次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2018-11-29

    ■モモ

    06:23

     読み直したいな,読み直さないとな,と思って最近読んでいる。

     「ん…」

     と感じたところに付箋を貼りながら。

     最初に付箋を貼ろうと思ったのは,以下のところ。

     

    「ここにくる子どもの数は増える一方でした。ほんとうなら,モモはこのことを喜んでいいはずでした。ところが,この子たちのほとんどは,まるっきり遊ぶということものできない子なのです。おもしろくもないといった顔でたいくつそうにすわったまま,モモやその友だちを眺めているばかりでした。ときにはわざとじゃまをして,遊びをだいなしにしてしまうこともあります。けんかや仲違いもいまではめずらしくなくなりました。ただ,そういう,おとがいつまでも続いたわけではありません。モモがいることは,この子たちにもいい影響をおよぼしたのです。」

                  

                                      

     モモのなかに出てくる言葉やシーンは,今また読み返すと,

    (ああ…)

    と思う部分があたくさんある。

                                      

    「灰色の男たちは

    『子どもというのは,われわれの天敵だ。子どもさえいなければ,人間どもはとうにわれわれの手中に完全に落ちているはずだ。子どもに時間を節約させるのは,他の人間の場合よりはるかにむずかしい。』」

     ここも。

     灰色の男たち

     変わっていく大人たち(そう,変わっていく,なんだな)

     子どもたち

     モモ

     ジジとベッポ

     …


     ストーリーとして見る。

     

     今の世の中,身の周りに起きるいろんなことと照らし合わせながら読んでいる。

    2018-11-28

    緩やかなスタートもいいもんだ

    07:59

    各学級で朝の会が始まる前,学校で言うところの業前,週に何回か「全校朝学習」という時間をつくっています。担当は私。時間は15分間。


     昨年度は,1~6年生が集まってドリルをしたりプリントをしたりしていたんですが,時間も短いしどうも中途半端になってしまいがちでした。

     そこで今年は,異学年通し,お互いのコミュニケーション量をさらに増やそう,という方針でやっています。異学年で関わりながら学んだり活動したりすることが多い学校ですから,そのベースを地道につくろう,と考えて。

      

     この時間は子どもたちにとっての朝のチェックイン。

     ペアコミュニケーションをしたり,軽くみんなで遊んだり。

     異学年メンバーで,一緒におしゃべりしたりお互いに楽しく遊ぶ,というのも立派な学びだなあ,と見ていて思います。

     メンバーや状況に合わせたルールを柔軟に決めたり,お互いの思いを聴き合ったり。

         

          

     

     我慢しすぎても,しなさすぎてもうまく遊べません。ちょうどいい折り合いをつける,そんな感覚を子どもたちは遊びを通しても身に付けていきます。

           

     昨日は,カルタ遊び。ネームプレートのくじでグループを決めたら自然と始まります。もちろん異学年グループですから,1年生がことわざカルタをしていたり,6年生がウルトラマンカルタをしていたりもします。

     

     なんか楽しい。

        

          

    「じゃ,そろそろ時間ですね~。後始末お願いしますねー。」

    「1時間目がんばってね~」

     後始末を終え,子どもたちは各学級に戻っていきます。

     朝にゆったりとコミュニケーションをとってから,1時間目。

     

     大人にとっても,子どもにとっても緩やかな一日がスタートできたらいいなって思います。

    2018-11-26

    学校はみんなで創っている、当たり前だけど

    08:49

    昨日は「こどもげいじゅつのむら 5周年記念展」に雄勝小学校の「総合的な学習」における仮想会社“OGATSU COMPANY”が「ほってぇ皿制作ワークショップ」開催のため、「出張」。

    (どのくらい人ってくるのかなあ?)

    と、あまり分からず行ってみたら!

