次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館でおこないます。7月に内容をお伝えします。
  • 2017-06-27通信表のこと

    通信表のこと考えています

    06:04

     ここ数日ずっと,通信表のことを考えています。評価のことを考えている,ということです。

    子どもにとっても,教師にとっても,通信表ってやはり,学期の学習のゴールになっています。

    終業式に学習の成果,結果として保護者にも子どもにもお知らせするからです。

     だから,それが「よくできた」「できた」「がんばろう」じゃない気がしています。

    できない,よりはできたほうがいいし,できるようになった子(人)の努力を評価しないのでもありません。

    でも「できる」「できない」はゴールじゃない気がします。

    「できるようにチャレンジし続ける」「そのチャレンジを楽しむ」ことを,私たち教師は子どもたちに学期を通して伝えてきたのではないかと思います。成長し続ける,変わり続ける,変わることを楽しむ,みたいなこと。そのプロセスのなかにその時点として「できた」「まだできない」があるイメージ。だからつねに「続く」。その都度その都度のピンポイントでの評価では「できた」「まだできない」はありますが,トータルとしての学期の最後の評価が「よくできた」「できた」「がんばろう」だとなんか,ジャッジみたいな気がしてしまう。トータルとしての評価をしたいと考えています。子どもたちが,

    「できたことも,まだできないこともあるけれど,それでも1学期がんばってこれたな。来学期もがんばりたいな」

    と思えるものに。

     大人に「通信表」があったら,どんな通信表だとうれしいか,そのイメージです。

     

     繰り返しますが,できなくていい,と言っているのではないんです。

    できるようにチャレンジし続けることに意味がある,と思っているのです。

    学ぶことのゴールは「できた」「できない」ではなくて,学び続ける,楽しんで学び続ける,ことで、言ってみればゴールはないってこと。「できた」の先には次の「まだできない」がある。「できない」の先には「できるようになった」があります。

     「あなたは今学期,このくらい伸びたと思うがどう?」

    「あなたは,こんなチャレンジを続けてきたよね,見ていたよ。来学期はどんなチャレンジをしたい?」

    と子どもと対話できるような。保護者には

    「お子さんは,今学期こんな成長を遂げましたよ。具体的にいうと…」

    「来学期のチャレンジは,この辺りになると考えています。」

    を伝えられるような通信表。

    「よくできた」の数を数えて,

    「よくできたが○個だった!きみは?」

    ではなくて。(笑)

     通信表の形式を変えて今度提案するけど,真意が伝わるかなあ。

    2017-06-25

    学校の中に塾,ありかも。

    07:44

     ある塾の先生と会う約束がありました。

    その塾で,しばしおしゃべり。

     

     近辺の塾事情?の話をしていて,

    「けっこう遠い所からくる生徒さんもいるんですよ。」

    とのこと。

     聞けば

    「え?そんな所から来るの?車で30分以上かかるじゃない。1時間くらいかかるかもよ?」

    と思うようなケースもあるようです。

    「今は,そうやって車で行き来するっていうのが結構普通みたいです。」

    と。

    「家の人も大変だよね…。そんなあちこち送り迎えしないといけないなんて。」

    という話をしながら思ったのが

    「学校の教室を借りて塾をした方がいいんじゃない?」

    「生徒さんにとっても保護者にとっても近くていいじゃない。それに設備も整っているし。放課後に部活をやるみたいに,塾に行くとか。」

    「ありかもよ?」

    ということ。

     学校と塾。学ぶ,ということは同じでも一緒にやるというイメージは一般的にあまりないかな?学校の先生と塾の先生。そりが合わないイメージ??

     でも「協働」ということを考えると,ありだなー,って思う。

     先日,協働教育の研修会で講師の先生が

    「連携,とか協働,とかいうと難しく聞こえますけど,要は『連携』とは好きになることなんですよね。好きになれば,それが連携。」

    と。確かに。それでいい。仲良くなればいいんだね。なんだかんだおしゃべりできる関係があればいい。


     塾の先生と仲良くなる,おしゃべりする。それをすれば「学校の中に塾」があっても面白い。楽しそう。妄想の中に入れておこうっと。

     日本も広いから,そういうところもあるかもしれないなー。


     「学校の中にカフェ」っていう妄想もあるんだけどねー。これは聞いたことがある。

    2017-06-24

    「通信表」をつくらなくてはいけないんですが…

    09:16

     役目上,通信表の作成をしないといけない。

     作成といっても学校としての形式,枠。


     国語,とか算数もいくつかの評価項目に分かれていて,それ一つ一つに「よくできた」とか「できた」とか「がんばろう」とかに○がつく,よくある?パターン。

     今,見直しているのは各教科の一つ一つの評価項目に当たる文をもう少し目指していることに直結するようにならないか,そこを読めば

    (ああ,確かに,このときはここまでは出来たな)

