう子が複数いるところへ「討論」とか

    悲惨な状況は、個人の特定や学校の特定に関わると公にできず守秘義務もあり、伝わらない。


    勉強すれば 22:30


    勉強できるようにすれば、人材が都市部へ流れてしまう。

    勉強嫌いにすれば、手に職をつける術がないまま子ができ、窮してしまう。


    勉強できて、職がある、か…


    お盆と子供 22:44

    すごろく・七ならべ・ばばぬき・スピード


    手遊びを通せば、順番も、順序数も、位取りも、比較も、負けに対する対処も、できる。

    こうした夏休みに、楽しんで身に着ける家庭環境であってほしいなぁ…と願う。


    生まれながらにできない子もいる、環境や育て方に起因するものはない、というので、何とも言えない話だが。

    08/11もくせい会館の近くの地名は

    水落交番が静岡市では有名 00:17

    「水落」といいました。水落先生写真撮られたかな…なんてことをふと思い出しました。フォーラム後1週間。早いです。

    研修システム 00:16

    校内研修は、今年は2日間。静岡県の教育団体の研修は1日。市の教育団体の研修は1日。です。


    他地区に出掛けて、地域によっていろいろであることを知りました。


    学びの履歴 00:16

    ・街を挙げて取り組んでいた福井能美でのフォーラム

    ・地域を巻き込んでいた上越での『学び合い』の会

    ・サークルが数多くある愛知での仮説大会

    ・休みの日でも数多くの方が参加されていた大阪での研修

    ・名古屋NHK話し方講座で会った方々「『え?!』という実践をされてる方もいるということ」

    SONYの理科研修の東海地区の合宿「理論に沿った実践」

    ・東京オリセンでの免許更新研修で伺った「無いならないなりの工夫」

    ・学校飼育動物学会の獣医師先生の熱い思いと各地の実践

    ・行った甲斐のあった高知・愛知・静岡などの各『学び合い』の会


    学びの履歴は人によってさまざまで、多い人も少ない人もいます。

    どこまで学んでもキリはありません。

    ・子育て一生懸命の方

    ・学びには興味が無い方

    ・いろいろ学ぼうとしている方

    人にはいろいろな状況があります。


    だから、今知っている今の学びで精いっぱいやるしかないし、それでいいのだと思います。

    多様である 00:16

    多様であることを知ると、自分の地域の事も知れます。

    そして、どうしていくとよいか幅が広がります。


    いろいろと今後も学びたいものです。

    高校野球 14:01

    高校野球で、「全国制覇します!」という学校は多い。

    「全国制覇しません」「この試合に勝つつもりはありません」と言って優勝した学校は無いと思います。


    「宣言」したとき、それが叶わなかった時、嘘を言っていたことがつらくない?という疑問が過去の自分にはありました。


    叶わなかった場合の行動をどうすればいいか、処理の仕方に適当なものが無かったのです。


    教師として『学び合い』を行って、不達成の経験をすることを通して、


    ああ、叶わなかったら、次の目標設定を見直して設定し直せばいいんだ

    自分がつぎできることを考えて、活かせばいいんだ、ということで自分は落ち着きました。


    「目標は変更してはいけない」では 14:18

    甲子園やインターハイに規定年齢までに出られなかったら、もう永遠に目標の達成はできません。しかし、評価まで終わった後、次の目標は可変であること「目標設定は変更してよい」ということが自分に加わり、納得に至ったのです。



    目標の可変性・目標不達成の処し方は、就職・恋愛・試合など人生の様々な場面で活かされます。

    希望のところに就職できなかった。

    希望の人に受け入れられなかった。

    要の試合に敗れてしまった。

    運動会や発表会で、負けたときに、語るだけの時の回数と、

    学び合い』で毎時間、語る回数とを比べれば、『学び合い』の方が回数は多くなるでしょう。


    そうしたことを1年を通して語れれば、どれだけ今後に生きるだろう、と思います。


    今後の人生にこの経験を生かして 14:14

    その経験というのが、

    「我慢・耐え忍ぶ」であったり

    「栄光を大事にする」であったり

    「・・・・(特に何も指していない)」であったり、人によって違うのだけれど、

    その集団にとって、「あ、あのことだ」とすぐ頭に浮かぶぐらいになっていると、意味があるのだろうなと思います。


    甲子園を優勝できなくても、その経験(目標を設定し、それに向けて自分ができることを考え努力工夫していくこと)は、次の目標設定をした際に生かすことができるでしょう。

    また、逃す最後の一秒まで、「優勝する!」と信じ、言い続けて良いのでしょう。

    その瞬間(評価)の時まで、その思いはウソではないのだから。


    高校野球2 14:07

    スタンドの吹奏楽、チアリーダー、売り子やアナウンサー、OBOG、記者、球場関係者、審判、選手一人一人の家族・友人、その他もろもろ全ての人に、様々な思いと関係性があり、考えていること企んでいること、懸けていることなどの「思い」は様々です。