    なんと開催前から、親子連れの行列!!わお!

    companyの面々は4〜6年生の10人。これはもう、引率職員も「臨時社員」としてバイトしないといけません笑。

    てんやわんやの中で、子どもも大人も

    「はーい、こちらへどつぞー(^-^)」

    「お待たせしましたー」

    「あ、ここはこんな風にやるといいですよ(^-^)」

    などなど。子どもも大人もそれぞれが臨機応変に動かないとさばけません。参加者の方々も一緒に手伝ってくださったり。そ


    普段少人数の中で過ごしている子どもたちなので、仙台での大勢の中で話したり活動したりできるかなあ?と心配する向きもありましたが、恥ずかしがっている暇もありませんでした。笑

    忙しくてんやわんや。でも、なんかそれが楽しい、そんな空気感。



    なんとか100人の制作をサポートした後、こどもげいじゅつのむらのスタッフから私たちにこのような言葉をいただきました。

    「いやあ、子どもたちと先生方の力を感じました。あの中で、皆さんがそれぞれの判断のもと、必要なことをしてくださる、そんな姿から子どもたち、先生たちのチームワークを感じました。」(たしか、こんな感じσ^_^;)

    何より、うれしい言葉です。


    学校はみんなで創っている。「〜ている」なんだな。

    実は、どこでもしていること。当たり前のように。特別なことじゃなくて。



    先日の『学び合い』ミニフォーラムでも触れたけれど、学校教育目標を、本当に求めてみんなで日々対話をしながらトライアンドエラーを繰り返していくことが、学校を創るということ。ここまででいいっていうゴールはない。

    それは難しいことでは、実はなくて。「どうだといいかな?」ってみんなで話せばいい、それだけ。


    学校として取り組むことは、たったひとつだけで、「学校教育目標の具現化」。このイメージをいかにメンバーで豊かにイメージし、じっさいの毎日と照らし合わせながらバージョンアップしていくかってこと。


    日常のおしゃべりで、オフィシャルな会議の中で、ドキュメンテーションとしての学校フェイスブックを通して…。目指すことと今やっていることを照らし合わせながら、ギャップを埋めていこうとする毎日。



    それが「みんなで学校を創っている」ことだなあ。

    みんなが持ち味を出しやすいようにプロセスを組むこと、みんながしていること、それを可視化するのが、教務主任としての私の役割。


    扇の要を校長先生がしっかり握っていてくださることがとても大きいし、そのもとで、それぞれがチャレンジし対話しながらバランスを取りつつ、かつまえに進む。

    良い意味での「自転車操業」

    前を見て、こぐ。近くを見すぎるとバランス崩すから目線を先にしてこぐ。

    今回のほってぇ皿ワークショップと同じ笑。あ、今回はワークショップをなんとかする、だから目線は近い、か?!笑


    学校はみんなで創っている、そういうことをみんなが確かめ合うこと、合えること。

    今回のてんやわんやの、でも楽しい仙台でのワークショプは、まさに日常の可視化、たったなあ笑

    2018-11-21

    子どもの権利条約

    06:40

     「子どもの権利条約ってなあに?『おとな交流会』」にお誘いを受けて参加。

     思えば2015年の「子どもの権利条約フォーラムin石巻」が,私にとっては今につながる大きなターニングポイントになっているなあ,と思います。

     学校を中心としたところから,大きく範囲を広げて考えられるように,また行動できるようになったのは,ここに参加したから。ここで出会った方々に影響を受けたから。

     

     子どもの意見を聴くこと=子ども参加

     子どもの意見を聴き,その意見が反映されること

                  

                   

     それはお互いの権利を尊重し合うってこと。

     お互いにその思いや考え,立場や状況を尊重しあうこと,折り合い。



     大人で言えば

     職員の意見を聴くこと=職員参加

     子どもの意見を聴き,その意見が反映されること

     とも同じ。

                 

                     

                      

     

     最近考えることから,エンデの「モモ」を読み始めた。

     さっそくこんな一文が。

    「小さなモモにできたこと。それはほかでもありません,あいての話を聞くことでした。」

     

     やっぱりな,と思いました。

    https://www.unicef.or.jp/crc/

    2018-11-20

    デザイン,アート

    06:24

     先日,建築関係がご専門の方とおしゃべり。

     その方は,アート,についてもたくさんの関わりをお持ちなので,聞いてみました。

    デザインとアート,について。

    組織とアート,まちづくりとアートってかなり関係が深いんじゃないか,って思いを確かにしてきていたし,なんとなく気になっていることだったので。

     いろんな方の見方を聞いてみたくて。


    「簡単に言うとデザインは編集,アートは感性や直感かなあ,ってボクは思っています。」

    とのこと。ふむふむ。

              

