次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-11-30

    マット

    23:51

     子どもたち,マット運動にずいぶん熱心。すきみたい。

     4,5人のグループでリズムを合わせて集団演技を発表するのが最終ゴールの形。そこに向けて練習しているわけです。


     にこんこして時に笑ったりして,まあ,それほど

    「ばりばり必死にやってます」

    ふうな雰囲気は無いんですけど,それでもなんか楽しそう。

     特別上手かっていうと,まあそれほどでも無いんだけど,私はこの感じはすきだなあ,いいなあと思って見ているのです。

    遠くから

    「先生,見ててね-」

    なんて言われると,やっぱり嬉しいし。

    「できたよー!!」

    なんて見せてくれる技もあるんだけど,

    教科書的にいうと,あらもあるんだけど,

    (いいんじゃね?できた!って思うのなら価値があるよねー)

    って思って,

    「オッケーオッケー,その調子。ガンバッテイコー」

    でいいんだと思っています。


     やっているうちにだんだん上手になるし,もっと上手になりたいなーって思うだろうし。

     もっと言えば(誤解をうけるけど)

    (マットが上手にならなくても,それはそれでもいいじゃん。)

    って思ってるんですよね。





     

    2015-11-29

    プロセス

    10:39

    目的や目標とそこまでのプロセスを共有するからこそ,評価もできるのかもしれないなあ。

     だから,そこをどうつくっていくかが大切になる気がする。

     学校やクラスに当てはめると,「どんな子どもたちに育ってほしいか?」「どんな学校だといいか?」「どんなクラスだといいか?」を子ども,保護者,教員でイメージ作りを丁寧に行う。そしてそれを目指す過程で何度も対話を重ね,目の前の事実をもとに対話を重ねイメージをよりクリアにしていく。これからさらにどうしていったらいいか,アイデアを出し合う。みんなで。

     それぞれが目的や目標に近づくために,できることをできるだけしていく。自分事として続けていく。そういうサイクルができあがるといい。

     そこに参画する人が,常に対話できる環境をつくればいいんだな。敷居を低くすること,なくすこと。一緒にやっていきましょう,それぞれにとって良い方向になるように,ってこと。それが折り合い。

     ある方のFBでの投稿に「将来の目標は,将来それを達成するためにあるのではなく,今を生きるためにある。」との言葉。

     なるほど,と思います。となれば,折り合いつけながら物事を進めて行くことこそが,それ自体がハッピーなわけですね。なんとか目標は達成したけれど,けんかになった,ではうまくない。

     お互いを尊重し合う,そこにこそ大切なことがありそうな気がするなあ。


     だから,プロセスが大事。どうやってプロセスをつくるか。

     

    2015-11-28

    学習参観を学級懇談会的にやってみました。

    09:27

    学習参観を「学習参加」にしてきたのは,ここ数年ずっとです。

    今回は学級懇談会と学習参観(参加)を一緒にしてしまうチャレンジ。

     子どもたちは毎学期,自分たちの今学期の活動と自分や自分たちの成長を振り返ります。学級懇談では私が映像と言葉・文で保護者に伝えてきました。

     それなら,一緒にやったほうがいいじゃん,と思った訳で。

    そこまでのプロセスは,

    ①クラス目標「笑顔でチャレンジし,助け合うクラス」第2ステージムービー 視聴(子ども)

    ②クラスでハートカードをお互いに作成しおくり合う・台紙にはる)

    ※「よくわかる学級ファシリテ〜ション」(ちょんせいこ・岩瀬直樹著 解放出版社 参照)

    ③学習参観(参加)で親子で第2ステージムービー視聴&親子たち,子どもたちで2学期に付いてのフリートーク

    ④子ども「自分で自分に書くハートカード」(2学期よかったことは?がんばれたことは?これからチャレンジしたいことは?)


     やってみてよかったことは

    1 今までは友達新聞(※「よくわかる学級ファシリテ〜ション」(ちょんせいこ・岩瀬直樹著 解放出版社 参照)作成のプロセスの中で年1回やっていましたが,毎学期やることで,お互いに承認をカタチにもあらわす機会が増える。そもそもハートカード作成のプロセスが,子どもたち自身とても楽しそう。(私も子どもたちからハートカードをもらって,そのうれしさを実感!)

