次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館でおこないます。7月に内容をお伝えします。
  • 2018-07-13

    「主体的」とか「意欲的」とか

    06:25

     「主体的であるかどうか」,とか「意欲的であるどうか」とか。

     よく授業研究の話題になったりします。

     「○○を使ったので,児童(生徒)は主体的に学んでいた」「意欲的な姿が見られた」とかって言い方もよく出てくくる言葉なんですが。


     確かに,そういう子もいたかもしれないけれど。


     例えばICT機器ををここで「使わせたから」とか映像をここで「見せた」からとか。


     んー,学びたいと思って「使おう」「見たい」と学習者が選択したり,するのが「主体的」「意欲的」ってことじゃないのかな?って感じる。


     自分が「主体的」「意欲的」なとき,「主体的」「意欲的」になるときってどんなとき?場合?


     反対に自分がそうじゃないとき,そうなれないときは?

     そういうことをセットに考えたいな。


     私は「主体的」「意欲的」には自分でそうなりたいし,そう「させられる」(これは本当の意味のそれではないから)のは,ちょっとやだな。


     それに,いつでも何でもそうある必要もない,と私は思っています。

    2018-07-12

    メッセージを受けとる

    05:50

    「歌を絆に・東北希望コンサート」が学校を会場に行われました。

     出演はシンガーソングライター川嶋あいさん。

     小さいころからの,歌手になるという夢の話,ここまで来るためのエピソード

    曲を聴いているだけでは分からない,いやそうじゃなくて

    (だからこういう曲,歌詞が生まれてくるんだ…)

    という感覚。

     「壁に見えることもあるよね,でもそれは扉にもなるよ。」

    自分らしさは創っていけばいい…」

     一つ一つの曲に載せたメッセージは,私は私の感覚で捉えられました。

     子どもたちには子どもたちの感覚で捉えたはず。

     だから一緒にあの場にいて,あのメッセージを受け取った,ということに価値があるなあ。

    2018-07-10

    信じて待つ

    06:21

     ある課題。ペアトークなどで一通りざっと振り返りをしたあとの個人のまとめの時間。

     その段階になって,自分の中で,なんと言語化,文章化していいか困り,立ち止まってしまっている子がいました。

     でも,その子は課題を投げ出しているわけじゃないです。鉛筆をもち,時に頭を抱えなんとかしようともがいている,そんな感じ。

     そんな様子を見て,声をかける友達もいます。でも彼の思いにはうまくフィットしないようで,まだ悩み続けています。

     

     側に座る,そういうアプローチをする方もいます。

     私は,というと,フラ~と近づき,背中をポンポンってするだけ,っていう選択をしました。

    全体には

    「書くこと,っていうのも練習だから何度もやっているうちにだんだん上手になるからね~。」

    みたいな,アナウンス。

     時間ぎりぎりになって,彼は,何がどうなったか分からないんだけど,急に書き出しました。

    彼独自で打開したのかも知れないし,誰かの何らかのアプローチがあったからなのかも分からないんですが,とにかく彼は諦めていなかったってことだなあ,と思います。


     そして,周囲は必要以上に干渉して,彼の課題を取り上げなかった,そういうことじゃないのかなって感じました。



               

     何とかしたい,と思っている彼を信じた結果かな,とちょっと思いました。

     「信じた」のは彼自身が自分のことを,であり,そして周りもってことかな。

    2018-07-09

    小説

    06:12

     「しばらく小説読んでいないよな~」

    「読みたいな~」

    と思って手にした「ツバキ文具店」

     作者は小川糸さん。初めて読む作家さん。

     淡々と進む物語進行に,ちょっとだけ物足りなさも感じていながら読み進めたけど,ラストがよかったな。

    「文字」とか「手紙」に表れる人となり,思い。

     理屈,理論じゃないウェットな部分ってやっぱり人間にはあるよね。

     一概に分けられないもの,ことってある。

    (ああ,そうだよねえ~)

    (そっかあ,そうとも感じるよねえ…)

    (お!なるほど。そう考えるとそうだよね!)