    それでも一つのルールの下ゲームができている。「一人一人が違う」ことが見えてくると、スゴイな、とただただ思います。


    学級目標 14:01

    有名な先生がやっていたから「世界一の〇〇を目指す!」ととりあえず掲げる人も

    自分たちの納得から「世界一の〇〇を目指す!」を掲げる人もいます。


    いろんな人がいていい、

    でも、

    見える「形」は同じでも

    見えない「思い・考え方」は全く違う場合がある、というのは、そういうところなのだなぁと思います。


    上手く言葉にできませんが、「大切なものは目には見えない」が『学び合い』を通してよく分かってきました。

    08/10同じ価値観が集まった結果

    食料を作り、エネルギーを作り、出生率が高い地方が衰退をして、

    食料を作らず、エネルギーを作らず、出生率が低い東京だけが残る日本

    https://gunosy.com/articles/RKCbQ


    現在の状況を端的に語っていた会見だったと思った。

    価値観 00:32

    年収が違う

    勉強している分量が違う

    見ている範囲が違う

    生活で大切にしている者が違う

    大人になると様々な差が出てくる。


    それは魯迅の「故郷」でも学んだ。通じない分かり合えない悲しみ。

    いつの時代もあったものなのだろう。

    facebookなどのSNSでさらけ出せる人とさらけ出せない人、気にする人気にしない人、リア充と非リア充というのも、そういうものだろう。


    他人と比較すること、の価値観=考え方が住み着くと、

    それに目を向けたくないから、軋轢を生みたくないから、住み分けるとする。

    習熟度別学習、できた子だけチャレンジプリント。できない子はヒントカード。

    それなりに住みやすいだろう。

    住み分けた結果 00:41

    都市部と他の県、県庁所在地と地方都市、地方都市部と中山間地域、人口の多い字(あざ)と少ない字(あざ)の比較争いも同じ。

    切り捨て分断の考えでは、成り立たない。

    いがみ合ってても幸せではない。

    比較をする限り、最後は、切り捨てられる。

    日本で言うなら、最後に残った都市に、中国華僑が来て終わり、だろうか。


    同じグループだけで集まり、解決しようとしていて、

    上下関係を付けて協力を求めようとしても、らちが明かない。


    比較型ゲームではない、協働型ゲームの必要性、というのが、ようやく理解できてきた。


    AIでの教育の穴 00:32

    AIで個別化最適化した「教え」をしようとすると、「教え」は「教え」る側が設定した事項の範疇を越えることができない。

    バーチャルで「トンボの一生」を「教え」たとしても、「教え」る側が定めたものしか伝えることができない。


     「教え」(限定した提供) →  「学び手」(受動的な学び)

    ヤゴは「メダカ」を食う      ヤゴは「メダカ」を食う

    ヤゴは「トンボ」になる      ヤゴは「トンボ」になる。 …で?

                      

     「事実」(限定の無い提供)→  「学び手」(主体的な学び)

    ヤゴは「メダカ」を食う        ヤゴは「メダカ」を食う

    ヤゴは「トンボ」になる      

    ヤゴは「イトミミズ」も食う      →ではイモムシも食うかな?やってみよう。

    落ちてきたイモムシも食う       →なるほど!

    ヤゴは体の大きさが違うものがいる   →こんな小さくてメダカ食えるの?

    「メダカ」を食うのはヤンマ系のヤゴのみ →なるほど!

    ヤゴは基本口より小さい生き物を食う

    ヤゴは「ミジンコ」も食う        →ホントかなぁ?(未確認)

    トンボになる際、水に落ちるものもいる  ヤゴは「トンボ」になる

    トンボになる際、羽が伸びないのもいる

    トンボになる際、のぼることができずに水の中で死ぬのもいる

    トンボになる際、じっと水面でのぼる機会をうかがう


    AIで個別化最適化した「学び」は、「提供」では無いのだろうな。ただ従うだけってのは、皆嫌だし。

    車のナビですら、「提供」はいくつか示して最後は選ばせるし。

    では何かな…


    西川先生のブログを読み、ああ、主体がどちらか、ということが絡むな、と思いました。


    からだとことば 00:32

    演劇を学ぶと、「からだ」はすごい可能性をもっているし、「ことば」はこの世の事象を表現するには足りないことがよく分かる。

    身体について深くみつめて試行錯誤したり観察したり。

    言葉について深くみつめて考えたり。


    世の中にはゆーーっくり学んでいくものもあれば、さっと学んでいくものもある。

    両方楽しめると、得なんだろうなぁ…


    どちらが良い、でなく、どちらも、楽しめるのが、良いなぁと思うが、どちらかに限定されてしまうのは、心配する。


    まあ、心配を信頼にして、限定されることも無い、としておこう。

    きっと、上手くいく。


    答えを出してしまうことについて 00:32

    魯迅「故郷」を調べたら引っかかった。

    https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1394767813


    写しただけでは分からない。としても、その後、ただ〇をもらって終わったのか、その意味まで追求されたのか。

    そこのチェック=評価が、学びを左右するだろうなぁ、と思いました。


    通常の授業であったとしても、評価「何をどこまで求めるか」「どのような状態なら分かったとするのか」が大切なのは、砦・関所・関門・ハードルとして変わらないよなぁ、と思いました。

    08/09会うということ

    遠方より 23:24

    20年ぶりに先輩に偶然会う。

    嬉しいに尽きる。

    意識していると、そうしたことが起こるものだ。


    23:24

    卒論・修論で「昔ながらのことをする」その教育的価値は?といった内容を書きました。今読み返すと、結果を出す研究というより、論・随筆のような拙い文ですが、なぜ懐古するかが自分なりにまとまっています。


    sciety5.0 の話を聞いても今と通じるところが多いので、改めてまとめられたらいいな、なんて、思いました。


    学童保育の支援員さんから聞いた「今の子は指が不器用」? 07:42

    便利になる、ということは、人が技術を付けなくてよい、代行してもらえるという「身に付けるべきだった技術を外部化」するということがあります。

    技術を身に付ける必要感が無くなっていく。


    それに伴い失う「からだことば」「感覚」「モノがあれば万能だがモノがなくなると何もできない→自己肯定(自分はできる)の減少。


    「一度進むと、戻れない」、という特性もあります。 08:39

    ETCやクレジットで非現金化に慣れた後、ナビやスマホ検索に慣れた後、元に戻る行為はひたすら「面倒くさい」行為になります。



    sciety5.0が実現しても、ひとの「面倒くさい!」はひたすら増え、先生がそれに価値づける場面は増えていくと考えます。



    それに対抗するには、「内部化」すること自体を「楽しみ」としてしまう方法があります。価値・考え方の転換です。


    「生活上の必要性」から、行っていた技術の内部化を、それ自体を「楽しみ」にしてしまう。今でいうと、料理やキャンプといった行為やリンゴの皮むき大会、昔の〇〇を体験してみよう!など。そばをわざわざこねる所から作ったり、わさびをすりおろすところを本人に行わせたり。行為は同じでも、価値が転換されています。