    2 親子でムービー視聴は,クラスの活動を保護者とコンパクトに共有することにつながる。(ムービーを見ての子どもの華やぎ,息づかいが伝えるものは大きい気がしました。)

    そして、何より、子どもの今までのプロセスを少しでも共有することができるということ。それは、単にできるとかできない、上手いとか下手を越えて子どもたちの育ちを共に見守る仲間づくりのきっかけになること。我が子が友達とどう支えて支えられての関係をつくっているかを感じることは親集団を含めてのWEづくりにつながる実感。


    3 親子フリートーク。ハートカードがあるので,そこからの話題に。たくさんの友達からの承認の言葉(ハートカード)とそこでのフリートークで,子どもたちが何度も大人からも友達からも温めてもらえる。ハートカードの記述で足りないところは,そこでのおしゃべりで補える。それも楽しい。

    4 あちらこちらに笑顔がある時間になる。

    ハートカードの作成には,ある程度の時間はかかるのが難点といえば難点ですが,ここは時間をかけないといけないところ,とハラを決めるのも大切だと思っています。

     

     

      私の現在の立ち位置は,「信頼ベース」×『学び合い』。

     「信頼ベースの学級ファシリテーション」は,私の場合は,『学び合い』を安定的に継続するのに,必要なスキルを与えてもらっているので,とても大切にしているものです。根っこは「幸せな子ども時代」「自己選択と自己決定のお互いの尊重」そのためのファシリテーションのスキル,という考え方がベースにあると私は思っています。その意味で,私は「信頼ベース」も『学び合い』も区別していません。

     脱線しました。

     「親子学級懇談会」なかなかよかったかな。次回は,ここに自分の今学期の学習成果の中から「これ」とといったものをそれぞれが持ち込んでの「親子学級懇談会」になるといいかな。ポートフォリオですかね,そうなると。

     






     

    2015-11-26

    やりたいことをやる

    23:33

     純粋にやりたいことをやるっていうのは実は難しい?

     でも,やりたいことをやるって大切なことなんだなあ。

    「やりたいことをとことんやってみ!見ているからさ」

    なんていう環境だと,すてきじゃないか。

     受け取る

    22:04

     一端,受け取ればいいんだな。

     そうするだけで,ぐっと物事がスムーズにいく。

     一端受け取るだけの気持ちの余裕。それも,スキルのうちなのかもしれないね。

    2015-11-24

    あ,活路はここに

    22:27

    「一人も見捨てない」は言わずもがな,『学び合い』のコアにあたる部分。

    この言葉に,いろいろ意見はあるものの,インパクトはある。こういう言葉はインパクトが大切だよね,と今は思う。私の場合は「自分に問いかける言葉」にしているけれど,けっこうそれはしんどくて,押しつぶされそう。

     一人では,到底できないこと。


     そんな中で,力をいただいたのが,「子どもの権利条約フォーラム」。

     なんだ,学校の外にも,こんなに仲間がいたんじゃないか!って感覚。

     学校のことは、教員だけでは変えられない。教員と○○。この○○を多様に,多様に。


     この○○をいかに多様に増やすか。実は仲間は,かなり多いことが分かった「子どもの権利条約フォーラム」。

     学校の外に,実は活路があったんだなあ。

    2015-11-23

    「子どもの権利条約」に一番遠いのは…

    21:45

    https://www.unicef.or.jp/crc/

     今回は,機会に恵まれ,「子どもの権利条約フォーラム」に実行委員の一人として参加する事ができました。

     その過程を通して,何度も

    「学校関係者が,このフォーラムに参加すること自体が,画期的,めったにない」

    と言われてきました。

    「何で?」

    ですよね。だって,一日の大半を子どもは学校や教室で過ごすのに。

    「子どもの権利条約,一番遠いのはどこだと思います?それは学校と家庭。」

    講演の「夜回り先生」水谷先生もたしかそういう内容で言っていました。

     「子ども」とか「おとな」ってどこから分けるのかな?分けるんじゃなくて,一緒に考えれば良いのにね,ってそんな風に感じました。

     とにかく,学校や教室の役割は,すごくすごく大切なんだなあと感じてきました。

     進まねば。

    2015-11-22

    子どもの権利条約フォーラムin石巻台第2日目

    22:44

     あまりにもたくさんの気付きがあって,ひとつにまとめるのが困難です。なので,帰り際に,駐車場でふと思ったことを。独り言。

     1年?2年前くらいに

    「学校の教師の中だけで学んでいてはたかがしれている。異業種の方と場を同じにして学ぶ必要がある。」

    とアドバイスをいただき,

    (そうか)

