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Gyoretu 学級づくりを語り合う会& 行列のできる『学び合い』相談所 富山・石川 このページをアンテナに追加 RSSフィード


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2010-08-07

『学び合い』とは 仲間で集ったときの楽しい瞬間!キーワードは 楽しい

| 09:33 | 『学び合い』とは 仲間で集ったときの楽しい瞬間!キーワードは 楽しい - Gyoretu 学級づくりを語り合う会& 行列のできる『学び合い』相談所 富山・石川 を含むブックマーク はてなブックマーク - 『学び合い』とは 仲間で集ったときの楽しい瞬間!キーワードは 楽しい - Gyoretu 学級づくりを語り合う会& 行列のできる『学び合い』相談所 富山・石川 『学び合い』とは 仲間で集ったときの楽しい瞬間!キーワードは 楽しい - Gyoretu 学級づくりを語り合う会& 行列のできる『学び合い』相談所 富山・石川 のブックマークコメント

toshimaさんの日記より引用します。

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大事なのは、私たちは「子供たち誰一人も見捨てたくない」と思い、『学び合い』に共感しているということ。

学び合い』とは、誰一人も見捨てたくないという思いから生まれた、皆ができることを目指した教育観であること。

ごちゃごちゃ話しあっているスタイル=『学び合い』ではない。

よって、話し合わせることが目的ではないということ。

だから、「話し合わせるためにどうするか」というのではなく、「みんなができるためにはどうするか」が大切。課題も評価も授業の流れもそれを意識して組み立てていく。

この、「ごちゃごちゃ話しあっているスタイル=『学び合い』」という誤解は根強いんだなあと実感しました。

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最近自分は『学び合い』とは何かうまく説明できなくなっています。

一人も見捨て無くないという部分まで悩んでいるとき、どーんと信じれるかわかりません。それは、みんなと仲良く感覚、思いやり感覚と捉えやすくなるからです。みんなとは、個に囚われるのではないことだと感じます。

ただそんなみんなで楽しくやれたらいいなというのが感覚的な今の結論です。

以下 N先生のメモです。

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ゼミ生と研究のことを話し合っていると、「あ~、良い方法があると思ってるんだな~」と感じることは少なくありません。多くの同志が「『学び合い』をやろう」と決意して、最初にぶち当たる心配は課題です。なにしろ、『学び合い』は極限まで切り詰めた課題を子どもに提示し、あとは子どもたちに任せます。課題が勝負です。となると「良い課題とは何か?」と考え始めます。ま、当然です。が、ゼミ生がそのようなことを言い出すと「その課題は全員に良い課題?クラスには東大に行くかもしれない子もいるし、知的障害が疑われる子もいるよ。その教科が好きな子もいるし、嫌いな子もいるよ。億を稼ぐ芸人を嫌いという人もいるんだよ」と私は聞きます。そうすればそうでないことを気づきます。

 我々教師は変わった人種です。現在の学校制度にフィットし、大学まで行って、教員になった人間です。どうかんがえても日本人の典型ではない。そして、教室で手のかかる「あの子」とは違った人種です。その人種が良い課題を考えて、良い課題を考えられるわけありません。そして、それはどんな人でさえそうです。どんな人でも、その人が考えられる良い方法は自分を基準にしてしまいます。でも、自分にとって良い方法を求めれば、その人にとっては良い方法かもしれませんが、多くの人にとっては良い方法ではありません。例えば、ノーベル物理学賞をとった学者が「私は、こうやって勉強したんだ。良い方法だ」とある勉強方法を我々に強いたらどうでしょうか?きっと、「あなたにとってはね。でも、私はあなたのような人ではない」と思うでしょう。これは大学で科学の授業を受けた人の多くが感じたことだと思います。それは、教師が考える良い方法を強いられた子ども同じです。

 だから、『学び合い』では「良い方法は何か?」という一般的な問いかけを捨てて、「良い方法を考えられるのは誰か?」と問いかけたのです。この問いかけの変化が革命的な差を生み出しました。答えは「本人であり、本人の周りの子ども」です。では、それを前提として課題を考えるにはどうしたらいいか?それは、どうしても削れないコアは何かを見極めるのです。具体的には、指導要領をちゃんと読むことです。そして指導要領に準拠した教科書をちゃんと読むことです。でも、もっと具体的なのは、指導書や教科書に準拠した問題集を読めば、そこには具体的なテスト問題が書かれています。悩むなら、それを課題とすればいいのです。『学び合い』における課題の難しさは、実はとてつもなく簡単だと理解することが難しいことなのです。

 私は「良い課題」を求めるのではなく、むしろ「みんな」が徹底するために、どのように語るべきかを考えるべきだと思います。そのために、自分自身が「みんな」を本気で信じられることが大事だと思います。それさえ集団がしっかりしていれば、シンプルな課題を子どもたちが深い課題に変えてくれるのです。考えてみてください。知的障害と疑われる子どもがどんどんテストの点数が上昇します、そこにどのような会話があるかを考えればワクワクしませんか?お米はチャーハンにも、白粥にも、みたらし団子にも、おはぎにもなります。しかし、一度、チャーハンにしてしまえば、白粥やみたらし団子やおはぎにすることは出来ません。つくれば、相当まずいものが出来ます。