    「というと?」

    「デザインは理性,ともいえるでしょうか。編集は関係づけていくことでもあるから。」

    「理性だけでも面白くないし,感性だけでもうまくいかないこともある笑。ぼくの仕事はそこのバランスをとることかなあ」

     なるほど,です。

     理性と感性のバランス。どちらかだけでもうまくない(ときもある)。

      

     組織もそうだなあ,って思います。

    例えば教室,学校。理性的な人ばかりでもつまらないし,感性だけでいかれてもそれはそれで(笑)。職員室もそうだなあ。理性的な人ばかりだとなんか面白くなかったり,感性だけでばんばん進まれると,常に何が起こるか分からなかったり不安定(笑)

      

     やっぱりバランスだなあ。

      

     デザインの人,アートの人。

     個人の中にもデザインな部分とアートな部分ってあるし組織でもそう。その割合っていうか出し方の比率ってやぱりその場その時の状況・環境によって,それぞれでバランスをとった結果,とも言えそう。

     みんなが居心地良くそこそこ気持ちよくいられるように,それが継続するように個人でバランスをとれる,組織でバランスをとれる,そういうことが大事なんだな。

     それぞれがバランスをとれる,とっていいってこと。

     「まちづくり」とアートがけっこう結びついているのはつまりそういうことだなあ。土の人,とか,風の人,とかっていうのもつまりそういうことじゃないのかな。


     バランスを整える,プログラムデザインする…。

     やっぱりファシリテーションじゃないか。

    2018-11-18

    なんのために

    06:46

    自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

    自分の仕事をつくる (ちくま文庫)

     あるパンやさんの話。

    「以前,ある講座のようなところで話す機会があったときに,自分の目的はなんだろうってあらためて考えてみたんです。すると,パンそのものが目的ではないな,という気持ちが浮かんできた。目的というと大げさですが,みんながこう幸せにとか,気持ちよくとか,平和的にっていうんでしょうか。そんな気持ちが伝わっていけばいいかなって思うんです。

     パンは手段であって,気持ちよさだとかやすらぎだとか,平和的なことを売っていく。売っていくというか,パンを通じていろんなつながりを持ちたいというのが,基本にあるんだと思います。」(ルヴァン・甲田幹夫 氏)



     あらゆる仕事の根っこはきっとここなんだろうなって思う。

    イチローの目的は「野球」じゃなくて。

    ラーメンやさんの目的も「ラーメン」じゃなくて。

     「学力」って言われるものだって,ここにつながらなくては意味が無いでしょ。

     気持ちよさ

     やすらぎ

     平和的なこと

     そこに向かうための手段。


     雄勝小学校は「総合的な学習の時間」で,ホタテの貝殻を模した皿を作っています。粘土や釉薬には雄勝石の粉末を混ぜています。こども芸術の村や地元三輪田窯のご協力も得ながら,今度「せんだいメディアテーク」や「道の駅 上品の郷」で販売会を行います。


     そこまでのプロセスの中に

    「ところで,なんでほってぇ皿って作ってるんだっけ?」

    という問い。

       

    「なんでだっけ?」

    「雄勝のことをもっと知ってもらいたいから」

    「震災などもあって雄勝に人がいなくなってしまって雄勝にもっと人が来て欲しい。」

    「地域の人とも一緒につくったほってぇ皿をつかって欲しい」




     何のためにやってるんだっけ?

     そんなことをときどきみんなであれこれ話すのは,いいな。

     でないと,時に忘れてしまうこともあるから。

    f:id:motoryou:20181110154520j:image



     

    2018-11-15

    向き合うこと

    06:33

    「気になることがあるんだよなあ,」

    と言われます。

     その事情を聴いた上で,

    「じゃあ,直接伝えてみたら?そのほうがいいんじゃない?」

    と伝えました。

      

    「でも,相手が気分を悪くするかもしれないし。」

    「相手を怒らせてしまうかも知れないし…」

    「相手に悪気はないんだろうし,相手にもきっと事情があるんだろうし…」

     それだけ分かっているのなら,伝えられるんじゃないの?と思います。



     よくあることだと思います。

     よくあること。

     

     相手を非難するつもりじゃないんだったら,うまく伝えられるはず。なんとかしたいんだ,と本当に思うのなら何度でも,やり方を変えてでもちゃんと伝える場を持つしかないかな,と思います。もちろん,直接伝えられない場合や関係性もあることは否定しません。だから,必ずそうすべき,とも思いません。

