次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-05-26

    終わりは始まり

    23:03

     運動会が終わりました。

     「F小とO小が心一つに最高の運動会を作り上げよう」が児童会の今回の運動会テーマ。

     だから,私も練習の過程の中でよくこのテーマを出して,問いかけてきたつもり。ここを目指そう,ここを目指すにはどうしたらいい?どんな練習をしたらいいんだろう?こうなったと思う行動や言葉はあった?とか。

     でも一方で

    (心一つって何?)

    (最高ってどんなふう?)

    と思う自分もいました。

     教師の側から

    「心一つに,なんだからこうしなさい。」

    みたいな言い方はしたくないし,それってなんか違う気がしていましたし。

     今日は1時間目に,4年生と一緒にミニホワイトボードを使いながらのペアトーク「運動会どうだった?」の振り返り。そこからの「振り返りジャーナル」けっこうさらっと。

     子どもたちはやっぱり徒競走で1位をとりたいし4位だと悔しい。次の年は「1位をとりたい!」って思うんだなあ。

    「ビリになったけれど,力いっぱい走れたのでよかった。」

    なんて書いてくれると

    (いいぞいいぞ)

    なんて思ってしまいがちだけど,そうじゃないんだよね,やっぱり1位になりたいんだ。

     運動会は終わったけれど,すべて運動会で

    「ほら,こんなに成長しただろ!ほら,そうだろ?」

    みたいにはする必要はないなあ,と思ってあっさり。子どもの思うがままの振り返り。そしてそこからの再スタート。

     終わりは始まり。運動会は終わったけれど,そのなかの取組,経験を抱きながら次へ,緩やかなスタートをきろう,そんな感じでいきたい。

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

    【通信№23】

     「F小とO小で,心一つに最高の運動会を作り上げよう」をテーマに取り組んできた運動会も終わりました。「終わり」は「始まり」です。

     運動会で目指したこと,たとえば「心一つに」はこれからのあらゆる学習や行事でも活用できます。もっとも,「心一つに」は目標を共有すること。がんじがらめに縛るということではありません。

    「さあ,みんなでこれに取り組もうか!」

    というときに,みんなで同じ方向を目指して協力できる,支え合える,そういうこと。その場合の目指す方向は,もちろん「みんなのハッピー」につながることですね。

     運動会のその後,1学期の第2ステージに入ります。


     

    2015-05-24

    運動会が終わっての雑感 まとまりなし笑

    10:52

    運動会が終わりました。これ以上ないという天候の元実施できたし、子どもたちの一人ひとりの中に、練習期間 もとよりそれ以前からの「物語の『今』」が見られてとても嬉しかったし、その物語を、共有できる同僚がいてくれることも本当に嬉しいです。そして、「運動会」という今は、さらに今後に続く「物語」一部になっていきます。

    その、子どもたち一人ひとりの物語は、これからもずっと続くし、子どもたちの中にも物語は、私が見ている、感じているその子の物語とは、また違った色合いでしょう。なるべくみとりたいと思って読み取ろうとするんだけど、全てを読み取れるわけでもないし、読み取ることなんてきっとできません。

    「◯◯小と◯◯小が心一つに最高の運動会を作り上げよう」が今回の運動会にスローガン。

    スローガンが達成できたかできなかったか、それは分かりません。正直いうと。でも、それは決してマイナスな意味合いで思うことではなくて、そもそも分からないことなんだと思うからです。

    「達成できた」と感じる子もいるし、「今一つ」と考える子もいるし、「あの時はできた瞬間だったかも」と思う子もいるし、一人一人場面場面できっと異なるから、簡単に

    「達成できた」「達成できない」

    なんて、判断できないよね思うのです。本当に判断しようと思うと、子どもたちと評価の指標を作ればその一端でも評価できるんでしょうけど。

    「どう、運動会、満足できた?」「よかったなあ、と思うことはどんなこと?」「うまくいかなかったことはどんなこと?どうしたら今度はもっとうまくいきそう?」「運動会でうまくいったことや上手くいかなかったことを、これからに生かしていくにはどうしたらいいかなあ?」

    運動会が終わった後のしばらくは、きっとそんなことを子どもたちに問いかけていきたいなあと思っています。いろんな子どもたちがいるから 、いろんな感じ方考え方があっていい、それをお互いに大切にしていくってことを、基本にしたいから。だから、簡単に「達成できた」「達成できなかった」に多分ならないだろうなあと思います。モヤモヤのまま(笑)