    (ここが自分ではまだ足りないんだよね。あと少しだったもんな)

    (ここは来学期にこうしていけばいいな)

    みたいに,その学期に自分が取り組んだ場面や学習の様子が少しでも情景として浮かんでくるような,具体的な評価項目にならないかなあ,ということ。

     たとえば「豊かに表現することができる」と言われても,どんなのが「豊か」なのか,それだけではよく分からない。曖昧だとその評価が妥当なのかどうかすら分からず,子どもはただ教師から出された「評価」(評定)をただ無条件に受け入れるしかない。

     それって,やっぱり「主体的に学ぶ」につながらないと思うんですよね。

    「主体的に学ぶ」は「評価」も自分のものにしないと。

    「先生,この評価は違うとぼくは思うんです。」

    「これは甘くないですか?」

    「この評価は,納得できないんですが。なぜかというと…」

    くらい,子どもが言ってくれたほうが,私はうれしい。


    「通信表」というと,学期ごとの学習の最終ゴール,みたいなイメージだろうか。

     本当は毎日の教室で行う,子どもとの振り返り(評価)がメインで,その中で「この先」と「今ここ」を確かめ合いながらチャレンジを続けられればいい。保護者には,その子と一緒に,その子のがんばったこと成長してことを伝える,そんな面談みたいなことをするといいよね)とは個人的に思っている。

    応答関係が成立する評価。




     1学期間のたくさんのトライアンドエラーを,1枚の紙で「よくできた」「できた」「がんばろう」に○付けて渡してしまうと,

    (結局は,「よくできた」「できた」「がんばろう」で表されちゃうのね…)

    と子どもに伝えているようで,正直,なんだかなー,とも思っていた。

     いくら,子どもたちに

    「よくできた,できた,の数が問題じゃないよ」

    とは言っても,子どもたちは○の数を数えるし

    「よく出来たが10個あった」

    とかそういう話になる。当たり前ですよね。そうやって渡しているんだから。

     

     通信表を渡されて○の数を数えて喜んでいる子もいるし,がっかりしている子もいるのが,まあ,ふつう。華やいだ感じもあるんだけど,私はその雰囲気はあまり好きではない。それは自分が思っている学期のゴールはこれではないし,学期中子どもたちに伝えてきたことのゴールとして,結果としてこれを渡している自分になんとなく食い違いを自分で感じてしまうから。

     本当は

    (通信表,本当に必要?)

    (学習の評価をするのに,通信表はなくてなならないの?)

    (ほかの方法でもいいんじゃない?)

    と思っているけど,今すぐなくすことはできないから,少しでもいい形にならないかなあ,と考えているところ。

     学習指導要領とこの間,にらめっこ。

    子どもと教師と保護者で,なるべく目標の共有をするために。(でも,ちょっとたいへん…)

     

     

    2017-06-23

    場をつくる

    06:46

    クラスをもっていると,子ども同士の人間関係が気になってしまうこともある。

    「あの子とあの子,どうも気が合わないんだよなあ」

    みたいに。

     そういうのは,大人だってあるんだから,そういうこともある。



     私は,人間関係なんてこちらが変えようと構えていっても変えられる訳はないし,変えようと思って臨むとかえってあまりいいことない,と思っている。(仲良くする「ふり」はしてくれるかもしれないが)。ただそれは放っておく,というのではなくて,いい関係が作れる場をつくることを考えるっていうイメージ。ピンポイントにその関係だけにとらわれない,ということ。

     「気が合わない」と思っていた人とも,一緒に楽しむこともできる経験があるだけで,自分の中の意識って変わることもある。いつの間にか一緒に話していた、いつも間にか一緒に作業していた,考えていたみたいな感じ。

