次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-11-30

    最後は、出合うこと

    09:50

     手帳の中の言葉。

     目にとまりました。




     「写真ってコントロールできないんですよ。

     昨日までいい写真が撮れていたのに

     今日は撮れなくなるかもしれないし。

     写真はいつも、何かに出合うことで

     成り立っていくものです。」





     ああ、同じだなあ、と感じました。

    右肩上がりじゃないんだよなあ、と。

     やったらやったぶんだけ、目に見える「成果」があるとか、「結果」が出るとか、どこかの誰かから認めてもらえるとか。


     そんなことはないんだよねえ。

    ものじゃなくて、人がやることだから。人が人を相手にしていれば、それはもう当たり前のこと。

     いわゆる万能なものさしなんてあるはずないなあ。

     ものさしは自分でつくらないとね。

    誰かのものさしだけを、頼りにしていると、苦しくなるから。


     「誰かのものさしなんてカンケーない!」

    そういうのとは、違うけど。

     誰かのものさしを見せてもらったり、それをあてがって考えることも、すごく大事だと思う。

     そうしながら、自分のものさしをちゃんと持つ努力をしたい。


     そして、自分のものさしをちゃんと出してみるってこと。

    それを怖がらずにやりたいと思う。

     新しいそれを作り直すチャンスにもなるし、もしかしたら誰かのものさしの役に立つかもしれないからね。


     あれ?はじめの「手帳の言葉」からずれてきたかな?

    「何かに出合う」ってことでは、そうかな。


     出合う、をつくる。

    それ、たまに勇気がいることもあるけどね。


     でも、楽しい。






     

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    2019-11-29

    出していただいた意見を形にする

    06:50

    「今度、地区のおちゃっこ会するんだけど、その時に、ほら、あの学校ムービー映せないかなあ?」

     先日学校評議員さんから声を掛けていただきました。

     とうのは、毎学期末の学校懇談会では、その学期の子どもたちの学習や活動の様子をスライドショー(ムービー)にして子どもたちや保護者の方々とみることを続けています。それを、学校評議員会でも見てもらっているのですが、その話し合いの時に

    「子どもたちの様子を、各地区で行われている、おちゃっこ会でも見せられたらいいよねえ。」

    という意見がありました。


     それを今回実現できないかな?という評議員さんからの提案ってこと。


     校長先生に相談したら、

    「いいね!」

    ってことでしたので、私もそこに伺わせてもらってムービーの解説と学校の宣伝?をしてきた、ということでした。


     重なる学校統合で、学区が広くなりすぎ、地区によっては学校が距離的に遠くなっています。距離的な遠さは、心理的な遠さにもつながっていきます。

    「この間、文化祭に行ったけれども、子どもたち、のびのびしていていいよね。」

    「堂々と自分で言えたり行動したり、しているよね。」

    「学校さ、なかなか遠くていけないときも多いんだけど、こうして子どもの姿が見られるのはいいよね。」

     ムービーを介して、学校や子どもたちの話が皆さんとできたことがよかったなあ、と思います。


     移動手段が限られていて、学校に来たくても来られない方々に、学校の空気を伝える、という点でよかったです。「0から1」になりました。

     学校評議員会で出してもらった意見を、具体的に行動に移せたことがことが大きい。


     学校評議員会も、「発散」「収束」「活用」のホワイトボード・ミーティング®で行い、今回の「地区でムービーが映せるといいな。」は活用の「青」で出てきた意見でした。

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    2019-11-28

    さすがの内田さん

    06:37

    「この時間、彼らにとってどんな時間になるといいかな?」

    「この時間のゴール設定はどうする?」

     指導主事訪問のための指導案作成をきっかけに始まった私たちの「総合まつり」。本校は小規模校なので3~6年合同で「総合的な学習」を行っています。生活科もそこにダイレクトにつながるようになっていますし。