    学び合い』で話し合うのも、「語り」が必要です。きっと、教師がどのような価値・考え方をもっているか、をオープンにしていく必要が増えていくのだろうなぁ、と思いました。価値考え方によって、学童保育の支援員さんから聞いた「今の子は指が不器用」と言われたときの対応の方向性がずいぶん変わってきますから。(ちなみに言っている今の自分の世代も、十分その前世代からすれば「今の子は…」だったはずです)



    なぜ、会うか。 07:42

    SNSを使えば、今後、転校生が出ても、「今生の別れ」として送る会をする感情は自体がわかなくなるかもしれません。

    世界の裏側へ行っても、つながることができるのです。

    逆に、世界のどこへ行っても、逃げられないとも言えます。



    SNS誕生以前の生活歴が長い人は、「お別れ会」「送別会」「離別の悲しみ」「再会の喜び」を体験しています。

    その体験がもとから無い新しい人々に、その時代の文学の価値が伝わるかは疑問です。

    「ポケベルが鳴らなくて」という歌、そのもどかしさ自体が「あはれ」のように(当時の人々は…)という解説付きの古語扱いしないと共感まで至らないかもしれません。


    フォーラムでなぜ会うか。会ったら、勇気付けられました。やろう、と心強く思いました。

    自分の思考の範疇では気づかない偶然性の中、つながることができました。



    「当たり前」と思うことを一つ一つ価値づけて語ることが今後先生には増えるのかなと思います。

    なぜ人と会うことが大切と思うか、も、語る材料になってくるだろうな、と思いました。

    今の世に南方熊楠が生まれたら 08:26

    南方熊楠の紹介を読みました。

    (待合室で。週刊誌の一記事でした…紀州のドンは南方熊楠)

    いくらかは知っていましたが、かなりの規格外エピソードが一杯でした。

    今の世に生まれていたら、才能が開花されるか、考えさせられました。



    目の前にモノがあっても、それを観察せずにAIに聞く未来に、

    目の前のモノをひたすら観察する熊楠やファーブルのような人が現れたら。


    発達障害なんてラベルの有無に関わらず みんな違うだけ 08:26


    発達障害という言葉が認知され、自伝本等が広まってきたように思います。


    でも、考え方まで見ると、「発達障害と普通の人」と捉えている人と「みんな発達の様子は違う=みんな特性があるだけ」ととらえている人がいるように思います。多様性、という解説が同じでも、その多様をどうとらえているか、文章のニュアンスが様々であることを感じます。「発達障害」の人に普通の人がやさしくする、か、皆互いにやさしくし合う、か、のようなとらえの違いです。


    いま、そして今後は

    そのうち、「自分も?」という人が増えると、自分だけ仲間外れにされるのを避けるため、

    「みんなそうだ!」「よくあることだ」と価値転換されます。今はここの状態だろうと思います。



    今後の予想 08:39

    そのうち、「普通」なんて幻想は無いことに気付くと、

    「みんな個性・特性なんだ!」となっていきます。


    すると、インクルージブとかダイバーシティとか多様性とかの言葉の意味も、ああん、なるほどなぁと思えてきます。


    気付きでも発見でもない、それが「当たり前」な人からしたら、なんだかなぁ、と思うかもしれません。


    本当にわかったと言えるのは、学び手、その本人だけ 08:39

    そんなことをワーワー言っている間に、『学び合い』では「人によって分かり方は違う」考え方で淡々と進めていればいいのかな、と思います。


    みんな違うという考え方だからこそ、「困っていたら助け、困ったら助けを求める」「分かったかどうかはその人でしかわからない」の意味が納得され、『学び合い』が成立するのだと思います。


    「東大に入れるなんて、アイツの頭おかしいよ」「この問題解けないなんて、アイツの頭おかしいよ」と、区別し、アイツはおかしい、私は普通、と切り捨てる考え方でいる限り、『学び合い』も成立しないと思います。



    その人は、その人でしか、ない。 08:26


    お伽話や昔話などにみるノーマライゼーション

    http://www.dinf.ne.jp/doc/japanese/prdl/jsrd/norma/n200/n200_048.html


    ASD版名作劇場

    http://hattatu-matome.ldblog.jp/archives/48341863.html



    代々自給自足の生活をしている人がいたとして、その人は生活を全く変えていないのに、

    外の人がいろいろ価値付けしてくる。

    あるときは「外国が~」「これからは~」「発達障害が~」「関税が~」


    代々自給自足の生活をしている人がいたとして、その人その人でしか、ない。

    08/07忖度

    通常の授業では、相当、忖度して、動くところがある。

    質問はありませんか? で押し黙ってしまう、すべてが理解される、なんてことは無いはずだ。


    そこでヒソヒソ声で話すか、話すのを失礼と考えるか。

    相手を見下していたり、敵だと感じた場合はあからさまなざわざわが始まる。


    この「戦う」「敵味方」「見下す」「上か下か」「順位づけ」の考え方自体が、きっと『学び合い』と相容れない。


    考え方というのは、そういうところだと思う。


    いくら形や見た目が同じでも、そうした考えが節々に現れる。


    褒めたり叱ったり 02:26

    他者が褒めてくれたところで、叱られたところで、たいていの先生はその人の責任までは負わない。褒めたこと叱ったことも忘れていくだろう。


    最後まで、自分が自分の味方でありたい。自分の責任は自分で負うから、何を言われてもいいのだ、と言えるところ。


    その先生を自分の心に植え付けてしまって、自分が自分を攻撃するようになる、そうした他罰行為を自分の中で自動化して先生がいなくなった後も自分に反映させてしまうから、真面目な子ほど自分に自信が持てない、自己肯定感がもてない。