    そのモヤモヤのまま、

    「さ、次いこー!」

    になりますね。たぶん。

    きっと手応えは子どもたち一人ひとりの中にしかないから、私は、子どもたちとちょっと違う立場に立って

    「どう?どんなふうになりたいの?どうしたいの?」

    「どうしたらいいと思う?」

    「あの時、こうしていたね。いい感じじゃない?」

    とか、声をかけていきたなあと思うのです。子どもたちが、なるべく自分がなりたい自分になれるチャレンジができる場を用意する、そんなイメージ。

    運動会が終わって、1学期の第2ステージってイメージをもってやっていきたいです。

    2015-05-22

    明日は運動会です

    20:42

    「あー,明日が楽しみだな-」

    「もっちゃん,緊張するー!」

    「応援合戦,がんばる!」

    「あー,リレーどうなるかなー!」

    「楽しく踊りたいな~!」

    あれこれいいながら子どもたちは帰っていきました。


    「明日が楽しみ!」

    うん,そうそう,そういう感覚を今のうちにいっぱいしておこうよ。

    「明日が楽しみ!」

    になるように,今を一生懸命,楽しもう。そういうことなんだよなあ。

    明日はきっといい天気。

    2015-05-21

    「物語」

    21:53

     運動会を目前に控えた全体練習。

    「心一つに最高に運動会にしよう」

    という児童会スローガン。全体指導で,壇上からかける言葉の多くは(全部じゃないけど),どうも,そのスローガンに向かっていない言葉じゃないの?って思うものが多くて,ちょっぴり残念な気分。

     まわりで見守る先生たちも

    (そんなに厳しい顔してなくていいんじゃない?)苦笑

    と感じてしまう方も。

     

    そんな中,終始スマイルで練習を見守る先生もいます。


    「笑顔で練習を見守っていましたよねー。」

    というと

    「ええ,一つ一つ物語が見えまして」

    と。


     そう,そうなんだなあ。物語。ピンポイントのその時だけでなく,「物語」。一人一人の子どもを「物語」で捉えようとする。捉えているその見方なんだなあ。

     すっごくぴたっとする言葉をもらえて,今日の一日はこれでハッピーだなあ。

     子どもたち一人一人に物語あり,です。うん,僕らは子どもたちの「物語」に関われる喜びをもっと感じないとなあ,と思うのでした。

     いよいよ土曜には運動会です。

    2015-05-20

    大切なところ

    22:46

    目標と学習と評価の一体化。

    目指していることに向かって、取り組んでいることが、どのくらい達成できたか、できつつあるかを振り返ってみること。そして、その先により進めるためにどうするかを見通しを持つこと。

    運動会だって、学校教育目標に向けての年間の教育活動の一つの節目。だから、総練習の反省会だって、その運動会のねらい達成にむけて今の時点でどのようであり、本番までの数日にどこをさらに子どもたちと創って行く必要があるだろう ?みたいな中味はどうしても必要だ。必要というより、そっちがメインになるはず。

    決して、うまくこなす、効率的に運営することが第一にすることではない。

    運動会が終わったら、必ず、学校教育目標に照らし合わせながら運動会の振り返りをする機会をつくらないといけない。

    ここ大切なところ。

    2015-05-19

    目標とかスローガンとかは誰のものか

    23:12

     運動会の今年度の児童会スローガンは

    「心一つに,最高の運動会を作り上げよう」

    です。この言葉の背景には,子どもたち一人一人の具体的なイメージがあるはずです。「心一つ」にしても「最高の運動会」にしても,言葉は,まあ,その通りなんですが,一人一人その言葉のもつイメージや具体的な行動場面は異なるでしょう。もしかしたら,ただ言葉だけでイメージをまだもてていない子だっているでしょう。でも,いいんです。運動会までのプロセスの中で,その言葉に結びつく具体的な場面をみんなが共有したり広げたりして行けば,それが本物になっていくでしょう。そこにむけて,子どもたちに問いかけるのがある意味,教師の役割。

     しかし,往々にして,このスローガンや目標を,教師が子どもをコントロールするのに都合よく使う場面もあります。

    「ほら,目標はこうだろう?だから,こうしなさい。」

    とか

    「これが出来ることが,目標につながるだろう?」

    とか。

     でも,私なんかはうーん,と思ってしまいます。子どもが立てた目標で,子どもが実現したいと思っていること。教師側がそれを取り上げて,子どもに示すことこそ,彼らの主体性をないがしろにしているように感じてしまいます。

     いつの間にか,子どもがつくったhずの目標が子どもを縛るものに変えられている,そんな気がします。

     憲法の解釈とにている,そんなことも感じてしまうんですよね。

     だから,子どものスローガンは徹底的に子どもに返します。

    自分たちで決めるということ

    22:53


    日直を置いていないクラスですが掃除と給食の当番はあります。でも,あのよくある,ダイヤル式の当番分担表はありません。

     「今度,なんの仕事やりたい?」

    で,みんなで話し合って自分たちで決めています。

    これまでは,朝のサークルタイムの時に,私が間に入り,子どもたちの希望をききながら(つまり仲立ちをしながら)決めていましたが,今回からは全て子どもたちにお任せしました。

