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nokogirisouの「学び合い」の現場より RSSフィード

10/01/22(金)中学校の研究授業見学 このエントリーを含むブックマーク

 22日、新潟大学教育学部附属中学校の冬の研究会に参加した。

中学2年生の国語、古典の授業を見学する。

「表現を根拠に、書き手のものの見方や考え方を語り合う授業」

教材は「枕草子」の序段である。複数の伝本が存在すること生徒

に示し、その中から三巻本と能因本を比較対象しながら、「夏」

と「秋」の場面でそれぞれ描かれている情景の違い生徒に気づか

せ、仲間と交流し、発表し、それをノートにまとめる作業をして

いた。

 いままで私は、授業で伝本の比較をしたことがなかったので

大変新鮮だった。 

 この授業の特徴は、メインの作業に入る前に、三巻本と能因本

をたっぷり音読していたことだ。10分程度音読にかけていた。

 また、授業者の発問の後、個人の作業→机間指導→となり同士の

生徒の交流→発表がなされていた。机間指導の際に授業者は、全体

に聞こえる声で「いいところに気づいたね」「…というところが

違うんだね」と語りかけていた。これは意図的なもので、アナウンス

効果をねらっていたと後から説明があった。

 

 三巻本と能因本を比較することで、かなり具体的に序段の情景

を読み取ることができ、特に女子生徒は積極的に読みを深めて

いた。

 その後の協議会もまた興味深かった。

 授業者はまったく「まな板の上の鯉」である。参加者から、細かく

厳しい指摘が続いた。

 生徒への発問「2つの伝本の内容の違いを指摘し、自分にとっての

大事な違いを一つ書き出しなさい」の「自分にとっての大事な違い」

という問い方のあいまいさ、揺れについての指摘が多かった。

「たくさんある違いの中から一つ選ばせるのは主観的な行為ではないか」

「授業案の方には『大きな違い』と『大事な違い』という2種類の表現

が出てくるがどちらなのか」

 また伝本の違いから書き手の意図の違いを考えさせていたが

「書き手」とはだれなのか。作者なのか伝本を書き写した書き手

なのか混乱するという指摘もあった。これは同感であった。

 それにしても指摘の多くが、授業者の言葉づかいの揺れや

曖昧さをついていたのに驚いた。みなさん細かい!

中には「この授業は、分析であって古典の享受にはあたらない」

「教育哲学が揺れている」などと言う指摘もあって厳しいなと

思った。

 私は、古典を訓こ注釈に終わらず、伝本比較をしながら、細部を

丁寧によみとって具体的にイメージさせているところに感動した

のだが。生徒たちの積極的な授業態度は好感を持てた。

 

 講師、助言者の相澤秀夫先生が、その都度交通整理をしてくれて

協議会はもりあがり、わかりやすかった。支援者の新潟大学の堀先生

のお話も味わい深かった。

 

 とにかく、なぜ古典を学ぶのかという問を私たちはいつも自分

に問い続けなければならないし、子どもたちに語れなければならない

ということを思った。