    と思って初めて参加したのが「ホワイトボードミーティング講座」。そこでは,教師もいるけどそれ以上に介護の仕事の方,会社員,看護士さんなど様々な職種の方と一緒に学ぶことができました。(そういえば,あのときの東京は大雪だった…)

     そのときに

    (あ,教室や学校で起きていることは,世の中でも同じように起きている。世の中に起きていることは学校・教室でも起きる。)

    と,参加されている方とお話をしながら感じたのを思い出します。人と人とがかかわり合うからには,その課題も根本的には同じ。学校と社会はつながっている,と実感をもって感じられたのは,きっとその時が最初でした。

     自己選択と自己決定。お互いのそれを大切にし合うための良好なコミュニケーションのスキル。学校は社会にでるための練習の場。失敗0から失敗OK,トライアンドエラー・チャレンジバイチョイスをくり返しながらそれぞれが自分の一歩を踏み出せる。いままで,言葉としては「そうだよね」と思っていたことが,どういうわけかすーっとイメージをもって自分の中に入ってきたのは,その後の様々なジャンルの方々からの情報と教えによるものでした。そうなると,地域の保護者の方も自分の先生です。実に学べる。我以外全て師,です。

     3・11の震災で,石巻地区をはじめ宮城沿岸部はとてつもない大きな被害を受けました。沿岸部の学校も甚大な被害を受け多くの児童・教師の命も失われました。私の今まで務めた学校も全て津波の被害を受けました。

     その日から今まで,学校にもたくさんの人的・物的支援を受けて今があります。おかげで,震災前の「通常」の学校に戻りつつあるところも多いでしょう。しかし,不登校率は以前高いなど諸問題も抱えているのが現状です。

     学校を震災前に戻す,ではなくて,震災前よりよくする,みんなでよくする。そうでないと,震災にあった割が合いません。「震災のおかげで」という言葉は適切ではありませんが,そういうのに足りるくらいに私たちはやっていきたい。もちろん一人だけでは,教師だけでは,できません。それこそ,子どもにかかわる全ての方の力を借りながら,学校をさらに「子どもにとっていい学校」にしていくこと。『学び合い』の言葉で言えば「ひとりも見捨てない」学校にしていくこと,それをみんなでやること。「ひとりも見捨てない」学校は,居心地のいい地域社会につながっているから。

     そのためのベース作りを,やれる人がやれることを,連携しながら進めて行くこと。今まで別々で当たり前だったことを,一緒にやる。やってみる。文字通り,みんなでやればできる。みんなでやる場を整えればいい。

    WE,ってことなんだな-。やる気でてきた。

    2015-11-21

    「分からない…」「失敗した…」で終わっていいじゃん

    22:15

     今日の,子どもの権利条約フォーラムで,いろんな人と話して

    (やっぱりね)

    と思ったことは…。

    分からない,できない,で授業が終わってもいいし,むしろその方がいいこともある,ということ。


     そりゃあ,分からないより分かる方がいいかもしれない。だけど「分からないなあ」で終わっても,別にいいということ。次につながるから。だいたい「分かった!」なんていうのは一瞬で,次にはたいてい分からないことにぶつかるわけなんだから。

     「分かったこともあるけれど,まだ分からないこともある」「できることもあるけれど,できないこともある」状態で終わるのが普通だし,実は当たり前。

     「それで,どうする?」

    っていうのが実は大切で,分かることできることが大切なのではない。

    「分かった!」「できた!」はそれはそれで嬉しいことだから,もちろん喜ぶのは当たり前。OK。

     