     

     でも,言えない,伝えられない,でずっと我慢をし続けるのはどうなんだろう?それって自分で距離をつくっていることになるんじゃないかなあ,結局相手のせいにしているってことにならないのかなあ…,ともんもんと考えていました。


     そんな話をしていたら,こんなアドバイスをもらいました。



    「正式に投げかけたら?」

    「ケンカしたいわけじゃないんでしょ?」

    「それが『関係を創る』ってことだと私は思う。」

    と。

     



    「正式に投げかける」

    つまりオフィシャルな場とか,ちゃんと向かい合うとか。

    そうすることは,つまり,その場やそこにいる相手への信頼。

    そんな風に感じました。

     信頼関係を築きたい,と思うのならやはり逃げずにちゃんと向き合うしかないんだな,と思いました。

     ちゃんと向き合う,ってことは相手が受け止めてくれる,という信頼があってこそ。受け止めてほしい,と思うからこそ。

    「どうせ…」

    と思う前に(ex.きっけんかになる,とか,気分を悪くする,とか)まずはこちらが,相手を信頼して向き合うこと,だな。


     相手が怒ったり,気分を悪くしたとしたら,自分の伝え方,もっと言えば性根が悪かったってこと。そういうことだな。

    そう思ったほうがいいな。


     前に進める,そのほうが。相手に責任を押しつけると行き止まりだよなあ。f:id:motoryou:20181114094914j:image

    2018-11-12

    僕らはエピソードでできている

    21:44

    放課後の(いや、正しくは夜の職員室)でのおしゃべりから。

    結局は、どんなエピソードを蓄えるか、そして誰と、どんなふうに共有していくか、なんだなあと。

    エピソードは、「事実」と「関係性」と「感情、意見」で構成される、のはホワイトボード・ミーティング®︎にチャレンジ中の本校であれば共通言語になりつつある。

    実は、このエピソードの共有っていうのが本当に肝だと感じることが多い。

    事実、関係性、感情。これをちゃんと共有し分かち合う。それこそ「学び」そのものなんじゃなかろうか?

    生きることは、エピソードを積み上げることなり。人生はエピソードそのもの。それを多くの他者と、わかり合えたらうれしい誰かと共有できたら、それはうれしい。

    テストの点数を上げる?

    いいでしょう。

    それが大切なら、そのプロセスも大切なエピソード。

    それを共有すればよろしい。

    そう、感情、気持ち、までね。

    エピソード抜きの「点数」「数値」なんていらないな〜。

    だって、結局、そこに自分も自分たちもいないから。

    顔の見える関係、顔の見える距離。それが一番大事。それがあって顔の見えない世界も大事にしたいな、があればいい。顔の見える「全部」を大事にすることで顔の見えないところにも思いは広がるよ、きっと。

    僕らは僕らの学力観を作れば、でも一方で甘えもなく客観性も保ちながら、目の前の子どもたちに何が必要なのか共に常に話しながら。

    目の前の子どもたちを、共に愛する仲間として一緒に前に進めばいいんだってことを確かめあえたような、そんな気がするうれしい職員室での対話。


    うわ、ぞくぞくする〜。


    僕らは、エピソードでできているんだ。

    2018-11-11

    ■「観察者」から「関与者」へ、かな?

    07:49

     多くのゲストお迎えし,賑わったOGATSU COMPANY まつり。

     立て続けに行事や研究会があったりで,実は「忙しい」2学期。


    「25日に仙台での『ほってぇ皿制作体験ワークショプ』があるのに…。そこに向けての準備をしないといけないのに…」

    「16日に地域の授業研究会での授業提供があるのに…」

     そんな中だから,実際、カンパニーまつりをしないという選択の方が

    ある面「ふつう」だったかも。


    「忙しくなる」から。

     でも,

    「地域の方々と楽しい時間を過ごしたいなあ」

    「おまつりしたいなあ!」

    「地域の方々やお世話になった方々に感謝の気持ちを伝えたいなあ」

    という子どもたちアイデアをなんとか形にしたい,と思った職員チームだったんだなあ。



    「ほってぇ皿」を中心にした2学期の「総合:ふるさと雄勝を見つめよう」の活動の中で、今回のカンパニー祭りは、スピンオフみたいなもの、とも捉えられるけど、やってみてそれは大きな間違いだと気付きました。

    それどころか、本道。


    「ほってぇ皿」そのものがゴールではなくて,それはあくまでモチーフ。象徴。

    「ほってぇ皿」に何を「のせる」かといえば、みんなの思い。ふるさと雄勝への思い。

    思いとは何か?

