十人十色・宮城

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 今年度からは全校児童5人の学校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでみたいと思います。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを計画中です。
  • 2017-06-17

    話し合えればうまくいくし,話し合えなければうまくいかない。きっとそう。

    07:34


     今年の運動会は,新校舎移転直後の9月9日(土)。小中合同とスポレク祭(地区民運動会)が合体したパターンで行われる。

     地域イベントとして開かれる,ということでもある。「地域と共にある学校」を目指す本校にとっては,新しい場所での新しいスタートにふさわしい運動会の開催の仕方,とも言える。

     とはいえ,「新しい」ことが多いと不安も高まる。

    ○小中統合後の新しいメンバーで

    ○運動会を初めて担当する体育主任で

    ○新しい場所で(まだ完成していないので,どんな校庭なのかも分からない)

    ○初めての地区民運動会(市役所地域振興課)との共同開催で

    ○他県からのボランティアさんも競技参加するらしい?

    などなど,「新しい」ことだらけ。どうなるのか見えないから,不安も高まる。


     条件が「新しい」のだから,せめて中身は「いつも通り」やったほうが安心・安全…。だから

    「いつも通りやろう」「無理しなくていい」

    となることもある。それも,ある面「正しい」。変化は少ない方が「安心」だから。

     「いつも通り」の中身と「無理しなくていい」の中身の問題。同じ言葉でも描いている意味はきっと違う。だから,それぞれ,どういう背景があって,どういうイメージをもっているかすり合わせ,それを共有してから

    「で,どうしたらいいかな?」

    にする。

     すぐに,焦って,簡単に「決めて」しまわない。

     小中の体育主任さんと一緒にホワイトボード・ミーティング®企画会議。

    「どんな運動会になるといい?どんな運動会にしたいと思う?」(発散)

    「特に大事にしたいことは?」(収束)

    「今後の準備計画と役割分担」(活用)

     イメージの共有と,今後の大まかな準備計画を立てる。

     「地域の人と一緒に盛り上がれる運動会に」「地域の方がスパイスになるような」「プロセスを大切にした,楽しい」「新しい学校ができてよかったなあ,と思えるような」「児童生徒が増えたので,紅白対抗で盛り上がれる感じ」「応援合戦なんかも,小中の子どもが工夫しながら,思いっきり楽しめるような」

     そんな基本方針が確認できれば,

    「では,具体的にどんな内容だといいかな?」

    「生徒と考えるのもいいよね」

    「でも,校舎移転後すぐの運動会。時間ないんじゃない?」

    「応援合戦は大事にしたいなあ。じゃ,7月に入ったらまず中学生と相談を開始するといいかな?」

    と,これから具体的にすることが見えてくる。

     そうなると

    「では,本番までの大まかな準備計画をたてましょうか」

    となり,することと時期,役割分担等を決めていく。

     全体像が見えて,することがはっきりしてくれば不安はぐっと軽減される。自分たちがやりたいこと,楽しいことに向けて,ちょっと動き出す感触。

     お互いの思いや考えを聴き合いながら,楽しいことに向かって,みんなで一歩を踏み出す。それができればいいのだなあ。

     

     ちゃんと話し合えれば,一見

    「たいへんそう…」

    「めんどうくさい」

    「やりたくない」

    ことも,「おもしろそう」に変わっていく。だってネガティブな言葉は,

    (不安なんだよね)

    ということだから。

     不安の解消は「対話」で。

    ちゃんと話し合えればうまくいくし,話し合えなければうまくいかない。きっとそう。

    2017-06-16

    聴き合う職員室

    06:14

     立場が教務主任なので,実際に子どもたちに対する授業は限られています。ですが,やれることは案外多い,と感じられるようになりました。

    「一人も見捨てない」を職員室に,です。

    といっても,先生方にそう言うわけでは,ありません。過刺激すぎます笑。

     とにかく聴き合う場づくり,聴き合う関係づくりを,継続的にゆっくり進めていきます。急になんとかしようとおもわないこと。でも,続けること。

    「一人も見捨てない」の考え方は「聴く」「聴き合う」ことに顕著にあらわれると思います。賛同,共感できないことがあったとしても。まずは受け取る。

     他者の話を受け取ろうともしないで,相手を大事にしていると思えません。しかし,そういう時もどんな事情があるのかなあ,という立場で聴けば,反発も共感に変わるかもしれません。

     だから,私は『学び合い』にはファシリテーションスキルがある,知っている事が大きな力になるし,それがあるとあらゆる立場や状況下で『学び合い』の考え方を運用できる,と考えています。


     「聴き合う」って楽しいね,ということを体験的に味わえる場を,どうつくるか,を考えます。即効性はなくても,漢方薬のようにじっくり効いてくるはずです。先生方一人一人の強みがいかんなく発揮できる学校だと,子どもたちもそうなります。

    2017-06-14

    「そういえば…」

    19:45

     レッジョエミリアアプローチ実習を「結のいえ」保育所で,の続き。

     ワークが終わった後,保育士の皆さんと一緒に振り返りをしていたとき,ある保育士さんが

    「そういえば…。今日はものの取り合いやもめごとがなかったですね…。」

    と口を開きました。

    「普段だとですね,自分が使いたいおもちゃを誰かが使っていると,取り合いになることもあるんです。でも,なぜか,今日はそんなことありませんでしたね…」

    「たっぷり楽しむ,十分楽しめているからなのかな?満足していたからかな?」


     もめごとが起こらなかったのはなぜか,「こたえ」はわかりません。この日,私たちスタッフを含めて保育士さん方が大切にしようとしたことは,

    「子どものはじめて,を奪わないこと。」

    「子どもの『楽しい』『おもしろい』『やってみたい』を邪魔しないこと」

     かっこうよく言えば「探求をサポートする」,くだけて言えば「子どもの邪魔をしない」(笑)でした。

     基本,「だめ」はなし。危険なこと以外はOK。ワーク中は子どもたちは,楽しいこと,やってみたいことにたっぷりチャレンジできる時間にしようということ。


     満足したり,思いっきりしたいことができていたりすると,子どもも余裕が生まれるのかもしれませんね。だから,ものの取り合いなんてする必要がない。そんなことしていたら,楽しくなくなってしまいます。ちょっと待っていたり,その間に自分がしたい別なことをしていれば,じきに自分もまたできる,そんな安心感があったのかもしれないなあ,と思います。