     その「総合まつり」、担任の先生たち一緒に次の授業のゴールイメージをお互いに出し合ってそのすりあわせを図るのが日常になってきました。そして、その時間で大事にしたいことと大まかな見通しを立てるミーティング。

     それができていると、それぞれがその場その時その状況、もちろんその子に応じて自己判断・自己決定しやすくなります。

     それが大事だなあと思います。特にチームで授業をつくるときは。

     

     「子どもの思いをまず聞くことだよね。」

    「少し背伸びもさせたいよね。」

    「高学年が思いっきりやることで、下の学年のモデルになる感じで。」

    「うんうん」

    「〇君は、苦手なこともあるけど、こういう学習はどんどん疑問を出してくるし、いいよね。エネルギーを活かしたいよね。」

    「そうだね~」

    「お節介をしすぎることはなしにしよー」

    「そうそう、つい、言っちゃたりするからねー笑」


     そんなことをわいわいいいながら、翌日のプランを練ることが楽しい。

    ミーティングの振り返りでは、先生たちそれぞれが

    「なんか、子どもたちがどうするかどきどきだけど、なんか楽しみだよね~」

    「私たちも、子どもと一緒にいろいろ調べてみたいよね。結構しらないことも多いからさー」

    「そうだね。楽しみだよねー」


     話す場があれば、先生たちはそれぞれ思いを持っていて、それを普通に出し合えるだけで、それだけでいい感じになるなあ。

     ベテラン若手関係なく一緒に話して一緒にやる。


     内田樹さんが著書の中で書いていたこと。

    「格付けというのは、『みんなができることを、他の人よりうまくできるかどうか』を競わせること」

     

     みんながやらないこと、できないことをするっていうのはそもそもの、「格付け」の対象にはならないということか。

     それに加えて、「みんなそれぞれ違うのが当たり前」「それぞれがそれぞれの持ち味を生かせる」ことが保障されていれば、いわゆる格付けも必要なくなってき明日よね。


     私たちのミーティングでも、子どもたちをどう見取るかの話はよく出るんだけど。「できる」「できない」の話にはなりません、ほとんど。だってみんなそれぞれ違うから、は前提にあります。小規模少人数異年齢学習だからなおさらその前提がはっきりしています。

     大人だって、年齢や経験に限らず、一人一人持ち味が違うから、組織が機能的に前に進むには、やっぱりみんながみんなを独創的に生かし合いながら、なんとかしていくことがいいんじゃないかな。


     さすがの内田さん、と思ったのでした。

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    2019-11-27

    「障害」とは何か

    06:44

    ■障害とは何か

     午後から、地区の一斉研修会があって、「発達障害」について学ぶ機会があった。

     その途中に、

    「あ…」

    と思い出したのが、6月の別な研修会での話。

    「障害は、それを障害とするから『障害』になる」

    そんな言葉だった…。

     以下はその日のメモの一部。

    〇はメモ、☆は私のつぶやき。

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


    ◯発達障害とは何か。

    ◯視覚障害、単なる近視の場合は?

    ★それだって「障害」と言えばそう。その場合はめがねを掛けたり座席に配慮をするのは当たり前。

    ◯当たり前。法律以前の問題ですよね?

    ★困っていることを学校に相談できるか、出来ないか、その境はどこか、ということでもあるなあ。

    ◯発達障害児、過去最高?