    思い出。一人一人のこの地でのエピソード。

    ふるさと雄勝の「ひと、もの、こと」との思い出。

          

    それとの関係性,距離を縮めていく中で、

    「ふるさと」との実感を自らつくっていく、そんな感じ。

    「ほってぇ皿」を「ホタテの形をした皿」と捉えるか、そこに自分や自分たちの思い出がのるか、投影できるか,それは大きな大きな違い。


     雄勝カンパニーまつりで、今まで様々な活動を通して関わってくれた大人たちと、今までの「学習活動」とまた違う「遊び」を通して、学びも遊びもごっちゃになっていく。今回の「遊び」も「なんだ、学習だ」と変わる。

    多分そう。

                    

                        

     一見、大きな寄り道をしたようだけと

    実は直球で進んだ、という気分(当社比笑)

    「状況に関わり持たない〈観察者〉から、主体的に現場に介入していく〈関与者〉へと、立場を変える」(「ワークショップをとらえなおす」加藤文俊)

    自分たちも、この「地域」を構成している一員であること、そしてこんなにも人々を喜ばせられる、影響を与えることができるんだ、と実感すること、できたこと。


    それが彼等の最後のハイタッチでのお見送りと、自分たち同士でのそれになったんじゃないのかな…。

    「次はいつやるの?」

    って子どもたちに聞いてくれた方々に

    「ありがとうございます!」

    と伝えたい。


     確かに忙しかったけど,楽しかったなあ。

    多分,みんなもそう。




     ここから,また次へ。

    そういう位置づけでの、「せんだいメディアテークほってぇ皿製作ワークショップ」

    おお!

    面白い!

    f:id:motoryou:20181110154519j:image

    2018-11-10

    「余計なお世話」でした(^^;)

    10:47

     COMPANYまつりふり返り。ホワイトボード・ミーティング®定例進捗会議のフレームで。

     ききながら書くスキルも,個人個人で差があります。(4~6年合同ということもあり当然のこと)

        

    「ふり返りそのものを重視したいから,各グループに教員が入って,ファシリテーター役をしますかね,今回は。」

    と私たちの中では打ち合わせていました。

     丁寧にふり返り,次の活動(せんだいメディアテークでの「ほってぇ皿制作体験ワークショップ」)につなげていきたい,という気持ちもあったので。

     だから,

    「では,グループごとにふり返りをしましょう。」

    という声と共に,私たち教師チームが各グループに入ろうとしたら…。

     さっと各グループの高学年がペンをもち,ホワイトボードの前にすくっと立って

    「じゃ,はじめるよ~」

    と。

               


     あら…。



     教師数人で目を合わせて

    (どうする?)

    のサイン交換。

    (このままいこ!この流れを大事にしよう!)

    というメッセージを目と小声のやりとりで交換。


     こういう瞬間が本当にしびれるなあ(^^)。


     一人ひとり技量は違います。特別な支援が必要な子もいます。

     それでも,高学年がその子のペースに合わせてゆっくり言葉を吟味して話してきれます。字を大きく書きすぎてスペースがなくなってくれば,書くスペースをそっと広げてくれる友達もいます。

     そんな様子を見ながら,目配せしてにっこりしたり,

    (○くんってほんと優しいんだよねえ~)

    と小さな声でやりとりしながら見守ったり。


                      

     そうだな,僕らはこういう「学力」も大事にしたいし,忘れないでいたいんだ。

     ばりばり話し合う,バリバリ書く,がんがん進む。それも大事。

    でも,寄り添う,包みこむ,そんな「学力」もある。大事。

     どちらかじゃなくて,「両方」どっちもなんだな。

     というか,それは一緒になり得るし,そもそも一緒なんだよね。

              

                  

     じっくりふり返り,しるらないカードでも話し,聴き合ったあとだから,最後の「書く」時間には,どの子も集中。

    「制限時間は5分だけね!」

    と伝え,そのあとは

    かつかつ,

    と鉛筆の音だけが響く時間になりました。2枚目にいく子も。先輩の頑張りに後に続こうとする後輩も。

           

