次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2018-11-04

    教育と幸せ

    11:18

    ■みやぎ教育の集い 振り返り1

    【講演 日本の教育はどこへ向かっているのか】https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E8%A3%95/1470/5

     講師は鈴木大裕氏。このタイミングで出会えてよかった方。

     午前中の,「生活・総合的な学習分科会」での仲間との話にもすごくつながる内容で,考えさせられること,たくさん。

     「市場化する教育と子どもの幸せを考える」

    「教育」と「幸せ」の関係。

     幸せってそもそも何?って話。そもそもすごくパーソナルなもののはず。

    ○○さんにとっての幸せ,□□さんにとっての幸せ。

     違っていて当たり前。違うのが当たり前。

    そもそも,そう。

      

     「数値化は距離テクノロジー

    近くにいなくても,側にいなくても,見ていなくても,一定の「判断」は一律にできる。その効用もあるだろうし,それが必要ない,なんてことも言わない。

       

    でもね。そればかりではね。それが「第一」でもね。

     そうだな,それが一番大事だ,とか

    「結果を出せ」なんて言葉が,つまり「数字だけ」なんだったりすること,そんなニュアンスをその物言いだったり,態度だったりから感じることに

    「ん?」

    って思うんだな。


    アセスメント(assessment=“評価”)という単語のラテン語の語源は、「そばに座る」という意味」

    幸せや成長を願うのであれば,それはそうだよね。「数値化」とは,反対に「距離」を埋める作業。精神的,物理的,いろいろと。そして,距離が埋まれば,顔が見える存在になる。

     そう,「顔が見える関係」。顔が見えると,そこにエピソードあり。

    そっか,だから「エピソードの共有:が必要ってこと。

      

     「自分の,自分たちの幸せって何だろう?どんなことだろう?」って当事者が自分で考える,考えて「自分で決めていい」ってこと。当たり前だけど,以外と当たり前じゃないことになっているかな,って感じる。

      

     「幸せ」の価値観。「今日は何を食べようかな」って自分で決めるような小さなことから,将来の夢みたいな大きなことまで含めたそれ。「自分らしく生きる」ってことは,「自己選択と自己決定」が尊重されるってこと。

     好き勝手とは違って。

     

     多様性が担保されているてっことかな。同時,一律,管理,統制じゃなくて。

    「多様」だから,不都合,不安,不安定が生じることもあるよね。それ,当たり前。

    でも「多様」ならそれを吸収することができる。バランスを取る。そこに対話コミュニケーション

     

     それがあれば,不安は次へのチャンスや成長に返ることができる。だって乗り越えて前に行けるんだからね。それを乗り越えるだけの「心の体力」がないと,ついつい,従うこと,流れに乗ることで「安心」を得ようとする。その気持ちも分かる。

     だから,なんだな。


     考えてみれば「数値化」するとコミュニケーションが必要なくなるもんね。

    「数字を見ろ」

    ですんじゃう。時にそれはイコール「結果を出せ」と同義になっていたりすることもある。

     

    「あなたが出せ,という数字は,本当に適切な尺度なのか?」と問うくらいの意志を働かせないといけないな。

    だから学ばないと。学び続けないと,自分で判断することすらできなくなる。

     

     「学ぶことは生きること」

     まさにまさにだな。

     学校や教室でどうするか,そこから何をどう発信していくのか,それをどう「みんなと楽しく」やっていくのか。

     その都度起こる,不安や不安定をどうやって乗り越えて,

    「やったね!」

    「さ,次,いこー!」

    というプロセスにしていくのか。

     そんなこと。

     ミヒャエル・エンデの「モモ」を本気で読まないといけないな,もう一度。