    ◯全部発達障害なのか?ということ。

    ★ただ、学校のシステムに合わないだけかもしれない、という見方。誰が「障害」と認定するのか、だなあ。

    ◯発達の持ち味のために生活がうまくいっていない。

    ◯「生活が」なのである。

    ★生活の中で「困っている」。 困っているから「障害」となる。

    ◯「障害」は困難が本人とその周囲に起きている状態

    ◯「適正発見」を子育て支援の中で

    ◯ライフスキルを育てる。

    ★幸せに生きていくために必要なスキル

    ◯「発達特性」をもちながら「生きていける」ことが目標。

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

     ようは、その特性で本人と周囲が「困っている」から、それが障害となる。

    つまり、困っていなければ「障害」ににならない、って、こと。

     誰もが困らないように、みんなで何とかすればいいわけで。

    なんとかするのを、アクティビティみたいにするといいわけで。

     それが「協同」とか「協働」であって、その活動自体が関係性を育てるものになっていけるし、それ自体が楽しいものになれるし、楽しい、に必ずなるものだと思うし。

     競わせたり、責任を負わせたり、ジャッジされたり…そんなことが当事者外から起きてくると、そこの楽しさがスポイルされるかもしれないけれど、それすら、「他者のせい」にしているとどうにもならないなあ。


     そんなことほったらかして、自分が真に楽しい、心地よいことに正直になれば、案外、「障害」をなくすことは「簡単」なのかもしれないな。

     そう思うと「簡単」になるし、思わないと「困難」になるのかな。どうだろ。

     ちょっと考えてみよう。

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    2019-11-26

    ここからまたスタート

    06:41

     昨日は指導主事訪問でした。

     もちろんこの日が全てではないけれど、一つのいい機会です。

    「目標」として、みんなで取り組むことができたら、そのプロセスを楽しめたら職員チームとしても、ぐんと前に進めるチャンスになることは間違いありません。

     

     学校教育目標に照らし合わせながら、今ぼくらができる最大限の授業作りチャレンジをするわけですから、単元の意味を再度みんなでミーティングしながら捉え直し、足下をしっかり固めた上で学習計画を立て、進めながらもまたみんなで集まってはミーティングをし、プランをを練り直し次に…。

     そんな感じで当日を迎えました。

     いい感じでできたところも、思った通りにいかなかかったところももちろんありますが、それは「人」を相手に行うことですから当たり前。むしろ、「満点」なんて思うようでは困ったもんですよね。

     「みんなで授業をつくるって楽しいです。」

    と週案の振り返りに書いてくれる先生もいるなど、苦労はあるけど楽しい、そんなここまでの日々でした。

     さて、指導主事訪問「は」終わりましたが、ここからがスタートでもあります。子どもたちの学びも僕らの学びも「ここからがまたスタート」


     いつでも「ここからがスタート」ってにっこり笑って言える、そんな感じだといいんだよね、って思います。


     忘れちゃいけないのは、この日のお客さんをお迎えするに当たって、授業者以外の方々、例えば用務員さんや支援員さん、養護や事務の先生方が細かな配慮や準備をしてくださっていたこと、そんなことをみんなで感じながら、お互いに「ありがとうございました!」って言える、そんな日がこの日でもありました。


     苦労はあるけど、楽しかった、そんなこの期間。

     さ、次、行こうー(^^)f:id:motoryou:20191126064531j:image

    2019-11-24

    大人の『学び合い』

    07:24

     昨日は「石巻市子どもの権利に関する条例10周年記念フォーラム」

     石巻市は、「子どもの権利に関する条例」があります。

     これをさらに活かして行きましょう、というのが今回のフォーラムの目的の一つ。

     行政、民間の方々が一緒にチームを作っての実行委員会です。

     

     行政側も市の福祉部、教育委員会が参加、という横のつながりで実施しているも大きいなあ、と思っています。

     

     「今回のフォーラムは、ゴールじゃなくてスタート」

    今後の連続した気軽なミニフォーラムの開催もすでに決まっています。


     いろんな立場の方々が気軽に集まって、おしゃべりする、そしてそれぞれの現場に散っていく、そしてまた集まりおしゃべりする…。

     

     そんなつながりつながりつながり…の小さなサイクルを回していく、一人一人の声を聞き合い、次につなげて行く、そんなイメージの共有を実行委員会のメンバーで共有しています。


     大人の『学び合い』。



     そういえば、市長賞の標語は

    「わたしたにも あるんだぞ Yes! No!」

    でした。

     これは、すごいな…。

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    2019-11-23

    「決めつけない」

    08:11

     やれていたじゃん!