     例えばオニミチをしながら,いつの間にか一緒に笑い合っていたとか。


     学習の中でも,自分だけでなくみんなが課題を達成することを求める(みんなが楽しく安全に学べることを求める)となると,今まで「気が合わない」と思っていた人とも,自分からかかわってみよう,自分の距離感の中でかかわってみよう,という意識と場が生まれてくる。できる範囲で協力したり話したりすることができる。急に「仲良く」なれないし,「仲良く」を強要されるのも困る。でも,できたら,たくさんの人といい関係がつくれたほうがやっぱりいいよね?。どうしても気が合わない,というのなら時と場に応じて自分で間合いを作ればいいよ,でも最低限「相手を傷つけない」ということはまもってね,みたいに伝える。そういう逃げ場もあれば,思いっきり仲良くはなれなくても,そこそこ付き合えるようにはなるんじゃないかな。


     自分で決めて,自分で距離感を調節できる,ってこと。相手を傷つけるのはそれはだめ。

     すぐにうまくいかなくても,人間,できることなら他者といい関係を作りたいと願うものだと思うから,そうしやすい場を作って,委ねてまつ。ある面,子どもたちの力を信じる。期待し応援しながら待つ以外に,そんなにこちらにできることってないんじゃないかな。というよりも,そういう場づくりに力を入れる。ちょうどいい距離感を決めるのは子どもたち自身しかできないんだから。

    2017-06-22

    「大人になる」ために学ぼう

    06:28

     5年生の担任の先生が,急にお休みということになったので,5年生の教室に1日入ることになりました。

    算数。『学び合い』の考え方で。

    「自分も分かる,みんなも分かる。その両方を大切に学習しましょう。」

    「大人の世の中で大切な力はね…」

    「今すぐできることだけが大事なんじゃないんです。得意な人も苦手な人もいるのは当たり前。大人になって大事な力は今算数ができることじゃないんんです。…」

     時間にしては3分くらいだったのだけど,「なぜ学ぶのか」「自分の力を発揮すること」「他者の力も借りること」などについて伝えた。きっと,何度も「大人」という言葉を使ったんだと思います。

     それそれが自分の算数の課題に取り組み始めて少し立ったころ,ある子が

    「先生,なんで算数するときに『大人になる』っいぇ言うんですか?」

    と尋ねてきました。

    「なるほど。みんなに大人になってほしいから。」

    と応えました。

    「大人って何ですか?」

    と聞かれたので

    「『大人』は,自分も大切にするし相手も大切にできる人。『子ども』は自分のことしか考えないし自分のことしかしない人。赤ちゃんは,おなかがすいたら泣くでしょ?赤ちゃんを考えてみれば分かるよね?」

    「自分のことは大事にしないで,相手のことばかり大事にするのもも『大人』ではないよ。自分のことは大事にしないと。それができるから,相手も大事にできるんだと思うよ。」

    と返答しました。

    「でも,『子ども』であることが悪いってことではないよ。誰でも『子ども』の部分はある。みんなもかつては赤ちゃんだったでしょ。でも赤ちゃんもだんだん成長してくれば,だんだんと自分のことだけのころから,少しずつ相手のことも分かるようになってくるよね。いつまでもずっと赤ちゃんじゃ困るけど,『子ども』だからといって悪い事ではない。大人になろうと成長しようとすることが大事なんじゃないかな。」

    「もっちゃん先生は?大人?」

    「私?今よりも少しでも『大人』になりたいと思っている。『大人』のレベルにはもっともっと先があると思うから。それに,同じ自分でも場合によっては『子ども』みたいなことをしてしまって『だめだなあ』と反省してしまうこともあるんだ。自分の中に『大人』の自分と『子ども』の自分があるってイメージ。でもなるべく『大人』の自分でいられるようにしたいと思っている。」

    「年は若くても『大人』の人はいるし,反対に年齢は立派な『大人』でも中身は『子ども』の人もいる。みんなも相手に対して優しきできることもあるし,時には自分勝手になってしまうこともあるでしょ??そういうこと。普段は『大人』でも,時と場合によっては『子ども』になってしまうこともあるしね。難しいね。大人になりたい,って思い続けるってことが『大人』かもしれないね。失敗しちゃうこともあるけど,もう一度進む,みたいな(笑)」

    「だから,『大人』になるために,算数しよっか。みんなでやることを楽しみながら。」

     意味が伝わった子も,まだ伝わらなかったらなかった子もいるかも知れないけれどそれでいい,と思っています。算数でも国語でも学校行事でも,いろんな場面で,何度も繰り返しながら,体験と結びつけていく。そういうこと。

