次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-06-30

    不登校と多様な学びの場

    08:39

    「不登校・多様な学びを考える宮城の集い」に参加してきました。

    https://www.facebook.com/events/449700302429957/

     なぜかとういと,

    ○宮城,とりわけ石巻地区は不登校数が多い

    ○自分の経験している範囲では,「不登校」が多いという実感があまりない

    (勤務校の地域性とかなのか)からこそ,その現実と自分の中の課題意識のずれがあるんじゃないか?と思っていた

    ○「不登校」と「多様な学び」が並列にタイトルになっているところ惹かれた

    から。

     

     

     どうやら学校の教員は,私だけ?みたいな感じ。

     だからいい。

     こういう場のほうが気付きが多いから。


     伝えたいことの中心から言うとすると…

    「学校そのものが,ここに参加する皆さんがいう『多様な学び』ができる場になればいいんだよね。そこを『私たち教員』は目指すんだ。」

    ということ。もうそうしなくちゃいけないよ,といいうこと。まったなし。


     本会を通してのキーワードの一つは「居場所」,そして「不登校」

     (学校に)居場所がない,または限られているから,不登校という「問題」も起きるってこと。だから「(学校以外の)多様な学びの場をつくり,多様な安心安全の居場所をつくりたい,広げたい」ということなんだろう,と思う。

     そして,あえて「問題」と標記したけど,そもそも学校に行かないのが「問題」なのか,学校に行けないことが「問題」なのか?

         

    何が?だれが?問題?

    どこに?どんな問題があるのか?

    ということ。

     結構複雑。

     困っているのはその子であり保護者,家族。

     きっと担任も,学校の先生たちもそう。

     だから,一緒に「その子にとって」のベターを探ればいい。

     そう考えば単純。

     

     

     

     でも,そこにずれが出てしまうことが多いから,みんな「困って」いるんだよね,きっと。


     でも一番困っているのは「その子」なんだから,その困り感をやっぱり「聴く」しかないんだよな,と思う。そしてそれが解決できるのは,やっぱりその子しかいなくて,周りができることは,その環境を整えることかな,と。

     だから「多様な場」ってことじゃないかな。それが準備できていないことが「問題」か…。


     私は学校の教員だから,

    「ならば学校を多様な学びができる場にするしかない」

    って判断になる。

     そもそも『学び合い』を始めたのもそこから。


     不登校という判断をした子であろうと,今も「ふつう」に学校に来ている子であろうと,そもそも人は多様なんだということ。

     だから同じことを同じように同じ時間で同じ成果を…,なんてそもそも無理がある。

     こと学習に関してだって,分かるポイントだって分からなくなるポイントだってタイミングだってばらばら何だし,同じことを同じように伝えたって分かる人もいれば分からない人もいるわけで。当たり前といえば当たり前。

     だから自分にとっても最適解を自分で見付けていい,そのためのサポートや環境はできるだけ整える,そんな感じになるのがベターじゃないかと思っている。

     

     だから,『学び合い』だったりイエナプランの考え方だったり,ホワイトボード・ミーティング®だったりを,自分なりにまぜまぜしてやっている,自分なりの「最適解」。うまくいかなけらば,また考える,やってみる,そんなことの繰り返し。


     フリースクールもいいし,その他様々な学びの場が,保障されればいいってことなんだと思う。

     「学校だけが学びの場」みたいになってしまっていることが「問題」なのかな,それとも学校が「多様な学びの場」でない,なくなっていることが「問題」なのかな,それともグループ討議の時にでてきた「縦割り組織」「組織間の連携のなさ」が「問題」なのかな…。

     いろんな問題があるとは思うけど,その「問題」を挙げたからといって何も解決するわけでないし。


     それこそ,現場の人が「なんとかしたい!」と強く願って,行動に移す,それしかないことを「それしかないわけないでしょう」(ヨシタケシンスケ)調にやっていく,みたいなー。


     「教育機会確保法」もできたけど,

    「法律ができたから変わるってものでもなく,やはり人だよね…」

    はグループ討議の時にもでた話。


     

     さて話があっちこっちにいっているけど,学校以外の「多様な学びの場」が「本当に」認められたら,学校はどうする?信念をもって今と同じままでやっていきますか?そういうことが問われているかな,と思います。


     それは決して,いろんな人のいろんな意見になんでも合わせるってことじゃなくて,最初に戻るけど,

    「その子にとってのベター」を「その子と一緒に」考える,考え続けるってことじゃないかな,それがつまり

    「人だよね…」

    ってことだと,今は思うなあ。


     難しそうだけど,簡単でもある。お互い聴き合えばいい。それだけ。


     半年前,ある場である方がある方に

    「学校って,Sさんからみたらどんな場ですか?」

    という問いに

    「よくも悪くも『先生の職場』ですね」

    との応え。


     これをどう捉えるか。

    「よくも悪くも」をどう捉えるか。

     そんなことをぐるぐる考えた,そんな日。

     そしてこの記事。

    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65486?fbclid=IwAR1hyG7hTpI6raLLWwEt7YC4Km989HSC7Tnj5LntnsBzNUIT2rERgwjKQng


     現場を変えていく力は現場にあるっことだな。

    学び合い』の教室だって同じ。

     そこを信じて,みんなでつくるしかないってこと。

     それを「それしかないわけないじゃない」精神で笑


    f:id:motoryou:20181009114731j:image


     

     

    2019-06-29

    「分かる」にもいろいろだね~アナハゼとキヌバリ,そしてホヤ?~

    08:24

     本校には,職員室前に大型水槽があります。

    稲垣潤一東北サポート基金のご支援と横浜「海をつくる会」「雄勝湾漁協を支援する会」のご協力で,設置されたもの。

     この水槽を大人子どもも毎日のようにチェックしています。

     この水槽,はじめは

    アマモ,キヌバリ,アナハゼ,クサフグ,ヤドカリ,カニ,巻き貝少々が入っていました。

     

     「わあ,きれい~,水族館みたい~」

    なんて見ていたんです。

     キヌバリなんて,黒白の縞模様で,おまけになんか透明感とかもあって観賞魚みたい。アマモだって,光合成を促進するランプ?のおかげで葉っぱからぷつぷつと気泡を出していて

