2018-05-29
「縁側」
「単位」で考えない,ということ。
「内」と「外」。システム的にも物的にも精神的にもいろんな所に「内」と「外」っある気がする。ホームアンドアウェイともいうのかな安心な場とそうでない場ともいえるかもしれない。
学校に見えたお客さんとしばらく話しながら考えたとこは
(やっぱ,“縁側”だなあ…)
ということ。
今までやってきたこと,やろうとしてきたことはいろんな境界を「ちょっと」超えて見ること。それってけっこう面白いよーっていうこと。「内」と「外」を行ったり来たりしてみること。怖かったら,境目でしばらく様子をうかがってみるくらいのゆとりもあっていい。
クラスでも学校でも,個人と個人でも。「内」と「外」の境目,川で言えば汽水域?
組織としても個人としても「縁側」の位置をとるイメージ。自分の「内」と「外」の境界を意識する,「内」と「外」を軽やかに行き来する,ファシリテーターとしては「内」と「外」をつなぐ…。そんなイメージ。そういうふうにしながら,そういう境界面を作り行き来しながらだんだん「内」を広げていく,「外」を知る,そんな感じかなあ。そんなことがしたい。
うん“縁側”だなー。「内」と「外」をつなぎつつもなんとなく安心感のあるイメージがあるのもいいな。いつでも「内」に避難できる感じもいい。
学校もいろんな「単位」(内と外を分ける区切り)を行き来する,そしてやがて軽々と超えていく,そのための縁側的位置でありたいな。そして学校を組織している教師も子どもも自分の「内」と「外」を意識し,行き来し,お互いが行き来できる場を作り合うファシリテーターになる,そうなるとファシリテーターの役割をもった学校になる,そんな位置取りを目指したいな。
妄想,妄想。
まだカタチははっきりしないけど,ちょっとイメージ見つけてしまったなあー。