     「大人になるために学ぼう。楽しみながら」ってこと。

     久々にクラスに1日入れた日。今年度になってから,単発の1時間とかしか同じ教室にいないことが多いから,「ずっと教室にいられる」って楽しいなあ,と感じる。ちょっと新鮮な空気を吸わせてもらった,という感じ。

    2017-06-21

    「『次世代の学校』に向けて,大きく変わっていきます。」

    06:38

     出張で「宮城県協働教育コーディネーター研修会」に参加。

     

    「ついに宮城県もコミュニティスクールへ進む」

    ということだなあ,と感じた。

     「地域と学校が,これまでの「支援」を超え,「連携・協働」して,地域全体で、未来を担う子どもたちの成長を支え,地域を創生する活動「地域学校協働活動」を積極的に推進する。「連携・協働」に当たっては,地域と学校がパートナーとして,目標を共有することが必要である。」

     この,中央教育審議会答申を受けての,学校の大きな変化。

    「宮城の学校も大きく変わっていきます。」

     そういう宣言でもある,と捉えている。

     その先は「地域創生」,まちづくり。そこに学校がどういう役割を果たすか,が求められている。学校は「聖域」ではなくなるってことだろう。

     合わせて,日本の現状と未来についても。

     少子高齢化と人口減少の中で日本が生き残っていくためには,総掛かりでなんとかしないといけない,そういうこともあっての「協働教育の推進」もある,とのこと。

     今まで『学び合い』関連の学習会などでは何度も話題になっていたことであるが,こうして県の研修会の中でも触れられるようになったことに,

    「ついに,ここまできたんだなあ」

    とも思う。

     「みやぎの協働教育」が新たな方向性に向けた目標は

    ○「どんな子どもたちを育むのか」「どんな力を身に付けるのか」といった「目標」を家庭・地域・学校で共有した取組が必要

    とのこと。その上で,宮城県としての目標は以下。

    ○「協働する力」(協働力)の育成

     ・主体的に考える態度

     ・他者を理解する態度

     ・コミュニケーション力

     ・協調的な課題解決力

     ・参画意欲


     「目標の共有」短い言葉で表されるけどなかなか,難しいこと。「共有」だから「お任せ」とか「いいなり」ではない。学校を開いたのは良いけれど,結局は学校だけで進んでいるよね,でもない。合意形成とそこまでのプロセスを組むことだから,ファシリテーターを務める人が学校にも地域にも必要ってことになるんじゃないかなあ,と思う・

     そして「協働力」。『学び合い』で目指してきたことではないのかな。いよいよ,これが「学力」として浸透していく時代になってきたのかも知れない。

     教師も子どももファシリテーターになる,学校でその練習と経験を積む(国語や算数,体育などの学習を通して)ことがこれからの地域創生(まちづくり)を支え,幸せに暮らせる「地域コミュニティの再生」につながる,そういうふうに感じた研修会。

     潮目は大きく変わってきたなあ,と感じました。

    2017-06-20

    出向くことをもっともっとした方がいいな

    07:43

     2月に行われたシンポジウムの「プチ」版。

    https://www.facebook.com/events/130778484136862/permalink/133098797238164/?action_history=null&__mref=mb

    「単発のシンポジウムで終わることなく,継続した活動を進めていく」

    「2月の教育シンポジウムの流れを汲み,学校や行政,民間教育団体など,石巻から多様なゲストと参加者を募りながら,お互いの事例の共有をしたり参加者が学び合える,情報交換・学び合いの場をつくる」

    ことを目指している会です。

     先日は,この会に参加。勤務校の「今ここ」を,勤務校の先生が報告してくれました。

     参加者の多くは,教員以外。

     学校が今やっていること,諸団体が今やっていること。

     共に石巻をもっといいまち,みんなが幸せに暮らせる地域にしたいと願っている方々の集まり。

     集まって一緒に話すこと。

     学校が外に出て行くこと。来てもらうのもいいけど,こちらから出向くことをもっともっとした方がいいな,と感じます。

    2017-06-17

    話し合えればうまくいくし,話し合えなければうまくいかない。きっとそう。

    07:34


     今年の運動会は,新校舎移転直後の9月9日(土)。小中合同とスポレク祭(地区民運動会)が合体したパターンで行われる。

     地域イベントとして開かれる,ということでもある。「地域と共にある学校」を目指す本校にとっては,新しい場所での新しいスタートにふさわしい運動会の開催の仕方,とも言える。