     なんだったっけな…と思って見返してみた「しいたけ占い」。

    https://voguegirl.jp/horoscope/shiitake/

    !!!!

     やれていたじゃん!まさにぴったりな一週間。

    あとから見てどんぴしゃなんてすごすぎ!って思う。

     神ってる笑


    >今週、自分で熱中して色々なものを仕上げていきます。それはもちろん素晴らしいのですが、今週はひとつだけ気をつけてほしいことがあるのです。これは恋愛面でもそうなのですが、「いつの間にか、自分が頑固の殻に閉じこもってしまう」ということ。つまり「決めつけはしないで」ということ。「どうせこうに違いないから自分でやってしまおう」と、獅子座は他人に尋ねて「失望するのがキツい」と思ってしまって、自分でやり切ってしまうところがあります。だから、あえて言わせて下さい。今週は多少傷ついても大丈夫です。あなたはその程度の傷によってダメになる人ではないから。自分の殻に閉じこもりすぎず、「わからないことや、聞きたいことがあったら尋ねてみる」という姿勢を持っていてくださいね。


    「決めつけはしないで」

    これまさに今週のキーワードになっていたな、と思います。


     指導主事訪問における授業研究会に向けての「総合的な学習の時間」準備、それをせっかくだから、ぼくらは「総合まつり」って呼んで楽しんじゃってるんだけど。

     

     指導案作りから始まって、単元の実践中も時中や放課後にちょいちょい集まってはミーティングをしながら進めています。

     子どもたちが見せてくれるいろんな姿に対しても、それぞれの見方を伝え合ってより、その子のハッピーにつながるようにします。

     そこを目的にしながら、授業を考えて行くときに、僕らの間で本気で話せば話すほど、時には意見が食い違ったりぶつかったりすることもあります。

     でもね、そこで「傷つくのが嫌だから」って「空気を読んで」思いや意見を引っ込めるんじゃなくてお互いに「一歩前に出てみる」。

     それができるのが今の職場のいいところ。

     そうすることで、よりわかり合えることにつながっていくんだよなあ、って感じます。だから、そうできるとも言えますし。


     食い違いやぶつかりがあった時に「あなたとは違う」そう決めつけるのは簡単。でも、そうしないで

    「では、どうするかな」

    「どうしたら一致点を探せるか」

    どうしたらいいか次を考える。

     目的を共有しているっていうことがお互いに分かっているからできること。


     子どもたちと接する時でも、職場の同僚と接するときでも、全く同じであるってこと。

     正直に向き合う。

    当たり前だよね、同じ人だから。

     そして対象は「人」に限らないってことでもあるなあ。

         

        

    「決めつけない」で

    前に進む、もしくは、留保する。

    「留保する」もありだと思うんですよね。

    いつでも前に進める訳じゃないから。そんな心の余裕がないときもあるから。

     

    そうしておけば、道は続くのであるなあ。

    とりあえず。

     そんなことを感じた今週の様々なできごと。



     さすがの「しいたけ占い」。

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    2019-11-18

    ごちゃ混ぜ共生社会

    06:47

    「地域の支え合いを考える大会」(石巻市、石巻市地域包括ケア推進協議会主催)に参加しました。


     見回した感じ、医療、介護、福祉、民生委員さん、町内会関係、行政、議員さん、そういう方々が多くを占めている会場でした。


     大きなテーマは「ごちゃ混ぜ共生社会へ」。


     たくさんの気づきがあったのですが、その中の1つ。

    「社会的処方」

     おそらく、それは、対症療法的ではなくお互いが居心地いい関係性や空間を作り合うことで問題や課題を緩和する、なんとか乗り越えていく、そんなイメージなんだろうと思います。

     例が適切かは分かりませんが、ひどい風邪を引いたとして、いい薬はないんだけど(もちろんあるに越したことはない)、信頼できる人から温かい看護をしてもらえるだけでなんとか症状が緩和される、そんなイメージ。


