次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2018-06-29

    分けない,区別しない。超えていく

    05:32

     今回は校内研究の授業提案を私の方で行った。ホワイトボード・ミーティング®を使った異学年国語。その単元を通して,担任の先生方の研修も兼ねたもの。子どもと一緒に参加し練習しながらサイドワークも発揮していただいた。

    体験しながら「授業の中のファシリテーション」を体感するというモノ。

     「授業」×「研修」。

     これってけっこう,良い感じだった。ファシリテーターとサイドワーカーが状況に応じて入れ替わる,そんな状態。大人と子どもが相互に学び合う場。「大人」と「子ども」という区別すら,そこには必要が無いかも知れない。


    「このやり方,面白かったね~」

    と放課後先生たちと話していたら

    「そうだね!。よかったよね~。でもうちだからできるようなことかもね~笑」

    とも。


     まあ,そうかもしれないけれど,うちじゃなくてもできたほうがいいよね,とも感じる。

           

        

     分けない,区別しない。

        

         

     学校教育目標に向かうという観点で言うと,(教師は伴走者という色合いが強いとはいえ)教師と子どもは役割や立場は違えど同じ方向に進むパートナーでもあると思っている。相互にファシリテーターでありサイドワーカー。入れ替わり行き来することがあってもいい。

     教師は学び手のモデルとして,子どもにとっての環境の1つになる,そんな感じ。


     教師は教師で,子どもは子どもだ,という見方もあるとは思う,それも間違いではないだろう。その意識も必要でもある。教師としては「学ぶということに関して前を進むモデルでありたい」という意識,気概は必要。



     でも,「わたしは指導者だ」として,その立場に安住すると,成長も止まる,そんな気もする。「私は子どもだ」も同じ。


     そういう「区別」「役割」「立場」…いろんな境界を超えていけるほうがきっといいと思うんだよね,そこに大きな「学び」ってある気がするんだよね。

    「学ぶ」「成長する」は「変化する」だと思うから。



    「境界を超えていく」そこにコミュニケーションがあるんだと思う,感じる。

    2018-06-28

    冷えた心はエンパワーするしかないんだよね,できる人が

    06:10

     「不穏な行動,言動」は不安から生まれる。そうは見えなくても,そういう時には,心の中に「不安」がある。心の体力が冷えている,ってこと・

     


     そういう時は,「心の体力」が温かい人がエンパワーするしかないんだよね。

    エンパワーできる人が多かったり,その場その場で入れ替わったりすることができたのが,かつてのクラスの子どもたち。

     不安定に見えるけど,安定。綱渡りを危なっかしそうにしているようでちゃんと渡りきる。綱渡り,というチャレンジをちゃんとしていたんだね。抜群の「バランス」


     その場にとどまっていれば,不安定になることも少ないし,ある意味「安全」。でもなかなか前には進めない。


     前に進もうと思うと,向かい風も吹くしバランスも崩すこともある。転んで傷つくこともあるなあ。自転車乗りの練習みたいなもんだな。安定するには,両足でこぎ続けること。まだ整わなかったら,一時的に補助輪を付けることもあり。補助輪は,気が付かないうちに地面に接していないことに気が付くこともあるもんね。


     「今,自転車はどんな感じ?」

    そういうアセスメントができるといいんだな。組織の中にはそれができる人が複数以上いるといい。ああ,あのときのあのクラスみたいに。


     いつもいつもアセスメントしながら,温め続けることもできない,自分が冷えてしまうことだってあるんだよね。

    (自分もエンパワーしてほしい)

    そう感じることも悪くないし,そういうときに愚痴や不満が出てしまってもいいんだ。きっとOK。それぞれにエンパワーしてくれる人がいてくれることは大事。嬉しいこと。

     だから自分もエンパワーできるときは誰かをエンパワーしたい,と感じる。



     リーダーとフォロワー。それがその時々で入れ替わりながらバランスをとる,そんな感じだといいかな。入れ替わる,入れ替われるってこと。



     エンパワーする。それは「ほめる」じゃない。


     「よく見る」「見続ける」その上で行動を起こす。

     きっとここがだなって思う。

     

     自転車をこぎ続けよう!いろんなことも,前に進むからこそ起こるもの。




    そういえばある方は

    「困りごとは,前に進もうとする人にしか起こらないから。」

    と言っていた。そうそう。「困らない」ことが困ったことかもねー。


     


     

    2018-06-27

    大人も子どもも同じ学び手に

    06:02

    これで、国語科の『学び合い』は成功する!

