次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-05-06

    学校は練習の場。

    18:49

    教室の向こうに、社会が見えるようにというのが心がけている見方。

    分かりやすく言えば、

    教室が職員室だったらこれつまりどうなる?」

    ってこと。この見方は西川先生も度々使いますよね。

    教室における担任は職員室における校長。教室における担任は世の中における大統領首相?(この辺りはこれでいいのかよくわからないけど…)。まあ、そんなもんだとしましょう。ある意味「権力」があると言う点では似たようなものでしょう。

    願うのは国民の幸せ。クラスで言えば、子どもたちの幸せ。

    「君たちの幸せはこうである。だから私の言う通りしたまえ!」

    「いいかたつべこべ言わずに私の言う通りにすればいいのだ。それでしあわせになれる!」

    なんて大統領首相がいたら、それは独裁国家みたいなもんですよね。幸せや満足の基準は一人一人違いますから。

    「私がクラスを変えてやる!」

    とか

    「私が君を変えてやる!」

    なんていう教師は、

    「私が日本を変えてやる!」

    「私が国民を変えてやる!」

    みたいなもんで、結構、大きなお世話だったりする気もしますね。


    教室、学校と言うある面ミニチュアの社会の中で、自分たちに居心地のいい空間を(それはもちろん勉強ができるようになるという居心地のよさも含めてなんですけど)創る練習を、ぼくら教師がどのくらいサポートする気があるのか、ということなんだと思うんですよね。そりゃあ、練習ですから、うまくいかないことありますからそれも含めて「練習」と思って覚悟を決めることなんだなあ。だって、学校の大事な役割は「子どもを大人にすること」でしょう?民主主義の社会を担っていく大人を育てることですからねえ。

    ゆっくりでいいじゃないですか。先は長いんですから。