次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2019-04-30

    元気になる「評価」

    08:53

     

     「評価」って言葉。

     まあ,私のイメージなんですけど,聞くと「どきっ」とするんですよね。

     なんでかなあ,と思うに

     やっぱりそこには,(誰かに)査定される,判定される,みたいなイメージを感じてしまうから。

     私だけかもしれないけれど。


     でも,その「評価」,実は毎日いつでもしてるんだよなあ,とも同時に思っています。

     例えば

    「うれしいなあー」

    「ありがとう!」

    「わ,これおいしい!」

    「きれいだよねえ!」

    「え?どうやってしたの?すごいね!」

    「おお!」

    「いい感じだね!」

    なんて言葉は毎日使っているし,もちろん教室の子どもたちにも毎日使います。

     うちの学校の先生たちは,とくにそういううれしさや感謝の言葉を子どもたちにたくさんたくさん投げかけています。そしてそこでおしゃべりが始まります。

     子どもはもちろん,脇で聞いている私たちもその会話に一緒に混ざりたくなるくらい。


     笑顔になります。


    「元気になる評価」

     

     きっとこれを毎日毎日やってるんだろうな,と思います。




     だから,「元気になる通信表」にならないかな?

    って思っています。

     誰もが元気になる通信表。受け取った子どもたち「全員が」元気になって保護者の方々「全員が」元気になって,贈る先生たちも「全員が」元気になる,

    そしてそれを点検する校長先生や教頭先生も,あらためてこどもたちや,それを書いた先生方に元気をもらい,また元気をフィードバックできる,そんな通信表。


     できるなあ。

     だって,うちの学校,一クラスで最大4人だから。

     普段している,温かい評価を,温かいまま,文字にして残してあげればいいんだもの。




     みんなと相談したいな。

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    2019-04-29

    「輝くもののむこうに影がある」

    06:57


     輝くもののむこうに影がある

     光も闇もすべては ひとつだから 

     震える指もわたしの一部なんだ

     だから夢を 恐れはしない

     いきものがかりの「アイデンティティ」の歌詞の一部。最近のかなりのお気に入りの曲。



     輝くものむこうに影がある。影の向こうにも輝くものがあるってこと。

     そして、まったく正反対に思えるようなことも実は同じこと。

     見るところ、立ち位置、対象との距離感…。

     いろんな条件で、いろいろになるってことかな。


     確かにそうだよね。


     うまくいっているように感じるときこそ、反対側に回ってよく見よう。

     「あー、だめだ…」と思うときだってそう。

     過度に有頂天になることなく、それでいて、落ち込むこともなく。

     どっちも「不安定」。

     でもその「不安定」があるから前にも進む。

     

     やっぱり「自転車」だな。不安定だから漕ぐ、漕ぐから進む。

     それでも「しっかりした地面」がないと、漕げない。海の上では漕げない。

     「不安定」の中の「安定」、「安定」の中の「不安定」。

     不安定だけでも進めない、安定だけでも進めない。

     やっぱりここでも「光か闇か」みたいな感じではなくて、どっちも、だ。どっちか一方ではない。

     「すべてはひとつ」なんだな


     その「ひとつ」ってなんだ?ってことだな。


     わたし、か。

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    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20180825

    2019-04-28

    ファインダーの外側

    10:34

    写真。

    気になること、お気に入りの場面、そんなところにふと気付き、レンズを向ける。

     最近のお気に入り。

    撮りたいもの、ことに気付くアンテナを磨く。


     見ようと思えば気付く、思わないと気付かない。通り過ぎる。

     そういうことかあ。

     カメラ、という道具によって

     「撮る」という目的によって、

     もっとよく見ようとするきっかけになった。


     シャッターを切る、ということは自己選択自己決定の連続。

     距離感や見る角度もそう。

          

     

     撮りたいこと、もの、そこに気付くそのアンテナ、距離感やアプローチ。

     そこ、磨きたい。

     

     

     

     でも、その先もあるんだなあ、と。

     

     ファインダーに収まったそのこと、場面が生まれる背景、プロセスはなんだったのか?まさに見えないファインダーの外側。そこに思いを馳せ、その条件や要素にまでアプローチしてこそ、次の被写体にまた気付ける、また生まれるってことになるんだろうな…。


     本当に伝えたいことは、ファインダーの中にもあるけど、外にもある。

     外があって中がある、そういうことかあ…。


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     これは

    (写真って面白い!)