    「そろそろ,みんなだけで決めなよ。」と。

     条件は1つ。「みんながお互いに納得すること。強引にきめるのはだめ」です。 

     たかが掃除当番,給食当番ですが,そこにも権利と権利の衝突がおこります(笑)。どちらかが譲る場合もあり,ジャンケンをする場合もあり,仲立ちをする子が表れる場合もあり。ベターな解決方法は,子供たちの中にあります。

     「譲るから譲ってももらえること」「約束を取り付けること」「どの仕事でも役割でもOKと言える自分に気付くこと」「自分の主張をしすぎたが上に,希望の仕事になったけれどちょっとバツが悪くなったこと…」などなど,こと当番決めの中にも子供たちの育ちにつながる要素がたくさんです。当番を決めるのに「効率的」ではないかもしれませんが,おりあいを付けることを学ぶためには,必要なプロセスの一つだと思っています。

    2015-05-18

    なんじゃそりゃ笑

    23:23

     朝,職員室にいたら,クラスのS君がやってきていうことには

    「R君が,ぼくが話しかけても『それで?』とか『だから?』みたいにいって全然聞いてくれません。」

    と。

    「なるほど,それで?」

    「ぼくが何度も言っているにに,聞いていないふりをしたりとか。」

    「ほー。それは頭にくるねえ。それで?」

    「????」

    「あ,で,S君は私にどうしてほしいの?」

    「あ,R君をそういうことはやめなさいって説得してほしい。」

    「あー,なるほどねえ。私にR君を注意してほしいってこと?」

    「はい。」



    まあ,こんな感じでした。



    「それは,それでもいいんだけどさ,でもいきなり私が行って,R君に注意するより先に,いったんS君がもういちどR君に話してみたら?『やめてよ!』とかってさ。だって何かあるたびに先生が出て行ったんでは,なんかイマイチじゃない?もしS君がそういってもRくんがしつこくそういってきたら,S君怒ったっていいんだからさ。私も教室にいて遠くから見ててやるからさ,そうしてみない?」

    とS君には言ってみました。S君も,それなら,って感じで納得したので,一緒に教室に。遠くからS君とR君を見ていることにしました。


    一言,二言かわすS君とR君。なにやらごにょごにょっと話したあと,また二人であれこれおしゃべり。

    「で,終わったの?」

    ってS君に聞いたら

    「はい。」

    だって。R君には

    「けんかしたの?」

    って聞いたら

    「ぼくらのけんかはすぐに終わるんだよね!」

    だって。

     なんじゃ,そりゃ(笑)

    新しい展開になりますように

    23:09

    「子どもの権利条約フォーラム2015in石巻」の第2回実行委員会に参加してきました。

     第1回の時は,あまり時間がなくてやれなかった自己紹介をまず始めに。30人くらいいるので,一人30秒から1分くらいで。

     私は,その中で唯一の学校教員で現在学校勤務の立場。自己紹介では,うちの学校はなかなかいいです,自慢しますってことと,うちのクラスの子はこんな風に学んでいますってことを短く。もちろん,「子どもの権利条約」ってことに照らし合わせても,まあまあいい感じだとは思うので。子ども支援の様々なNPOの代表者や市役所生涯学習課や子育て支援関連の行政職の方もいるので,うちの学校を宣伝する意味もあり。

     「子どもの権利条約」を規準にした場合,『学び合い』も「信頼ベース」の考え方も大きなアドバンテージがあるはずです。実行委員会後に何人かの方と雑談をしながら,クラスの授業動画をみましたが,とても興味をもっていただきました。

    「教室に行ってみてもいい?」

    「校長先生にお願いしたら,許可もらえますかね?」

    などと質問もされました。

     学校以外の外部団体,それも子どもにかかわる団体とつながっていくことはまた新たな展開を生むきっかけになる気がします。そのきっかけを作っていきたい,そう思います。

     まずは11月の全国フォーラムに向けて,ちょっとずつ準備,準備。

    2015-05-17

    くじびき

    21:43

     徒競走の組み分けは,基本毎年,くじ引きです。そういうと,大概

    「え?」

    「くじ引きなの?」

    って言われます。子どもには言われませんが,教師仲間から言われます。いつもの事なので,職員室の仲間はもう慣れっこなので驚きません(それでもまねしてくれる人はいません…。(^_^;))が,よその学校の人には言われます。でも,子どもからは言われません。だって子どもたちに

    「どうやって決めたらいい?」

    と尋ねると,

    「くじ引き!」

    ってだいたい言うから。

     では皆さんはどうやって組み分けをしているかというと,事前に50mなら50mを子どもに走ってもらってそのタイムをもとに決めたりしています。つまり,「足の速さが近い」もの同士で走るようにしているようです。

     10年くらい前は,私もそうしていた時期があったので,分からないでも無いですが,今は

    (そんなことしてもねー)