    「わあ,光合成だよね~」

    なんていいながら。


     しかししかし,その状態は長くは続かなかった訳で。

    「あれ?キヌバリって4匹いなかったけ?3匹しかいなくない?」

    「え?そう?気のせいじゃない?はじめから3匹じかないの?」

     それが,2匹になっていりのが分かるとさすがに気付いて

    「キヌバリどこいった?まさかカニに食べられた?まさかね?」

    「カニが捕まえることなんてないんじゃない?」

    「じゃ,キヌバリはどうしたのさ?」

    なんて言っていた。


     ところが,ある日。

    「・・・・犯人は,アナハゼでした。」

    と。

     アナハゼが,キヌバリを飲み込んでいるところを見たらしい。

    キヌバリがアナハゼより小さいとは言え,3割くらい小さいだけ。

    「え?飲み込めるの?」

    と思うサイズ。


     その後,そのアナハゼくん,

    「ばれたからにはしょうがない!」

    と思ったのか思わなかったか分からないが,その横暴ぶりが際立ち,とうとうキヌバリは1匹もいなくなり,そしてついに,もう1匹いた小さめのアナハゼまでも飲み込んで…。


     ひえー。


     すっかり,そのアナハゼは水槽のヒール役に。


    「よく見ると憎らしい顔だよねえー」

    「色もなんか,悪者っぽい,」

    ひどい言われようです。


     その間,カニはせっせとアマモを食べてしまい,すっかりアマモは消滅…。がーん。


     アナハゼやカニを出せば,まあよかったんでしょうが,あえてそれをしなかったので,結果リアルな食物連鎖というか自然の仕組みというか,そんなもののほんの一端を毎日見ることになったんだなあ,と思います。


     教科書だったりテレビだったり,そういう知識や映像はたくさんあるから,知っている,分かってはいると思います。でも,毎日気にして見ている水槽で起きていることを目の前にすると,その「分かる」感ってまったく違う者だなあ,と思います。

     

     水槽は所詮「水槽」なのですが,「授業」でもなく「勉強」でもなく,なんか気になるから見る,「どうなってるんだ?」と気になって見るところから感じるものってやっぱり違うなあ,と思うのです。


     なんか,スポンジの中に水が染みこんでいくような,そんな分かり感。


     一つの水槽ですが,

    「世の中,まだまだ分からないこと,分かったつもりになっていることってたっくさんだなあ…」

    と感じます。



     そして,最近,アマモもなくなり,アナハゼと貝とカニだけになってしまった水槽になんと校長先生が生きたホヤを入れてみた,という…。


     今は子どもたちは,水をすったりはいたりするホヤに大注目。

    大人は

    「いつ食べる?笑」

    と。

     いやいや食べませんー。


     この水槽,これからどうなるんだろー。


    f:id:motoryou:20190626105455j:image

    2019-06-28

    なんとか、する。

    06:48

     「だけど、その時間がない」

     これは、本当によく聞かれる言葉で。


     そうしたいんだけど、時間がない。


     ふむ。分かることは分かる。


     理想と現実は違う、というのも意味的には近い使い方をされことが多い気がするけど。

     

     

     なら、その時間をどう作るかってことなんだよなあ。

     時間がない、だからできない、になると、それはやっぱり

    本当の意味で「そうしたい」「必要だ」って思ってないってことなんだと思うんだよね。


     なんとか、する。

     いまいますぐ、とはいかなくても。

    f:id:motoryou:20190406175811j:image

    2019-06-27

    そこにストーリーを見いだす

    07:43

     学校評議員会兼協働教育推進会議。

     評議員さんや協働教育推進委員の方々と学校の会議。

     

     そこでの、学校生活ムービーやホワイトボード・ミーティング®は今回で確か3~4回目なので定番になってきた。

     それはそれで大きい。

     そこでしたいことはエピソードの共有。

     そのために、上記の2つは私にとっては大事なツール。

     エピソードが共有できると、圧倒的に理解が進むって分かっているから。

     

     エピソードの共有は情景の共有

     情景の共有=情報の共有

     ストーリー

     

     今回の成果は、小中一体の「1学期の学校生活ムービー」がつくれたこと。


     小、中が別でなく一体となった「かたち」ができてそれをこのメンバーで共有できたことこと。これ大きい。


     ムービーとなることで、そこにストーリーが生まれるから。

     1つ1つの活動や出来事が、つながっていって今ここ、そしてこの先をみんなでつくろう、つくれるって気持ちになれたらうれしい。

     もちろんムービーだから、切り取ったものであり、象徴的な場面であることは認識しないといけないのは重々承知。

     だけど、今まで関わってくれた方々とこれまでを振り返るために見るそれには、ここまでのあれこれ、つまり困ったことや大変だったことも同時に想起されるはずだから(それは個人個人によってもちろんその中身は違うんだけど)その結果、こういう場面が生むことができた、と思ってもらえるとうれしい。

     「ああ、あのときこうして来たことが、ここに集まってきたみんながそれぞれ別な場で、別な活動で学校に関わってきたことが、ここの子どもたちにとってこうい学びや経験としてつながってきているんだね。」

    「そして、これから、どうこのストーリーはすすんでいくのかなー」

    っていうちょっとしたわくわく。

     どうなっていくのかわからない、そんな楽しみ。

     子どもたちも地域の方々も先生たちも、いろんな人が、それこそごちゃごちゃになって「これから何がおこるか分からないちょっとした不安、それでもなんとかなりそうというわくわく」がエンジン。

     そのときの向かう先、は学校教育目標であり、OGATSU COMPANYの「自分を元気に、みんなを元気に、まちを元気に!」なんだよね。

     つまり「快」の方向。

     「快」の方向にいくものなんだよ、何も邪魔しなければ、というのを当たり前に信じるのが『学び合い』でもあるな、と私は思っていて。

     「快」を求めるための「トライ&エラー」そこを楽しむストーリー。

     そうなると、その「ストーリー」を紡ぐこと自体が「快」になるんじゃないのかな、って思う。

         

          

             

     「モアイと伝説の海」

     モアナは危機に瀕した島を救うために海にこぎ出す。伝説の英雄マウイを最初にガイドに、そして時に自分がガイドになったり、他のガイドが現れたり。自分の心の声を信じて、あの波の向こうに命の女神テ・フィティの「心」を返しにいく。

     そうそう。

     誰もがモアナになれるってことさー。

     誰もがモアナってことさー。

     ストーリーには、登場人物がいる。

     だれもが自分のストーリーの主人公。


    f:id:motoryou:20180722175557j:image

    2019-06-26

    「人は快の方向にしか行かない!」

    06:31

     エピソード記録。

     この日は支援員の先生が書いてくださっていた。

     