    これで、国語科の『学び合い』は成功する!

     この本で紹介させていただいた「子どもジャーナリストになろう」を,今度校内研究の授業研究会で4~6年の合同国語で行います。

     もう数時間,単元を進めてきていますが,その中で担任じゃない私が今回授業提案をすることのメリットがたくさんありました。


    ①4~6年の異学年国語ができる。

    ②ファシリテーションスキル及びそれを活かす方法の1つホワイトボード・ミーティング®の練習が4~6年に国語の中でできる。

    ③担任の先生方も単元を通して一緒に参加することで,子どもたちと一緒に練習できる。つまり子どもにとっての授業,教師のとっての研修。

    https://www.facebook.com/ogatusyou/?ref=bookmarks


     小学生21名,中学生14名の極小規模校ですから,異学年で学び合うのは必然です。しかしながら具体的にどう教科の中で行うかのイメージはなかなか共有するのは難しいです。今回はのそ一例を,一緒に授業を創る立場として担任の先生方に味わえているのもよかったこと。

     「学校,教室にファシリテーションスキルを入れていこう」は今年度の校内の取組の柱の1つ。私はホワイトボード・ミーティング®の認定講師でもあるので,その役割を担うことになったのですが,初めは子どもたちには授業の中で,先生方には放課後の研修会の中で,と考えていました。ところが放課後はけっこう時間がとれません。そこに無理に研修をいれると多忙感も増し,楽しく行うこともできにくくなります。そこで思いついたのが,

    「なんだ,先生方も子どもたちと一緒に授業の中で練習すればいいだ!」

    ということ。これにはたくさんのメリットがありました。

     1つは,子どもと教師が同じ「学び手」としてそこにいること。教える(指導する)教えられる関係ではなく,ある程度フラットな関係で一緒に学ぶ空間がそこに生まれました。子どもたちに力があるということを大人たちがより実感する

    ことにもつながります。そして,異学年の子ども,そして大人,ごちゃ混ぜの中でファシリテーター,サイドワーカーの役割を「練習」することで学び合うこともコミュニケーションを図ることも1つの「スキル」として取り組むことができます。

    「練習だから。何度も繰り返しやってみようね。」

    「練習すれば必ず上手になります。」

    「練習したことは普通の生活の中で活かして行けるよ」

     スキルとして提示することで練習が可能になります。あとはそれが活かされている場面を取り上げてフィードバックを繰り消していくこと。例えば,保健運動委員会の業間遊び集会のときに

    「お,ナイスサイドワークだね!」

    って声をかけるだけで,国語でやったことが普通の生活の中に活かせること,活かしていることの価値を感じることができるでしょう。

     さらにおまけによかったのは,プロセスの中にあったハートカードプロジェクト,「私の構成要素」の子どもも大人も一緒にやることでお互いのことをもっと知るきっかけをつくることができました。

     教師も子どもたちだけでなく教師にもハートカードを書きます。「私の構成要素」をみて

    「え?○○先生ってこんなところあったの!わ,すげー」

    とか,私たちにとっても同僚の知らないところを知るきっけになったり。思わず嬉しくなります。関係性が一歩前進。お互い知っているようで知らないでいることって多いんですよね。


     さて,明日は子どもも大人も一緒のグループになって,「友達新聞」づくりに向けたインタビュー活動の場面で授業研究会です,授業研究会とは言え,担任の先生方は,ほぼ「参加者」(参観者ではなく)なので,普段と全然変わりません。

     メインで進める私は,子どもたちと先生方の「サイドワーク」のおかげで,ただただ,タイマーをかけるだけですみそう。それすらいらないかも(笑)