    って感じた転機になったもの。

    2019-04-27

    「だるまさんがころんだ」

    06:51

     1年生を迎える会。

     1年生から6年生が混ざったゲームの最後は,定番「だるまさんがころんだ」笑

     あの「はじめのいーっぽっ!」

    から始まるあれです。

     「だれが鬼やる~?」

    でなんとなく,はじめの鬼が決まります。

     「動いた!」

    「えーーー?」

    「動いた?」

    「もーーー!」


    「動いた!」

    「動いてない!」

    「そう??」

    「そうかな~笑」

    「ま,いっかー」

    「何歩?」

    「うーーーん,5歩!」

    「えー!」

    「じゃ10歩!」



     動いたか動いていないかは,なんとなくそのときの彼らの「感覚」で決まっていきます。

    だから厳密にいう判定の尺度は「動いた」「動いていない」ではありません笑。

    「ルール」は曖昧。

    「楽しいか」「楽しくないか」

    それが尺度みたい。

     そして決まった「審判」はいません。いるとすれば「鬼」だけど,鬼自身が「審判」なんてそれもなんか可笑しい笑。

      

     わいわい笑い合いながらゲームは進行していき,そろそろ終了の時間になったら

    「んじゃ,最後ね~」

    みたいに終わっていく。


     なんということのない,1年生を迎える会の「だるまさんがころんだ」の風景。

    でもその「見えているところ」枠の外側にある,今までの彼らの日常が,今の「当たり前」を支えているってことだよなあ,と思う時間でした。

     そして,その時間には,その「曖昧さ」のなかでぶつかったりもめたり,妥協したり…いろんな場面でいろんな人がいろんなことをしたりしなかったりしての,そんなことをしてきての「今ここ」。

     見えているのは「今」だけど,それまでの「過去」もこれからの「未来」もあるわけで。

     そういうことなんだね,と「だるまさんがころんだ」に興じる子どもたちを見ながら,側にいた先生たちとおしゃべりしました。

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    2019-04-26

    職員室

    06:21

     

     交通安全教室が終わった後の職員室。

     

     天候が悪く、屋内実施になった交通安全教室。雨プログラムの中にDVDの視聴も組み込んだのですが、機器の不調でうまくいかずピンチ…。

     だったのですが、そのおかげ?で地区の危険箇所を事前に調べ報告の準備してくれていた5,56年生の発表に十分時間を割くことができました。それに、それを聞いたりその箇所の写真を見たりしながら考えたことなどを縦割りグループで感想交流したり、発表し合ったり。

     それに地域の駐在所の警察官の方々や交通指導隊の方々とも十分な双方向のやりとりをする時間ができました。結果、よかったかな、と。

     職員室に戻ってきてから、先生たちが話していたことは

    「〇くんさ、昨年だったらあのようなときって、固まって話せなかったのに、今日はじっと考えてから話したよね。すごいよねー」

    「うんうん、そのとき、近くの□ちゃんがちゃんと声かけて支えていたよね。」

    「うんうん。」

    「それに、〇ちゃん、3年生だけどじぶんから一番に手を上げての感想発表だったね。」

    「いい感じで引っ張ってくれたね!」

    「それにしてもさ、5,6年生すごく準備していたよね!ありがとう!」

    「ううん、全部子どもたちがやっていたの笑」

    「お礼のハイタッチの後の片付けのときもさ、△くん、自分のいすだけじゃなくて他の子のいすまであまって片付けていたよねー。」

    「そうだったねー」

    「もう高学年意識なんだよね。すごいよね、低学年のころとはもう大違いだよね。」


    なんて会話が続きます。

           

     みんなでエピソードの共有。それが職員室の常時のこと。

          

             