     でも,その上で「分からなくても」「できなくても」前に進めるように練習するのが学校の役割でもあると感じた1日目。


     学校の先生じゃない方々から受ける刺激は,貴重だなあ。

    子どもの権利条約フォーラムin石巻 第1日目①

    21:46

    https://crcishinomaki.amebaownd.com/


    子どもの権利条約フォーラムin石巻 第1日,終了しました。

    今回は,私も実行委員に加えていただいたご縁もあり,勤務校の6年生も獅子舞でのオープニング参加を果たせました。協力していただいた,保護者の皆様にも本当に感謝です。

     実行委員長と話していて,

    「この権利条約フォーラムに,学校とか学校の先生とかが参加するって今までなかった事なんですよね。それが画期的。」

    とのこと。

     そうかなあ?子どものことを考えるのに,家庭・地域はもちろんだけど,そこに学校が加わるは必然ではないの?とは思います。

    「そんなに画期的ですか?」

    「だって,子どもの権利条約と学校のセンセイは,相反するじゃないですか~(笑)」

    あらららら・・・・・・・

    2015-11-20

    「みんなの学校」「みんなのきょうしつ」へ

    21:43

    https://crcishinomaki.amebaownd.com/

    いよいよ,明日,石巻で上記のフォーラムが開催されます。

    私も実行委員の端っこに加えてもらっての今。

    それもあって,本校の6年生(昨年どの私の学級)がフォーラムのオープニングで獅子舞で参加してくれることにもつながりました。

     「子どもの権利条約」。こちらの方面から学校や教室を考えたいというのが,今回の『学び合い』宮城・仙南のアプローチ。

     震災を経験し,「生きてここにいること,生きてみんなとまた学べること」こそ大事,を経験した宮城・石巻。だからこそ,この「子どもの権利条約」からの学校。教室へのアプローチは大切にしたい。

     今回だけの成果で,何かが大きく変わることはないでしょう。しかし,思いを持って,何かをやり続けていけば,必ず何かが変わり前進していくことはこの4年半の経験で分かりました。

     大切なのは,思いをも持ってやり続けること,みんなの力を借りること。

     子どもに求めていることと同じですね。

     明日,明後日と仙南のG氏と石巻の仲間と,きっかけを「学校外」に求めます。そのきっかけがきっと数年後にまた芽を出すことを願って。


    「みんなの学校」「みんなのきょうしつ」へ。

     

    2015-11-19

    冗談ではなくて本当にいいと思うんだけどなー

    21:51

     朝会とかで,生徒指導部を中心に,みんなで輪番で毎月の生活目標について子どもたちに話をします。「あいさつについて」とか「校舎内の安全な生活」とか,そういう。

     今日,

    「今度の朝会の生徒指導の当番は誰かなー」

    なんて話を職員室の先生としていました。

    「あれ,また?この前やったような…」

    という声を聞きながら,

    「あ,いいこと思いついた!」

    のは私。笑

    「あのさ,事務の先生とか業務員さんにも話してもらってもいいじゃない?例えば,事務の先生とか,いわゆる『先生』には挨拶しても,おれにはしないことあるよー,とか言っていたし。事務の先生から『そういうのは寂しいなあ』って言ってくれたりすると,響くんじゃないかなあ?それに,校庭のボールの後片付けが悪いよって話だって,予算を扱っている事務の先生がいうとまた違ったインパクトもあるんじゃない?それ以上に,全職員で子どもたちを見ていくというスタンスなら,こういうのもみんなで声を掛けてもいいよね?」

    という話。

     いや,冗談じゃなくて本当にいいと思うんだけどな-。

    2015-11-18

    「ゴールがないと,さ」

    20:57

     今日は,業間マラソンの日。

     休み時間ですけど,校庭に出て音楽が鳴っている間,走ります。

     

    子どもによっては,休み時間なのになー,と思う子もいるでしょうし,がばって走るぞーって子もいるし,いろいろでしょう。

     それで,教室から校庭に降りる途中にある学年の子とおしゃべりしながら行きました。その子は走るのが得意な子なんですけど,彼が言うには,

    「時間までずっと走るのって嫌いなんですよねー」

    と。

    「へー,どういうこと?」

    ってたずねたら,

    「何周走ったらゴール,とかあるんだったらいいけど,5分間走る,とかっておもしろくないじゃないですか。ゴールがない感じ。5周,とか10周,ってあったほうがいいなー。やっぱりゴールがないと,さ。」

