次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-08-16

    終戦の日に思うこと

    07:35

    終戦の日に合わせて、先の戦争について考える機会をいろんな場面でいただいている。


     なぜ、人と人とが殺し合わなくてはならないのか。シンプルに考えるとそう。

     誰が望んで、戦争が起きるのか?

     それとも誰も望んでいないのに、起きるのか?

     

     誰も望んでいないことが、本当に起きるのか?



     しかし、「戦争が起こりたくさんの人が殺し合い、そして亡くなっていった」という大括りの事実は、確かな事実。


     私の祖父は戦時中、輸送船の仕事をしていて、ガダルカナルでなくなったと聞く。母は何度も何度もその話をしていた。年をとっていろんなことがおぼつかなくなるに従って、その話が何度も出てくるように感じている。

     母はなくなった祖父とは2歳、3歳の頃?に分かれて以来なのでその記憶もないだろうに、それでも心の中に強く残っているのだろう。

     もちろん、その事実が後の人生に大きな影響を及ぼしたからにも他ならない。




     誰も戦争なんて望んでいない。

     そこは、人間として信じたいところ。

     なのに、なぜこうも何度も何度も戦争は起きるのか。



    権力者のせいなのか?

    仕方ないのか?

    守らなければならないものがあるからか?


    撃ち合う兵士の映像や、特攻隊として相手の船に突っ込んでいく戦闘機、迎え撃つ砲撃

     いったい、どんな思いでそこにいて、戦っているのか、その気持ちを考えると胸が本当に苦しくなる思いだ。


     もう、想像もできない。

    なんでこんなことになっているのか…。

    なんでここにいるのか…

    そう思ってはいなかったか。


     戦場で殺し合わなければならなかった方々は、個人的には相手のことを知らず「その人」と戦わなくてはならない理由なんて本当はなかったはず。

     普通のお兄さん、お父さんであったのに。

     床屋さんだったり、画家だったり、料理人だったり、したかもしれない。

    お店のご主人だったり。

     それなのに、「命をかける」なんてことになってしまったのは、いったいどういうことなんだろう…。



     私が見ていた番組では

    「事実とは何か」

    最後に問いかけていた。


     人が起こす事実は、人によって操作ができるんじゃないかな。

     本当は。

     楽しい、うれしい事実もつくれる。

     嫌なつらい事実は回避できる。

     そのはず。


     一度動き始めた大きな「事実」は個人では止められないのか。

     なら小さな「事実」の時に止めればいい。

     大きな動きになってしまっても、みんなが、それこそ本当に「みんなが」止めようと思えば、やっぱり止まるんじゃないのかな。



     個人個人、組織と組織、個人と組織…。

    いろいろあるのは分かるけど、最後は個人

    個人があっての組織だもの。


     やはり、最後は「個人」を重視するってことなんじゃないかな。

     それもお互いに。

    無理かな?

     いやいや、全員が「戦争はやめよう」って言って行動すれば、戦争にならないんじゃないかな?

     単純?

     

     でもそうですよね。



     いじめ問題だって、本当は同じこと。

     誰もが幸せになろうとしたら、その選択肢はないもの。

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