     特別なことでもなく、どこの職員室でも普通に行われていることだと思います。当たり前のこと。



     でも、その「当たり前」の価値を、みんながちゃんと「普通に」共有できていることがいいなあって思うのです。



     学校という組織として、子どもも大人も誰もを大切にする、そんな当たり前のことで、それだけでいいんだよね、と思うのです。

     

    DVD、映らなかったから、今度、全校朝学習の時にやるね。」

    「今度は映像だけじゃなくてちゃんと音が出るか、ということも確かめておかないとね~(^_^;)」

    ってことに。

     ピンチはチャンスに変えられる。

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    2019-04-24

    小さなことの中に

    17:17

     朝の職員室。

     担任の先生方は,これから教室に向かうや,最後の事務仕事のけりを付けようとしている方や,簡単な打合せをしている方や,登校してきた小学生や中学生に挨拶したり立ち話してたり,とそれぞれいろんなこをしながら,それでいてなんかばたばた,と笑。

     そんな中

    「がじゃーん…」

    と大きな音が!

     やや!?何事??

    と居合わせたみんなが見たその先には…


     床に派手に散らばったたくさんのビー玉と,呆然とする若いA先生。

    どうやらビー玉を入れた入れ物のふたをもって運ぼうとしたら,ふたが取れたらしい…。


     わわわ,とみんな言いながらも結構爆笑。

     2秒後くらいに,みんな集まってきて,もう大笑いしながらビー玉拾いです笑い。


    「あーあ,ビー玉貯金,ぜーーーーんぶ払い戻しじゃーーーん笑」

    「朝からウケルー!」

    「ビー玉,きれい!」

     

     みんな好き勝手なことを言いながら,にこにことビー玉を拾い集めます。

    「机の下,見てね~」

    とかっていいながら。


     校長先生も来て

    「おやおや笑」

    と。


     たわいもないことだし,特に特別なことでもないんだけど,こういう普通の小さなことで,みんなで笑えて,それでいて「ちょっと」助け合える,そんなことが,実は実は大事にしたいことなんだと思って。

           

     そんな今朝のできごと。



     うん,特別なことなんて,「たま」でよくて,特別なことを支えるのはこういう小さな,ちょっとした日常なんだと思うのであります。


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    2019-04-23

    ファインダーをのぞくように

    21:25

     最近、ちょっと写真を撮ることを趣味にしている。

     別に詳しい訳でもないし、特別に何かってわけでもないんだけど、撮りたいものを見つけて好きに撮るっていうのを楽しんでいる。それだけのことなんだけど。


     カメラをもってぶらぶらしながら、

    (なんか、おもしろいもの、ないかな~)

    とか

    (なんか、おもしろいところ、みつけたいなあ~)

    とか考えながらきょろきょろして歩いている。


     時々近づいてみたり、離れたり、見る角度を変えてみたり、光の当たり方を変えてみたり。

     ファインダーをのぞいたときに、始めて

    (あ!)

    って思うこともあったり。


     カメラを持つようになってから、格段に景色やまちが面白く見えだした。

    車を運転しながらも

    (お!撮りたい!)

    と思う物にもたくさん出会う。


     その時間のその光だけの一瞬のチャンスであることも多い。


     そうやって「見よう」と思って見ると、見えてくるもんだ、ということに気づかせてくれたのが、私にとってのカメラってことになるかな。


     気をつけて見ないと見えないものを、ちゃんと見えるようにする。それがカメラのファインダーをのぞくってこと。



     枠を当てて見ることで、よく見えるようになることもあるんだな。



    見ようと思えば見える,見付けようと思えば見つかる,そういうことかな。





    f:id:motoryou:20190422165232j:image



    http://www.moriumius.plus/2019/04/26/mikiohasui01/?fbclid=IwAR32LsDCc0OexMcSaEDk6h1xIIK81Q_2t3sVOpjEjkNimWdpdykmf0c4JHI