     メイン?の私が「参観者」になります(笑)


     中学校はホワイトボード・ミーティング®の基本の会議フレームを一通り練習するところまでは来ましたから,次はそれをファシリテーションスキルとして明確にしながら,それを日常使いできるところまでいくことが次のStepかな,と思っています。

     そのベースが整うと,大人も含めた学び合う関係性も一歩前に進めると思っています。


     タックマンモデルのストーミング,フォーミング。そこに入れるといいな。

     

    2018-06-26

    答えはないな

    06:24

     一緒になんとかしようと思っている同士なら,ちょっと批判??めいた内容の意見だとしてもタカラになり,ぐいと前に進める原動力にすることができる。


     目的や目標の共有ってことだな。それができていると話し合いも成立する。


     反対にそれができてないと,かみ合ってこないし,コミュニケーションを続けることも難しくなったりする。


     難しいもんだな。


     「ファシリテーターはそこを技術で乗り越える」

    ってコトなんだろうな。

     うん。

     少なくとも,その立場でいるときは,それに努めよう。



     いつもいつもは難しいな。


     でも,進みたいんだよねー。

     がりっと進めるときと視座を揃えるときのバランス,加減。

     

     結局,動き続けるしかなく。

    2018-06-25

    「今思うと」なのかもな

    05:36

     https://www.uminoubuya.com/

    学校のある地域の震災後のドキュメンタリー映画。

    ちょうど,学校の多目的ホールで上映会がが開催されたので,見に行きました。

    映画のあと,監督のお二人と雄勝法印神楽保存会の会長さんのトークショーが行われました。

    その中で,会長さんが

    「とにかく前に進むしかない,そういう状況だったってことかな…。理屈抜きで。」

    「うん,今思うとね。」

    との言葉。

    その時じゃ無くて

    「今思うとね」

    なんだなあ,と思う。その時はいろんな思いが錯綜したんじゃないかなあ。それぞれのなかで。

     でも「前に進んでこれた」と思える日日を過ごせた,そこに考えさせられます。

     会長さんは,学校で子どもたちにも神楽を教えてくださっている方。

     

     地域にはすごい大人がたくさんいるものです。

     たくさんの,そういう出会いをつくっていきたいな。

    2018-06-24

    なーんだ…

    07:12

     やってみたい,おもしろそう,と思ったらそっちに行きたい。


     うーん,でもそれって,辺り構わずそうするってことじゃなくて。

     「そうしたいんだけど,忖度してしない言わない」とかその反対とかっていうのは,なんか苦しくなるから。

     


     でもそれは相手を尊重する,ってことは大事にしながら,と思っている。

     そうできていないことに気が付いたら,謝るしかない。

     


     

     縛れるのはきらいで,前は

    「縛られたくない!」

    みたいに感じていた頃もあったんだけど,最近はあまりそうは思わないようになったかも。結局,するから笑。


     結構縛っているのって自分自身だったりするからなあ。そこに気が付けると

    (なーんだ)

    って思う。

    2018-06-23

    「あ,おはよ!」

    06:50

     「あ,おはよ!きのうはどうもありがとねっ!」

    と登校したての1年生に,すれ違いざまに言われました,あ,挨拶されました。

    (え?)

    と思ったら

    (そうか,前日に出張した先生の代わりに補欠に入ったからかあ…)

    と。

     なんだか嬉しい気持ちに。

     それで職員室にかえったときに,その話をしたら,みんなも

    「あはは,面白い!」

    と言ってくれて,それも嬉しい。


     あいさつは,気持ちが通じるかどうか,という点で言うと,確かに通じたんだよね。だからう嬉しい。

    2018-06-19

    前を走ってくれる人

    06:47

    http://ogatsu-flowerstory.com/about/


    リアルに前に向かって進み続け,一つ一つ実現してきている方々がいます。

    昨日は,ここの方と久しぶりに語り合いました。

    うれしかったし,たのしかった。

    (十年前から言っていることとやっていることがぶれていない…,すごい)