    と,ちょっと思います。

     だって,なぜ,「足の速さが近いもの同士」で組ませるのでしょう?あまり差が付かないようにするためでしょうか?かつての私は漠然とそう思ってやっていました。もしくは「そのほうが走りがいがあるだろう」と思っていたからです。でも,そうやっても差が出るし手を抜くときは手を抜くわけです。

     結局だれと走ってもいいわけです。なぜなら,何位になってもそれはそれでいいからです。最後まで全力で走りきることが大切。子どもがそのことを理解し納得すればそれでいいわけです。 子どもに求めたり,語ったりすることは

    「最後まで力を抜かずに走ろうね」

    「手抜きをしないで,ここ一番に全力を出せる自分になれた方がいいよね。」

    「余裕で1位になれそうだからそこそこで走るとか,ビリになるからどうだとか,そういうことが理由で自分の力を出し切れないんでは,『楽しい』『くいのない』運動会になるかなあ?」

    ということです。だから,誰と走っても何位になっても別にそれはどうってことないと私は思っています。

    「○○君は足が速いよね。この中の誰も○○君と一緒に走ったらかなわないよね,たぶん。でさ,○○くん,6年生と走っても勝てる?」

    「えー!無理。」

    「うんうん,だよねえ。まだちょっと無理だろうねえ。自分が足が遅いって思う人いる?あ,□くん,じゃあ1年生と走ってみる?きっと1位になれると思うけど…。あ,いや?うんうんそうだよねえ。」

    「ね,だから1位だとかびりだとか,そういうことは実はたいしたことじゃないんだ。もちろん1位になればうれしいしそれはそれですばらしい。ビリになってしまったらそれは悔しいかもしれない。でも本当に大切なのはそこじゃないんだ。分かる?」

    なんてことをちょこちょこと話します。

     「何位になってもいいから,最後まで全力で走ろうね!」

    と子どもに伝えるのなら,組み分けはくじ引きだっていい。そのほうがシンプルに,私が伝えたいことが伝わるから。

    「だれと走っても何位でもいいの。最後までしっかり走りなー(^^)」

    ってこと。

     こういうことって席替えにも当てはまりますよね。

    「だれと一緒になってもいいじゃん。」

    「だれとでも話せた方がいいじゃん。」

    「いろんな仲間と協力し合えた方がいいじゃん。」

    だから,席替えもくじ引き。毎週。 

     だからクラスのみんなはくじ引き慣れしています。席替えだってべつにイベントでも何でもありません。

     この先は,自分たちで徒競走の組み分けや席を決める,がありますね。それもいいですね。きっと何の問題もなく,子どもたちは決めるでしょうね。

    2015-05-16

    もうすぐ運動会です。

    09:48

     運動会まで,あと1週間になりました。練習も大詰めに入りました。

    児童会が決めた今年の運動会スローガンは『F小とO小が心一つに,最高の運動会を作り上げよう」です。(※仮設校舎で隣接している2校合同の運動会ですので)

     その具体的なイメージは,「勝っても負けても楽しい」「悔いのない」「一生懸命」「全力で」「笑顔で」です。

     「では,そうなるようにどういうプロセスをくんだらいいかな?」

    と問いかけること,そしてそのスローガンと子どもの事実を見取りながら,学校の教育目標とのつながりを見いだしていくのが私たち教師の役割かなあと思っています。そして,運動会まで試行錯誤しながらプロセスを積み上げていくのが子どもたちの学びになることでしょう。

     その試行錯誤のプロセスを教師が待てないと,教師からの一方的な指導になりがちです。そして,思い通りに子どもが動けないと残念な感じの叱責とかになります。(自戒です。)

     教師にとっての運動会ではなく,子どもにとっての運動会。「いい運動会にする」のは子どもの仕事であり,いい運動会になったかどうかは子どもたち自身が評価すること。そして,運動会の取組は,運動会が終わってからも実は続く,ということ。そういうイメージを,保護者の方にも伝えたい,そいいう思いで,通信も書きます。

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    【通信№20より】

    追波川運動公園での練習も始まりました。いよいよ運動会の練習もいよいよ本番モードに突入です。

     「運動会の練習が楽しい。」

    が,私は大切だと思っています。運動会本番は,そこに至るプロセスの最後です。そして運動会の本番自体,1年という3年生の一年間の中ではプロセスの一つ。ゴールではありません。

     子どもたちは,毎日の振り返りジャーナルの中で,

    「今日は,徒競走の練習で○○ちゃんと走って,どきどきした!」「転んだときに,○○ちゃんが『だいじょうぶ?』って言ってくれてうれしかった。」「バンブーサーフィンで,4年生の○○さんが教えてくれてうれしかった。」などなど,その日の練習を振り返ります。