     Free、Share、Trust、Giving

     キーワードとして紹介された言葉。


     教育の現場だって同じです。

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    「ごちゃ混ぜ共生社会」は、人と人とがごちゃ混ぜに、共に。

    それは職種もそう。


     この大会の封筒の中に、一緒に入っていたのは来週の「石巻市子どもの権利に関する条例10周年記念フォーラム」のちらし。


     石巻市福祉部子育て支援課の方々の尽力だな、と思います。

    2019-11-17

    そもそも

    10:08

     内田樹さんの見方、考え方が好きで、そこから多くを学ばせていただいていあす。

     ずっと前の、新潟での『学び合い』フォーラムで、内田さんのお話を聞いたときから、わたしが勝手に「せんせいはえらい」として、学ばせてもらっています。

     本屋で新しい著書を見つけると、まず買うようにしています。


     http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php

     この「学ぶ力」っていうのも大好きな記事の一つ。


     今回、仙台で講演会があると知って、

    「これは行かねば」

    となった訳です。

     今回の演題は

    「内田樹のおせっかいで行こう!~時代の“閉塞感”を超えて~」

    だった訳だけど、このタイトルにはあまり左右されない、そんな感じでした。


     さて、今回の中で印象に残り、ふむふむと考えたことがいくつかあり。

     そもそも教育は、集団が生き延びるために必要になったもの。狩猟や採集、農耕、身の守り方など長老などが経験を若者に伝える、それによってその集団が生き延びるための知恵をストックする、そんな意味合い。

     大事なのは「集団として生き延びること」

    だから知性もそのために活かされるものである、ということ。

     みんなで知恵を出し合って、今をよりよくしたり、難局を乗り越えたり、そんなことのために「教育」は必要であった、ということ。


     「生きる力」

    って今でもよく言われるけど、それと全く変わらないよなあ、と思います。


    「子どもたちの生きる知恵と力が高まるか、特に集団として」

    が大事。この辺りを、ちゃんと見ていないと。

     能力は集団の中ではたらくものでないとあまり意味がない。個人の中にいくら優れたもものがあったとししても、集団に寄与しないそれであっては宝の持ち腐れ。

     そして、その能力は多様であれば多様なほど、望ましいことになりますね。

    村落に「釣り針を上手につくる人だけ」がたくさんいるよりも、「天気に詳しい人」「魚の習性にくわしい人」「力持ちな人」「料理を上手にできる人」…などなどいろんな人がいた方が、集団として生き延びる力がアップする、そんな感じでしょうか。


     集団としての知性。知性は個人のものだけであっては意味を持ちませんね。


     学校も、そもそもそういう学びの場なんだろうなあ、と思います。いろんな人がごちゃごちゃと出会い、話し、集団が生き延びるために学び合う、そんな場所。

     そこには、子どもだけじゃなくて大人もたくさん出入りしています。「子どもたち」は未来そのものですから。


     「教育を農業の比喩で語ることじゃないでしょうか。そもそも人は価値あるものを育てる経験のベースは「農業」で学んできました。教育を工場生産のメタファーで語るのではなく。」



     水をやる、手をかける、耕す、待つ、恵みとする…。


     そもそもそういうものだったでしょう?という話。





     

     

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    2019-11-16

    ここでも

    06:24

     昨日は、地域の教員の一斉研修日でした。

     私は、「へき地。分校研究会」に所属しています。

    この日の会場は、牡鹿半島のある学校と、新しく開館した「牡鹿半島ビジターセンター」


     牡鹿半島もまた、東日本大震災で大きな被害を受けたところです。ですから、会場までの道々の海岸道路は未だたくさんの工事中かもしくは、コンクリートで固められている堤防が目に付きます。