    と思いました。

     私が若いころから参加させていただいているサークルの先輩でもあります。つまり元教員。雄勝で震災を経験しての今ここ,です。その時と立場は変わっていても,見ている先は前と同じなんだ,変わっていないんだと感じます。


     そして,さらに先に行こうとしています。それを楽しそうに語るんですよね,やられました(笑)


     前を走る人がいることの幸せを感じる時間でした。


     

     

    2018-06-18

    「楽しさ自給率」って言葉もいいな

    06:32

     「ふるさとを元気にする仕事」(山崎亮著」

     まだ途中だけど,読んでいます。

    「人と人とがつながる仕組みづくり」

    そこに仕事、作業。

    してあげるとかしてもらうじゃなくて。

    教室と同じじゃん,と感じた。

    一緒にやるってことだなあ。

    やりたいこと×楽しさ×地域の人も含めたみんな

    ってかんじかなあ。

    「楽しさ自給率」って言葉もいいな。

    本書では「道普請」が一つの例に挙げらていたけど,ちょっと大変だったりすることでもみんなでやるとそれなりに楽しさもある,付随するいいこともあるって感じ。

     学校の勉強だって同じだよね,とちょっと思ったりした。難しかったり分からなかったりする方が結構「楽しい」につながったりするんだと思う。みんなでやれば,ちょっとしたイベントになるよねー。

     そこには教える人がいてもいいし教えられる人がいてもいい。だってその役割は常に入れ替わるはずだから。誰かが一方的に「働かせる」「やらせる」みたいな縦の硬直した関係じゃなくて,縦も横も斜めも,いろんな関係がそこにあってバランスがとれている,そんなイメージかな。

    そこに「楽しい」があればOK,みたいな。

    2018-06-16

    「超えていく」

    10:02

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20180102

     年始に考えたこと。

     早いもので上半期もそろそろ終わる時期。

     この「超えていく」ということに関してはどうかな,と。

    一人でできないことだらけだから,みんなの力を借りないと,それはそう。

    でも,一人でできないことでも,まず,自分がそこに注力していないと,みんなの力も借りられないよね。

     自分でできることは自分ができることをまずやらないと,何も始まらない。

     人が力をかしてくれるもくれないも,それ次第だもんなあ。

     貸してもらうことが,お互いのやりたいこと,叶えたいことであれが最高だしね。

     

     お互いが面白い,と思うことをやるってことかな。

     やりたいことをやる…

     

     自分勝手かなあ?

     そう見えてそうじゃないってこととか,そうなってしなっていたら修正するってこととか,そういうのをメタ認知しながら感じていたいな。

    2018-06-15

     そもそも「力」なんてないのかもね

    06:47

     自分らしく生きるってことは自分の持ち味を発揮できるってことかな。

    自己選択と自己決定ができるってこと。


     そういう場を整える,ということなんだな。

    力がある,とかないとかってことじゃなくて,自分らしく,つまり自己選択と自己決定がちゃんとできるか,そういう環境であるか,ないかということを考えたほうが良さそうだなあ。

     『力』って見えないから,あるとかないとかいうとややこしくなる。

    2018-06-14

    待って良かった

    06:03

     モリウミアス×雄勝中。

    http://moriumius.jp/

     やっと中学生も連れてくることができた。

     

     スタッフの方々と中学生の最初の出会い。

     いきなり,中学生「固い」…

     固いなーって感じた。スタッフの言葉掛けにも

    「・・・・・・・」

    (あら??)

    みたいに感じたろうなあ。

     「それでも,お隣の人と今のコトについて,ちょっとおしゃべりしてみましょう」

    「みんなにも話してくれる人はいますか~」

    みたいに促しながら,ちょっとずつ場を温めていくことにしたのは正解だったなあ。

    無理に言わせたり,

    「進んで発表しなさい」

    とか言ったり,指名して言わせたりしなくてよかった。

     発表するのもしないもの,自己選択,自己決定。場が安心になったり安全になったり,関係性がつくれるようになったら,自然と話し出すし行動し始める。固い雰囲気になるのも,話せないのも,ちゃんと理由があるんだよね。