 私は、上記のことに関して、相当頑固です。なぜなら良い方法を教師が求めてしまえば、あっというまに元の木阿弥になるからです。なぜなら、そうしようとするのは子ども集団よりも教師の方が有能であると考えているに他ならないからです。そうなったら『学び合い』ではないと思います。『学び合い』における教師の仕事の第一は目標の設定です。その目標は、個人の判断が入り込む余地のない「絶対に達成すべきこと」であらねばなりません。警察が一般市民に何かを求めると同じ覚悟で求めなければなりません。警察官の恣意的な判断で市民に何かを求めたら指弾されます。教師も同じです。だから、課題は指導要領、およびそれと一対一対応することを私は勧めています。

 ごくまれに、「良い方法」を認める場合があります。理由は、子どものためではなく教師のためです。ちゃんと説明しても、どうしても子どもたちは有能とは信じられない教師の場合(ま、まともな、大多数の教師です)、おろおろしながら授業するより自信を持って授業する方が良いに決まっているので。ただし、その場合は、その人の実践の推移をモニターできる場合に限っています。モニターして元の木阿弥になりそうだったとき、アドバイスを入れられる状態に限っています。『学び合い』もどきを『学び合い』だと信じ込んで実践されることを私はとても恐れるからです。だから、このブログや手引き書では頑固に書きます。

 『学び合い』における課題の難しさは、実はとてつもなく簡単だと理解することが難しいことなのです。

 同志のメモ(http://manabiai.g.hatena.ne.jp/tasho6521/20100806/1281109229)を読み、昨日のある人との会話を思い出してメモりました。

追伸 名人教師は殆どの子どもにとって良い方法となるような課題(そして、その場その場の手立て)をつくる子ども出来ます。でも、それは神のごとき教師にのみ可能であって、凡夫はできません。そして、凡夫はそれを求めてもいけません。さらに、その神のごとき教師であっても全員は無理です。そして、数人はしょうがないと思えるぐらいだったら、私は『学び合い』を追求しなかった。『学び合い』は一人も見捨てない教育だと信じているからです。

追伸2 当たり前ですが、上記は「私」はということです。色々な方が自分の頭を使って、多様な方法で伝えることは良いに決まっています。

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フォーラム、特に社会の課題設定・模擬授業に参加して思ったことは、N先生がぶれない素晴らしさを感じました。追伸2に書いていただいているように、なんだかんだいってもそこへ行き着く部分は大きいと実感しました。しかし、ああじゃないか、こうじゃないかと、一人一人の言葉に何か宝があるのではないかと追い求めることは非常に楽しかった。模擬授業もめちゃくちゃ楽しかったということです。

nagaoさんが部屋トークで、楽しんでやるのがポイントと言っておられたことを体感できてよかったです。

立ち歩く、教えないなどの現象、課題設定などいろいろ細かいところから積み上げも必要であり、自分にもっと必要な部分です。

ただ今回得た大きな部分、それは人とつながる楽しさです。極端な話、それは教育以外にも充分つながります。教員以外の方で参加された方は、教育に関心の高い方かなと思っていましたが、もっともっと志、アンテナの高い方だとやっと気づけました。

学び合い』とは何か。それは、仲間との遊び、学生時代のサークル、部活であった楽しい瞬間を再現させるもの。難しいことはおいといて楽しい時間です。板書、発問、課題、すべての有無をふくめて、みんなで盛り上がれる楽しい瞬間です。

社会科の模擬授業の最中こんなことがありました。30分ですと言われた直後に、「バスが・・・北海道へ」の声が聞こえたのです。いわゆる早退です。えっ「みんな」ができるだから5分で仕上げなきゃーと。ハプニングが盛り上がるきっかけになる。この感覚です。

よくわからないけど楽しい。きっと、ホモサピエンスに元々インプットされたものなのでしょうが、難しいことは分からない、自分からしたら、なんか楽しい感覚をもてるものだと思います。

集団が形成されて楽しいと思えたあの瞬間を求めているもの、それが『学び合い』の考えなのかもしれません。一人も見捨てないを重く考えるのではなく、うーん、合わない人がいる・・・では、どうしたら盛り上がれるかなと考えるのが『学び合い』かなと思いました。244949

watanabewatanabe2010/08/07 22:01無事にバスに乗ることができました。あの場を最後まで体験しきれなかったのは残念ですが、o4d
さんの振り返りを読んで、改めておもしろい場だったなと感じました。「課題を作ろう」という課題からそれても、互いの課題意識から、議論が進んでいったこと。I先生の「じゃ、どうしましょうか?」という学習者の力を信じ切った進行。実際に模擬授業体験してみて、自分自身の頭の中から広がる知識のおもしろさ。社会科グループがチームとなる空気とそんなムードを引っ張るO4Dキャラ。僕の『学び合い』原体験は大学時代のサークルでした。それを思い出させてくれる感じ。nagaoさんの部屋での時間も。がんばってブログ作ります。ではでは。

o4dao4da2010/08/08 11:43watabeさん、さすがですね。Iさんのあの状態は信じ切っている状態、なるほどと思いました。そういう気が回るwatabeさんから学べることが、発表できる人、わかる人が偉いのと違う状態かもしれませんね。あの時間を形式として振り返るならば実におもしろいことに気づきました。それは、一斉の話し合い(シェア)する時間も多々あったということです。もちろんみんなのことを考えるなんて言わずもがなでしたね。

実は昨日学生の仲間と遊んだのですが、そこでも、みんなが楽しむなんて言わずもがな、気をつかえる仲間でした。

改めて身構えずに、そういう当たり前の部分を、さらに大切にしていきたいと思います。

ブログ楽しみにしています。

o4dao4da2010/08/08 20:16naがぬけていました。ごめんなさい。watanabeさん

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