     ずいぶん変わってしまいました。


     牡鹿半島ビジターセンターでお会いした方は、まちづくり協会の方々。

     協会は地元でずっと前から地域のために頑張ってきた方と新しく他県から牡鹿にやってきてここの自然を活かしたプログラムをつくろうとしている若い方々が共にこれからのまちを考え活動している組織です。新しくできたこのビジターセンターを今後の拠点にして、とお話されていました。


     ここでも地元の方と新しい風を吹き込んでくれる方々の協働。

    雄勝と同じです。


     雄勝、女川、牡鹿。きっと気仙沼や志津川もそう。

    どこの被災地もたぶんそうなんだろうなあ。震災にかかわらず。


     いろんな人が混じり合って、次をつくろうとしている。

     だから、学校だって、ってところだなあ。

     そんな風に感じた1日でした。

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    2019-11-10

    だれかの靴をはいてみること

    08:54

     この間「おはよう日本」でブレイディみかこさんが出ていた。

     https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3-%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%93/s?rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A3+%E3%81%BF%E3%81%8B%E3%81%93

     不勉強で、この作家さんのことはまったく知らなかったんだけど、話していたことがとても興味深くこの本もぜひ読んでみたいなあ、と思った。

      話の流れの中で、気になったフレーズがあって。

    「誰かの靴をはいてみること」

    という言葉。

     ちょっと相手のストーリーに乗っかって見る、そこに立って見回してみる、そんなことなのかな、と思った。

     よく「相手の立場になって考える」ってことを言ったりしますが、それはそうそう簡単じゃなくて、むしろそれができないことの方が圧倒的に多い…。だからこそ。

     「誰かの靴をはいてみること」

     私にはとっても心に残った言葉。

     たしか、みかこさんは

    「人の靴だから、はきたくないことだってあるじゃないですか。でも、ずっとじゃなくてもいいから、ちょっとはいてみる…」

    みたいなことを言っていたような気がします。(たしか…です)

     

     はいてみる、が大事かなって。

    ちょっと乗り越えてみる、身を乗り出す、そんな感じ。

    そこでいつも思い出すのが内田さんのコミュニケーション能力の考え方。

    これが好き。

    http://blog.tatsuru.com/2013/12/29_1149.html



     知ろうとする、体験してみる、多少のリスクはあるかもしれないれど前に進むには時にそれも必要な時もあるから。



     そもそも他者とは「わかり合えない」のだから、わかり合おうとするくらいの身の乗り出し方はしてみよう、そんなふうに思うのであります。

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    2019-11-09

    「職員室で起こることは教室でも起こる、教室でも起こることは職員室でも起こる」

    08:18

     月末の指導主事学校訪問に向けての指導案作成中。

    授業者にお任せでなくて、みんなで協働的・協同的に指導案をつくる。というか授業をつくる、そんな取組。

     

     3~6年合同の異年齢で行う「総合的な学習の時間」なので、今までもメンバーで計画を立て、実践し、実践しながらまた計画を練り直したりしながら適宜相談し合いながら取り組んで来た。

     だけど、今回、「指導主事学校訪問」で授業提案をし、指導案を作成するという機会があるので、それをちょうどいい機会と捉えて、「総合的な学習」担当の私や担任の先生たち同士それぞれの、単元の対する意味づけや価値、学校教育目標や校内研究テーマとのつながり、そしてそれぞれの子ども観、指導観などについて丁寧にすり合わせ、次に進めるチャンスにもできるはず。

     そこの話し合いを丁寧に行い、お互いに「認め合い、学び合い、高め合う」そして元気になる、そんな話し合い、会議ができるといいってこと。話し合いと会議、そして実践。その繰り返しで「職員室チーム」になれるといいよなあ、と思っている。

    3~6年合同の異年齢「総合的な学習」だから、担任間の思いや考えの共有は大切なこと。

     単に指導主事学校訪問の指導案を作成する、提案授業を行うことがゴールじゃなくて、(それは手立て)お互いの教員としての思いや考えを共有し合い、この機会を使って学び合う、それこそ僕らが子どもたちに求めている「認め合い、学び合い、高め合う」活動を今まで以上に自分たちで意識的に行う、そんな感じ。