     子どもたちが日々練習を積み上げる過程で,何に喜び,何に悔しがり,何を残念に感じるか,そういうことをみんなで共有していきたいのです。

     子どもたちの人生は長い。自分の持ち味を活かし,「自分も楽しい,みんなも楽しい」はどうやって創っていくのか,そういう体験的な学びが運動会でもあり,学校生活でもあると思っています。

    2015-05-12

    「生徒指導」

    23:08

    学び合い』の学級は,おそらく圧倒的にいじめや不登校などの生徒指導的な課題は少ないと思うなあ。

     クラスメンバーのコミュニケーション量が圧倒的に多くたくさんのおしゃべりを日々積み重ねているから。おまけに,お互いに世話になる,世話してもらう手伝ってもらうなどの協働的作業が毎日毎日様々な場面で行われるのだから,お互いにいい関係でいた方がいいし,そもそも一緒に同じ目的目標に取り組んでいくんだから,仲良くもなっていく。少なくとも折り合いをつけることは必須。

     それでも,たまにはもめたりすることもあるけれど,逃げようと思えば,どこにでも逃げ場があるのも『学び合い』。距離感を自分でつくれますしね。ほとぼりが冷めたら,とか,そろそろ仲直りしたいと思えば,頃合いをみて一緒に活動を始めればいいだけのことですから。

     そもそも,なにか問題が起これば,それはクラスの衆人環視の中ではっきり見て取れるので,大概,誰かが間を取り持ったりしてくれます。

     そんな時間を1年ないし2年積み重ねるのですから,そりゃあ,子どもたちの中に,トラブル回避能力,トラブル解決能力みたいなものが集団の中に築かれていくんだと思っています。それは,子どもたち自身が経験の中から身につけてきたものです。教師がつけた力ではありません。それだけの経験かな。

     

     それだけの経験をしている,というのは,つまり教師は余計な口をあえて出さず,余計な手をかけずに見守り続ける,っていうのが条件。当然子どもたちの毎日には,ごたごたはつきもの。そのごたごたを経験しながら,子どもたちは育っていくんだから。

     教師には解決できない問題が多いし,教師は子どもにずっとついて行く訳ではありません。だから,子どもたちの力を信じて見守る,子どもたちが自らの力を引き出せる場をつくる,そういう場を守ることなのではないかなあ。

     特別な何かをする,言う,教える,ことがかえって邪魔なとき,子どもの育ちを阻害しているときって案外あるんだと思うなあ。

     学校不適応の,生徒指導問題の話が耳にはいるたび,気になることです。

    いいじゃないか!笑

    22:33

     初任者研修から帰ってきた先生が職員室で言うことには,

    「私がね,勤務校は『○○小です!』っていったら,その先生『いいなあ』って言うんですよ。『なんで?』ってきいたら,『居心地がいいんだって?』て言われたんですー。」

    と。

     それを聞いた職員室メンバー,拍手!

     居心地のいい学校として,噂が広まっているなんていいじゃないか(^^)

     肩ひじはらない自然体の学校,というテーマなら立派に「公開研究会」出来るよ。笑

    2015-05-11

    余裕を失うといけませんね

    23:40

     今日は1日朝から出張でした。それでも,朝の一部の時間でもなあと思い学校に行って,教室で子どもたちと朝学(朝のちょっとしたプリント学習)をしていました。

     そんな中,Aちゃんが

    「もっちゃん,今日は何の本?」

    と尋ねてきました。だいたい毎日朝の時間に絵本の読み聞かせをしているので,そのことを尋ねてくれたのでしょう。

     ふつうなら,

    「あー,今日は出張なんだよね-。だから,ごめんね-,今日は読めないんだな~。楽しみにしてくれてありがとねー。明日で勘弁してね。」

    とでも応えるでしょうが,ばたばたしていた今日は

    「あー,今日は出張なんだよねー。だから読めないなー。」

    で終わり。

     出張に行く途中の車の中で,ふと,そのときの事がなぜか思い出されて,

    (あー,Aちゃんが何でそういったのかを感じないといけなかったなあ…。)

    と反省したのでした。

     余裕を失うといけませんね。

    2015-05-09

    「効率化」?