     だんだんと,自分から話し出す生徒さんも出てきたし,笑顔も増えてきた。そうだね,だんだん,でいいし,だんだんが当たり前。

     後半の,スタッフとのワークショップでは笑いながら話し合ったり提案したり

    「これやりたいなー」

    「こっちのアイデアもいいんじゃない??」

    「なんでこれがいいかっていうとねー…」

    なんてお互いに話していたもの。待っていてよかった。

     環境や関係性。そこに安心と安全があれが自然と力を発揮できるようになりますね。発揮させる,じゃないな。

     場と関係性をつくる,参加者と一緒につくる,そんな感じかなあ。

     固い段階で,無理強いしなくて待ってよかったな。

    2018-06-13

    おタカラはやっぱり1番近くにあった。

    06:32

     おタカラはやっぱり1番近くにあった。雄勝中「伊達の黒船太鼓」

     中学校の総合。ホワイトボード・ミーティング®。

     地域のおタカラを活かして,人やまちを元気にする×自分や自分たちの元気になるプロジェクト,OGATSU COMPANY。

     おタカラはっぱり1番身近にあったなあ。

     震災直後,古タイヤにテープを巻いた「輪太鼓」からスタートを切った雄勝中「伊達の黒船太鼓」

    そこから,ずっと中学生が地域の指導者の力を借りながら,代々受け継いできている,演奏技量もかなりなモノ。しかしながら,昨年は文化祭や学校の公開研究会,くらいしかなかなか発表の場もない,という課題もあった。

     「私たちの伊達の黒船太鼓というと?」でホワイトボード・ミーティング®。

    「先輩から引き継いできた太鼓を続けたい」

    「太鼓を叩いていると気落ちがいい。」

     多くの子は,太鼓がすき。

     今年転任してきた先生からは

    「初めて聞いとき, 鳥肌立つくらいすごいと思った,本当に!」

    というコメント。

     確かにそうなんですよねー。

     困り感として,新中1生は

    「難しくて…」

    と。チャレンジしがいがあるということでもありますね。

     大きな困り感はやはり

    「発表の機会がすくない」「公の場で演奏する機会がほしい」「人が少ない」

    というもの。

     子どもたちが話し合いの中で書いていたホワイトボードの中に

    「素の自分でいられる,みんなと呼吸を合わせる楽しさ,気持ちがいい」

    「緊張を楽しめる」

    という記述。


     中学生みんなで,すきなことで息を合わせて本気になり,他者に喜んでもらえる達成感,そんな場を中学生と大人で一緒にプロデュースする「総合学習」の姿が,ぼんやり見えてきた貴重な時間になった。

     震災直後はその時の目的が太鼓にあった。

     今はどうか?

    「私たちは何のために伊達の黒船太鼓を叩いているのか」

    をもう一度捉え直しながら,新しい自分たちの「雄勝中伊達の黒船太鼓」を創るチャレンジ,みたいなものにもなりそうだなあ。

     まずは,生徒さんと地域の大人の力を掛け合わせながら

    「太鼓を通して伝えたいこと」

    「発表の場をつくりたいこと」

    を声に出し,伝えて行くところから,かな。


    雄勝中「伊達の黒船太鼓」。このおタカラを活かさないとね。

    https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=%E9%9B%84%E5%8B%9D%E4%B8%AD+%E4%BC%8A%E9%81%94%E3%81%AE%E9%BB%92%E8%88%B9&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa

    2018-06-12

     聞く 伝える

    06:26

     「男子トイレの小便器にトイレレットペーパーが丸まって…」

    みたいな報告が職員室に。

     でも,うちの職員室のすごいところは

    「あれ,そうなの?どうしたのかな~」

    からスタートできるところ。


     ふだん,そんなことは起こらない学校だからかもしれないけれど。

    でも

    (どうしたのかな?)