     「こんな感じでいい?」

    って私に声までかけてくださって。そういうのがうれしい。

     話をきくと

    「毎日子どもたちと接していて、私なりに,『どうしたらいいのかな…』って考えたり『こうしてもみようかな』って考えたりしたことを、ノートにメモしたりしてきたんだけど…」

    と話してくださった。

     ああ…と思った。

     私たちは、こんな風に子どもたちのことを考え、あれこれ工夫してくださっていた方々の思いを、どれだけ受け取り子どもたちに返していけたであろうか、という思い。「評価」という特別な響きのある言葉に、成長を支える、という本質的な意味を時に見失い、その場その時のジャッジにしてしまっていなかったろうか、または自分だけの目でそれを行っていなかったろうか、そんなことをその一瞬に感じた。

     それが「ああ…」の中身。


     それからもう一つ。

     「体育は、全校でやってるじゃない?それって授業のあとにほんの2~3分とか5分でいいから、授業者みんなでサークルになってその時間の振り返りの時間つくってみない?そのなかで、子どもたちのエピソード交換をしたり、それぞれの課題意識も共有できるし。」

    「それを毎回するだけで、授業研究会になるじゃない。」

    「みんなで短時間で振り返り、次のチャレンジや役割を決める。他教科へのつなぎのアイデアも出てくるだろうしね。」

    と、ある先生に伝えた。


     中心になって体育を担当してくれている若い体育主任の先生にもそういったら

    「ぼくも、それうれしいです!今まで、自分でも『うーん、これでいいのかなあ…』って悩んだりしてもんもんとしていることっあります。低学年から高学年までをまとめてやっていくのに、私もまだ経験が少ないですし…」

    と。それを一緒に聞いていた、ベテランの先生も

    「えー、そうだったのー。そっかあ、ごめんねぇ。必要に応じて『こうしてもらえます?』って言ってもらえたらー。気が付かなくてごめんね。」

    「善は急げ、やろう、やろう!」

    と。


     日常的に、会話をたくさんしているこの職場であっても、こういうことは普通におきることなんだなあ、と感じます。

     つまり「授業」についての情報交換や意見交換は,思った以上にできなくて。できていなくて。


     これは私の感覚なんでどうかは分かりませんが、教員同士で授業のことをあれこれ話すと、どうも「どれがいい」とか「よくない」とかそんなニュアンスになってしまうことが多い気がする。それは、今まで「授業」が、一人の先生が特定の子どもたちを対象に行ってきた、ずっとそうだった、という習慣があったからじゃないのかな、と感じていて。

     「授業者の責任において」みたいな感じ。表現が適切ではないかもしれませんが、ニュアンス的にはそんなイメージ。だから、人の授業にあれこれ言うのは、(そういうつもりじゃなくても)その授業を批判している、みたいにとらえられかねない、そんなアンテナが働く…。違うかな?

     そうじゃなくて、「授業はチームでする」という意識になったらどうだろう?

     みんなで同じ方向を向く。

     北極星を目指す。

     つまり、学校教育目標に向かって、みんなで(子どもたちも一緒に)船を進める。

     みんな同じクルー。



     「学校教育目標ワークショップ」

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20190405

    も、「みんなで書くエピソード記録」も、授業後の「教師のサークルタイム」も、みんな「お互いの思いを大事にしながら、同じ方向を向いて進む」ため。

     なんとなく、ここまできたのかも…。


     だから、この種を大事に育てたい。

     育てるためには、どうするか。


     仕組みができればいいってもんじゃなくて、それは「育て」ないといけない。

    それも「みんなで」


     ここで、思い出したことば。

    「人は快の方向にしか行かない!」

     ある保育園の園長(ダンプえんちょう)から聞いた言葉。

     

    迷ったときにいつも思い出す言葉。



    f:id:motoryou:20190526111002j:image

    2019-06-25

    全職員で全児童をみていく

    06:46

     全職員で全児童をみていく。

     それを、本当にやるシステムの第一歩が動き出した。

     全職員で書く子どもたちのエピソード記録。

     ジャッジではなくて、その子その子のエピソードを記録していく。


     私たちは日々膨大な子どもたちに関する情報交換をしている。

    「今日ね、こんなことあったんだ、あのね…」

    「へえ、すごいよねえ、そうだっただあ。」

    「ねえねえ、聞いて聞いて!もうほんと、うれしくってさー(^^)」

    「どうしたの(^^)」

     などなど、日々子どもたちの頑張りやすてきな姿、次のチャレンジなどについて私たちは毎日話しているわけで。

    それは職員室の日常会話だけにとどまらず、会議の中でもそれはでてくる。

     そういうことを、みんなで記録として残し「合う」ことはできないかなあ、と思っていた。

    担任だけが「その子」の記録を残すんじゃなくて、全職員で全児童の記録、つまりエピソードを記録していく。

      

     それがシステムとして動き出した。

    うれしい。


    ①全職員(支援員さんや用務員さんも含め)がアクセスできる共有ホルダに個人ごとのエクセルシート作成

    ②項目は「月日」「曜日」「記入者」「場面」「エピソード」「観点」(観点は、ガードーナーもマルチ能力の観点を活用)「なぜそこに注目したのか」「備考」

    ③書ける人が書いていく

     単純にいうとこれだけ。

          

     

     これはある方話していてヒントをいただいああたことを元に実現に向けていろいろ準備して、ここにやっとたどり着いたと言うことでもあり、別にオリジナルでも何でもない。

          

     明確な視点をもって一人一人のエピソードを積み上げていく、プロセスを見取っていく。

    これは、当たり前といえば当たり前。

     なかなか、システムとして動かすきっかけを作れずにいただけ。

       

     この日の職員会議の冒頭の5分間でも、4月にそれぞれが決めた「1学期、私のチャレンジ」について、3~4人グループでおしゃべりする時間をとった(これは継続していく)けど、それぞれの「~たい」に向けての行動を、気持ちや意見を含んだ「エピソード」という物語として、仲間同士で共有していることって、まさにお互いをエンパワーしていくことになるんだと感じている。

     

     これはほぼ確信に近い。

      

     だから、このみんなで書く「エピソード記録」も

    「まあ、とりあえずやってみましょう。しばらく続けて、子どもも伸びる、私たちも伸びる、という点でそれ以上いい方法があれば、それに乗り換えてもいいです。まずは『試行』で。」