    叱られ続けて防衛のため先生から離れた子、頭の回転が先生より良くて先生から離れた子、は、自分は自分という基準をもちやすい

    だろう。真面目な子ほど、先生の導きを信じ、自分の中に先生をインストールしていく。

    そのインストールされる考え方が、叱る褒める考え方の先生像では。。。

    08/06欲張った④分科会

    教室『学び合い』フォーラム分科会④ 振り返りシェアリング  23:23

    当日は時間が無く話しきることも聞き切ることもできなかったので、こちらで報告します。


    学び合い』を『学び合い』で学び合う 23:23

    課題:みんなが、『学び合い』がどのようなものか、理解することができる。


    →理解するが具体的でないと、どこでOKとすればいいか分からない

    →具体的な姿としての今日の課題:

    あなたが『学び合い』の授業を行うとして、

    授業の流れをこの紙に書き、

    異なる3人(男性・女性・他県の人)に説明して聞いてもらい、

    サインをもらいましょう。

    →みなさんに、持ち帰って「こうだったよ」と説明できれば、お土産になります。

     同僚に説明できます。

     実際に授業もできます。そのようなつもりで設定しました。



    →サインをする際基準が無いと、サインのしようが無いので、

     次の点も設定しました。

    ①授業の流れ ②三つの観(授業観・児童観・学校観) ③教師が気を付ける点 が

    書かれていて、説明に納得できたらサインをしましょう。



    評価:みんなが、『学び合い』がどのようなものか、理解することができる。を、何をもって判断するか。


    →①全員のマグネットシートが「できた」に移っている。

    →②無作為に選んだ3名が、授業観・児童観・学校観を説明できる。ができたら、達成できた、としました。


    時間:30分(こちらのミスで実質27分ぐらいだった)


    教室環境:周囲に『学び合い』の関連本・よくある疑問のコピー・ネットブック・

         写真やイラストで授業の流れが分かる資料を掲示。


    参加:14名程度(自由に出入りできる分科会だったため多少増減有)


    欲張ってじゃんけんゲームも入れた。 23:23

    最初にオリエンテーションとして①普通のじゃんけんゲームと②みんなでじゃんけんゲーム。の違いを使って「みんな」で課題を解決するんだ、という説明をしました。


    1分間でいつもやっているところを30秒にしたこと、

    話し合いの時間も十分取れずにどんどんすすめたこと、など、ツッコミどころ満載ですが、

    ぜひクラスで「教えない」「子どもに解決させる」ことで「3秒!」目指して見てほしいと思いました。


    子供がアイディアをだし、尊重して試行錯誤して縮めていく過程は、大人の思い付かない策を楽々超えてきます。そんな子供達の発想にいつも涙が出るほどうれしくなります。「あなたたち、よくそんなアイディア思い付いたねー。すごい!」と本心で思えます。


    学び合い23:23

    次に、『学び合い』。説明して、3つの約束をして、どうぞ。

    始めは静か。次第に交流。時間との焦り等、いつもの流れがありました。


    よくある、途中での全体の声掛け、もしました。残り時間について意識してもらいたかったところもありますが、学習規律が守れないのでは?他の先生の時困るのでは?の疑問に答えるつもりでもありました。


    実際クラスでは、「話をする人を見るのは、どの先生の時も必要なマナーだよ」とか、

    「全体に話すときは、ぱっとすぐ見た方が、早く話が終わって得だよね」とか言って身に付けさせ、「学習規律が…」「先生の話を聞く時は…」などに折り合いをつけています。


    声を掛けてちゃちゃいれて「じゃましないでほしいなぁ!」も織り込み済で入れました。


    2回ぐらい「聞かれて」「教えて」しまったのは、ぐっと我慢したかったなぁ、自分。


    いい行動やいい情報を声掛けを使って可視化する視点は少し忘れていた気がします。まだまだ。


    結果:不達成。3分の2ほどが「できる」に動かせました。

       でも、だめなものは、だめ。残念。次に期待。


       自分から声を出して相手を探した方、残り時間について声を掛けて下さった方、

       困っていた方を見付けて話し掛けたときのいい笑顔、など。

       時間は有限、ということ、

       まあ一人ぐらいできなくてもいいや、という気持ちは無かったか、ということ

       達成すべき目標を忘れて違う話題に脱線したりと、どこか時間を生み出せなかったか。

       等々。全部伝えきれない!もどかしさは感じました。

       でも考えて見れば、伝えたつもりでも伝わるかは人によって違う。やってみてもらって、

       自分が感じたのと同じことを感じて行ってもらえばいいんだなと思いました。


    終わったとき、次に生かすことを語ることもいつものようにしましたが、説明付になりました。そのため、

    授業が劇中劇の様になっているので、授業の一部なのか、説明なのかが織り交じってしまいました。

    授業は授業として授業者を演じきった方が良いなぁと思いました。


    まし 23:24

    時間は50分程度しかありませんでした。

    でも、講義・質問形式よりは学んでもらえた「まし」だったかなと思います。


    繰り返し繰り返しすること、形だけそろえればみんなが学び合う訳じゃないよ、ということ。等も伝えられました。

    書いてもらった反省にも「よかった」という感想、何らかの気付きが見られ、お土産となったようでよかったです。



    以下参加した方の感想です。 23:24

    今日、実際に自分が『学び合い』をやってみて、1番印象に残った事は「繰り返しする」ということです。私はこれまで「単元のまとめ」でだけ、『学び合い』をしてきました。なければナビ愛をしてきました1学期は少しずつ意図を理解して動き出せる子供たちが増えてきました。私は今日、「できる」に磁石を動かせませんでしたが、教室だと、毎日できるので子供たちもぐんぐんできると思いました。2学期から本格的にやりたいと思います。