    とのこと。

     なるほどなあ,何周であれ,ここまで走るっていう明確なゴールがあったほうがいいのかあ。そうだよなあ。ただ走るって感じじゃいやだよなあ,って妙に納得したのでした。

    2015-11-16

    感謝、かな

    21:25

    いつでも一生懸命、とか、いつでもがんばる、とか、そんなことはできないんだよね。

     自分を振り返ってもそうだよなあ。自分にできないことを、求めてしまうのが「教師」の役割なのかもしれないけれど、そうできないとかしていないからといって、どうにかしようと思ってもだめなんだな。

     いつもフル回転、ではなくても、ここって言うときにグイイインとエンジンがレッドまでいける、そんな感じでいいのかもしれないなあ。

     いざというときに、グイイインといけるだけバックグラウンドはなにかなあ。


     月並みだけど経験に裏打ちされた自信かな?どうしてもやりたい、達成したいっていう思いかな。

     思い通りになんて、いかないんだよなあ。だから私も考えられるね。

     感謝、なのかもね。

    2015-11-15

    芽が

    23:09

     今日は3つも会議・打ち合わせがあった。それも仙台・角田・石巻。

     一つ一つは別々だったりするんだけど,実は最終的にはつながって来るもの。

     

     いろんな団体のいろんな方々が,いろんなところでいろんな風につながって行くだろうなあ,そうなるとまたきっとどこかで新しい変化が起こるかも知れないなあ,と思いながら。

     種をまいておくと,いずれ芽が出るかも知れないからね。

    2015-11-14

    「一人も見捨てない」ということ

    00:14

     「一人も見捨てない」は,『学び合い』のコアな考え方ですが,この言葉のインパクトの強さに

    「どうもしっくりこない」

    とか

    「うまく使えない」

    という意見もききます。私も,使う場合もあるにはありますが,どうも上滑りしてしまうような気がして使うことを控えてしまうことが多いのです。

     しかし,先日校内で,その「みんなが」を求める授業を私外の方が公開してくれました。かつて私も受け持ったことのある学級です。

     本当にステキな授業でした。

     (やっぱり「一人も見捨てない」なんだな)

    と感じました。その言葉は,子どもに対して使うんじゃなくて,むしろ教師である自分自身に向ける言葉であることも分かりました。

     自分一人で「一人も見捨てない」は無理です。一人ではできません。だから,「一人も見捨てない」集団を本気で願うことなんだと思いました。

     自分一人では到底できません。だからみんなに語ること,その「一人も見捨てない」が,つまりどういう意味で自分や自分たちにとってよいかを,伝えること。何度も何度も体験を通して伝えること。そういうことなんだなあ,と。

     授業中も授業後も,算数が得意な子も苦手な子も,にこにこしてうれしそうに算数の課題について話しています。そんな場をつくってしまったその先生はとってもすてきでした。

     教師が「整理すること」「まとめること」が「一人も見捨てない」になる,教師の「指導」が必要と考える方もいるでしょう。子ども観の違いだから今のうちはかみ合わなくても仕方がありません。しかし,私が子どもなら先生一人が全員の最適解を示せるなんて思えません。最適解を求め合う子ども同士の中に,「最適解」はあって,その「最適解を求め合うこと」自体に本当はとても大切な意味があるんだと思うんだなあ。

     学校観と子ども観。それと「一人も見捨てない」

     人の授業を参観させていただいて,ああ,と思ったことでした。




     