     指導主事学校訪問を有効に活用して、その機会を自分たちの学びの場にしてしまう、そういうこと。

     職員室チームの強みは、「エピソードの力」を知っていること。

     思いや考えを共有する、それはエピソードを伴うことで「情景の共有=情報の共有」ができ、よりわかり合うことにつながっていくことをちゃんと理解し体験してきている、ということ。

     この日は、指導案の中の「単元の目標・評価規準」「指導観」「本時のねらいと評価」「単元計画」について。なかなかのボリューム。

     それをホワイトボード・ミーティング®で。

     指導観について。

    「この単元、どんなふうにしていきたい?なるといい?」

    で発散。

     それぞれの、この単元を通しての思いや願いを共有。

     収束は

    「大事にしたいこと、重要ポイントは?」


     それぞれがそれぞれの思いや考えを出し合い、聴き合っていく。そしてその中から収束をかける。

     ホワイトボード上に残された対話の記録を元に担当者が、指導観の原稿を書く、そんな感じになる。

     こうやって教員間で思いや考えの共有(同じところはここで、違うところはここなんだな、なんでそうな考えるのかっていうと…と認識し合うことの積み重ね)しその中で一致点、納得点を見つける、合意形成をしていくことが、まさに一人一人を大切にしていくことでもあり、活かしていくことにもつながっていくんだと感じる。

     先日も指導案の一項目「児童の実態」につい職員室メンバーで話し合い、意見をホワイトボード・ドにまとめたけれど、出された「子どもたちのよさ」は、

    (まんま、私たちの職員集団でのそれだなあ…)

    と密かに私は感じていた。

    「職員室で起こることは教室でも起こる、教室でも起こることは職員室でも起こる」

    まさにそういうことなんだと思うなー。

     指導主事学校訪問、実際問題それなりに大変なことはそうなんだけど、やるならやるでそれを「おまつり」にしちゃえばいいよね…とのんきにも考えている笑。

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    2019-11-07

    同じ方向を向くきっかけづくり

    06:43

    石巻教育カンファランス2019実行委員会参加

     第1回目は参加者としてだったけど、2回目からは実行委員。

    そして、この会も次の実施で4回目となる。



     参加者側からつくる側に回ることによって、同じようなことを考えている、違った立場の方々と一緒に活動することができる。

     それはつまり、自分だけでできない何かがあるときに相談できる関係性ができることにつながる。


     それが「協働」なんだよね、と思う。

     協働は目的ではなくて手段。

    「協働は必要だ、大切だ」

    って言われても、その必要感がないところにはなかなか届きにくい。


     自分だけでできることに、協働は必要ないから。

     自分たちだけでなんとかなっている婆には、わざわざ「協働」することはかえってタイヘンになる。


     自分だけではなんともならないけれど、こうだといいなあ、こうなるといいんだけどなあ…って思うことがあるってこと。

    「~たい」もしくは「困ったなあ…」

     両方に価値あり。

     自分だけとか、自分たちでできないことを目指すから協働が必要になって、その結果

    「それは無理かも…」

    と思っていたようなことが「誰かの力を借りる、一緒にやる」ことで、ある程度実現できたりすると

    「おおー」ってなるわけで。

     で、それが楽しいし、うれしい。

    それで、一緒にやって何かかが実現できたときに仲間になる。


     そういう感覚だなあ、私の「協働」って。


     だからさ、このカンファランス実行委員会も、催しを企画して開催する、「学校と地域の協働のよさや必要性を伝える、考える、共有する」ものから、もう、この実行委員会自体がプロジェクトチーム化しちゃって、カンファランスの場そのものを