    とスタート。


     

     早速若い先生が

    「お、ぼく、ぼくこういうの好きなんですよ~。」

    「こんな細かいことでもいいんですか~(^^)」

    みたいに書いてくれている。

     

     ありがたい。

     こういう方のフォローが次の波をつくってくれるはず。

    数人が書き出せば、それが流れをつくるし、自分が書いたことが他の誰かの役に立つ実感を近いうちに感じることにもなっていくはず。他の先生が見ている視点にも気が付いたり、もっと子どもたちをよく見ようとする動機付けにもなるだろう。まさに個人も組織も成長する、そんなシステムになる可能性は高いと感じている。


     そして、ここから、エピソード満載の記述式の通信表へとプロセスをつくっていく。

     ジャッジではない、その子の成長記録としての通信表、そしてそれは同時に、子どもたち一人一人の育ちを「視点をもって見取る」という教師個人としての私たちの成長記録でもあり、学校教育目標を中心とした学校組織としてのそれにもなるんじゃないな、なるといいな、と思っている。

     

     へき地小規模小中併設。

        


    その強みをいかさないと。

     みんなと相談しながら、試行錯誤しながら進みます。

    f:id:motoryou:20190526111058j:image

    2019-06-24

    個人と組織

    06:49

    「私は基本的に個人が伸びれば、組織も伸びるという考え方をしています。試合でも、個人対個人で負けなければ組織対組織でも負けることはないと思っているのです。そのための唯一の必要条件は、その組織の、「個人の利益とチームの利益が一致していること」です。(中略)それが組織の利益になるのです。」(風間八宏)


    ◯個人の利益と、チームの利益が一致していればよい。


    職員室に置き換えてみる。

    「やり方」や手法で横並びにしようとすることってありがちです。

    「この学校としてこういうやり方でやりましょう」とか。それ自体が悪い訳ではありませんが,そこが強くなりすぎたり,双方向の意見のやりとりが上手くいかなかったりすると,次第に「揃える」ことが目的になりがち。

     つまり,行動目的が「はみ出さないこと」「同じようにすること」になってしまい,「学校を(組織)を誰にとってもよい,居心地のよいものにする」ことにつながりにくくなるんじゃないかな,と思います。

     子どもたちと同じように,先生たち一人一人にも「こうしたい」「こうなりたい」「成長したい」という願いがあります。

     だから,そういう個人の利益,欲求と組織の欲求,利益が一致すればいいってことです。そもそも一致するはずです。

     

     学校教育目標を中心に掲げ,その表すイメージを対話などを重ねる中で共有し続けるプロセスにおいて,お互いがエンパワーし合い,「ぼくらは『個人の利益と組織の利益』に向かっていっているよね」,と確かめ合えればいいんだと思います。

         

         

     そして,それはそんなに多くの時間を必要とはしないはず。

           

     ときどき,数人で,5~10分くらい話だけでいい。

    そこで話しておけば,必要に応じてあとは日常会話の中で補完は十分できるし,むしろ日常の中でできることのほうが望ましいでしょう。カスタマイズできるから。


     今の自分の考えでは,その5~10分は組織としてのオフィシャルな場で設ける(特に初期は)ほうがよいと思っています。組織としてそこを確認し合うことや場を大事にしよう,というメッセージでもあるから。

     そこ,とは「個人の利益と、チームの利益は一致する」「個人の利益と、チームの利益を一致させていく」ということ。


    職員会議の始まり5分は,「シャベリカ」でスタートしたところから,次第に「最近いいこと,ちょっと困っていること」を自由におしゃべりするなどのステップを踏んできました。1学期もそろそろ終わりを迎える今月,そのコーナーを4月にみんなで立てたそれぞれの「私の『なりたい先生チャレンジ』について4人グループくらいでちょっとおしゃべりする」そんなコーナーにしていきたいな。

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20190622

    f:id:motoryou:20190419125450j:image

    2019-06-23

    「復興」とは何か? 医療と教育をつなげて考えてみて

    10:14

    学び合い』仙南の会に参加。

    https://www.facebook.com/events/538902713266145



    テーマは、

    「地域医療の現場から見るこれからの学校教育の在り方」

     医師 長純一さんをお迎えしての会。

    https://www.nhk.or.jp/professional/2018/0312/index.html


     

     参加者は教員、保健師さん、地域の福祉や介護を担っている方々。そういう立場の方々が、いわゆる職種を越えて集まっているということ自体すごいことだなあ、と感じます。

     

     仙南の会がすっと追ってきた姿がこういう場を創っている、本当に主催のGさんすごいな…、と思います。


     医療と教育。

    (ああ、同じだなあ…)

    と思いました。


    私にとってのキーワードは、

    「ケア」

    であり

    「インクルーシブ」


     そして、だからこその

    〇境界を越えて、統合する

    〇総合的に見る、判断する,行動する

    〇その人にとって、を考える

     目の前の事実をマクロでもミクロでも、そして過去も未来もちゃんと見て(見ようとして)その上で。


     そんなことはできる?

     だから、「みんなで」なんだよね。


     まさに「生き残るために」。

     そう言ってしまうと、なんか悲壮感が漂ってしまって、「見たくない」ってことにもなってしまうかな…。

     

     でもさ、だからといって「見えないことにする」は、やっぱり違う。

     間違いなく、これからは人口は「右肩下がり」の時代に入っていく。少子高齢化社会。これは間違いない。だから、今までの人口が「右肩上がり」の時代の価値観を転換しないといけなくなってくるんだろうね。同じ価値観をもって向かおうとするから「悲壮感」も感じるのかもね。

     

     価値観を変える。

     いや、価値観を戻す?

     そもそも、何が一番大事なんだっけ?

     何を一番大事にしないといけなかったんだっけ?


     長先生は、震災後石巻の診療所に入った。

     なんというご縁。

    「命を大事にした復興に力を尽くしたい」

    との思いとのこと。


     会の中で、参加者の方とおしゃべりしていて。

    「そもそも学びってさ…」

    って話 になった。

     「学ぶってことを根本から考えると、それは生き残るためってことじゃない?自分の身を守る、食べ物を得る、とかさ。そしてそれが共に生き残るってことでもあるよね。」

     

     

     「命を大事にした復興」

     やっぱり、そこに教育の果たす役割はすごく大きい。

     そもそも医療は何のため?