    2015-11-12

    大きな前進

    00:45

    今日は,校内研究の全校授業研究会でした。4年生,算数の授業。『学び合い』です。

     授業後,参観していた先生の一人が

    「いやあ,涙が出そうになった。」

    というほど。

     授業では,算数では個別の支援がないと…,と言われていた子が最後まで頑張り通し,最後の「くじびき」による本時課題に対する説明をする代表を選ぶときに

    「当たれ,当たれ」

    というほど。

    とにかく、子どもたちのたくさんの笑顔が見られたことが本当によかった。笑顔でみんなと学べるって本当に大事。

    授業後に、子どもたちに

    「今日は何がよかったの?」って尋ねました。そうしたら

    「みんなで相談しながらできた。」

    「最初、わかんなかったなんだけど、そうしたらMちゃんがきてヒントをくれたから、わかった!」

    などなど笑顔で話してれました。そのインタビューも動画にとっておいたので、あとの事後検討会で職員で見ます。

     チャレンジした,若い女性の先生の『学び合い』への素晴らしいほどの適正をも,彼女の授業中の声がけからも感じました。(嫉妬してしまうくらい笑)

     大きな前進だなあ。うれしい。

     「一人も見捨てない学校」に,また近づける。

     

    メモ

    06:13

     単なるメモ。


    同僚の先生と,「総合的な学習」についてはなしていて,行き着いたこと。

     「情報が足りない」「まだ知識が足りない」と考えればきりがない。

     いまある情報,知識を生かそうじゃないか。その子たちの中に内在しているそれを,お互いに引出合う。そのために,もっと共通体験をもとに対話したり,今分かっていること知っていることを出し合って話そう,引出合う,気がつかずにその子の中に埋もれている情報・知識をお互いにつなげ合おうってことに。

     足りない,と思うから足りない。足りないと思うときりがない。今でも十分あるじゃないか,と考えると次が見える。

    2015-11-10

    ついに

    23:39

     本校の校内研究のテーマは「主体的に学ぶ子どもの育成」。この研究主題でもうかれこれ,5,6年やっています。その間,ずっと私が研究主任をやらせていただいています,この間,何度か

    「ちょっと焦点化をはかった方が…」

    とか

    「教科領域をしぼった方が…」

    という意見をもらったこともありましたが,その都度,みんなで話し合いながら,この主題を保持してきました。


     そして,ついに,私以外で,『学び合い』で算数の授業提案をする方が出ます。(校内では,『学び合い』という言葉を私は使いませんけれど)

     今まで,ずっと私と「総合的な学習の時間」で一緒に授業してきた先生なので,何を考えて私がこんな風にしているのかを時々伝えてきましたし,また学習中の子どもたちの姿を目の前で見ながらあれこれ話して来たりしたこともひとつの要因かもしれません。

     その学年は,低学年の時に1年間私と『学び合い』を体験してきている子たちなので,『学び合い』が始まればだんだん以前の感覚が戻ることも期待できます。しかし,それ以上にその『学び合い』にチャレンジしてみようとする担任の先生のセンスのよさが光ります。子どもたちを俯瞰して見られる目をもともとも持っているのか,と思わされるほど。

     単元の最初の授業。私の教室は,その教室の真向かいなので自分のクラスもちょっと見ながら同時にその学年に私も一緒に入ってTTで算数を行ったのですが,その担任の先生との振り返りで,たくさん子どもたちのよさを共有することができました。課題はもちろんあるものの,子どもたちのチャレンジする姿や動きをもとに話し合えた言い時間となりました。あ,この人ならきっとやれるなあ,むしろ『学び合い』に取り組んだらもっとすてきな先生になりそう!そういう予感です。

     今日は,私の学級の体育とそちらの算数がかぶってしまったので,ちょっと支援はできません。

    「どう,自分だけで(『学び合い』)やってみます?」

    と尋ねると

    「はい,やってみます!」

    との返事。

     昼休みに

    「どうだった?」

    と尋ねると

    「はい,大丈夫でした!」

    とのこと。うれしいですね。

    まずは「やってみる」というハードルをこえた彼女に拍手です。ついにこの楽しさを味わってしまったのですね-。

     さて,『学び合い』で提案する全校授業研究。わたしもできるだけサポートしていきたいです。この一歩は大きいなあ。付きすぎず,かつ離れすぎず適度のサポートしていきたいなあ,大切な一歩だから。

     

    2015-11-08

    ふと,思ったこと

    21:28

    学び合い』の授業は,ふつうは近隣では見られないので,先日の石川小学校の公開研究会に参加させていただいたのはとてもいい機会でした。

     参観させていただいた授業では,課題の提示が終わるや否や多くの子どもたちが交流相手を求めて動き出したのを見てびっくり。その後30分近くにわたって子ども同士の意見交流が行われました。

     そんな中にあって,私が

    (おー?)

