次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-08-04

    「ういてまて」だな笑

    10:13

     Facebookの「思い出」のコーナー、過去のこの日の投稿が読めるようになっているんだけど、これがなかなか面白い。

     もう一回

    「あ、そうだそうだ」

    なんて思い出したり、考え直したりするきっかけを与えてくれる。


     この時のS先生の言葉もそうだなあ。5年間。

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

    「学校で子どもたちにやれることは?」

    との私の質問に,その,美術館のSさん

    「常識の多様性に気付いて,それに耐えられることだよね。そういうふうになるといいんじゃない?」「それがないからいじめも起きるんだよ。ちょっと違う,とかいう理由で。」「勉強すればするほど多様性に気付くようになるよ。」

    「教員ははどうするといいでしょう?アドバイスはありますか?」

    との私の追加質問に

    「それを,各自が考える。それが僕のアドバイス」

    とすてきな返答。

     このやりとりを全体のなかですることに意味がある。


    「美意識?見たいものを見る。見続ける。そういうことができるようになればいい。見たいものしか見ないし見えない。そこに行くために図工がある。美術技術になってはダメ。上に乗っかるものは各自でやればいい。」

     県美術館の方のお話から。そうだよなーと思いました。

    生活科の研修会だったんですが,教科なんて飛び越えてます。

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@


    自分自身が、自分のことを

    「異端なのかも…」

    って思うこともるんだけど、あったんだけど、いや今もあるんだけど

    「それぞれが違う」

    ってことを考えれば、そう思うこともないわけだなあ。

    「異端」って思うこと自体、「正統」ではないってことを認めていることでもあったり、あえて正統でないことをよしとするみたいなところがあったりで、それって「正統」を主張するのと実は根っこが同じなんじゃないかとも思ったりする。

     そういう意味でも「常識の多様性」って言葉はいいなあ、と思う。

    どれも「常識」。その人にとっての「常識」

    絶対ではないことも承知の上での「常識」なんだな。

    自分にとっての「とりあえずの正しさ」みたいなもの。

     そ、とりあえず。そこからのスタートがしたいなー。譲らないのともまた違うから。

       

    「耐える」ってことも他者と「違う」こと自体不安要素でもあるから、「違っていていい、違っていて当たり前」ってことを自分の中ではっきりと意識する、ある意味、強さが必要なんだと思う。

     そういう意味で「耐える」ってことかな、と思った。

    「自立」に近い意味でも考えられる気がする。

     

     沈まず浮かんでいるのも、なかなかタイヘンだ。

     ふふ「浮いて待て」だなー。

    f:id:motoryou:20190803180004j:image