    実際に今回の授業を体験してみて、自分の答えをまとめることに時間をかけすぎてしまったり、周りの人との意見交換する中で話が脱線してしまったり、マグネットを動かすのを忘れたり、と、かなり生徒目線でリアルな体験ができた気がします。その中で課題設定を「明確」にすることの重要性や、声掛け・時間等の指示の出し方など、気をつけるべきポイントもいろいろと見えてきました。生徒たちが自立するための力を身につけさせるべく地道に取り組んでいきたいです。ありがとうございました。


    「全員達成」へのこだわりが授業者としての最大のテーマと感じる。授業観・児童観・学校観は、授業のみならず、あらゆる場面で感じさせる。キャリア教育そのものにつながるだろう。実践あるのみ。やり切る勇気。


    普段、高校の授業で『学び合い』をしていますが、私自身は学生時代にこの形式学んだわけではありません。そのため生徒に対して語ることも本に書いてあることを引っ張ってくる感じでした。しかし今日、自分が『学び合い』を体験して『学び合い』を学ぶことで『学び合い』に対する理解が格段に深まりました。他の人と話し合うことが自分にとってどれだけプラスになるのかを身をもって実感しました。この経験を学校に戻ってどんどん活かしていきたいです。ありがとうございました。


    異動先で突然『学び合い』に触れました。何となく疑問が残りながら3ヶ月何となく授業をやってきました。原点のところを理解できたような気がします。子供の力に任せて1時間の授業を組み立てると言うのはとても勇気が要ることですが、『学び合い』の考え方は筋が通っていて、大人になってから必要な力を育てているのだと言う言葉は心に響きました。実践する上でモヤモヤしていた部分…ゴールしなかった子をどうするか、時間で打ち切ること、1人の子に群らがったら…とか、細かい部分が解消できた気がします。ありがとうございました。


    実際に『学び合い』の考えに基づく授業を体験するのは初めてだったので、生徒の気持ちを実感することができました。時間としては「薄暗い」「不安」の中で生徒は取り組んでいるんだなと感じました。この「不安」をどのように取りのぞけるのか教員のサポート(課題・評価の設定)かなと感じました。


    今日、初めて『学び合い』を体験しました。説明することが大変なことを、実際にやることで実感しました。1人に説明するとその後の説明が、気持ちが楽になってできました。達成できない悔しさは「次は!」と考える自分に気付くことができ『学び合い』のよさを感じることができました。子供の気持ちが少し分かった気がします。ありがとうございました。


    学び合い』を学校全体に子供たちが還元できたら大きな大きな達成につながると思う。学級でできたら学年でしていきたい、次の学年に行ったら学年が強くなる。4月から3月までの行事に入れていきたい。


    多くの人と『学び合い』について話し合いができたのはとてもよかったです。私たちの学校で『学び合い』を行う人がほとんどいなかったので心配していましたが、今後行うことに関して自分に自信がもてました。ありがとうございました。


    学び合い』を体験できてよかった。収穫は子供の気持ちに近づけたこと。①教師が過度に声を掛けするのはうるさい。②全員達成できなくても、それなりに何か考えているだろう、ここでウザク叱るのはまずいなと。この2点だけでも、大きな収穫。つくづく講義より体験型が好きなんだな~自分。参加してよかったです。

    学び合い』の考え方を繰り返し繰り返し語り続けることの大切さを再確認した。目の前の子供たちの実態に合わせて語りの再構築を図っていく必要がある。


    色々な先生のいろいろな考え方を聞く事ができたことが非常によかったです。どんなところで苦労されていて学んで悩んでいるのか自分と同じことを考えているのだなぁと知れたこと、新しい方法試されていることなども知ることができました。またホワイトボードの可視化の工夫など様々なところで見られたのでとても参考になりました。ありがとうございました。


    本日の授業受けて、『学び合い』の授業で大切なことや具体的なイメージをつかむことができました。児童観と授業観、学校観についての多くの先生の考えを聞くことができてよかったです。


    最初はどうすればいいかわからなかったが、目標達成のためにと思うとだんだん分かるためにどうすれば良いか考えて動くことができた。必要にかられて人と関わる場面を作る事はとてもいいなと思いました。こちらの語りは短くかつ的確に、が、大切だと思いました。


    学生さんが「初めて体験した」という方がけっこういたなぁということが意外でした。

    それぞれ持ち帰っていただいたモノがあったようで、ありがたい限りです。

    AIに分析してもらったらこんな感じでした。 23:24

    テキストマイニング

    https://textmining.userlocal.jp/home/result/a39e02fbf0d1a453af88e2f73f9dbfa4



    学び合い』は考え方だから、やり方はこだわらなくてもいいですよね? 23:24

    という質問を2日間で3回聞きました。自分は即答できません。


    自分としては、 23:24

    まずは本を読んでそのままの形でやった方がいいと思います。

    一斉授業と同様に、守破離の守、だと思っています。


    中学生の公開授業の際、先生が3つの観を多く語らずとも子供達が動くのは、3つの観を体験してきて、体現してきて、浸透してブレが無く理解しているからだと思います。


    その言葉だけ真似をして、自分も半信半疑、子供達も3つの観を共有していない状態では上手くいかないと思います。


    係活動、部活動、委員会活動、給食に掃除、など、ほとんどすべての場面でぶれなく3つの観を行動で語っているならば、多くを語らずとも、どんなやり方でもうまく回っていくと思います。