     とはいえ,「新しい」ことが多いと不安も高まる。

    ○小中統合後の新しいメンバーで

    ○運動会を初めて担当する体育主任で

    ○新しい場所で(まだ完成していないので,どんな校庭なのかも分からない)

    ○初めての地区民運動会(市役所地域振興課)との共同開催で

    ○他県からのボランティアさんも競技参加するらしい?

    などなど,「新しい」ことだらけ。どうなるのか見えないから,不安も高まる。


     条件が「新しい」のだから,せめて中身は「いつも通り」やったほうが安心・安全…。だから

    「いつも通りやろう」「無理しなくていい」

    となることもある。それも,ある面「正しい」。変化は少ない方が「安心」だから。

     「いつも通り」の中身と「無理しなくていい」の中身の問題。同じ言葉でも描いている意味はきっと違う。だから,それぞれ,どういう背景があって,どういうイメージをもっているかすり合わせ,それを共有してから

    「で,どうしたらいいかな?」

    にする。

     すぐに,焦って,簡単に「決めて」しまわない。

     小中の体育主任さんと一緒にホワイトボード・ミーティング®企画会議。

    「どんな運動会になるといい?どんな運動会にしたいと思う?」(発散)

    「特に大事にしたいことは?」(収束)

    「今後の準備計画と役割分担」(活用)

     イメージの共有と,今後の大まかな準備計画を立てる。

     「地域の人と一緒に盛り上がれる運動会に」「地域の方がスパイスになるような」「プロセスを大切にした,楽しい」「新しい学校ができてよかったなあ,と思えるような」「児童生徒が増えたので,紅白対抗で盛り上がれる感じ」「応援合戦なんかも,小中の子どもが工夫しながら,思いっきり楽しめるような」

     そんな基本方針が確認できれば,

    「では,具体的にどんな内容だといいかな?」

    「生徒と考えるのもいいよね」

    「でも,校舎移転後すぐの運動会。時間ないんじゃない?」

    「応援合戦は大事にしたいなあ。じゃ,7月に入ったらまず中学生と相談を開始するといいかな?」

    と,これから具体的にすることが見えてくる。

     そうなると

    「では,本番までの大まかな準備計画をたてましょうか」

    となり,することと時期,役割分担等を決めていく。

     全体像が見えて,することがはっきりしてくれば不安はぐっと軽減される。自分たちがやりたいこと,楽しいことに向けて,ちょっと動き出す感触。

     お互いの思いや考えを聴き合いながら,楽しいことに向かって,みんなで一歩を踏み出す。それができればいいのだなあ。

     

     ちゃんと話し合えれば,一見

    「たいへんそう…」

    「めんどうくさい」

    「やりたくない」

    ことも,「おもしろそう」に変わっていく。だってネガティブな言葉は,

    (不安なんだよね)

    ということだから。

     不安の解消は「対話」で。

    ちゃんと話し合えればうまくいくし,話し合えなければうまくいかない。きっとそう。

    2017-06-16

    聴き合う職員室

    06:14

     立場が教務主任なので,実際に子どもたちに対する授業は限られています。ですが,やれることは案外多い,と感じられるようになりました。

    「一人も見捨てない」を職員室に,です。

    といっても,先生方にそう言うわけでは,ありません。過刺激すぎます笑。

     とにかく聴き合う場づくり,聴き合う関係づくりを,継続的にゆっくり進めていきます。急になんとかしようとおもわないこと。でも,続けること。

    「一人も見捨てない」の考え方は「聴く」「聴き合う」ことに顕著にあらわれると思います。賛同,共感できないことがあったとしても。まずは受け取る。

     他者の話を受け取ろうともしないで,相手を大事にしていると思えません。しかし,そういう時もどんな事情があるのかなあ,という立場で聴けば,反発も共感に変わるかもしれません。

     だから,私は『学び合い』にはファシリテーションスキルがある,知っている事が大きな力になるし,それがあるとあらゆる立場や状況下で『学び合い』の考え方を運用できる,と考えています。