    18:58

    先日,地区の研究主任が集められての研修会がありました。

     各校の研究主任がいくつかのグループに分かれて「研究推進上の課題」を出し合って話す場面があったのですけれど,多くの方が

    「校内研究の取組の効率化」

    「目標や情報の共有化」

    をあげていました。

     そのときは

    (やっぱりねえ。どこも同じですねえ。)

    とは思ったのですが,よくよく考えると,そもそも「効率化」でいいのか?と思うのです。「効率化」なんて言葉を聞くとなんか無条件に「すばらしい」と思ってしまうのですが,子どもに関することで「効率化」で本当にいいのかな?という目を持つことも必要だなあと思います。もちろん,その「効率化」をいわないと,どうしようもなく現場が忙しすぎるという現状があり,だからこそ「効率化」なんてことになってしまうのでしょうが。

     とはいえ,「忙しいんだから効率化だ」とすぐいってしまうのは,なんだか本当に大切にすべきことを,どこかに置いていってしまうようなその場しのぎの対応になってしまわないとも限りません。

     もう一つの課題としてあげられた「目標や情報の共有化」だって,実を言うと, 「取組の効率化」と相反する課題のようにも思われます。共有するのはそんなに簡単じゃなし,時間がかかるものの。短時間(期間)での共有なんて,「共有したことにして」みたいになりませんかね?本当に共有するには長い時間と多くの対話が必要になるのが普通かなあ?と思うのですね。

     この相反する課題で板挟みになっているのが,今の学校現場の研究主任の立場かもしれませんね。

     ではどうするか?「大切にしたいことは何?」をはっきりさせながら,その規準をもとにして,「(したほうが丁寧だろうけど)しなくてもなんとかなる」ことは思い切ってしない,という選択も必要になるんだよなあ。

     「効率化」しなくて本来いいわけだし,効率化してはいけないことが「大切なこと」なんだから。

    楽しい運動会はみんなで創れる

    09:46

     子どもたちも「楽しい運動会」にしたいと思っています。教師も同じ。な芸は同じ。ならば「楽しいってどんな感じ?」っていうイメージをみんなで摺り合わせながら,共有していけばいいだけのこと。

     一人一人の「楽しい」はもちろん違うけれど,それはお互いがそれぞれの「楽しい」も尊重すればいいだけのこと。結局はみんなでやれば楽しいし,みんななの中で自分が大切にされる,みんなを大切にする,それができれば楽しい。そして,その感覚は,世の中に出てからも,世の中に出てからこそ大切な感覚になるはず。運動会だってそのためにやるんだよね。

     教科の学習だって同じ。子どもたちの思いと教師の思いは,同じ。だから同じスタートラインに立って,

    「一緒にいこうぜ」

    って言えば,思えばいいだけなんだよね。

     決して「させる」「やらせる」ではないんなあ,と。

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    【通信№18】より

     「どんな運動会にしたい?」「なるといい?」

    と運動会の児童会スローガン案を作るときに,子どもた地と相談しました。

    「楽しい運動会!」「笑顔がいっぱいの運動会!」「勝っても負けても楽しい運動会!」などなど。

    「もう少しくわしく教えて?」

    「チームワークよくする!」「協力したり…」「応援とかもする」「一生けんめいやる」

    「うんうん,なるほど。」

     子どもたちが目指したい運動会と,私たち教師が目指したい運動会はまったく同じです。だから,運動会の練習が「楽しい」「笑顔がいっぱい」「勝っても負けても楽しい」でないといけません。

     3・4年生団体競技は,毎度おなじみ「バンブーサーフィン」です。また?なんて言わないでくださいね。この競技の優れたところは,常に全員参加であり運動量が十分確保できると同時に,その練習のプロセスでチームの「知恵」「チームワーク」「おもいやり」を体験を通して学べること。もちろんその過程にはなくてはならない「トラブル」や「葛藤」付き(笑)。そういうことを経験しながら本番に臨むからこそ,「楽しい」運動会が創れるのです。すんなりすぎてはつまりません。

     先日は第1回目の練習。やり方やルールを簡単に説明した後

    「とにかく,やってみなよ。」

    とチームごとの自由練習。その後

    「どうやったら,もっとうまく速く,勝てるようにやれそう?勝っても負けても楽しい運動会にするんだから『赤にはおしえなーい』とか『白には教えなーい』なんてけちな真似しないで,お互いにアイデアを出し合おうね(笑)相手が強い方が楽しいでしょ?」

    と,アイデアの共有。

     次回練習は,このお互に共有しあったアイデアをもとに,練習!です。

    2015-05-07

    ウズラのたまご

    23:51

    給食中。

     おかわりにきたA君。

     ウズラのたまごを,ごっそり。(意図的に入れたのか偶然かは?ですが笑)

    それを見た誰かが

    「あー,Aくん,ウズラのたまご,そんなにとっていいのー!」

    と。A君

    「いいんだよー!だってさっきBちゃんもとってたもん!」

    と。

    「・・・・・・・・・・」

    で,私。

    「あのー,Bちゃんのことは,まあ,置いといて,A君はどう思うのさ?」

    とたずねてみました。

     しばしA君考えて,ウズラのたまごを4こ?戻しましたとさ。

    ウズラのたまごのお話でした。笑

    2015-05-06

    学校は練習の場。

    18:49

    教室の向こうに、社会が見えるようにというのが心がけている見方。

    分かりやすく言えば、

    「教室が職員室だったらこれつまりどうなる?」

    ってこと。この見方は西川先生も度々使いますよね。

    教室における担任は職員室における校長。教室における担任は世の中における大統領?首相?(この辺りはこれでいいのかよくわからないけど…)。まあ、そんなもんだとしましょう。ある意味「権力」があると言う点では似たようなものでしょう。