     そもそも教育は何のため?

         

     そこはきっと一致するなあ、と思った時間でした。


     勤務校は震災地。

     復興、という言葉もよく聞かれます。

     でも、よく考えると,地元の方々が、日常会会話でその言葉を使うことはあまりない気がします。

     そこに「復興」とは何か?のヒントがあるような気がしました。



    f:id:motoryou:20120825134718j:image


     

    2019-06-22

    「なりたい先生になるチャレンジ」

    07:41

     それぞれの先生が、そこにまっすぐアクセスすれば、細かなことをあれこれ決めなくたって、学校は緩やかに「いい感じ」になっていくんじゃないかな、と思っている。

     それはいいことばかり、うまくいくことばかり、ってことを言ってるんじゃなくて。

     

     適度にアップダウンもあるけど、それでもなんとなく前に進める。

     困ったことも時々起きたりするんだけど、それを受け止めながら吸収して、それでも

    「あはは、あのときは大変だったよね~」

    とかって笑える、みたいなそんな感じ。

     

     学校教育目標ワークショップを4月に行って、そこでの対話をベースに小中それぞれの先生方が

    「なりたい先生になる1学期チャレンジ!」なるものを言語化したものがある。

     クラスで言えば「1学期のめあて」(笑)みたいなもの。

     そこに書いたことを自分で忘れないでいることが本当に大事だなあ、と思う。努力するっていうよりも「忘れないで気に留めている」だけでいいんだと,実のところ思っている。

     でもそれと同じくらい大事だと思っているのは、自分のチャレンジを他の誰かが知っていてくれていること。誰かのチャレンジを知っているだけで、

    「おお、いい感じだね!」

    「面白いね、その取組!」

    とかってお互いに声をかけるチャンスが倍増するから。

     難しいことをいうと「評価の観点」がはっきりする、目の付け所がはっきりするってこと。それも一方的にジャッジされるんじゃなくて、お互いでサポートし合うような環境をみんなで創りながら、そうするってこと。

     なんだ、クラスと同じだな。

     職員会議の冒頭5分は「シャベリカ」が定番なんだけど、そろそろその5分を、

    「今月の『なりたい先生チャレンジ、どうだった?』について、テーブルフリートーク!」

    にしていこうっと。


     向かう先は、学び合う職員室。


    f:id:motoryou:20190330130819j:image

    2019-06-21

    『暇そうにする』

    06:31

     以前、ある養護の先生としゃべっていました。

    その先生が

    「私が尊敬する、養護の先生が、うんそのA先生の影響で私も養護教諭を目指したいと思ったんだけど…。同じ養護教諭の立場になったあとその先生と話したときに、さすが、と思ったんだよね。」

    と。


    「へえ。それはどういうこと?」


    「暇そうにする、ってこと。養護教諭が忙しそうにしていたら、そう見えていたら子どもたちは何も話してくれないからね。だから『いかに暇そうにするか』

    考えているんだって。」


     たしかに。


     忙しいオーラ。


     あるなあ。確かに忙しいことは忙しいから。


     それはそうなんだろうけど、同じ忙しいでも「何で忙しいのか」をちょっと考えてみないとね。

     

     その養護の先生は

    「子どもの話を聞くのが、忙しい」

    かもしれないけど、それはきっと充実した忙しさなんじゃないのかな。



     結局何を大事にするか、ってことなんだろうな。



     遠くをみよう。

    f:id:motoryou:20190504181032j:image


     

    2019-06-20

    大人同士で学び合う

    06:50

     生活総合カリキュラムマネジメントミーティング。

    2ヶ月に一回担任の先生方と私で開いています。


     昨日は2回目。

     簡単にいうと、生活科・「総合的な学習」の「定例進捗会議」。


    発散:「やってみてどんな感じ?」

    収束:「よいこと1つ、困っていること1つ」

    活用:「これからどうする?どうなるといい?」

     生活科・「総合的な学習」を学校教育目標の柱に据えているから、その取組をみんなで行い振り返ることと各教科とつないでいく視点や実践を共有することは、まんまみんなで授業を創る、考えることにつながるはず。


     若手もベテランも聴き合いながら、一緒にフラットに学び合うイメージ。

    職員室の『学び合い



     定例進捗会議で行ったのは今回からだったけど、お互いにエンパワーし合えた気がする。


    「聴き合うこと」を大事にしているから。


    ファシリテーターを交代制でで行うことを、今年度の新メンバーを入れてできたことも進歩。

     実践×研修×関係性づくり×・・・・。


    やることが多すぎて、


    いろんな面で時間がないのなら、全てをかぶせる感じでやればいいってことだな。


     大人が学び合う、大人の「総合的な学習」イメージ。

    一緒に実践し、振り返り、また修正し、実践し、振り返り…。

    学校教育目標を中心にしたカリキュラムづくりをみんなでするようになるといいんだよね。

     そのチャレンジ。

    f:id:motoryou:20190619134337j:image

    2019-06-17

    「見たくないものを見る」「見ていないこと」に自覚的であること

    06:24

    ■「コラボノチカラ」振り返り1

    「そのフレームの外には何が起こってるのか?何があるのか?」

    そのことに、無自覚であることに気付かされる。

         

     写真にすると、まさにそれがはっきりする。

    「はっきりするはず」なのに、余計そこに気が付かなくなり、いつの間にかその意図的に切り取った、(そう意図的に切り取った、なんだな)「フレーム」の中が、「全て」のように思い込みたい、そんな作用が働く。

     それは無意識的なのか?意識的なのか?