    から動き始めたいなあ,と思います。


     事情はよく分からないけれど,なんか

    「そこに入っちゃった」

    みたい。

     今度は気を付けてね~,もうしないでね~,ってことで。(^^)

    多分,もう起きないなー。

     起きたらもう一回伝えるだけですけど。



     

    2018-06-10

    “OGATSU COMPANY”(仮称)

    07:28

     やりたいこと,やったらいいんじゃないか,つまり面白そうと思ったことをいろいとやってきた「総合的な学習」だったけれど,やりながらようやく見えてきたことがある。

     つまり“OGATSU COMPANY”(仮称)。学校の「総合的な学習」が雄勝町の「まちづくり」を進める仮想会社の運営になっていく,まちのリアルな諸団体と一緒に協働しながら「まちづくり」に参画していく,そんな総合的な学習「ふるさと雄勝をみつめよう」の展開がおもしろそう,ということ。小中9年間のキャリア教育でもある感じ・

     そのプロセスの中には,会社活動のマインド(信頼ベースの学級ファシリテーション)とホワイトボード・ミーティング®で,自分や友達の強みを生かしみんなで前に進んでいくプロセスをつくっていく,そんなイメージ。そこに先生方の強みも生かし合うプロセスを入れる,つまり全校で学校教育目標を緩やかに目指す営み自体が,そのまま「地域と学校」になり,まちづくりにつながって行く,そんなイメージ。

     だんだんリアルに見えてきたなあ。

     昨年度,小学校の総合の活動の展開は大きくは3つ。

     ①ほってぇ皿の制作と販売(地域の方との共同制作,付随してCM制作と公開,子ども日日新聞の記事作成,出店)(5,6年)

     ②雄勝の各浜調べとまとめ,発表(@モリウミアスで海外の方にも)(3,4年)

     ③「雄勝を応援してくれてありがとうステッカー」の作成(3,4年)

     ④中学校は保存会との連携協働の中で「伊達の黒船太鼓」の技量アップ,へき研での発表

     どの活動も,子どもたちの願いや思いから出発し,それに地域の大人やプロの職業人のサポートをいただきながら行ったきた。また①~③が本格的にスタートする前,1学期前半は「ブラ大須」や「モリウミアスに行こう」「雄勝湾で釣り&調理体験」など地域での原体験を積むことをしていたわけで。

     今年度は,そこからの出発。変わったのは

    □小学校は3,4年と5,6年という括りから,小は4~6年のまとまりで活動(3年生が0名ということもあり

    □小中9年間を見通した「総合的な学習」という考えから,中学校1~3年が小学校と連動しながらその上位概念を目指す位置づけになったこと

    □学校教育目標ワークショップや総合カリキュラムづくりワークショップなどで,学校教育目標と総合的な学習の時間が意識としてぴったり重なってきたこと

     さて今年度。ここまでは…

    □「ブラ桑浜」,「モリウミアスに行こう」「雄勝湾で釣り&調理体験」など地域での原体験を積んだ。地域資源の発見,再認識の原体験になるといいな,と。

    □防災ワークショップで地域の語り部さんとの活動。「雄勝は自然豊かでいいところ。でもひとたび大きな地震が起こると,生きることと死ぬことが隣合わせになるくらい危険な所でもある。」という負の側面にも触れたこと,震災とい出来事に正面から向き合った時間がもてた。

    □ほってぇ皿の制作。昨年の販売までの経験を生かして,さらによいものをつくる,さらに広範な展開をしていく方向でスタートしたこと

    □3,4年生がデザインした「雄勝ありがとうステッカー」がことしの7月の地域の産業まつり「ウニまつり」で使ってもらえるようになったこと。発砲スチロールのふたへの貼り付け(1,400)も子どもたちが3日でやってしまった。

    □小4~中3までホワイトボード・ミーティング®の練習会を継続してスタートしたことで,「聴き合いながら合意形成を目指す」スキルに触れた。

    □小中9年間の枠で展開する「総合的な学習」がスタートした。

    □新メンバーでの「伊達の黒船太鼓」の新しい位置づけ,価値付け


     その「小中9年間」をイメージする“会社活動”が雄勝小中学校の「総合的な学習の時間」のイメージ。やっと私の中でイメージできてきたかな。

     指導要領の「探究のサイクル」,イエナの「ヤンセンの自転車」,「資源化プロセス」(①地域資源の発見,再認識②地域の人たちとの意味づけや価値感の共有③資源の戦略的展開)は全部重なり合ってきた感じ。

