次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-08-31

    さ,あそぼうかー(^^)

    09:42

    「あそびから何もかもが始まる、子どもの時の対話はあそびの中に生まれる。

                          

     先月のイエナプラン教育協会全国大会(@大日向小学校)での分科会の中で語られた言葉。

                  

     私にとってとても印象的な言葉。

     (ああ、あそびがあそびとして他者と一緒に成立するってそういうことかもなあ…)

    と感じました。

     それぞれの「~たい」を出し合いながら,一致点を見付けようとする。それぞれの「快」のためだから,そこに「なんとかいい感じにしたいよね」が双方にあるから,そこを諦めないで「対話」を重ねるって感じかな。

     「ぼくはこうしたい。」

    「私はこうしたい。」

    「じゃあ,どうする?」

    「いいこと思いついた!こうしてみたら?」

    「いいねえ!そうしよう!」

    みたいな感じかな。

     まあ,いつもいつもそううまくいくとは限りませんね。もしかすると物別れに終わるかしれません。

    「もうあそばない!」

    みたいな感じ。まあ,それも選択肢としてはありですね。

     時間をおけば

    「あそぶ?」

    になるかもしれないし。


    いじめの事件の報道なんかで時々耳にする言葉。

    「あそびのつもりだった…」

    なんて聞くことがありますが,それってそもそも「あそび」として成立していません。

     すごく残念な言葉です。


    「あそび、そこから何もかもが始まる。」

    「あそびが子どもにとっての最初の対話

    「あそぶ中で対話生まれる。

     今まであまり「あそび」と「対話」をつなげて考えたことのなかった私にとって、まさに「目から鱗」の言葉をいただいた気分です。ノートにはしっかりと赤字で書かせていただきました。


     近頃,学校現場や各種研修会で何度も聞く「主体的対話的で深い学び」というフレーズ。

    私はそれを聞く度に

    (それって「遊ぶ」ってことじゃんね?)

    って思ってます笑。

     だから,センセイたちもあそぼう,だと思うんですよね。「お遊び」ではなくて「あそび」。

     私たちは,みんな,なりたくて先生になったはず。そのために試験も受けて人によっては何度も挑戦して。

     だから,なりたい先生になっていいんだってこと。それが「あそび」。

     学校は子どももたちも,同僚の先生方も,保護者の方々も,地域の方々もたくさん関わりながら一緒に創って行く場であり,「社会」そのもの。「教育分野」なんて言うけど,それって関わる方々全部のことを視野にいれたら,分野になんかなりません。全部だもの。


     だから,自分の「~たい」を大事にして(ここ大事),その中で三方よし,を見付けるバランスって必要だよねえ,と思っています。今までの多くの失敗をしながら「今ここ」ってところ。それをしながら前に進む,それぞれの「~たい」を少しずつ実現することを「あそぶ」。

    「『遊』という漢字には、もちろん『遊ぶ』という意味もありますが、ほかにも『自由に歩き回る』『楽しみにふける』というような意味もあります。」らしい。


     そのために「対話」もあるってことなんだな,って思います。

    「あそびから何もかもが始まる、子どもの時の対話はあそびの中に生まれる。

     だから,大人も子どもも「あそぶ」の大事ってことで。


     今ここ。


     2学期は,いろいろ面白そうなチャレンジが目白押し。それをみんなであそびながら,

    「2学期もタイヘンだってけど面白かったねー!」

    って言ってる姿をホントウにするために,対話を重ねよう。

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     急がば回れ