    おそらく両方だな。


     きれいなもの、美しいもの、和むもの、おもしろいもの…。

    自分が(そう自分が、なんだな)価値があると思い、見たいものにフォーカスする、目を向ける、レンズを向ける。それはそれで悪くないし、

    (ああ、自分は今ここに目が向いているんだな、ここが「見たい」んだな)

    と分かることは大事なこと。

     

     でも、その「見たい」ものが生まれると、同時に「見たくない」ものが生まれるってこと。

     

     そこに無自覚になることが怖い。

    「見たくない」「見ようとしなかった」「見ることを避けてきた」ものをあえて「見る」。

    そこまでできないときは、少なくても、それがあることに気付く。

    意識的になるだけでも違うよね。


    「見たくない」「見ようとしなかった」「見ることを避けてきた」ものを見ようとすることで、それがきっと「ちゃんと」向き合うってことなのかもしれないな。

     

     そして、私が「見たいもの」「見ているもの」が、全ての人のそれじゃないってこと。

    そこも大事。


     コラボノチカラ、まさにここにあり。


     しばらく「見たくないもの」を,見てみよう。


    f:id:motoryou:20190525112447j:image

    2019-06-16

    『学び合い』と学校、地域

    08:56

    今回の「コラボノチカラ」では、『学び合い』の考え方と学校・地域の協働をどう捉え、今どんなことをしているかなついてお伝えした。

    https://www.gakubunsha.com/smp/book/b242973.html

    そのことを考えるにあたり、この本は本当にいいと思う。

    学び合い』がどうこうというよりも、学校と地域のつながり、連続の必要性についてのヒントが盛りだくさん。

    私には、ですけど。

    コラボノチカラ

    06:30

     「仙台『学び合い』の会~コラボノチカラ~」に参加。

     

     『学び合い』の会、とは言え、正直言うと、なんかアウェイ感をもっての参加でした。

    会場の向かう途中、傘を差して歩きながら感じる、このどきどき感はなんだろう?と自分なりに考えてみると、やっぱりそれはちょっとした不安。

          

         

           

    学び合い』の会と言えば、最近は、私にとっては「仙南の会」が中心で、そこに集まる方々もだいたい顔ぶれは分かっているし、白石のGさんが主催の会だから初対面の方がいたとしても(まあ毎回いらっいますが)その場の空気感は変わらないから、まあ、そこが安心だったりするわけです。

               

     でも今回の場合はちょっと違っていて、タイトルにもあるとおり「コラボノチカラ」です。

    「『学び合い』ねぇ…。どんな感じなの?」という立ち位置の方々が主催する『学び合い』の会かな?みたいな印象もあったし、参加者も、普段『学び合い』の会ではお会いしない方々の方が多い、そんなイメージだったからです。

     だから「コラボノチカラ」なんですが。

     

     そういう若干の「不安感」をもって参加したわけですが、予想通り、そう予想通りだったんですが、学び多き時間になりました。

           

     「不安」は「刺激」でもあるんですね、やっぱり。コンフォートゾーンをちょっと出てみるってこういうことなんだな、と。

          

           

     自分は報告した中身のところでも話しことなんですが、「不安定の中の安定」「安定の中の不安定」「刺激と継続」「境界線あたりを行ったり来たり」…。そんなイメージなんだなあ、と。ちょっと不安だったり危険(笑)だったりするから、面白いってことありあすよね。遊びなんかはそうで、ちょっとだけどきどき感があった方が楽しい。でも大けがしたりするなど身の危険を強く感じるくらいだと、それはちょっと無理…。

     多少のリスクは自覚しつつ、ちょっと足を出してみる、そんな感覚。


     私がよくイメージするのは、やっぱり自転車で、不安定だから漕ぐ、漕ぐから安定する、漕ぐのをやめたら倒れる、そのぎりぎりのところ。地面はある程度安定していないと怖くて漕げもしない。断崖絶壁で自転車を漕げ、と言われても漕げない…。


     会の中では「北極星を目指す」なんて話もあったんですが、そういうのも私にないこともないんですが、「北極星」なんてものにしちゃうと

    (遠い…)

    (着きゃしない…)

    って思ってしまう笑。

     だからお気楽に自転車に乗るみたいに、

    「お!?なんかこっちが面白そうだな~」

    みたいに、その時々に感じる感覚で漕いでみたいんだよね。

     漕ぐのも、ブレーキをかけるのも、時々止まったり、自転車を降りたりすることも含めて。


    内田樹さんだったかな(内田さんは、私の心のメンターの一人なんだけど)、「直感は意外と正しい」みたいなことを言っていたけど(身体感覚、ってことだと思うんだけど)、そうだなって思う。

     「ダンプえんちょうやっつけた」(童心社)のダンプえんちょう(実在)も

    「人間は結局、快のほうにしか行かない」

    と言っていたなあ。その通りなんだよね。


     懇親会で、思いつきで話した、汽水域の魚みたいに、真水と塩水、そのときの気分しだいで川と海を行ったり来たりするような、そんな感じでいた方が、自分にとってはちょうどいいよな~って思ったのでした。

     あれ?なんの話しだったんだっけ?

     だからコラボノチカラって新しく何かを生み出すよねー、やっぱり予想通りだ、ってことだ。

    自己内対話、おわり笑

    f:id:motoryou:20190210123124j:image

    2019-06-15

    意外と授業について話せてないことに気が付くよね

    06:36

    子どもも大人も一緒に学ぶ,そんな場が「授業」って場になってほしいんだよなあ,と思っています。


     

     そうなると,そもそも「授業」ってネーミング自体が邪魔になったり

     毎授業の度に「起立,礼」みたいなものもいらなかったり

    (私は,やってないけど)

     なんか,先生が「教える」「教授する」みたいなところがまだまだあって。

     子どもにとって学び手の手本になったり,楽しそうに学ぶモデルになったり,一緒に伴走してくれる頼もしいパートナーであったり,時に方向性を示してくれたり,困った時にアドバイスをくれたり…。そんな「先生」


     言ってみれば,大人にとっての「理想の上司」?

     学校は「授業」が命なんだけど,「授業」についてみんなで考えたり創ったりする時間って意外と少ないことに気付かされます。


     放課後とか,みんなで授業についてあれこれ語るなんて時間が取れていない。一番大事なのにね。

     でも「取れない」じゃなくて「取る」じゃないとね。優先順位の問題。

     日常の授業は,それぞれ分かれて「分担」しちゃうからなんだよなあ…。

     じゃ,そうしなければいいんだな…。

     授業をしながら話す,そこが一番現実的だな。



     

    f:id:motoryou:20190608145935j:image

    2019-06-14

    田植えはチームワークなんだ

    06:45

     米農家,木村さんと一緒に田植え体験。

    http://www.moriumius.plus/2019/06/11/junkimura01/?fbclid=IwAR23SR4vK-Ilt_OIb8ei8anWUkUMC7_IUSkEkPu5XRVcNmo5niowuJLX9Ec


    1,2年生生活科。異学年の学び。

     プラス大人。

         