    2019-04-22

    小さなことが大きなこと

    10:24

    そういえば、大須のお祭りの時に立ち話した、おじいさんとの会話から。


    「いつでも学校に来てくださいねー^_^」

    との話をしていたら、そのAさん、

    「去年、ボッチャしに言ったべ?あんときさ、終わってから、桑浜のあの子さ、

    『ありがとうございました!』ってさ、両手で握手してくれたんだなぁ。なんかさ、うれしくってさ…」

    と。

    私たちの学校では、いろんな地域の方々と一緒に活動した後には必ず一人一人がその方々のところに行って直接お礼を言ったりハイタッチしたりするのが定番。直接のコミュニケーションを大事にしたいから。

    OGATSU companyは「自分を元気に、仲間を元気に、まちを元気に」を目指す雄勝小中学校の「会社活動」(生活科×総合×特別活動)の名称。子どもたちには子どもたちの、子どもたちにしか、子どもたちだからこそできる「まちづくり」ができると思うし、そこを目指したいと考えています。

    自分が誰かの元気につながる、そんな体験。

    こういう小さなことに見えることが実は大きなことだなあ、と感じたエピソード。

    「神輿は一人じゃあがらない、でもみんなとならあがる」2

    07:38

     昨日は、雄勝町大須浜の祭典。

     海に入る神輿や国の重要無形文化財にもなっている雄勝法印神楽が行われたりと、地域にとっては大切な行事の日。

     

     車を止めようと浜に下る道を行こうとしたら、前任校(統合新設勤務校の前身校の1つ)時代にお世話になった方に偶然ばったり。

     「なんだべ、ちょうどいがった!まだ神輿には、早いがら、おちゃっこ、飲んでいがいん!」

    とおうちに招き入れてくださいました。

     そこでひとしきりおしゃべりをして、おいしい漬け物やらお赤飯やら紅白の大福やらをいただき…。ありがとうございます!

     それでその後、一緒に浜に降りて、御神輿を見ながら写真を撮ったり。

     そこで学校の同僚の先生たちと会ったり、地域の方々と出会ったり、また大須小時代や、そして今の学校の活動でもお世話になっている様々な団体や組織の方々に出会ったたり。

     お祭りの雰囲気の中で、いろんな人に出会い、おしゃべりをしたりお礼をいったり。

     そして、お昼も先ほどのお宅でごちそうになり、また午後からの神楽を見…。

     学校の子どもたちの神楽の先生でもあるSさんが、太鼓をたたいています。

    Sさんの地区も震災の津波で大きな被害を受けたところ。震災直後、お祭りどころではない時期に、その実施に向けて尽力された方の一人でもあります。

    Sさんがかつてマスコミの取材の中で、こたえていた言葉を思いだしました。

    「この大変な時期に笛や太鼓か?、と悩んだ。でも神楽が今、雄勝に必要だ。この笛や太鼓を聞くと、よしって思うもんなぁ」

    「理屈抜きに前に進むしかないんだな」

    「個性=表現だべ」(笑)

     今こうして、地域の方々やここにゆかりのある人が集まっている様子を見ると

    (ああ、そうかあ)

    と思います。

     そして、帰り道には、また偶然にも雄勝ローズファクトリーガーデンの前で代表のTさんに出会い、これからの雄勝のこと、子どもたちのこと、学校のことまたおしゃべり。

    https://www.facebook.com/ogatsuflowerstory/videos/766574350391798/

     

     Tさんは、私の旧雄勝小時代の先輩教員でもあり、地元研究サークルで20年以上一緒に学ばせていただいた方でもあります。それに、震災後にまたこの雄勝地区に私が戻ってくるきっかけをつくってくれた方でもあり。


     大須地区の祭典のこの日。

    いろんな方のまた出会い、おしゃべりし、お礼をいい、また未来の話をした日。

     今までお世話になってきた方々、一緒にやってきた方々が緩やかにつながっていることがなんとなく感じられ、そしてそのつながりを元に前に進んでいる、進もうとしているそんな匂いが感じられ、事実、そんな「出会い方」をした日でもありました。

    地域のハブになれる学校に勤める私の役割は何か、そんなことも自分で再確認できた、

    そんな「まつり」の一日。

     

    「神輿は一人じゃ、あがらない。でもみんなとならあがる」

     そういうことだな、と感じた一日。

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20170520

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    2019-04-18

    おおっと、から

    06:49

    先日、ある問いをいただき

    (おおっと…)

    と思うことがありました。

    (さてどうする…)

    (確かにそうかも…)

     と居合わせた職員同士で顔を見合わせ

    (さてどうする?)