     ワークが終わってみんなで話していた時に

    「だめ,っていうのはなんか,たいてい大人の都合なんだよね~」

    と,どなたかが。

     うーん,そうだなあ。ありがち,ありがち。


     ドキュメンテーションをとるために,子どもたちの姿をじっと見ていた大人たち。いろいろ考えることもあったのです。




     

    2017-06-10

    「主体性」について考えた一日

    18:33

     レッジョエミリアアプローチ実習を「結のいえ」保育所で。

    https://www.yuihouse.org/


     実施したのは「光のワーク」と「水のワーク」。

    参加した子どもたちは,0歳から9歳の12名。

     私は主に,「水のワーク」担当。

    食紅で色を付けた赤,青,緑,黄色の色水を用意。様々な形・大きさの容器。霧吹きや吸い込ませる紙なども。

     メンバー間の事前の打合せでは

    「その子の『初めて』を奪わないように」

    「あくまで子どもの『探究』サポートをする,という立場を大事にしていきましょう。」

    ということを確認。そのさじ加減がなかなか難しいのだけれど。

     90分のワーク終了後の,結のいえの保育士さん方と私たちスタッフとの振り返りが実に面白かった。

     振り返りでは,

    ○何が起こったか

    ○なぜ,それが起こったのか

    を考え合う。

     スタッフ,保育士さん入り交じった中で,まずはペアトーク。そのあと全体で,という流れ。

     保育士さんの言葉

    「このレッジョエミリアアプローチ実習の話を受けたとき,0歳とか1,2歳の子が中心で本当にできるのかな?遊べるのかな?と半信半疑でした。でも,環境があって,制限をしないで自由に遊べる場があれば,子どもは本当に熱中して遊べるんだなあ,と感じました。ストロー1本でも遊べる。私たちはむしろ提供しすぎているのかもしれない,と気付きました。」

     「遊びこめることは,楽しいんだと。こちらから提供してばかりではなくて,子どもに必要なのは自由に遊べる空間なのかも。」

    「はじめは躊躇していても,だんだん自分でしたがる子どもの姿が見られました。」

    「日常生活では,落ち着きがないように見えた子も,自分の興味がある遊びにずっと熱中していた。驚き。」

    「はじめは小さな器から大きな器に色水を移してあふれさせていたけれど,何度もやっているうちに,大きな器の水を扱うときは小さな器でなくて大きな器を探して移し替えるようにしていた。試しながら学習していくんだなあ,と見て分かりました。」

     夢中になること,夢中になれること。そんなことについて考えた一日。

    「提供しすぎているが故に,遊べなくなっているのかも。」

    という言葉が印象的。

     「今日は,自分を抑えるのが,なかなか大変だった笑」

    という言葉に表れるように,決して「ただ」放っておくというのとは違う。放っておくとしても「意図的に」放っておくのだなあ。

     「子どもと大人のキャッチボール。様子を見て,ちょっと難しい球を投げてみる。」

     大人のかかわりとしてはそんな感じ。だから,よく見ていないとね。放っておくのと違うのは,そこ。

     「主体性」について考えた一日。

    心に残った言葉は

    「提供しすぎているのかも」「やりたいようにやる場面」「子どもの(人間の)主体性を阻むのは?」

    「遊びこめることは楽しい」「ドキュメンテーション」「解放して味わう」「夢中になること,夢中になれること。そこから形になっていく」「子どもと大人のキャッチボール」

    http://www5e.biglobe.ne.jp/~kkh/kodomotatinohyakunokotoba.htm

    2017-06-07

    再スタートの練習

    06:21

     3年生の先生が出張だったので,1日3年生教室に補欠に入りました。

     

     算数は,3けたのひきざん。

     「55ページの問題をみんなができるように,みんなで力を合わせてやってくださいね」

    と伝え,スタート。

     得意な子も,今のところまだ苦手な子もいるのは当然。

     得意とか苦手とかっていうのは,本人の気持ちの問題だから少なくとも「まだできないところもあるけれど,苦手ってわけでもない」

    くらいだといいなあ,と思っている。


     子どもたちは,課題に取組ながら,

    「○くん,ここ違うよー。十かしてるから,ここは…」

    「え?なんでそうなるの?」

    「だってさー」

    「ぼく,ひきざん得意!」

     

     3年生3人で机を寄せ合ってのチャレンジ。教科書の課題のページもやり終え,関連のドリルのページもみんなやってしまいました。

     聞きたい時に聞きたい人に聞ける,って,本当に子どもの学習を妨げないなあ,と感じます。

     「一人でやらないと,人に頼ってしまうのでだめ」

    なんて,少なくとも今まで目にしてきた子たちにはあまり当てはまりません。

     

    「あ,分かった。あとは自分でできる!ありがとう!」

    つまづいていた子も,そんな風に再スタートを切る姿をみると,本当そう思う。


     再スタートを切る練習を,毎日の学校・教室でしているってことになるといいんだなあ,と思う。