    願うのは国民の幸せ。クラスで言えば、子どもたちの幸せ。

    「君たちの幸せはこうである。だから私の言う通りしたまえ!」

    「いいかたつべこべ言わずに私の言う通りにすればいいのだ。それでしあわせになれる!」

    なんて大統領や首相がいたら、それは独裁国家みたいなもんですよね。幸せや満足の基準は一人一人違いますから。

    「私がクラスを変えてやる!」

    とか

    「私が君を変えてやる!」

    なんていう教師は、

    「私が日本を変えてやる!」

    「私が国民を変えてやる!」

    みたいなもんで、結構、大きなお世話だったりする気もしますね。


    教室、学校と言うある面ミニチュアの社会の中で、自分たちに居心地のいい空間を(それはもちろん勉強ができるようになるという居心地のよさも含めてなんですけど)創る練習を、ぼくら教師がどのくらいサポートする気があるのか、ということなんだと思うんですよね。そりゃあ、練習ですから、うまくいかないことありますからそれも含めて「練習」と思って覚悟を決めることなんだなあ。だって、学校の大事な役割は「子どもを大人にすること」でしょう?民主主義の社会を担っていく大人を育てることですからねえ。

    ゆっくりでいいじゃないですか。先は長いんですから。

    2015-05-05

    評価とは見続けること

    11:51

    学び合い』の大きなアドバンテージの一つは,圧倒的に子どもたちを見ていられる,という点かなあと思います。

    「評価とは見続けること」と水落さんはお話していましたが,その「見続けること」がとてもしやすい環境ですよね。

     「評価」なんて言ってしまうと,どうかするといつも監視,査定?しているみたいですがそうではなくて

    「あ,あの子,前はこうだったのに今はこうできるようになったんだ~。すごいな~」

    とか

    「あれ,なんか困っているみたいだなあ,どうしたのかな?」

    「さて,なんで困っているのかな?ちょっと見てみよう。サポートは必要かな,どうだろう?」

    ってこと。アセスメントってことかなあ。願いながら見続けること。

     一斉指導主体だと,どうしても言動の主体は「わたし」になってしまうから,私の都合を優先しがちになってしまいます。でも,活動自体を子どもたちに任せると,その間は子どもを見続けることが出来ます。それが評価。

     その「見ているよ」のサインを送り続けられるっていいんんです。言葉である必要は無くて,目線だけでもジェスチャーでもOK。むしろそっちのほうが言い場合もありますよね。

    「見ていてくれている」

    という安心感を,子どもたちに与えられているかってことが実はとっても大切かなあ,と思います。それが出来ているときは,クラスは結構安定します。反対に,私が安心しすぎて(手を抜いて)見ること,見ていることを伝えることを怠っているとなんと無く歯車が狂い出す,そんなイメージ。そこで叱ってしまうとドツボにはまります…。(これは何度も犯した失敗です。)

     子どもたち,というか人はそもそも成長したいし,楽しいことのほうが好き。みんなが勉強する時間・場ではみんなと勉強した方が圧倒的に楽しいはず。そこを信じて(当たり前と思って)ただ,応援する,そんな立ち位置になれるようにしたいなあ。

     まだまだ修行です-。

     

    2015-05-04

    連休明けからは運動会の練習です

    11:15

     私は,子どものころ,「運動会の練習」が嫌いでした。運動会は嫌いじゃないけれど,「運動会の練習」は嫌いでした。(^_^;)

     なんでかっていうと,楽しくなかったからです。やたらと入場行進させられたり,誰かが大声で叱られたり,各競技も入場の仕方や退場の仕方を何度もやらされたり。肝心の競技の練習の時間よりも,そっちの時間のほうが長かったような印象です。

     そんな私ですから,「練習も本番も楽しい運動会」を目指したい。そもそも子どもたちの多くは体育が好きですから。運動が苦手だっていう子だって,みんなとわいわいするのは楽しいですから。

     だから,大事にしたいのは運動会の「ねらい」です。

     本校の場合は

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

    1 ねらい

    (1)楽しい行事をみんなで協力して作り上げることを通して,集団への所属感や仲間意識を高める。

    (2)日常の学習の成果を発表し,運動に対する意欲と関心を高め,健康な心身を養う。

    (3)運動会の応援合戦などの児童活動を主として,計画の内容や運営に児童を参加させることにより,自主性,計画性,創造性を伸ばし,協力と責任の態度を実践を通して身につけさせる。