     雄勝未来創造会社“OGATSU COMPANY”(仮称)

     おもしろくなりそう,わくわく。

    2018-06-09

    小中併設×地域

    06:52

     小学校と中学校の併設校の本校。学校教育目標は同じ,職員室も小中一緒。

    開校2年目。今年度はさらに小中教員の相互乗り入れや,児童生徒の行ったり来たりが促進されています。小学生も中学生も異学年で学ぶ時間が増えました。

     そこに地域のあらゆる職種,立場の方々が入ってきてくれています。

     何度もやっていると,いろんな敷居が低くなってきます。

     何度も何度もやる,続ける。

     続けるためには「何のために」をみんなで共有すること。

     学校だったらやっぱり学校教育目標。その言葉の意味するところを,みんなで出し合ったり目の前の子どもたちと照らし合わせ対話しながらイメージを深め共有すること,それを何度も繰り返すこと。

     やっぱり,前にすすむカギは日常のコミュニケーション。

     

    2018-06-08

    フリー参観

    06:25

     昨日はフリー参観日。

     フリー参観日だから,誰もが来てもいいし,これなくてもいい,どっちでもOKですということ。

     受付はありますが,いつ来てもいつ帰っても,どこをみてもフリー,です。

     だから,いわゆる「参観日」みたいに全部の保護者の方々が見えるわけではありません。ぱらぱらと,三々五々という感じ。

     校庭で全校体育をやっている傍らで,ちいさな2才くらいの子を遊ばせながらお母さんが参観していたり,ちょっと担任と立ち話していたり。

     またまた,校長先生や養護の先生と廊下や階段でちょっと話すこともできます。担任でない教員から子どものがんばりを伝えられるチャンスでもあります。

     担任の先生たちも「参観日だ!」と肩肘はる必要も無く,緩やかに和やかに進める,そんな感じ。

     そうそう,普段の日常。

     これでいいんじゃないかな,これがいいんじゃないかな。

    2018-06-07

    お!?

    06:35

     子どもも先生も,同じ学び手。

     

     当たり前と言えば当たり前なんですが,それを体験的に味わえる場をなんとか設定したい,と妄想しておりました。

     「共に学ぶ」は「共に歩む」だから。

    「学び合おう」という立場の人が学び合ってなかったら,それは本当の意味で伝わらないと思うから。


     極端に言うと,教室で先生は先生の学びを進め,子どもは子どもで自分で学びを進め,お互いに困った時にいつでもサポートし合えるようか関係,環境を妄想していました。

     妄想だったけれど,その世界のスタートラインにちょっと立てた気がしました。

    「お!?」

    という感覚です。

    2018-06-05

    大人も子どもも一緒に学ぶ,そんなチャレンジ

    06:45

     研究主題は「学び合い,認め合い,高め合う児童生徒の育成」(小中共通)。

    その取り組みの中にファシリテーションスキルを組み込んでいく,ということが一つの柱になった。

     6月かから始めるのは,小4~6年+教員,中1~3年+教員の枠組みでの国語「話すこと・聞くこと」の学習。その中でのペアコミュニケーション,オープンクエスチョン,話し合いのプロセスをつくる,などを児童生徒と教師が一緒に学ぶ,ということ。教師はサイドワーカーとしても参加するイメージ。

     授業+教員研修。全体のファシリテーターは私が勤める,という感じ。

    「学び合う,認め合う、高め合う」のに,良好なコミュニケーションは欠かせません。だからダイレクトに国語の授業の中でその「スキル」を練習しましょう,という試み。もちろん国語の目標を意識して。

     児童生徒と教師が同じ学び手,お互いがサイドワーカーになるっていうのも面白いと思っています。特に教師が「教え手」ではなくて児童生徒と一緒に「学び手」になる,少し先を歩く学び手として同じ空間にいる,ということ。


