次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2017-06-24

    「通信表」をつくらなくてはいけないんですが…

    09:16

     役目上,通信表の作成をしないといけない。

     作成といっても学校としての形式,枠。


     国語,とか算数もいくつかの評価項目に分かれていて,それ一つ一つに「よくできた」とか「できた」とか「がんばろう」とかに○がつく,よくある?パターン。

     今,見直しているのは各教科の一つ一つの評価項目に当たる文をもう少し目指していることに直結するようにならないか,そこを読めば

    (ああ,確かに,このときはここまでは出来たな)

    (ここが自分ではまだ足りないんだよね。あと少しだったもんな)

    (ここは来学期にこうしていけばいいな)

    みたいに,その学期に自分が取り組んだ場面や学習の様子が少しでも情景として浮かんでくるような,具体的な評価項目にならないかなあ,ということ。

     たとえば「豊かに表現することができる」と言われても,どんなのが「豊か」なのか,それだけではよく分からない。曖昧だとその評価が妥当なのかどうかすら分からず,子どもはただ教師から出された「評価」(評定)をただ無条件に受け入れるしかない。

     それって,やっぱり「主体的に学ぶ」につながらないと思うんですよね。

    「主体的に学ぶ」は「評価」も自分のものにしないと。

    「先生,この評価は違うとぼくは思うんです。」

    「これは甘くないですか?」

    「この評価は,納得できないんですが。なぜかというと…」

    くらい,子どもが言ってくれたほうが,私はうれしい。


    「通信表」というと,学期ごとの学習の最終ゴール,みたいなイメージだろうか。

     本当は毎日の教室で行う,子どもとの振り返り(評価)がメインで,その中で「この先」と「今ここ」を確かめ合いながらチャレンジを続けられればいい。保護者には,その子と一緒に,その子のがんばったこと成長してことを伝える,そんな面談みたいなことをするといいよね)とは個人的に思っている。

    応答関係が成立する評価。




     1学期間のたくさんのトライアンドエラーを,1枚の紙で「よくできた」「できた」「がんばろう」に○付けて渡してしまうと,

    (結局は,「よくできた」「できた」「がんばろう」で表されちゃうのね…)

    と子どもに伝えているようで,正直,なんだかなー,とも思っていた。

     いくら,子どもたちに

    「よくできた,できた,の数が問題じゃないよ」

    とは言っても,子どもたちは○の数を数えるし

    「よく出来たが10個あった」

    とかそういう話になる。当たり前ですよね。そうやって渡しているんだから。

     

     通信表を渡されて○の数を数えて喜んでいる子もいるし,がっかりしている子もいるのが,まあ,ふつう。華やいだ感じもあるんだけど,私はその雰囲気はあまり好きではない。それは自分が思っている学期のゴールはこれではないし,学期中子どもたちに伝えてきたことのゴールとして,結果としてこれを渡している自分になんとなく食い違いを自分で感じてしまうから。

     本当は

    (通信表,本当に必要?)

    (学習の評価をするのに,通信表はなくてなならないの?)

    (ほかの方法でもいいんじゃない?)

    と思っているけど,今すぐなくすことはできないから,少しでもいい形にならないかなあ,と考えているところ。

     学習指導要領とこの間,にらめっこ。

    子どもと教師と保護者で,なるべく目標の共有をするために。(でも,ちょっとたいへん…)