次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-09-01

    まずは自分

    07:29

    「がむしゃらにやれ」 

     この日のワードの一つ。

    「みんなで」「いっしょに」っていうのは耳障りの言い言葉で,そう言って批判されることはあまりない。



    「やさしく」とかもそう。

    でも,その言葉を自分がどういう意味で使っているのか,を自己点検する目をもたないと,いけないな,とも思う。


     自分の願いとチームの目的,その両方の実現に向けての「みんなで」「いっしょに」であるわけで,「みんなで」「いっしょに」それ自体が目的ではない。


     そこは忘れないでいたいところ。


     だから,少なくとも自分の願いの部分に関しては自分ががむしゃらにやっていることが必要。それがチームの願いにどう貢献できるかそこを考えるのだから。

     そこを自分で甘くして,「みんなで」なんて言っても伝わらない。

     本気でやってるか,を自分で自分に問えればいい。全部が全部できることはないんだけど,とにかく進もうとしているか,ということでありもがいているかどうかってことかな。


     それは別に他者アピールすることでもなんでもなくて,水鳥が水面下で足を動かしている,そんな感じで十分であり。やれているかやれていないか自分だけが分かっていればよい。

    「いつでもがんばっていないとイケナイ」

    とかでもなくて,

    「どうだ?やれてるか?」

    と自分で自分に問えれば,それだけでいいなだ,と思う。


    まず自分。



     「みんなで」「一緒に」は確かにそうなんだけど,時にそれが,自分が「がむしゃらにやらない,やれていない」ことへの言い訳みたいに意識的にも無意識的にも使っていないか,使っているんじゃないかって自己点検する必要がある。自分が本気でやっていない時のその言葉は空虚だから。



     自己点検

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