    守破がなく、離にいっていそうで、自分だったらこだわらない、何ていえません。心配・臆病なので。

    いつでも、3つ、語るようにしています。自分がぶれないためにも。

    ・学校は人と関わるために来ているよ+α

    ・人によってわかり方は違うよ+α

    ・みんなはできる力があるよ+α


    おまけ 黄金の3日間の 23:24

    4月初め、黄金の3日間に子供に語る有田実践の「先生が怒る時の3か条」を、ぶれなく、2学期の始めや3学期の始め、学期の途中にも一字一句間違えずに言えるか、子どもも言えて共有しているか、です。言葉だけ言っても、きっと、上手くいかないでしょう。言葉は、消えます。怪しいものです。分かったつもり、もあります。過去に自分でやってみてかなり怪しかった経験があります。「えーと、何だっけ」と思い出せないようでは、形だけです。


    (今は、怒るのも少なくなりましたから、「先生がやめてほしいなと思うのは、学校目標からぶれることです。ぶれたら、呼んでどうすればいいか話をするよ」ぐらいにしています。見上げれば書いてあるので絶対忘れません。)



    情報研修 23:25

    情報研修で、先日知ったsciety5.0、学校3.0を紹介しようと思います。

    情報提供に感謝します!

    これから資料手直し!

    08/055日

    まずは 00:22

    皆さまありがとうございました。感謝します。

    1日目、未来を考えさせられました。

    2日目、授業、同窓会で授業ができる、『学び合い』、素敵でした。

        分科会④『学び合い』を『学び合い』で学び合う。開けました。

        参加していただいた方、ありがとうございました。

        何か得ていただいていたら幸いです。

        機会をくださった静岡の方々、ありがとうございました。

        わくわく、あっという間の2日間でした。


    自分はヒント・勇気・気付きをたくさんもらいました。

    たくさんたくさんのことを得て、現在咀嚼中です。

    ――――――――――――――――

    ④分科会の振り返りとシェアまとめ 00:54





    ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

    2日目のその後【Society5.0に興味を持ちました】 00:22

    感じたことが多数あり、自分はそれを咀嚼するのに時間が掛かるのです。


    浜松の会のみなさんとお疲れ様昼食後、モクセイ会館の喫茶でカキ氷食べながらいろいろと心に浮かぶよしなしごとをそこはかとなく思索しておりました。特にSociety5.0。 


    見れば見るほど、読めば読むほど 00:22

    https://www.gov-online.go.jp/cam/s5/

    ああ、「君の名は」のTV放送の時、宣伝に入っていたなぁ

    http://www.mext.go.jp/b_menu/activity/detail/2018/20180605.htm

    それを受けてのこの提言で


    http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/002/siryo/__icsFiles/afieldfile/2018/06/20/1406021_17.pdf

    そこに来て今回でなく次期改定の学校3.0なのね

    で、個別に最適化された学びというとたとえば

    https://qubena.com/

    とかになるのか…とイメージ。


    先生の、仕事は? 私の、子どもの、未来は?


    ①【一人も見捨てない、とは、どこまでか。見捨てられないでSociety5.0は行けるのか】 00:22

    では、Society5.0 に乗り切れない人々は?


    未だに携帯をもたないメールを使わないじいちゃんばあちゃんは?


    土地を出たい、でも土地や祭りを守らねばと守ってそこから動けない動かない人々?


    学習意欲を欠いてしまい学びから逃走している子らは?


    今の生活でそこそこ幸せだよ、という人らは?



    いくら個別的な学びを提供しても用意しても、それに乗る意欲が無ければ動かない。

    本人の意思がもてるか。



    【星新一のショートショートを超える世界だろうがやっていくしかない】 00:22

    Society5.0、どちらにしても、それをしなければ成り立たない世の中になっているということで、

    本人の意思がどうであれ、

    好むと好まざるを得ず、

    進んでいくのでしょう。


    物流、遠隔医療、運転手配達員不要で取り入れなければ、それをする人がいないのですから。



    伝えても子供達は危機が伝わらないタイタニック上で遊ぶ人の様になるかもしれません。

    伝わらない虚しさに絶望するギリシャ神話の予言者の様になるかもしれません。


    でも、何も言わないより、きっと、マシです。


    教師は「伝わろうが伝わらまいが」伝えていく役割、本人の意思に火をつけるのが大事になるなぁ、と思いました。

    でも「子どもの心に火をつけるのが教師」というのは、私も初任の頃から言われ続けている不易な部分です。


    それっぽく、とか、なんとなく、でなく、責任もって語る、だから「熱く」聞こえる・見えるのだろうと思います。

    子供達の将来のためにですから。

    今後もやっていく勇気をもらいました。


    ②【一斉授業の矛を収める落としどころもつくりたい、共存したい、と思った】 00:22

    今までの教授方法はまだまだ残っていくと思います。

    Society5.0と『学び合い』を一斉授業を信奉する人々に突きつけることは、

    きっと、刀鍛冶職人に、これからは鉄砲の時代だよと迫っているような

    馬車操者に鉄道を見せつけているような

    そんな感じなのだろうと思いました。


    ラストサムライのように、最後の「教師」というシリーズもできるかもしれません。

    大村はまや斎藤喜博、無着成恭https://www.news-postseven.com/archives/20160212_383376.html

    有田和正や河合隼雄、鳥山敏子等々の先生と、

    Society5.0の先生が、

    まともに教育論について話ができるかと考えると、観が違いすぎて、もはや話が合わないかもしれません。


    一斉授業批判、『学び合い』批判、TOSS批判、「仮説実験授業」批判など批判はつきものです。でも否定・排除はしたいけどできない。誰に対しても、否定・排除することなく、落としどころが必要なのだろうと思いました。