    (やめる?)

    という空気。


     でもよかれと思って立てた計画。

    もちろん

    「やめる」

    という決断も必要。


     だけど

    「よかれ」

    と思ったのにも、その願い・理由があったはず。


     だから、

    「じゃあ、どうするか、みんなで考えよう」

    ってことだなあ。


     やめるか、やり方を変えるか、そもそもそれを計画した「根っこ」のところをもう一度みんなで確かめるか。


     そういうことだと思う出来事。


     結果、メンバーでもう一度相談し、やめずに「根っこ」をメンバーで共有し

    「何のために」「どうするか」を相談することに。

     ピンチをチャンスに変えられれば、一気に二歩進めるから。


     

    2019-04-17

    カレーの中の溶けたタマネギ

    06:34

    「どんな学校にしたい、なるといい?」

     

    「どんな自分になりたい?なれたらいい?」

    「どんな職員室チームになりたい?なったらいい?」

    この融合するところをみんなで探りながらやる、それがいわゆる

    「校内研究」になるといいんだな。

    それが日常になっていくことが、実は目指すところで、

    そうなると

    「校内研究」

    なんて名前もいらなくなるかな?

     

    カレーの中の溶けたタマネギ、なくては困るけど、目には見えない、大事にしたいことはちゃんとその中に溶け込んでいる、そんな感じ。


     「みんなでそこを目指そう」

    そんな風にだんだんなってきた気がするなー。


     ポジティブな予感は、きっと物事を前に進めるはず。楽しみ。

    2019-04-16

    また「モモ」読むかあ…

    06:39

     「とにかく忙しすぎて、クリエイティブ、なんてこととほど遠いんだよな…」

    と。

     確かに。


     とにかく学校現場は「忙しい」。とにかく朝から「夜」までばたばた…。

     


     「やらないといけない」ことばかりやっていると、自分が「本当にやりたい」ことがどんどん後回しになっていく。そしてだんだん、自分の時間を「やらないとけない」ことに占拠されていく。

     

     出たな、「灰色の男」たち!

     「自分の時間を、自分が自由に使う」(ある程度、かもしれないけど)

    ことができることが、クリエイティブなことをするには、とにかく必要だよね。


     「そんなこといっても、しなくちゃならないことが多いんだから仕方がない。」

    って言われるだろうなあ。だって、確かに「それはそう」だから。


     確かに「しなければならないこと」が多くて、それを「しないといけない」事情もある。その通り。



     それでも

     「自分は何をしたいんだろう?」

     「自分は何をしたいんだっけ?」

    と自分に問いかけることを忘れないでいたいし、それをするために、どうしたらいいかな?を考え続けるようにしたいな、と思う。


     教務主任の立場で言えば

    先生方の

    「本当にやりたいこと」

    がやれるように、そのための時間が生まれるように、つい肩代わりをしようか、という気持ちも出てくるし、時々そうもしているつもりなんだけど、それがあまり効果があるようにも思えない。


     環境を全部整えて「あげる」ことは、そりゃあできなくて、第一、それは持続しない。

    「本当になりたいことは何?」

    「どうしたらできそう?」

    なんて問いを発しながら、その都度その都度の最適解をみんなで探るように、していきたいんだよなあ。

     「忙しい」から「とにかくこなす」「効率的に!」になりがちだけど、そうなっちゃうと「灰色の男たち」の思うつぼ、かなって思う。

     モモになって

    「ちょっとまてよ?」

    と考えるようにしたいなあ、そんな投げかけを、職場でしたいなあ。

     急がば回れ


     できるかな、やりたいなー。

     どうしたらいいかなあ…。


     また「モモ」読むかあ…。

    2019-04-14

    異年齢集団

    09:23

     うちの学校は、極小規模なんで、異年齢集団が当たり前。

     だから新1年生も、入学式翌日から「正式に」2~6年生の集団の中に、ぽんって入ることになる。

     これが結構いいみたい。

     2~6年生はもう、経験の中から

    「どうすると、みんながちょうどいい感じで過ごせるか」

    を体感しているから、まあ、そこでの過ごし方の「ルール」みたいなものがあるから、新1年生がきて「ルール無視」(笑)みたいなことが起こっても、その中で、吸収してくれる感があります。