     「聴き合う」って楽しいね,ということを体験的に味わえる場を,どうつくるか,を考えます。即効性はなくても,漢方薬のようにじっくり効いてくるはずです。先生方一人一人の強みがいかんなく発揮できる学校だと,子どもたちもそうなります。

    2017-06-14

    「そういえば…」

    19:45

     レッジョエミリアアプローチ実習を「結のいえ」保育所で,の続き。

     ワークが終わった後,保育士の皆さんと一緒に振り返りをしていたとき,ある保育士さんが

    「そういえば…。今日はものの取り合いやもめごとがなかったですね…。」

    と口を開きました。

    「普段だとですね,自分が使いたいおもちゃを誰かが使っていると,取り合いになることもあるんです。でも,なぜか,今日はそんなことありませんでしたね…」

    「たっぷり楽しむ,十分楽しめているからなのかな?満足していたからかな?」


     もめごとが起こらなかったのはなぜか,「こたえ」はわかりません。この日,私たちスタッフを含めて保育士さん方が大切にしようとしたことは,

    「子どものはじめて,を奪わないこと。」

    「子どもの『楽しい』『おもしろい』『やってみたい』を邪魔しないこと」

     かっこうよく言えば「探求をサポートする」,くだけて言えば「子どもの邪魔をしない」(笑)でした。

     基本,「だめ」はなし。危険なこと以外はOK。ワーク中は子どもたちは,楽しいこと,やってみたいことにたっぷりチャレンジできる時間にしようということ。


     満足したり,思いっきりしたいことができていたりすると,子どもも余裕が生まれるのかもしれませんね。だから,ものの取り合いなんてする必要がない。そんなことしていたら,楽しくなくなってしまいます。ちょっと待っていたり,その間に自分がしたい別なことをしていれば,じきに自分もまたできる,そんな安心感があったのかもしれないなあ,と思います。


     ワークが終わってみんなで話していた時に

    「だめ,っていうのはなんか,たいてい大人の都合なんだよね~」

    と,どなたかが。

     うーん,そうだなあ。ありがち,ありがち。


     ドキュメンテーションをとるために,子どもたちの姿をじっと見ていた大人たち。いろいろ考えることもあったのです。




     

    2017-06-10

    「主体性」について考えた一日

    18:33

     レッジョエミリアアプローチ実習を「結のいえ」保育所で。

    https://www.yuihouse.org/


     実施したのは「光のワーク」と「水のワーク」。

    参加した子どもたちは,0歳から9歳の12名。

     私は主に,「水のワーク」担当。

    食紅で色を付けた赤,青,緑,黄色の色水を用意。様々な形・大きさの容器。霧吹きや吸い込ませる紙なども。

     メンバー間の事前の打合せでは

    「その子の『初めて』を奪わないように」

    「あくまで子どもの『探究』サポートをする,という立場を大事にしていきましょう。」

    ということを確認。そのさじ加減がなかなか難しいのだけれど。

     90分のワーク終了後の,結のいえの保育士さん方と私たちスタッフとの振り返りが実に面白かった。

     振り返りでは,

    ○何が起こったか

    ○なぜ,それが起こったのか

    を考え合う。

     スタッフ,保育士さん入り交じった中で,まずはペアトーク。そのあと全体で,という流れ。

     保育士さんの言葉

    「このレッジョエミリアアプローチ実習の話を受けたとき,0歳とか1,2歳の子が中心で本当にできるのかな?遊べるのかな?と半信半疑でした。でも,環境があって,制限をしないで自由に遊べる場があれば,子どもは本当に熱中して遊べるんだなあ,と感じました。ストロー1本でも遊べる。私たちはむしろ提供しすぎているのかもしれない,と気付きました。」

     「遊びこめることは,楽しいんだと。こちらから提供してばかりではなくて,子どもに必要なのは自由に遊べる空間なのかも。」

    「はじめは躊躇していても,だんだん自分でしたがる子どもの姿が見られました。」

    「日常生活では,落ち着きがないように見えた子も,自分の興味がある遊びにずっと熱中していた。驚き。」

    「はじめは小さな器から大きな器に色水を移してあふれさせていたけれど,何度もやっているうちに,大きな器の水を扱うときは小さな器でなくて大きな器を探して移し替えるようにしていた。試しながら学習していくんだなあ,と見て分かりました。」