                   

     教師が余計なことをしないでよかったね,という話。

    そして,「よかれと思ったことが実は余計だったね。}

    と確認し合えた時間が,私たちにとって本当に貴重でした。

     

     COMPANYまつりを一つの節目にして

    ぐいっと前に進んだ(自信を深めた)

    彼らの姿に

    (うれしいね~)

    と喜びあえる仲間たち,それも嬉しい。

    2018-11-08

    遊びは学び,学びは遊び

    06:50

     この道にちょっとずつ入ってきたかなあ,と感じるこの間。

     自分も楽しい,みんなも楽しいを考え実現していうプロセスは,総合的な学習になり得るってこと。まさに生活。まつり。ハレの日。

     日常の中に「ハレ」をつくる。お楽しみを目指し,創る,そんなイメージ。

    「いいぇい!」とか「よっしゃ!」とか「やったあ!」とか「うれしい!」とか。

     それが「遊び」であり「学び」。



     あしたはいよいよOGATSU  COMPANY まつり。今まで様々な体験学習や学校のことでお世話になった方々を,一同にお招きして(総勢20人越え!)子どもたちと昼食を共にしたり遊んだりする会。

     目的は,「もっと仲良くなること」「お礼を伝えること」


     

     準備段階で,子どもたちの工夫やら知恵やら,そして夢中に出会えた気がするな。

    (いつのまにこんな準備を…)

    と驚かされたり

    (なに!こんなやり方を考えたのか~)

    とか。

     準備していくうちに,結局あれもおもしろそう,これもいいよねみたいに拡大していって(笑)

    そして,それを

    「忙しいよねえ」

    といながら,結構本気で一緒に子どもと楽しんじゃっている先生たち。

     そして

    「明日,なんだか楽しみだねえ」

    「わくわくする~」

    って言っているのももまたいいな~。

     明日は午前から5,6年生が調理実習でつくったカレーライスとフルーツポンチでお客さん方をおもてなしするってことになっています。

     「調理実習」もリアル版です。

     大きなお祭り,小さなおまつり(お楽しみ)を中心に,各教科がその周りを包み込むみたいな,融合するような,溶け合うような,そんなのが理想。そのイメージに近づくには,どんなマインドをもてばいいのかな,そんなことを考えています。

     そのマインドを持つのは,個人としての自分であったり,教師集団として,であったり,主役の子どもたちであったり。

     一人一人違うけれど,その中で生み出される何か。「文化」

     一人一人みんみんな違うから,自分も職員室のみんなも,子どもたちも,みんなで「どんな学校にしたい?なるといい?」

    ってことをしゃべり合って学び合って,そこに近づいていくことができたらいいな。旗印は学校教育目標だな,と感じています。

    2018-11-06

    イベントじゃなくても

    07:17

     もうすぐ新企画OGATSU COMPANYまつり。

    昨年の開校以来,たくさんの地域の方々やNPO,その他公民館などの方々に子どもたちの体験学習等のサポートをいただいてきました。

     その方々と,もっなかよくなったり感謝を伝えたりするOGATSU COMPANYまつり。地域の方々と一緒にする「お楽しい会」みたいなものになりそう。


     そこで以前子どもたちが祖父母参観でやったことのあるペタンクをしようってことになり。

     でも全員が体験しているわけではないので,

    「じゃ,事前にやってみようか。」

    ってことで相談したら,雄勝社会福祉協議会のTさんとSさんがすぐに対応してくださり講師としてが来てくださいました。

     おまけに近隣の施設から用具も借り集めて。(ありがとうございます!!)

                 

     

     子どもたちとボッチャお試し体験。(屋内てやるのはボッチャ、というらしいです)

     はじめは勝手が分からず苦戦していた子どもたちもすぐに慣れて,わいわいやっています。高学年も低学年も一緒になって本気でやれるし。

     こういうニュースポーツを体育の中でやるの,いいな。そういう時に,地域の方にちょいと声をかけて,「普通の」体育の中に,地域のおじいさんおばあさんが入る,入ってこれる,そんな感じもありだなあ,とリアルに感じられました。


    「声をかけてもらって嬉しいです。」

    とTさん。

    「こうやって学校に来られるのって嬉しいです。また声をかけてくださいね!」

    と。

    「地域のおじいさんたちも,一緒にやる仲間が揃わないこともあって,こういうのやる機会も減ってるんですよ。」

    とのこと。

    (!)