    と見ていたのは,ある女の子。なんとなーく,めんどくさそーにやっています。(笑)他の多くの子が,あっちこっち動きながら交流する中にあって,明らかにトーンが違います。違うというか,むしろ

    (みんなのそのペースにのってたまるか!)

    みたいな,わざとそんな雰囲気を出しているような,そんな感じ。(あくまで,想像です…笑)「同調」するのを嫌ってるような,そんな感じ。

     

     しかし,かといって,ノートに自分の意見は書いているし,一応(笑)友達に求められれば意見交流はしているので,やる気がないというわけでないみたい。

     授業の終わりに,数人が自分の意見を発表している時も,他の多くの子が発表者を注視している中に,わざと?っぽいあくびをしてみせる!なかなかステキだ。

     私は興味津々でその子を見ていました。その時,ふと思ったのは,

    (あ,私って,こんなふうに,『みんなと合わさせられるのはイヤなんだよ~』みたいな子がすきなんだなあー)

    ってこと。

     とはいえ,そんなことが自分の周りで度々起こったりすると,それはそれでいらいらしてしまったりもする・・・だろう。

     あー,なんという未熟さ。

     ではなんで自分が当事者になると,いらいらすることもあるのかと言えば,まあまだ思い通りにさせたい,と思ってしまうんだろうな。むむ。それに気がついたこともまたよかったし,実はそんな風に「同調」嫌いな子が好きなんだ,と気付けたのも成果。笑

     

    2015-11-07

    サークルベンチ

    09:59

    クラスには、サークルベンチが置いてあります。

    地域の仮設団地からのいただきもので、かなりしっかりした本格的なベンチ。ベンチ1台あたり子どもたち4人が座れる、座面もなかなか広いもの。

    教室の真ん中に4台、ドンッて置いてあり、サークルをかたち作っています。

    人によっては

    「邪魔じゃない?」

    って言われますけど、それをかんがえても余りある良さがあります。

    クラスの毎週の当番を決めるのもここで彼らはゴチャゴチャとやりますし、朝や帰りにはここがおしゃべりの場になります。学習中は本を読んだり、相談の場になったり、ときには机代わりや作業台になったりと。あ、あとゴロゴロ寝られる!


    教室に、自分の机・椅子以外に居場所があることの意味って本当に大きいなあって思うのです。私たちも、職員室に自分の机・椅子しか居場所がなかったら辛いですよね?職員室にはみんなが集まれる大きなテーブルがあった方が、絶対にいい!ですよね。


    子どもたちも同じだなあーって思います。

    時々、サークルベンチの上に乗って、グルグル回る遊びを休み時間にやっている子どももいるのです。幅広の平均台みたいなものですね。

    (注意して、ダメって言ったほうがいいかなあ〜)

    と思うこともあるんですけど、あまりにも危険そうでなければ、見て見ぬふり…しています。

    そういうことで育まれる身体感覚もあろう、と。

    自由度が高く、子どもたちのコミュニケーションが促進される環境としてはかなりいいです。

    はじめは、なかなか理解されませんけど(笑)、おおっぴらにすることで、

    (こういうねらいで、置いているのねー)

    ってわかってもらえます。だんだん。

    あ、使い方の多様性、多機能性について言いたかったのでした。

    2015-11-06

    石川町立石川小学校公開研究会

    00:42

     福島県石川町石川小学校の公開研究会に参加させていただきました。『学び合い』を全校に取り入れて実践している学校です。

     新しい気付きや新たに認識を深められるようなものもあり,参加して本当によかったです。

     気が向いたら,今後ちょこちょこと思い出してここにもいくらか,書きたいと思います。

    2015-11-04

    「ほんとはさ,ちょっと,苦手なんだよね…」

    00:31

    2学期は地域の介護施設が3・4年生の「総合的な学習」の場。

    介護員さんに「弟子入り」という形で,今まで4度の訪問を繰り返してきました。

     朝,私が印刷室で印刷をしていると,ある子が通りかかって言いました。

    「先生,今日って○○園?」

    「そうそう。今日から取材を開始するよ~」

    「わたしさ,ほんとはさ,ちょっと,苦手なんだよね。○○園。」

    「へえ,そうなんだあ。」

    「だってさ…」

     介護の現場ですから,まだ,小学生の子にはちょっと見るのが辛い気持ちになる場面も時にはあるでしょう。正直な気持ち,「行くのが楽しみ」とは,なかなかならないでしょう。(1学期の保育所訪問は,楽しい,で良かったでしょうけど)

