次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-07-07

    「ローカルな価値観」と「グローバルな価値観」

    10:28

     見ていた番組での問題提起。

     捕鯨に関するニュース。

     話題は和歌山太地町。

     捕鯨のまち。

     捕鯨のまちとしては,日本の商業捕鯨再開をよいこと受け止める。

     一方で,世界ではそれを

    「なんということ!」

    と非難する動きもある。

     石巻地区で言うと,鮎川をはじめ,捕鯨が盛んだったこともあり,地元新聞的には好意的な報道。



     「捕鯨か反捕鯨か」

     この問題は世界の縮図,が番組のテーマ。

     相容れない価値観とそれを進める「分断」。

     「伝統や文化を今まで大事にしてきたんだ」

     「伝統や文化だからといって,それでいいのか」

     激しい対立。

    「正義」と「正義」のぶつかり合い。



    自分と違う正義をもった人との共存とは?

    「ふたつの正義」

    ○○にとっての正義。


     二つの正義の折り合い点はどこにあるのかな?

    三方よし。

    生き残る,みんなが,という一致点かな。

    「みんな」は文字通り「みんな」


    学び合い』でいうところの「一人も見捨てない」かな。

    「少数派を大事にするのは,やがて大多数を救うことになる」

    共生社会か,競争社会か,みたいなところと似ている感じ。

     自然界だって多様な生き物がいるからこそ,持続しているんだろうし。

     

    個人の余裕がなくなってくると,まずは「自分が」生き残ることに注力してしまう,それも分かるし。

    「みんな」を考える,それも余裕があってこそ。それだけの余裕があること。

    余裕がある人が丁寧にそこを伝え続けるってこと。

    その人だって,いつも余裕があるという訳ではないから,それを伝える人は入れ替わったり複数いたり,そうでないと続かないよね。



     それぞれが当たり前に「違う」を認める。「正義」も違う。

     囲われていると,「正義」が自分だけのものになる?

     分断が,偏った正義を生む?

     ふむふむ

     居心地のいいところだけにいると,価値観も偏るなあ。確かに。

     自分が居心地のいいところ「だけ」にいると自らで自らを「分断」することにもなる。

     

     外にも出て,違った価値観の中に入り込んでみるってこともいるなあ。

     いろいろな人と関わり,時には対立したり傷ついたりすることだって,それはそれでありなんだろうと。

      適度な「不安」。安心と不安の行ったり来たりが自由にできるといいんだね。

      

      川を下る魚が汽水域で体を慣らす,みたいな感じ?

     

     「分断」しようとする動きや気持ちは自分の中にもある,と認識することが必要だな,自分は「違う」と思ってしまいがちだけど,そここそが危ない,危ない。


     余裕を失うと…ってことでもあるな。たしかに。

     共感はしなくても「知ろう」とする。それが「余裕」かな…。

     

     どこまで見ているか,見ようとしているか。

     見えていない自分に気がつけるかってことでもあるよなあ…。


     そんなふうに感じました。

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