    「なんだか、〇〇君たち(2年生)、急にお兄ちゃんになったみたいで~笑」

    と担任の先生。


     昨年、1年生の頃はかなり元気だった2年生。彼らも上級生に包まれて、その中で1年間「やんちゃ君」を十分やらせてもらっていたわけで。

     その彼らが、新1年生に「ご指導」しているのが、なかなか面白い!


     確か内田樹さんの本の中で

    「もう始まっているゲームの中に、ぽんと放り込まれるた新しいプレイヤーはプレーしながら、プレーに流されながら『ここではいったいどういうルールでこのゲームが行われているのか?』を感知するアンテナを働かせる」みたいな(たしか)記述があったように記憶している。

           

     もともとのプレイヤーは、今までの心地いい生活を保持するためのシステムの保全のために、「新入り」に関わる。「新入り」はここで心地よく過ごすためにはどうしたらいいかを、サポートを受けながらだんだん会得していく、そんな感じ。きっとそこに、双方向のコミュニケーションって成立しやすくなるんだろうと思う。


     ときどき「やらかし」ながら、その都度コミュニケーションを図り、だんだんルールを会得していく、そんな緩やかなスパン。その緩やかなスパンが許されるのは、以前からそのゲームに参加し経験を積んでいるプレイヤーが圧倒的に多数で多様だから。



     つまり異年齢集団であるから。

     


     特定の誰かが「新入り」を集めて「教える」ではなくて、集団の中に放り込まれた「新入り」が、自分でアンテナを働かせルールを自ら身に付ける、困ったら必要に応じてサポートしてもらうが当然、なぜならみんなそういうプロセスを踏んできたから、そういう雰囲気。


     昨年の「やんちゃ君」だった2年生は、自分たちがしてもらったように、今度は自分がする、そういうことなんだろうなって思う。







     

     

    2019-04-13

    「結局、一人一人が自分がなりたい理想の先生像に向かってチャレンジしていくこと、それをお互いに支え合うこと」

    11:11

     

     生活総合カリキュラムマネジメントミーティング(第1回)

     学校教育目標「自ら考え、共に歩み、未来を拓く子どもの育成」を掲げ、「地域共にある学校」を目指し、「自分を元気に、みんなを元気に、まちを元気に!」をキャッチフレーズにするOGATSU COMPANY活動「生活科・総合的な学習」とつなげている本校。

     学校教育目標に向けての活動は「生活科・総合的な学習」と特別活動と道徳科、それを下支えする各教科全部を緩やかに一体化させるのが、結果、開校以来みんなでやってきたこと。

     昨年度は、まずは小中教員で「学校教育目標」について語り合うワークショップの開催。それぞれのイメージを出し合い共有する場になりました。

       

     今年度は、その都度立ち戻ったりイメージを深化拡充しようとできるように学校教育目標ワークショップを年間3回実施できるように計画しました。

     そして、さらに新学習指導要領の本格実施に向けて、年5回の「生活総合カリキュラムマネジメントミーティング」を今年度実施することに。

     

     昨日は第1回目。

     会議が増える、は多くの場合、マイナスイメージ。ホワイトボード・ミーティング®その他でかなり対話的な会議をしている本校でも、「会議」は多いより少ない方がいい。

     だからこそ、やってよかった、と言う会議にしていきたい。

     学習指導要領改訂の意味、それに伴う学力の見方とらえ方の再構築、そこからの授業の転換、その他みんなで考えていかないといけないことは山積みです。

     学校を子どもたちにとっても、保護者にとっても、教職員、地域にとってもよりよくするには、みんなで理想を掲げ共有し、みんなで一緒に、それも「楽しく」やっていかないとできない。

     