     夢中になること,夢中になれること。そんなことについて考えた一日。

    「提供しすぎているが故に,遊べなくなっているのかも。」

    という言葉が印象的。

     「今日は,自分を抑えるのが,なかなか大変だった笑」

    という言葉に表れるように,決して「ただ」放っておくというのとは違う。放っておくとしても「意図的に」放っておくのだなあ。

     「子どもと大人のキャッチボール。様子を見て,ちょっと難しい球を投げてみる。」

     大人のかかわりとしてはそんな感じ。だから,よく見ていないとね。放っておくのと違うのは,そこ。

     「主体性」について考えた一日。

    心に残った言葉は

    「提供しすぎているのかも」「やりたいようにやる場面」「子どもの(人間の)主体性を阻むのは?」

    「遊びこめることは楽しい」「ドキュメンテーション」「解放して味わう」「夢中になること,夢中になれること。そこから形になっていく」「子どもと大人のキャッチボール」

    http://www5e.biglobe.ne.jp/~kkh/kodomotatinohyakunokotoba.htm

    2017-06-07

    再スタートの練習

    06:21

     3年生の先生が出張だったので,1日3年生教室に補欠に入りました。

     

     算数は,3けたのひきざん。

     「55ページの問題をみんなができるように,みんなで力を合わせてやってくださいね」

    と伝え,スタート。

     得意な子も,今のところまだ苦手な子もいるのは当然。

     得意とか苦手とかっていうのは,本人の気持ちの問題だから少なくとも「まだできないところもあるけれど,苦手ってわけでもない」

    くらいだといいなあ,と思っている。


     子どもたちは,課題に取組ながら,

    「○くん,ここ違うよー。十かしてるから,ここは…」

    「え?なんでそうなるの?」

    「だってさー」

    「ぼく,ひきざん得意!」

     

     3年生3人で机を寄せ合ってのチャレンジ。教科書の課題のページもやり終え,関連のドリルのページもみんなやってしまいました。

     聞きたい時に聞きたい人に聞ける,って,本当に子どもの学習を妨げないなあ,と感じます。

     「一人でやらないと,人に頼ってしまうのでだめ」

    なんて,少なくとも今まで目にしてきた子たちにはあまり当てはまりません。

     

    「あ,分かった。あとは自分でできる!ありがとう!」

    つまづいていた子も,そんな風に再スタートを切る姿をみると,本当そう思う。


     再スタートを切る練習を,毎日の学校・教室でしているってことになるといいんだなあ,と思う。

    2017-06-06

    会議が学び合う場になるように

    06:31

     児童への支援関係の会議の前に,事前に「ホワイトボードケース会議」のフレームを使って,担任と支援担当の先生から話を聞きながら,資料をまとめた。

     なんとなく情報を共有して,なんとなくみんなで見守っていきましょう,とならないように,もっと情報を見える化して具体的な支援の方法と分担をはっきりさせていったほうがいいと思ったので。

     その子への支援はもちろんですが,こうして一緒にその子について話すこと自体が,私たちの見立てについての学び合いにもつながっていくんだろうと思います。

     会議が,今よりもっと学び合う場になるように,何かできないかを考えています。

    2017-06-03

    自分もみんなも気持ちよくすごすために

    10:38

     昨日は,遠足でした。

     

     今年は担任をもっていないのですが,この行事の担当なので,全体に向かって伝えたりする場面があります。

     望ましい人間関係を育むこともねらいの一つ。

    「自分も,友達も,先生たちも,ここで案内してくれたり,出会う人も,みんなが楽しく気持ちのよい時間が過ごせるようにみんなでしていきましょう。挨拶をすることも,その一つになると私は思います。」

    と伝えるようにしました。

     「挨拶をしなさい」

    というふうには伝えたくなかったので。


     活動の節目節目で,

    「どうだった?」

    と尋ねるようにしました。

     挨拶をしたほうがいいことは,子どもたちは分かっているし,そのほうが楽しいことは分かっているので。

     する,しようとするタイミングはそれぞれなので,「一斉に」「みんなが」できなくてもかまわないと思っています。


    大事にして欲しいことは,「自分も,みんなも,楽しく気持ちのよい時間を過ごせるようにお互いに配慮すること」だったので。例えば「挨拶をする」事自体が目的ではないので。

     「挨拶」だって,時と場合によっては,それに反する事だって考えられるわけですから。