    「そっかあ。それでもいいと思うよ。苦手な気持ちがあるんだよね。苦手だなあ,と思うことは悪いことじゃないよ。」


     苦手なんだ,と素直に言える子はある面,しっかり向き合っているのかも知れませんね。今日も介護員さんにたくさん質問をしながら,メモを取っていました。

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    【通信№82】

     2学期に入り,数度の○○園訪問を行ってきました。何度も訪問することによって介護員さんや,入所者の方々との距離も少しずつ縮まってきたように思います。今回からは,学習のゴールである「介護員さんに喜んでもらえる新聞作り」に向けて,取材活動もスタートです。

    「お仕事で大変なことはなんですか?」

    「うーん,やっぱりコミュニケーションかな。お年寄りだから,何度も同じ話をしてしまうことってあるのね。でも,それはお年寄りにとっては『はじめてする話』だから,そういう風に聴くことが大事なの。『また,その話?』とか『前にも聞いた。』とかって言ってはいけないんだよ。」

    「大事にしていることは何ですか?」

    「そうねえ,やっぱり笑顔で接するってことかなあ。やっぱりお年寄りに気持ちよく過ごしてほしいもんね。」

     社会で働く大人からの生の言葉から,子どもたちは何を学んでくれるでしょうか。

    2015-11-03

    迷ったら買い

    22:33

    ブックオフで見つけて、

    (どうするかなあ、買うかなあ、やめるかなあ…)

    と、迷った末の購入。

    迷ったら買い、にしておいてよかった。

    まだ、途中だけど、「遊び」とは何か?について考えを深められそう。

    保育の世界から学べることって実は大きいのではないかなー。

    2015-11-02

    「わかりあえないことから」

    17:20


    「いい子を演じることに疲れない子どもを作るのが、教育の目的ではなかったか」(P220)

    ここだけ引用すると、その意味するところついて誤解を受けるかもしれません。

    そもそも、「わかりあえないのだ」。だから、少しでもわかりあうにはために、摺り合わせ(対話)必要なのです、ということだと思います。


    摺り合わせる過程においては、当然「演じる」ことも必要でしょう。そうでないとコミュニケーションは成り立たないようにも思います。ここで言う「演じる」は、嘘やごまかしで言うところの「演じる」ではありません。相手との関係を一歩前に進めて行くための積極的な「演じる」です。

    「演じる」がマイナスのイメージで語られる場合はおそらく他者からの強制的な圧力(コントロール)の元でのそれであるのではないでしょうか。文中にもあるように「いい子」を演じるとか。大人で言えば「いい人を演じる」?

    でも、その子その人が思う「いい子」「いい人」でありたいという願いはきっと本当だと思います。それを「演じさせられる」という環境や関係性ある場合は、実はそっちの方が問題の根本。それ解決するのも「摺り合わせ」「対話」しかなさそうです。

    子どもたちが生きていくこれからの世の中。多文化社会。自分とは違う人ともうまく調整し合意形成を図りながらやっていかないといけないかなあ。今まで以上に。

    だからこそ、みんな折り合いをつけて合意形成を図りながら前に進む練習を、教室や学校でしていく必要があるんだなあと思います。そして、その

    ほうが「楽しい」「自分にとってよい」という体験の積み上げ。

    「先生がいうから、そういうものだ」「先生がいったから」じゃなくて、「私はこうしたいんだけど、みんなどう?」みたいな場にクラスや学校がなっていくことだなあ。

    「先生の都合としては、こうなんだけど。」

    って話も聞いてもらえないと困ることあるでしょうが。そこも「摺り合わせ」かな。笑。

    ひと手間かかって時間も必要なんですが、そこは大切なところかなあ、と思っています。