     海のまちの子どもだけど,「米」は最も身近な食材。

     アサガオを植え,ミニトマト,キュウリを植えた子どもたち。


     先日は,海で釣り,釣ったカレイやアイナメを料理して食べた子どもたち。

    「食」で考えると,海も田んぼも同じテーマでくくれる。


     その先に「総合的な学習」「家庭科」その他いろいろ。



    木村さんの

    「お米は,はじめからご飯じゃないんだ。種,つまりお米ね,そこから芽を出した苗,つまりこれね,これを植えて大事に育てるんだよ。」

    「ほら,根っこがしっかり張っているよね。」

    「土の中に,ぎゅっとしっかり植え込んでね。」


     言葉の一つ一つに,これまでの彼らの経験や,これから彼らに体験させたり学ばせたいことにつながる要素がたくさん。


     この,泥の中に足を突っ込んで感じた感触も覚えていてね。


     自然と,苗を渡す人,植える人の役割分担が生まれたり

    「あ,そこ隙間があるよ。そこに植えて!」

    と声を掛けたり。

     転びそうになった友達に手を貸したり。

    「田植えはチームワークなんだ。」

    と木村さん。


     ほら,「キャリア教育」なんて難しい言葉を使わなくたって,キャリア教育の種はたくさん転がっている。

     木村さん,子どもたちのインタビューにこたえながら

    「米作りの農家の長男だったんだ。米作りなんていやだと逃げていた。でもやってみると,楽しかったんだなー」

     宝のような言葉,と私は思った。


     今日の体験だって,いわゆる国語や算数にだって,ばっちりつながっているってことだよね。

     「学習はチームワークなんだ」

    ってこと。

    f:id:motoryou:20190613092644j:image

     学ぶことも仕事も,本当は同じこと。

    2019-06-12

    溶け込んでいきたい

    06:49

     「こども芸術の村」の方と一緒に、今年度この先の「総合的な学習」の方向性のプランづくりの話し合い。

    http://av4c.jp/

     今の新しい学校になる前の2016年、旧雄勝小学校に頃からお世話になっているが、年々新しい展開になっていき、実に面白い。


     同じことを繰り返さず、進化していく感じ、子どもたちや先生たちと相談しながら作っていく感じが面白い。


     プロジェクトを学ぶ、そんな感じ。

     それがOGATSU COMPANY


     同じようにお世話になってきたモリウミアスとこども芸術の村、そして公民館、雄勝まちづくり協会と一緒に場をつくり、地域の方々と交流を深めながら開校以来あれこれやってきた。


     まったく新しい場所に校舎が立ってからの取組だから常に「今ここ」



     「雄勝COMPANYまつりで、『雄勝の人を呼びたい』って言っているんですよ~」

    と6年生の担任の先生。


    「3年前は『雄勝に人を呼びたい』って言っていた子どもたちでしたが、今は『雄勝の』なんですね!」

    と。



     1年目、2年目は新しい場所でのロケットスタート的な時期。今年度は開校3年目。より地域に溶け込んでいく、そんなはじめの一歩の年にしたいな。

     プランの軸はできたから、後は子どもたちと大人で相談しながら創っていこう。

     楽しみだな~。






     

    f:id:motoryou:20181201083932j:image

    2019-06-11

    そこにいる

    06:39

     先日、「青葉通イチとイチ」という催しに立ち寄りました。

     仙台の中心部のアーケード街に、直接小さな屋台?仮説の棚?のようなものを出し、いろいろなものの「作り手」さんが直接対面で販売をする、というような感じです。

     

     

     それを作っている人が目の前にいて、作った物について一緒におしゃべりしながら売り買いをする、そんな感じが楽しかった。

     

     ちょっと昔はきっとそれが当たり前だったんだろうなあ、と思います。


     陳列台に並べられた「もの」たちがなんだか、作ってくれたご主人のの前でなんだか誇らしく「そこにいる」、そんな感じを得ました。

    f:id:motoryou:20190608144724j:image

    f:id:motoryou:20190608140546j:image

    2019-06-09

     目が白黒

    08:59

    先日は,地域の神楽保存会の会長さんとそろそろ始まる子どもたちの神楽練習の今年度プランを相談し合う時間を持ちました。

     昨年,子どもたちは新しい演目「四天」に挑戦。慣れ親しんだ「初矢」でなく「四天」

     難しいかなあ,と思っていたけど,子どもたちからは

    「難しいのに挑戦できてよかった!」

    「苦労したけど楽しかった。」

    との声。

     そんな声がありましたよ,とお伝えするなかで,会長さんは

    「おらたちが若い頃もそうだったんだけど…」

    と切り出しながら

    「いつも同じことやってると,まあ,飽きてくるんだよね笑。だからこんどはこれをやってみたい,あれをやってみたいってなるわけさ。んで,やっているうちにまた基本が大事だなあ,ってまた気付いたりね。」

    「ちょっと目の色,白黒になる,そんなどきどき感っていうかな,そんなんもあっていいよねえ笑」

     そんな話を一緒にしながら。



     今年の子どもたちの神楽チャレンジを大まかに決めました。

     あとは子どもたちと相談しながら,ですね。

    f:id:motoryou:20190429121613j:image

    2019-06-08

    「みんなが故郷のチアリーダー」

    07:40

    いつもお世話になっているモリウミアスのスタッフの方のお繋ぎで、ハワイのチアリーディングチーム、A A Aの「チアリーディングワークショップ」を開催できました。

    https://cheer-spirit.com/blog/2019/05/2734

    前年度、NFLのチアリーダー、保坂さんをお迎えしてのワークショップの時の子どもたちの楽しそうな姿や、恥ずかしさから一歩抜け出た時の顔がなんかよくて、ぜひ一回きりにしたくなかった企画。

    再びご案内くださったスタッフの方に感謝。

    体育の表現運動の一環としての位置付け。

    ハワイの方々ということで、体育×外国語活動でもありますね。

    “チア”の意味は元気づける、応援する。

    “リード”は先に。

    “だれの心にもチアの気持ちはあること”

    “大切なことは①笑顔②コミュニケーション③感謝の気持ち”

    そして

    “みんなが故郷のチアリーダー!”