    否定・排除してしまえば、次に否定・排除されるのは私たち。


    では 00:54

    Society5.0 のような社会でも対応できるために、できることをしてください、どうぞ、の世が来る。


    ならば、ゴールからそれていないのならば認め合う落としどころが欲しいのではないかと思いました。


    例えば


    学び合い』もジグゾーも学び合う共同体も一斉授業も仮説もいろいろな方法や考え方があります。

    その中で、この未来に向けて、人格の完成を目指して、

    子供も教師も幸せになる授業研修をしてください。

    そして結果をいついつまでに出してください、どうぞ。




    自分の「一斉授業」の落としどころ 00:22


    私達が、

    長い時間の話をじっくりと聞く力があり、講演会が成り立つのも、

    山月記をじっくり味わって深く楽しむことができるのも、

    学び合い』で語りを聞いてもらえるのも


    そうした「一斉授業の考え方」で育っててこその力。きっと、日本人が災害時に落ち着いて行動できるところにもつながっている、よさでもあるのかと思います。


    そうでなければ、講演が始まった途端、「つまらん」とスマホをいじったり離席したりの騒々しさが起こります。自分勝手にばらばらだけ動いたり話したり退席していては収拾がつきません。


    私は『学び合い』しかできません、だから講演は聞けません、では、得る情報も半減するでしょう。

    いろいろできる、うまく折り合いが付けられる、そんな豊かさ多様さが、あるといいと思います。


    ただし、ゴールは共有する。

    結局ゴールがSociety5.0なら、『学び合って』いくしかないので自然とシフトしていくでしょうが…。


    それぞれの、自負 00:22

    それぞれに「これをやってきた」という自負もあると思います。

    自負を傷つけ否定するようにして相手がコテンパンになるまで戦おうとすれば、

    相手は自分自身のこれまでの行動を否定されたくないので、

    自分の尊厳のために一杯反撃してくると思います。


    でも、こちらの目的は、戦う・やっつけることでも、排除でもありません。

    子供達に『学び合う』生き抜く力をつけたい、ということが目的です。ならば、


    排除でなく、それぞれの互いに落としどころ、納得がある解決方法を選ぶ方が、得だよなぁ、そう思います。無駄に自分の中に壁や敵を作るのでなく、押し付けるのでなく、同じ目標に向かって、それぞれの最善をしていける、一緒に仕事をする、それがいいなぁと思いました。



    まだまだ「人治」人によって左右される組織の力関係も全国あるだろうと思います。けれど、あって当たり前、うまく折り合いを付けて行かないといけません。



    ④デジタル覇権争い 00:22

    Society5.0の本文中に、「中国と米国におくれを取っている」という記述がありました。

    自分が思い出したのは、昨年の上海視察で思った中国の発展ぶりです。



    中国の微信(we chat)

    微信は11億人ユーザーがいる。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%AE%E4%BF%A1

    阿里巴巴集団(アリババ)

    毎年世界最大の負荷(1日2.8兆)をわざと掛け、技術革新をしているhttp://www.itmedia.co.jp/news/articles/1711/12/news015.html


    楽天の年間取引額3兆https://netshop.impress.co.jp/node/5154


    アメリカのfacebook,

    14億人ユーザーhttps://blog.comnico.jp/we-love-social/sns-users


    韓国のLINE

    https://ja.wikipedia.org/wiki/LINE_(企業)