     「学び合い,認め合い,高め合う」ことも「スキル」として取り上げて練習していれば,それがだんだん生き方になっていくんじゃないかなあ,そのプロセス全体を教師集団と児童生徒みんなで長いスパンで創っていく,というイメージ。


     それイコール学校教育目標に向かうプロセスと一緒という感じ。まずはやってみっぺし。

    2018-06-03

    「ひとりの力を信じよう」

    07:56

    何度目かの再読。

    震災後,宮城・石巻地区に支援に入り,そこから石巻市雄勝町の旧桑浜小学校を改築。複合体験施設モリウミアスhttp://moriumius.jp/を立ち上げたことを中心にしながらの地域づくりのプロセス今ここ。


     勤務校は今,このモリウミアスのご協力も得ながら,「総合的な学習」を展開している最中です。本当にお世話になっています。

     震災後,雄勝の外から支援に入ってくれた方々,地元をなんとか再興しようと力を尽くしている方々,それをサポートしてくれる行政の方々。そしてそこに子どもたち。このごちゃごちゃな立場の人が同じ方向を向いてそれぞれの良さを生かしていく,そんなことができたらいいな。大人と一緒にやる大きなプロジェクト,子どもにとっての会社活動。

     リアルな課題に向かって,本気で活動している大人との学びは,今いますぐに数値とかに出なくても子どもたちにとってのこの先の糧に必ずなるはず,と思っています。

     だから学期とかの短いスパンだけに自分の頭をしばらないようにしています。幸い小中併設9年間の学校です。1年間,とか3年間とか,いくつかのロングスパンで考えたい。


    この本の各章のタイトル

    1 心にしたがって動く

    2 あるものを結び,ないものを創る

    3 ゆっくりじっくりみんなでつくる

    4 生きることは,命をいただくこと

    5 ひとりの生き方が,みんなを動かす


     がっちり,

    (ここだよね)

    と思っています。

    2018-06-02

    広がっても、狭まる。

    18:37

    教室の中の「石ころ帽子」をかぶった子に気づいたことから始まった『学び合い』です。

    いまでは、そこから学校、地域へと目線を移しているところ。一緒に学ばせていただいている方々も、そのプロセスの中で小学校教員から中学校、高校、大学、保育の現場、そして医療や福祉、ビジネス、行政の方々とエリアがかなり広がりました。

    いまでは、むしろ、教員仲間だけとの学びは一部となっています。


    すごくエリアが広がり、雑多な感じになったかといえばそうではなくて、かえってシンプルにコアなところについて考えることができるようになった気がします。

    広がったけど狭まる、そんな感じ。

    確かに活動して範囲は広がったけれど、力を借りられる強力な方々が増えたということです。だからこそ、コアなところで考えざるをえません。


    みんなでやらないと、みんなで前に進めない。そうだね思います。誰かだけがオラオラ的に行っても長続きしない。だから、みんなで進む、みんなの力を信じる、みんながその力を出しやすい,いい場をつくる、そんなことを考えていきたいなあー。

    2018-06-01

    ピンチはチャンス

    05:58

     ピンチはチャンス。

     

    「わ。どーする,どーする!?」

    となったときに,みんなで

    「なんとかすっぺ!」

    って楽しめるチームでありたい。


     面白がる,といっては語弊があるかもしれないけれど,でもそういうピンチをなんとかみんなで乗り切ったりやり過ごしたりできたら,それこそピンチはチャンスに早変わりするわけで。


     かつて,学芸会の太鼓の演奏中にある子が勢い余ってバチを飛ばしてしまったことがあった。焦る本人,でも友達がすっと拾いに走り,止まりそうになった演奏をそこからもう一度立ち上げた,なんてことがあったなあ。そんな感じ。


     完璧にうまくいくより

    「あー,あんときはやばかったねー,んでも,なんとかしたよね~笑」

    みたいなくらいが案外ちょうどいいし,

    「さ,次行こー!」

    になるんじゃないかな。


     なんとかなるし,なんとかする。

     いい加減ぽいけど,

    「なんとかなったよね~,あはは」

    くらいでいけたらいいよね。