    おお,ますます。


     子どもの人数も少ない,おじいさんたちもメンバーがたくさんは揃わない,では一緒にやればいいってこと。

     それをイベントでなく,普通の日常にすればいいってこと。

     最初に,こうやって一緒にやっておく経験をしておけば,2回目はぐっと気楽にできるはず。


     うんうん。そうだな…。

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    2018-11-04

    教育と幸せ

    11:18

    ■みやぎ教育の集い 振り返り1

    【講演 日本の教育はどこへ向かっているのか】https://shinsho-plus.shueisha.co.jp/interview/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E8%A3%95/1470/5

     講師は鈴木大裕氏。このタイミングで出会えてよかった方。

     午前中の,「生活・総合的な学習分科会」での仲間との話にもすごくつながる内容で,考えさせられること,たくさん。

     「市場化する教育と子どもの幸せを考える」

    「教育」と「幸せ」の関係。

     幸せってそもそも何?って話。そもそもすごくパーソナルなもののはず。

    ○○さんにとっての幸せ,□□さんにとっての幸せ。

     違っていて当たり前。違うのが当たり前。

    そもそも,そう。

      

     「数値化は距離のテクノロジー」

    近くにいなくても,側にいなくても,見ていなくても,一定の「判断」は一律にできる。その効用もあるだろうし,それが必要ない,なんてことも言わない。

       

    でもね。そればかりではね。それが「第一」でもね。

     そうだな,それが一番大事だ,とか

    「結果を出せ」なんて言葉が,つまり「数字だけ」なんだったりすること,そんなニュアンスをその物言いだったり,態度だったりから感じることに

    「ん?」

    って思うんだな。


    「アセスメント(assessment=“評価”)という単語のラテン語の語源は、「そばに座る」という意味」

    幸せや成長を願うのであれば,それはそうだよね。「数値化」とは,反対に「距離」を埋める作業。精神的,物理的,いろいろと。そして,距離が埋まれば,顔が見える存在になる。

     そう,「顔が見える関係」。顔が見えると,そこにエピソードあり。

    そっか,だから「エピソードの共有:が必要ってこと。

      

     「自分の,自分たちの幸せって何だろう?どんなことだろう?」って当事者が自分で考える,考えて「自分で決めていい」ってこと。当たり前だけど,以外と当たり前じゃないことになっているかな,って感じる。

      

     「幸せ」の価値観。「今日は何を食べようかな」って自分で決めるような小さなことから,将来の夢みたいな大きなことまで含めたそれ。「自分らしく生きる」ってことは,「自己選択と自己決定」が尊重されるってこと。

     好き勝手とは違って。

     

     多様性が担保されているてっことかな。同時,一律,管理,統制じゃなくて。

    「多様」だから,不都合,不安,不安定が生じることもあるよね。それ,当たり前。

    でも「多様」ならそれを吸収することができる。バランスを取る。そこに対話,コミュニケーション。

     

     それがあれば,不安は次へのチャンスや成長に返ることができる。だって乗り越えて前に行けるんだからね。それを乗り越えるだけの「心の体力」がないと,ついつい,従うこと,流れに乗ることで「安心」を得ようとする。その気持ちも分かる。

     だから,なんだな。


     考えてみれば「数値化」するとコミュニケーションが必要なくなるもんね。

    「数字を見ろ」

    ですんじゃう。時にそれはイコール「結果を出せ」と同義になっていたりすることもある。

     

    「あなたが出せ,という数字は,本当に適切な尺度なのか?」と問うくらいの意志を働かせないといけないな。

    だから学ばないと。学び続けないと,自分で判断することすらできなくなる。

     

     「学ぶことは生きること」

     まさにまさにだな。

     学校や教室でどうするか,そこから何をどう発信していくのか,それをどう「みんなと楽しく」やっていくのか。

     その都度起こる,不安や不安定をどうやって乗り越えて,

    「やったね!」

    「さ,次,いこー!」

    というプロセスにしていくのか。

     そんなこと。

     ミヒャエル・エンデの「モモ」を本気で読まないといけないな,もう一度。