次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2017-01-30

    “No”について考えた

    23:56

    先日は,スキー教室な2日間(26日,27日)でした。

     私は,スキーが初めて。(正確にいうと,30年近く前に,ちょっとだけしたことがある。でも「滑って」はいない…)

    (でも,スケートはまあ,できるから,スキーもなんとかなるでしょ)

    くらいに軽く考えていたら,大間違い!

     歩けない,止まれない,曲がれない…。

     なので,ロープ塔という,緩斜面を引っ張ってもらう機械を使って,初めてスキーをする子たちと一緒に練習

     そもそも,スキー板の扱いにも難儀する「ぼくら」(笑)。ロープ塔にすがって登るのさえ,なかなかのアクティビティであり立派な「挑戦」なのである。

     ロープ塔に他の学校の引率の先生が付いてくれていて,あれこれサポートをしてくれていた。

    「スキー板を並行にして」

    「前を見て!下向かないで」

    とかってアドバイスしてくれるんだけど,そうはなかなかできないのだ。だから困っているわけで(笑)


    サポートしようとしてくれていることは分かし,善意なのも分かる。でもね,

    (いろいろ言われても分からないよお)

    と私なら思うなーと思っていた。

     私の側にいた,スキー場のロープ塔を操作してくれていたおじさんも,何か言いたげな表情をしていたから,たぶん私と同じように感じていたのかもしれない。(分からないけど)

     「ぼくら」はへたくそだから,もたもたしてしまうわけで。でも,下手なりに,ぐるぐる回るロープの取っ手になんとかタイミングを合わせてすがろうとしていたわけでして。それも,ぼくらにとっては,やっぱり「挑戦」だったのだ。

     だから

    「時間短縮,時間短縮」

    と,効率よくロープの取っ手に「つかまらせてくれる」のは,少なくても私に取っては不必要なサポートだな,と思って見ていた。


     それで,私の番になって,当然私ももたもた(笑)それも悪い??のだけど

    「時間短縮,時間短縮」

    と,私のサポートをしようとするから,ついつい,そう,ついつい,私は

    「いいからー,自分でやるってば。」

    と言った。

     それを聞いていた,ロープ塔担当のおじさんが

    「ほら,余計なお世話だってさー!」

    と言って笑っていた。


     私は,自分でロープにつかまりたかったわけで。うまくいかないからこそ,自分で掴みたかったわけで。たぶん,ロープにつかまるのは,「チャレンジ」ではなく,斜面の上から「滑る」ことが私のチャレンジに違いないと思ったから「善意」でサポートしてくれようとしたのであろう。

     でも,私は,ロープ塔「も」チャレンジだった。笑われるかもしれないが。だから,自分でやりたかった。だから

    「自分でやる」

    と言ったのだ。


     同じ事でも,サポートにもなり得るし,言い方は悪いが,「余計なお世話」にもなり得る。それを決めるのは,その「受け手」なんだなあ,と。サポートが欲しい,と思った時に差し出されるものは「サポート」であり,自分でやる,やりたい,って思うときのそれは「余計なお世話」

     それに,「サポート」をする人ととの関係性にもよるかもしれないなあ。

    「サポートしてください」って言えれば,一番分かりやすいけれど,いつもそうであるとは限らないわけで。だから,多様な人とのかかわりを深めて,いつでも誰かにはヘルプを出せる状態を日常の中で作っていくこと,なのかもしれないなあ,と思ったスキー教室

     そして,もう一方では

    “No”

    って言えることもすごく重要なんじゃないかと思った。(これは後からだけど)私は(下手だけど)一応大人だから

    “No”

    って言えたけど,子どもでも

    “No”

    っていいたい子はいなかったのかな?と思うわけで。

     言いたかったけど言えなかった子とか。そもそも

    “No”

    と言ってよいなんて,思ってもいなかったとか。




     話がずれてきている気がするけど,Noが言える関係は大事だなと思ったのである。Noと言ってもいい関係,というかね。

     友達どうしでも,親子でも,上司と部下でも,先生と子どもでも。

      

     私も一応せんせいだから,知らず知らずにNoが言えなくしてやいないか,自己点検しないとしないとな,と思ったわけでして。


     あぶない。あぶない。











     圧倒的に「できない子」の立場を味わってきたのでした