    とか。

     小説っていいな。また読み始めよう。



     あ,そういえば私が作中の言葉でメモした言葉,「秘密のおまじない」

    「心の中でね,キラキラって言うの。目を閉じてキラキラ,キラキラって。」(バーバラ婦人)

     そっか,続編の「キラキラ共和国」にここからつながるんだね。

    読まないと!

    2018-07-08

    「できないといけないこと」ってなんだろ?

    08:34

     昨日は地元研究サークルの7月例会。

    「6年生の学級指導実践あれこれ」というテーマでのある先生が報告してくれた。

             

     その中で考えたことは

    「絶対できなきゃいけないことって何だろう?」

    「あるとしたら何だろう?」

    ということ。

         

     どうしてもリコーダーが吹けない子がいる。まだ「ソ」の音しか出せないとのこと。

    「それでも、リコーダーを吹かせ,それをテストという名目で評価しなくてはいけないものなのか,悩む…。そんなにリコーダーに拘らなくてもいいのではないかと思うけど…」

    との話だったと思う。


     リコーダーはできないといけないのか?

     リコーダーでないといけなのか?

     そもそも音楽ってなんだろう?

     

     音楽は「文化」…

     生活を楽しくするための文化の一つ,かな。

     

     音楽も,そもそもの始まりは,(たぶん)大昔の人が,まだ楽器なんてなくても

    (みんなで音を出してみたら,なんだかおもしろいじゃん!楽しいよね!)

    みたいな感じだったんじゃないのかなあ,と予想。

     

     体育とか美術だって,そもそも

    「なんだか,楽しいよね!」

    が始まりなんじゃないのかなあ。(これも予想)


     音楽も,「楽器はうまくできないけれど聴くことは好き」,とか「音痴で人前では歌うのは嫌なんだけど聞くのはすき」もある。

    「できないけど,好き」それもあり。

     やって楽しむ,見て楽しむ,などいろんな楽しみ方があったりする。体育や美術だってそうだろうし,好きだったらまた何かのチャンスに

    (でも,自分でもできたらもっと楽しいかなー)

    になったりする。その可能性ってけっこうあると思う。

    「できない」は「できる」の始まり。

    そもそも「できる」も「できない」も誰しもの中にごちゃ混ぜにある要素。


     リコーダーがまだ,うまくいかなくて,それをやることが苦痛になっているとしたら,別にリコーダーに拘らなくていいんじゃないの?っていうのがその時の僕らの感じ方。それで音楽がキライになったら元も子もないし。


     「『一人でできること』を求め過ぎちゃうところってけっこうあるよね」

    評価をするのに,一人ずつさせてみたりして。」

    というのも僕らの会話の中で出てきたことの一つ。

     みんなと一緒にやってできた,というのは楽しい。きっと。きれいな歌声の人とそうでもない人も一緒に歌っても良い感じになったときって楽しい。(私たちのカラオケなんて大概そう…笑)。合奏だって同じこと。バスケットも別に全員シュートがばんばん決まらなくてもいい。ぞれぞれが活躍できて,勝てたら

    「イイェイ!」

    ってハイタッチできればそれでいい。

     そうやっているうちに,それぞれが自分の「できる」を求めていけばいいんじゃないのかなー。


     やっぱり,ぼくらの評価」に対する考え方,なんだよねって思う。

    加藤 昌紀加藤 昌紀2018/07/16 21:50 我々が教員になりたての頃は,そんな評価だったように思う。それが今は,「~ができるようになること」という評価項目を強要されるようになった。(新学習指導要領)「できる」「できない」が重視され,『楽しさ』が軽んじられて,ますます2極化になるよね。加藤

    motoryoumotoryou2018/07/17 06:33コメントありがとうございます。そうですよね,「できる」「できない」だけがクローズアップされるとつらい。「できる」も「できない」も切りが無いですから。子どもも(大人も)みんなと一緒にやっていることに関しては「できるようになりたい」って思っているだろうから。「できなくてもいい」っていうのとはちょっと違って。何度でもやり直してチャレンジする機会を用意するという,簡単に「ジャッジ」しないとか,とか私の方の姿勢でなんとかできることをしたいなあ,と思うのです。