    インドや中国が入っていない統計

    https://webtan.impress.co.jp/n/2018/01/18/28043


    デジタル上では日本は蚊帳の外ななか、アメリカと中国の覇権争いが起きています。

    日本は入る隙間もないぐらい後れを取っています。


    日本はすでに米国の「傘下」。陣取りされた領域のようになっています。

    ルールを設定する側、でなく、使われる側、になっているわけです。


    ここに、「日本」産のアプリが無い。もう、NECも富士通もシャープもSONYSANYOも東芝も無い。

    世界的なプラットフォームになるアプリは無いんです。


    「いたずらにあおるのでなく、不安になるのでもなく、できることをしていく」という記述に、

    うーん、なるほど、それしかないかなぁ、と思いました。


    よくあるSFの末路 00:22

    人口減少や高齢化によって起こる損失を補てんできるAIで補い、

    AIによって人の知能は退化し、

    ロストテクノロジーとなってまた古典的な学びへ戻っていく。


    そんな未来としないための、現在の動きなのだろうなぁと思いました。


    書き残したいこと 00:22

    分科会④の内容・反省・振り返り

    1分読みとじっくり読み

    自分はなにを恐れているか

    いまだに学校は「人治」なのか

    学び合い』の方法はどうでもよいのか





































    第14回『学び合い』の会の全国フォーラム が 静岡市もくせい会館で開かれています。 00:22

     https://manabiai.jimdo.com/


    研修に 学校目標に 「学び合う」を挙げている先生方  ヒントがいっぱい見つかると思います。

    静岡市もくせい会館

    9時30分からは、模擬授業です。


    子供たちが『学び合う』様子が見られます。


    たくさんの 07:58

    先生方に感謝です。

    08/03浜松の皆さん

    第14回『学び合い』の会の全国フォーラム が 静岡市もくせい会館で開かれます。

     https://manabiai.jimdo.com/


    研修に 学校目標に 「学び合う」を挙げている先生方  ヒントがいっぱい見つかると思います。


    この時期・地元の祭り・自治会・個人の旅行・TOSS・研修・その他もろもろイベントが一杯の時期ですが


    せっかくの初の東海開催です。


    興味ある方、お時間ある方、ひょいっと静岡まで、足を運んでみてはいかがでしょうか。お誘いします。

    ―――――――――――――

    学び合いフォーラムの沿革

    学び合い』の普及、疑問解決、実践者交流を目的に、2005年に始まりました。

    年に1度、開催しております。

    内容は講演会、模擬授業、公開ゼミ(研究討議会)、相談会などを中心に、毎年趣向を変えておこなっております。

    主催は「子供に学ぶ教師の会」(代表、西川純上越教育大学教授)です。

    会には誰でも入ることができますし、その中の有志が大会を運営しています。興味のある方は、ご連絡ください。

    第6回大会までは、新潟市で開催しました。第7回大会から各都市を巡って開催しております。

    小・中・高・大学の教職員や、保護者、児童生徒、企業・NPOの方々の参加があります。

    過去のフォーラム


    第13回 2017年8月5日(土)~6日(日)

        於:大阪府枚方市 枚方市立メセナ枚方会館 参加者  名

    第12回 2016年8月20日(土)~21日(日)

        於:宮城 東松島市コミュニティーセンター 参加者260名

    第11回 2015年8月1日(土)~2日(日)

        於:東京 国立オリンピック記念青少年総合センター 参加者300名

    第10回 2014年2月22日(土)〜23日(日)

        於:福岡 筑紫郡那珂川町安徳南小学校・福岡サンパレスホテル 参加者180名

    第9回 2013年8月3日(土)〜4日(日)

        於:福島 コラッセふくしま 参加者180名

    第8回 2012年8月4日(土)〜5日(日)

        於:大阪 大阪大学中之島センター 参加者 86名

    第7回 2011年8月6日(土)〜7日(日)

        於:東京 国立オリンピック記念青少年総合センター 参加者 200名

    第6回 2010年8月5日(木)〜6日(金)

        於:上越教育大学新潟サテライト・NSG学生相互プラザSTEP 参加者 80名

    第5回 2009年8月1日(土)〜2日(日)

        於:上越教育大学新潟サテライト・NSG学生相互プラザSTEP

        参加者140名(県外参加者50名)

    第4回 2008年8月8日(金)〜9日(土)

        於:新潟大学 参加者116名(県外参加者57名)

    第3回 2007年8月10日(金)〜11日(土)

        於:クロスパル新潟 参加者108名

    第2回 2006年7月28日(土)〜29日(日)

        於:新潟県立生涯学習推進センター 参加者102名

    第1回 2005年8月20日(土)

        於:新潟ユニゾンプラザ 参加者44名

    ―――――――――以上、HPから引用。


    こんな前から「アクティブラーニング」を地で行っていることに、正直スゴイな、と思います。

    自分の初参加 22:28

    あらためて見てみると、第7回でした。

    西川先生の講演を聞きながら『学び合い』の会なのになぜ『学び合い』でやらないのかなぁ、でもどうぞと言われてもそれはどぎまぎしてしまうから困るなぁ、聞いている方が楽だなぁ…と思った覚えがあります。


    座った場所のすぐ隣がブログをされている方で、初めて「ネット上で知っている人に会う」経験をしました。

    ブログで深い思いを知っている分、直に会うと何を話したらいいものかよく分からなくて、もどかしい気もちになったことを覚えています。なかなか気恥ずかしいなぁと思いました。


    三崎先生に疑問を直接いっぱい聞いて、納得することが多くありました。


    時間は伸ばさないのか。

    その時間に終わらなかったらどうするのか。

    友達同士固まってしまったらどうするのか。

    一人学びはしないのか。


    今は自分なりの答えをもつことができるようになりました。


    明後日、分科会④を担当します。『学び合い』を『学び合い』で学び合う、としました。

    まさか自分が担当するときが来るとは…という感じです。


    いろいろなつながり、広がりが生まれるといいなと思います。

    よろしくお願いします。

    rx178gmk2rx178gmk22018/08/04 05:25この意見はとても大切だと思います。「『学び合い』の会なのになぜ『学び合い』でやらないのかなぁ」

    ogymogym2018/08/12 21:42無事できました(^-^) ありがとうございます😊

    07/31人との対話

    人との対話の圧倒的多さ。


    自己選択・自己責任の練習。


    思考放棄・教師への従順による弊害を防げる。


    授業の流れが安定していて明日へ作戦が練れる。



    学び合い』に対して個人的に感じている魅力です。

    未然 23:34

    A:先生に従順すぎる子


    B:先生になんとなく従っている子


    C:先生に従うことができない子



    ABを取り込んでCを排除することもありません。


    Cを脅したり個別に人件費と教室を設けて指導する必要もありません。


    Aが反乱してBが従い学級崩壊、なんてこともありません。


    Aが先生がいなくなった直後に路頭に迷う、人づきあいが無くなる、なんてこともありません。




    先生が、ABCとつながったところで、ABCらのその後の人生に先生が手助けすることはできません。

    ABCらが自分たちで相互につながり合う機会を毎日設けることができれば、その後の人生にもプラスになります。

    07/28 Go straight Turn right

    コンビニで道を聞いた。

    端末ナビの電池切れのせいだ。


    端末の地図で見せてくれた。



    英語の授業で道案内をしよう!があるが、必要か? 捨てていい能力か? 何故やるのか?

    ※※*大事なのは

    これまで数学の因数分解や証明問題だけで言われてきた実用性の有無が、ほぼすべての教科内容で問われるようになってくる。


    そうすると大事になるのは理由。目的。何故やるのか。