次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-10-12

    「わかりあえないことから」

    17:15

     「わかりあえないことから」(平田オリザ

    この本は、私のお気に入りの本のひとつ。

     この「わかりあえないことから」って言葉自体が、好き。




    (なんか、分かってもらえてない気がする…)

    って気がすることも時々ある。

     それと同じくらい、いろんな人にそういう思いをさせていることもあるんだろうなあ、と想像する。

     

     そういう時はなんか自分にがっかりもするし、残念な気持ちにもなるんですよね。

     (なんで分かってくれないの?)

    なんてことを思っている訳では全然なくて。


     そんな時に、この「わかりあえないことから」って言葉はなんとなく勇気をくれる。



     「そもそもわかり合えないんだよ、そこからのスタートなんだ」

    って言ってもらえている気がするから。

     もともと、私は「一致団結」とか「心をひとつに」とかって言われるのが好きじゃない。自分で心の中でそう思うことはあっても、誰かからそれを強いられる(まあ、そんなことは近年ないんですが)と、余計そうしたくなくなるっていう、へそ曲がりなところがあって。

     だからこそ、そもそもいわゆる「価値観を1つに」的な意味での「わかり合う」はそもそも期待していないところがある。

     

     そもそも人の価値観はバラバラであるし、それが当たり前だし、それでいいって思っている。本当に。だけど、何かを一緒にやっていくとなれば、その違いを分かった上で、どうしたらちょうどいい感じになるのかな?を時間を掛けても見付けていきたい、と思っている。

     だから、やりとり(対話)が必要だと思っているんだけど。


     そこがうまく機能しないと、「『わかりあえないことから』…」を唱える笑。


     「わかり合えないものだな…」って感じることは、よいこととは言えないまでも、実は悪いことではないのかもな…とも思う。少なくとも何とかしてわかり合えないものか、と思っているってことだろうから。



     平田さんは、こう書いている。

    「心からわかりあえることを前提とし、最終目標としてコミュニケーションというものを考えるのか、『いやいや、人間はわかりあえない。でもわかりあえない人間同士が、どうにかこうにか共有できる部分を見つけて、それを広げていくことならできるかもしれない』と考えるのか。」


     ふむ…である。

     

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