次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-08-08

    同じ方向を向く関係になれると

    19:14

    本当は,同じ立場のはずなのに,同じ方向を向けばもっとしあわせな関係をつくれるはずなのに,と思うことがあります。

     同じ苦しみやつらさを,本当は双方が抱えているのに,それを双方が心の奥底では「分かって」いるはずなのに,なぜか,なぜか『向かい合う関係』になてしまうことってあります。

    「誰のせいだ」

    「誰が悪い」

    「●●がちゃんと,■■の対策をしっかりしておけば…。」

    「責任は●●にある。責任をとってほしい」

    などなど。


     対立の構図。そうなると,どちらかが「勝ち」でどちらかかが「負け」になるまで続きます。決着が付くまで,とにかく「勝つため」に「負けないため」に言葉を尽くし,相手を責めたり,弱点を突いたり,時には詭弁を使ったり。

    残念な言葉の使い方です。


     勝った方が幸せになり,負けた方が不幸せになるか?よく分かりませんが,必ずしもそうではないこともありそうです。そうなると,なんのために言葉を使って対立するのか,分かりません。


     世の中,そう単純ではないかもしれません。対立することもあるでしょう。それでも,いつかはお互いに同じ方向を向けるようになろうね,と言う暗黙の了解はあってほしいなあ,と願うのです。

     だって,つらいのは双方同じで,本当の意味でそのつらさを共有出来るのは,その双方なんだと思うから。

     本当はお互いに理解し合える当事者。当事者同士が対立し,戦わなくてはならない状況にある構図を,見聞きすると,

    (本当は同じ方向をむけるのになあ,向けるといいのになあ)

    と思います。

     私が直接出来ることはほとんどありません。

     でも,だからこそ,教室,学校で「自分の身の回りの人の多くは,自分の仲間である」という体験を積ませたいなあ,と思うのです。自分の仲間にすることができる,できた,という経験をトライアンドエラーを繰り返しながら。

     誰が悪い,誰のせいだ,と誰かに責任を押しつけ一人にそれを背負わせるんじゃなくて。言い分も,そりゃあ,あるだろうけど,みんなで背負うしかないし,みんなで背負った方が結局はみんなが幸せになるんだよね,という経験。原体験


     それに,教室,学校だけでクローズする時代はもう終わり。地域の子ども(未来が)が集まる学校を中心に,地域みんなで,やっていかないと持続できない時代ですよ,これからは。

     誰がわるい,誰の責任,を乗り越えて,みんなで同じ方向を向く。向けるようになるためのコミュニケーションスキルを身につける。わかり合おうとするために,同じ方向を向けるポイントを見つけるために言葉を使う。そんな言葉に使い方。


     「共生社会」の練習を,学校でする,そんな役割。地方の学校にとってとっても大切なミッションじゃないかな。


     まずは教室,学校を「プレ共生社会」に。そして地域に開く,地域と対話する,地域とのパイプをつくる,外にでかけ,外の人が入れるようにする。その繰り返し。ちょっとずつ。


     学校の先生,そんなにすぐに転任している場合じゃないよ。