     「みんなで楽しく」

     それは、お互いが良好なコミュニケーションのもと、それぞれがそれぞれの強みを活かしながら、共に成長実感を感じ前に進む、そんな場と体験・経験の蓄積が必要。競争じゃなくて。それぞれの強みを活かし合う場、その継続、うまくいかないことがあったら

    「じゃあ、どうする?」

    と話し合える場。それができる文化。


     すぐにはできませんが、その気になればできそう。


     学校教育目標ワークショップが理想を確かめ合う場であれば、生活総合カリキュラムマネジメントミーティングは、実現に向けての具体をみんなでアイデアを出し合い、学び合いう場。お互いの実践を定期的に振り返り、次の自分たちのチャレンジを決めていく、そんな私たち自身の「生活・総合的な学習」のサイクル、結節点。

     第1回は、

    〇学校教育目標で目指すことと校内研究はほぼ「同じ」こと

    〇学校教育目標で目指すことと生活総合×特別活動×道徳はほぼ「同じ」こと

    〇それぞれの教科領域・活動の年間における位置付けを概観し、全体像を把握すること

     をみんなで行いました。

     

     その上で、まずは学習指導要領解説国語編と教科書で

    「生活科や総合と、国語の学習、どこでどう関連付けていく?」

    なんて話し合い。

     若い先生もベテランの先生も一緒に、もちろん担当学年を越えてアイデア交換。こういう時間が楽しい。昨年度のエピソードなども交えながら笑いながらできます。

     今回は限られた時間だから、十分といえるところまではできなかったかもしれないけれど、それでまずは十分。

     最初のきっかえさえあれば、あとはみんなで進めることができるし、誰かが誰かにチャレンジに対して必ずプラスのフィードバックをしていくから。



     力のあるベテラン勢とやる気のある若手メンバー。みんなで楽しくやっていく。

     楽しくなるって、どういうことかと言うと

    「結局、一人一人が自分がなりたい理想の先生像に向かってチャレンジしていくこと、それをお互いに支え合うこと」

    なんだな。

     

     本当はものすごくシンプルなことなんだ。

     おもしろくなってきそう、おもしろくしよう(^^)

    2019-04-12

    視座を揃える、揃えていく

    06:23

     今年度最初の研究推進委員会。


     だんだんとお互いの意見がでてくる。

     そのタイミングで、ちょっと立って、ホワイトボードに可視化していく。

     

     プリントを見ていて、なんとなく分かった気がしていたことも、話し始めてみると、その捉えつまりイメージって違うことが分かる。

     

     ホワイトボード上に可視化されることで、違いや共通点も見えてくる。

     

     だからどんどん話が出てくるし、それにまつわるエピソードも聴き合うこともできる。

     「なるほど、そういうことか」

    「でもさー」

    も出やすい。

     

    「学力」とか「評価」とか「主体的」とか、分かるようで分からないこと(それぞれのイメージが全然違うこと)って実は多いんだけど、

    (あ、みんなそう思っているのね)

    と分かることが実は大きかったり。


     そんなやりとりを続けていくと、だんだんとお互いのイメージが刷り合わさっていく感覚になれる。

     視座がだんだん揃ってくる、というか。


     こういう時間がとっても楽しい。


    違っていて当たり前、それでもいいから、それで当然だから、でも一緒に進んでいこうって意思確認がそこでできることが本当に大切って思っている。

     ほら、子どもたちに僕らが言ってることと同じなんだよね。大人がそれを体現する。

    2019-04-07

    意味が分かり、イメージを高める

    09:22

    http://ogatsu-flowerstory.com/volunteer/


     「大津波警報10mの意味と津波のイメージ」

          

           

          

     5月に行われる学校の防災ワークショップ、その打ち合わせでここに。

     子どもたちや保護者、地域の方々と一緒に見たり考えたり話し合ったりするプログラムで使う予定のプレゼンテーションを見ながら思ったことは

    (もっともっと自分が学ばないとなあ)

    ということ。

     