    「プロジェクトのコンセプトとチャレンジプラン、今後の計画と役割分担を参加者みんなで決める」

    みたいな、もう、実行委員会自体が企画した「拡大実行委員会」みたいにしちゃえばいいさ~みたいに思ったわけ。

     妄想段階だけど。


     つまり、同じ方向を向けるようにする時間。

    きっかけづくり。

     それは、

    〇それぞれの「~たい」「お困りごと」を棚卸しして

    〇大事にしたいこと、重要ポイントを参加者で確認して

    〇みんなでやること、一人一人がやることを決めて

    〇いつでも好きなときに情報交換したり相談できる場をつくる

    そんな感じかな。ざっくり。


    「一緒に面白いことやろうよ」

    「この指とまれ!」

    みたいな会。

     どうかなー?

    実行委員長(なのかな?)のS太郎さん!


     今回集まっている多様なメンバーなら、何かできそうですよ~(^^)

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    2019-11-03

    知らない、ということ

    07:25

     先日参加した「みやぎ教育のつどい」

     生活総合学習分科会に参加。


     そこで農業の話題から、こんな話にもなりました。

    「農業は生き物の力を借りて生産をするもの、自然の力を享受するってことなんだろうね。」

    「だから農業と工業はそもそも同じ物差しで比べられない、ということなんだと思う。物差しは何でも同じじゃないってことなんだろうね。」

    「それを同じ物差しで比べちゃえ、ってこともあったりする。農業や畜産の現場でも工業的な物差しで行われることってありますよね。」


     そこからアニマルウェルフェアのこと、種の話題になったり…。

     

    食料生産の現場で今起こっていること。


     そんなこともちょっと調べてみると、それこそ

    ぼーっと生きていてはだめなんじゃないか…と思うことも出てきそう。


     採卵鶏のオスの雛がどのような扱いを受けているか、については想像したこともなかったし。

     そういえば養鶏場の鶏は、雌ばかり何だろうけど雄はどうなっているのかな、は当然あるわけで。

           

     そこについてもまだまだ知らないことばかり。知らない、ということは考える材料すらないことでもある。

     正しいとか正しくないとか簡単に言う前に、知らないってことはやっぱり怖いことだよな…と思う。


     同時に知りすぎても怖いかも…とも同時に思ったりして。

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    2019-11-02

    虎児

    07:49

     「虎穴に入らずんば虎児を得ず」

    ああ,確かになあ。

     リスクを冒さないと前に進めない時ってある…。

    まあ「虎穴」への入り方を考えなくてはいけないと思うけど。

    「虎児」が何かによって,やり方はいろいろあるな。

    2019-11-01

    一人じゃできないから

    09:48

     願いを実現する、というプロセス。

    そういうプロセスを、学校生活の中で、よりリアルにつくりたいものだなあ、と思っていて。


    「どうせ、無理」

    「やりたいけど、僕たちには無理」

    じゃなくて。

    植松努さんじゃないけど、

    「だったらどうする?」

    ってことなんだと思っていて。

    「自分だけでできる」「一人でできる」

    うん、それも必要。でもそれってその前に、

    「誰かとやってできる」

    がきっとあるはず。

     学校の先生が子どもたちに勉強を「教える」だってそう。

    はじめから何でもできるわけじゃない。

    自分だけでできること、自分たちだけでできることには限界がある。

    大人もそう。だから誰かと一緒にやる。仕事場でもスポーツのチームでもそうですよね。

    「できる」(と思っている)先に行ってみたい。

    それは、「もうすでにできる」人のナビゲートがあったほうがいい。または自分にはない強みをもっている人と一緒にやるとか。

    ONE TEAM?

    「同じ目標に向かって一人一人が努力する、それがONE TEAMです」

    とリーチ・マイケル選手はインタビューで応えていました。

    つまり誰かとやる、は、「やってもらう」ことは違って、自分は自分ができることを一生懸命やることが条件。


    子どもたちが「協働」するのは、何も「先生」と「友だち」だけじゃなくていいと思っています。


     まだまだ課題山積。

    まさに「ひとりじゃできない」

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