次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館でおこないます。7月に内容をお伝えします。
  • 2018-05-24

    そこに良好なコミュニケーションはあったか

    05:44

    連日,テレビで放映されるニュースはのっけから残念な,がっかりするものばかりで力が抜けますね。是枝監督のニュースくらいじゃないのかなあ,

    (おお!)

    って思ったものは。あとは

    (なんだあなあ,どうしてそうなるかな…)

    みたいなもの。


     そこまでおかしなことになってしまうことの大きな要因の一つに,コミュニケーション不在があるように感じてなりません。そもそもコミュニケーションがない,一方通行でしかない,いわゆる「忖度」もそうだろうし。

      

     

     言った,言わない,そんなとつもりじゃない…

     

     ふむふむ,まさにそうじゃないのかなーって思うのです。



     そこには,コミュニケーションが成立しない関係があった,確かに走だろうなあ,とも思うのです。上下関係,権力関係などなど。でも一方で,

    (それって急になったわけじゃないだろうな…)

    とも思ったりします。急になったという場合も否定はしませんけど。

     でも,どこかで(なんかコミュニケーションが成立してないな,対等なコミュニケーションじゃないな…)と誰かがどこかの時点で感じたんじゃないのかなあ,と思うんですよね。その時点で,

    「あ。ちょっとまって。」

    って誰かが言えればよかったのかも,と思っています。それすら言えない雰囲気だった,というのも分かりますけど,それすら急にそうなったわけじゃないだろうなあとも思います。


     仮にそういう雰囲気だったからそのままにしていた,という結果がどういう風になるのか,は昨今のニュースを見ても明らかな気がします。


     コミュニケーション不在の種・芽は,気が付かずにそものままになっているものも気が付いてそのままにしているもの,いろいろありと思います。

     でもきっと誰かはいつか気が付きますよね。

    (まあ,いいや)(そういうもんだし)

    って思ってそのままにしておくと,後が大変。

     コミュニケーションの問題って短期限定的に見るとどちらかが一方的に「悪い」と見えるけど,長期的広範囲的にみるとそれってみんながつくった問題,とも言えると思います。

     だから

    「これはみんなでなんとかしようよ。」

    ってみんなが本当に思って実際の行動に移していけばきっと解決できるし

    「どうせ無理」

    って思ったら,やっぱりできない。

     いじめとか,そんな問題と根っこは同じ。

    「問題」は,完全になくなりはしないけど,解決を目指し続ける集団においては大きくはならない,と感じています。そこには良好なコミュニケーションが必ずあります。そう思います。


     教室のなかで起こるいろんな出来事,それを見ていて,そこに関わってきてそれは結構確信できています。


     だからそこにファシリテーションスキルが「スキル」として(これ大事)みんなが使える道具としてあることって大切だと思っています。道具はみんなに見えるから。教室,学校でそれを学ぶ価値はそこにもあります。私はそう思っています。