     足りない。


     雄勝は(雄勝だけではないですが)「想定外」の津波で大きな被害を受けました。

     「想定外」って「想定」があって、その「外」であって。

     じゃ、どこまで想定できているか、っていうのが知識だったり、その知識をもとにしたイメージだったりします。


     例えば「大津波警報10m」の意味が分かり、そのイメージを持てているかということ。

     言われて見れば、当然のことですが、どこでも10mの津波が来るわけではなくて、その地形や周りの構造物の影響でそれが場合によっては部分的に20mになったり、5mになったりすることもある、ということ。それに、海の方からだけ、来るわけでもないということ。


     ただ、いざというときに「10mの津波警報」と聞いたら、

    「10m以上のところに」

    と考えてしまいそうだな、と思います。海の方ばかりに注意を向けそうです。

     雄勝ではなくて、都会だったらどうか、その場がどういう場所か、ビルなのか地下街なのかによっても対応は異なってくるでしょう。

     

     言われて見れば「当たり前」かもしれませんが、そのイメージを具体的に持てているかってことなんだと。もちろん津波を体験したこともなく見たこともない場合にはそれは難しいことかもしれません。しかし、自分や自分たちの命を守る、という点について考えるとその過去の経験を未来に活かす必要があります。


     5月に行われるワークショップ、小1~中3、そして大人も一緒の学びの場にする予定です。

     低学年には難しい、と思う内容もありますが、その場に上級生や大人と一緒にいて一緒に見る、考えることが大事かな、と思います。その場にいる方々が小さい子にも伝わるようにサイドワークをするってこと。


     「意味が分かり、イメージをもつ」

    これって、全ての学習に通じることであり、それが最終的に自分や自分たちの「命を守る」ことにつながります。

     

     これは究極の「自分事」です。

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    2019-04-05

    学校教育目標ワークショップ

    06:35

     学校教育目標ワークショップ。

     これを実施するよいになって2年目。

    メンバーも新しいくなった職員室。

     始めて出会い、これから一緒に仕事をしていく仲間、チームメイト。

     だからこそ、どこに向けて僕たちは進んでいきたいのか、そんなことをなるべくリラックスした雰囲気の中でおしゃべりし、自分や自分たちのチャレンジを、ちょっと言葉にしてみる。


     笑い声もでたり、じっと黙って考えたり。聴き合ったり。

    出会って数日のメンバーと話すにはちょっとハードルが高めのテーマだけど、今までの経験者が上手にリードしてくれるので、だんだん場が和んでくるのを感じることができます。

     表情や声のトーン、体や頭の寄せ具合。


     そんな4月の職員室スタート。


     クラスのスタート時と、プロセスは重なります。

    2019-04-02

    リスタート

    01:23

    校歌の3番。

             

    時の苦難 先人の

     

    山に港に こだまする

      

    三陸の波 超えてもなお 

     

    この地の恵み 畏敬の心

     

    忘れず歩め 集いし友と 

      

    心身ともに 研鑽の道 

      

    この学び舎で 誓い合おう

      

    雄勝の風 吹かせると

        



     3番の歌詞が好きです。





     新年度が始まりました。新しく赴任された校長先生から職員会議の原稿を預かりました。その中で最初に書かれていたのが、この校歌の3番の歌詞。

      

     「雄勝の風を吹かせる」

     ふるさとを愛し、誇りに思い、ふるさとの未来をつくる力になる。そういうことだなあ、と思います。

        

    この「ふるさと」の広がりは、本当にいろいろ。



     前年度までの校長先生も、きっとこの校歌の3番が好きだったはずです。はっきりと聞いたことはありませんが、きっとそうであるはずです。

     年度当初の最初がこの「校歌の3番」からスタートします。



    「校長は替わりましたが、目指すところを継続させていく」

    開校からの2年間の上に、その継続の中で、積み上げていきましょう、ということだと思いました。


     新し赴任された校長先生のこの第一声を、大事にする1年間がスタートします。そしてその1年間は、まったく新しいことを始めるわけでなく、これまでの上に、再び積み重ねていくということでもあることを、子どもたち、職員、そして学校に関わる多くの方々と確かめ合いながら進む1年にしていくということだと考えています。

     リスタート。