    そんなことを教わり、そこを昨年度からベースにしてのワークショップ。

    まさに、総合的な学習の「自分を元気に、みんなを元気に、まちを元気に」をテーマにしたogatsu company活動の目指すことと同じです。



    ワークショップではたくさんのハワイからの先生の笑顔と励ましに囲まれて、ハイタッチしたり言葉を交わしたり、手を繋いだり、支えあったり。

    ひとつひとつのスタンツを練習し、基本動作を先生たちのモデルを見ながら真似をし、グループごとにフォーメーションを考えて練習し、みんなの前で発表。

    なかなかのチャレンジ^_^

    学校生活の中で時々嫌なことがあったり、友達とうまくいかなくなったりすることももちろんあるんだけど、でも、こんなことも一緒にやれた、やってきた

    という経験がベースにあれば、もう一回立ち直ることはきっとできる。

    「あの時は、ああだったよね!」

    と。

    つなげていく、つないでいく、いろんなことを。

    だから、「そもそも何を目指すんだっけ?」ということを忘れないでおかないとね。


    今回のチアリーディングワークショップをつぎの何につなげていくか、ってことでもあるな。

    f:id:motoryou:20190608075314j:image

    2019-06-04

    ボクのおとうさんはボランティアというやつに殺されました。「桃太郎から考える正義の反対とは?」

    23:33

    https://jiburi.com/seigi/?fbclid=IwAR1s7FCgyZK2vFyKCZnxWGHHiBcRyPuMPlyGLpA7kihuZPY18DEC52G3uSY



     先日、職員室でおしゃべりしているときに話題になったこと。

    「ボクのおとうさんはボランティアというやつに殺されました。『桃太郎から考える正義の反対とは?』」


     衝撃的なタイトル



     何が「正しい」のか、何が「正義」なのか…。

    誰にとっての、それなのか。何のための「それ」なのか。


     そういう感覚を持ちたいなと思った。

     立場を入れ替えてみる見方。


     「ボランティア」という言葉は、他のどんな言葉にだって置き換えて見ることができますね。

     

     

     


     万人にとっての「正しさ」「正義」はきっとなくて。

     万人にとっての「幸せ」ならどうかな…。

    f:id:motoryou:20190604131926j:image

    2019-06-03

    「安全」という「落とし穴」

    06:35

     「安全にプレーするためには,常に前にプレーすること。そのためには,いつも敵の嫌なことをやり続けなくてはいけません。」

     「ずっと勝ち続けるには,『合わせる』よりも,自分たちを追求していくほうがいい。絶えず進んでいくほうがより伸びていくと信じているのです。」


     「伝わる技術~力を引き出すコミュニケーション~」(風間八宏 著)から。

        

     https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062209977/hatena-ud-22/ref=nosim   

           

     スポーツの監督,指導者の言葉から学ぶこと,勇気をもらうことが多い。

     

     「安全」という「落とし穴」,安全,という危険。

     それを知ることで回避もできるなあ。

        

     やっぱり読書はいるな。

    f:id:motoryou:20190526111806j:image

    2019-06-02

    サイドワーク,という言葉

    20:18

     いろんな人や立場の人と一緒に,それそれの「~たい」を実現するプロセスをつくるってこと。

         

         

     大きなことでも小さなことでも。

         

           

     「誰もが居心地のいい,暮らしやすいコミュニティをつくる」

    でも

    「地域と学校が一体感を感じられるような運動会をみんなでつくる」

    でも

    「算数のこの問題を一人残らずみんなが分かり,説明できるようにする」

    でも。


     これって,一人だけじゃできないことなんだな。


     まあ,難しい言葉でいうとプロジェクト?


     運動会なんかだと

    「じゃ,体育主任,よろしくね!」

    になってしまうと,一人で責任を負わされた感じになってしまいます。体育主任が何から何まで計画も立て準備を行い指示も出し…なんてことになると大変。

     うまくいかないと

    「体育主任,これは?」

    「あれはどうするの?」

    「あの準備はどうなってる?」

    とかってなったりして。

     体育主任,きりきり舞い…。


     責任重大…。

     で,今度は別の大きな行事があると,また別な人がきりきり舞い?

    そうなると,残念な感じ。


     

     先日,ひょんなことから,

    「ねえ,地域との運動会ってどうやってるの?」

    って聞かれて,なんと説明していいのか困ったことがありました。

     どうやって…っていっても…,うーん…。


     まあ,いろんな立場の人が集まって,

    ①「どんな運動会にしたい?なるといい?」でお互いに思いを出し合ってコンセプトをつくる。

    ②大事にすること,したいことを合意形成する

    ③役割分担をする

    ④あとはやりながら相談しつつ…


     まあ,ざっくりとこんな感じ。


    「うーん,あとはそれぞれがサイドワークを効かして,みんなで分担しながら,まあ御神輿担いでやっていくみたいな,みんなで御神輿担ぐっていうか,そんなふうに進めていくって感じかな…」

    と言ったら,それを聞いていた方が

    「サイドワークって言葉で言語化されることで,そのイメージが規定されるよね。」

    みたいなことを言われて,

    (ああ…)

    って思ったのでした。


     サイドワーク。


     ゴールに向かって,それぞれが,それぞれのできることをし,お互いにエンパワーし合いながら一緒に前に進む,そんな感じ。


     はじめは話し合いの中で使いはじめた言葉だけど,だんだんいろんな場面で使うようになっていったかあ,そういえば。


     そっか,「サイドワーク」

    この言葉を,職場として持っていることの意味は大きいな。

     そんなことに気付かされた,そんな飲みながらの会話。

    f:id:motoryou:20190601212603j:image








     

    2019-06-01

    肩の力を抜くとか、自然とか

    08:23

     中野民夫さんの「マインドフルネス ダイアログ&ライブ」に参加。

    https://www.facebook.com/events/2332591910112512/


     中野民夫さんって一度お会いしたい方の一人だったので、午後年休をもらって参加してよかった。

    その場の空気を感じてみたいなあ、というのが今回の目的だったので、まずは短時間でもそこに参加できただけでOKだったなあ。


     肩の力を抜く、ゆだねる、とか自然に、とかを感じた時間。

    そうだな、感じた、そんな感じ。

    理屈じゃなくて。

     だから「学んだ」という言葉じゃない方がなんか適切かも。

     

     参加しながら、キャッチした言葉たちは(もしくは、私がそこに参加しながら自分のフィルターで解釈した言葉かもしれないが)

    〇「比べない、頑張らない、ゆっくり丁寧に」

    〇内側から美しく生きる

    〇頑張り尽くせば1つに溶けて楽になる

    〇感じるままに

    〇滝に抗ううちに、滝と1つになる

    〇手放すことで対象とひとつになる

     ってこと。


     あら?やっぱり言葉で理解するのが、どうやら私の特性かも笑

    f:id:motoryou:20190531185815j:image