次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2016-01-10

    女川ぶらぶら

    21:30

    今日は,ちょっと考えることがあって,宮城県女川町を歩いてみました。

    いつもなら,車で動くのですが,今日はあえて歩いてみたいと思いました。

     駅を出ると,まっすぐ東に,海に向かうプロムナードができています。その両側には素敵な商店街。

     「今まで,女川駅は仙台東京に出て行く駅だった。これからは迎える駅になる」

    というのが,そのまっすぐ東(日の出の方向)を向いたプロムナード設計の意図だった,と確かラジオで聞いたことがあります。

     日の出の方向にまっすぐ伸びた道。その通りでした。

    「私たちは,海と生きる  女川町

    という大きなポスター。漁師町として今後も進む,という決意でしょうか。

    降り立つとすぐに海が見えるように設計されている駅にもその決意が込められているのでしょう。

     街の中心部はほとんど津波でやられているので,再開発のためにダンプや建機が入っています。高台に建物は残っているとはいえ,街の大部分がやられてしまっています。

     いったん0から始める,それを余儀なくされている現状かも知れません。

    それでも「私たちは,海と生きる」にあるように,女川としての立ち位置はぶれないんだなあ,と思いました。

     石巻地区,特に沿岸部の学校は震災時に大きな被害を受けました。内陸で直接鵜津波の被害は受けなかった学校でも,度重なる余震や続く停電,水不足被災された方の受け入れなどで非常事態でした。

     生きて学校に通える,そのことが本当に尊いことだと感じざるをえない状況でした。非常事態ですから,みんなで力を合わせないとやっていけません。学校に中にも,様々な外部の方が入るのが当たり前の状況です。そうでないとやっていけませんでしたから。

     石巻地区を始め,震災で大きな被害を受けた東北の学校は,3.11以後今までの学校文化を,いったん0にリセットせざるを得ない状況になったのだと思います。

     ずっと昔は「未来は学校にあった」のでしょう。しかし,今は「未来は,学校の外にある」のかも知れません。子どもたちがモデルにすべき大人は,実は周り・地域にたくさんいるんだ,そう思います。

     いったん危機的状況に陥った東北の学校だからこそ,次の新しい(というか,本当に大切なことを大切にする)学校を再提案できるベースがあるんじゃないか,と思った今日一日。