    (4)縦割り(班)活動を生かすことで,お互いに協力し合い,相手を思いやる気持ちを育てる。

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

     そう,「楽しい行事をみんなで作り上げる」プロセスが大事なんですね。そのプロセスを通して,運動することが好きになったり(少なくても嫌いではないくらい),「自主性,計画性,創造性」を発揮できる場面があったり,「お互いに協力し合い,相手を思いやる」ことが出来るような場面や余裕を整えることが必要なんだと思います。

     だから,1~10まで「ああしろ,こうしろ」ではダメなんですよね。

     この,運動会のねらいを,何度も子どもたちと対話しだんだんと共有しながら運動会当日に向かうプロセスこそ大切にしたいなあ,と思うのです。だからはじめはごたごたのスタートで当然だし,OK。そこからのプロセスを子どもたちと一緒に楽しむくらいの余裕でやりたいですね。

     若い先生たちは,時に

    「はじめからびしっと!」

    と肩に力が入るのも無理はないんですが,私を始めそこそこの年代の教員が

    「ま,いいからいいから。最後には子どもたち,ちゃんとやりきるから。」

    というくらいの,一見緩い感じでちょうどいいあんばいになると思います。

     行事は,子どもたちのもの,ですから。教師が取り上げてしまってはもともこもありませんよね。(^^)

     うちの学校は,たぶんこれ,やれるなあ。楽しみ楽しみ。

    2015-05-03

    「死ね,消えろ」事件 笑

    09:16

    「Aちゃんに,『死ね,消えろ』って言われました。」

    と2年生の子2人(B君,C君)が私のところにやってきました。

    「そっかあ。それで?」

    と聞いてみたら,

    「ブランコに勝手に乗っていて,『どけて』って言ったら,『死ね』って言ってきた。」

    と。

    「じゃあさ,今ここにAちゃんがいないと,よく分からないから,Aちゃんと一緒に話を聞くからそれでいいかな?」

    と言うと,

    「うん」

    というので,あとから話をあらためて聞くことになりました。

     それでそのあと。ホワイトボードがある図書室で3人が集まってくれました。そのあと,うちのクラスの子と4年生もそこで学習だったので,結果的にギャラリー付き。(わたしは,けっこう,こういうのはオープンにやってしまうほうがいい場合が多い気がするので,あえて『出て待っていて』とは言いませんでした。)

    「どうだったのか,教えてくれる?」

    って感じで,Aちゃんもふくめた3人の話を聞きながら,ホワイトボードに書いて聞きました。

    「なるほど,なるほど」

    「そっかあ」

    「うんうん,そのときなんて言ったの?」

    とか相づちを打ちながら「聴きながら書く」で。

    どうやら,こういうこと。

    B君の家にC君が遊びに行っていた。B君とC君が家から出てきたら庭にあるブランコにAちゃんが乗っていた。(かなりオープンな庭でもあるので)それを見たB君は(なんで勝手に乗ってるの?)と思った。おまけに,靴をぬいで乗っているそのブランコにAちゃんは靴を履いたまま乗っていた。だから

    「(そんなふうに勝手に乗ったり,靴を履いたまま乗るんだったら)もうこないで!」

    と言った。

    そう言われたので,Aちゃんは(はじめは「そんなこと言っていない」と否定していたんだけど)

    「帰れっとか言われたから…。」

    と。

    「なるほど,こういうことでいい?」

    と一応確認。

    「じゃあ,B君やC君が怒っているのはこのホワイトボードの中にあるどこのところ?」

    と尋ねてみると

    「勝手に乗っていることと,靴のままのっていること。」

    「なるほど。Aちゃんは?」

    「帰れって言われたこと。」

    「そっかあ。これからはそうしたらいいかなあ?」

    と私。

    B君C君「乗るときには言ってね,って言う?靴のままのらないでねって言うとか?」

    Aちゃん「乗りたいときは言う?くつを脱いで乗る?」

    私「なるほどね。そうすれば,けんかにはならなかった?」

    みんな「うん。たぶん。」

    「ここは自分が悪かったなあ…。って思うところある?」

    と尋ねてみたら

    B君とC君は

    「すぐ,『帰れ』っていったこと。」

    Aちゃんは

    「勝手にのったこと。靴でのったこと。」

    と。(子どもたちはちゃんと分かるんだなあ。)

    「うんうん,そうかもね。そこを次はうまくやればいいんだよね。じゃあさ,次からはうまくやれるかなあ?やれそう?」

    と尋ねた後に,

    「まあ,お互いにここは悪いなあ,と思うことがあったら謝りなよ。悪くないって思えば謝る必要ないし。あとは君たちの問題だからね。(^^)」

    で,終了。

    B君,C君は言い足りなかったことを謝ったようだけど,Aちゃんは謝れず,みたいでした。まあ,Aちゃんは今までもいろんな事で注意されたり指摘されたりしてきた多かった子だから,そんない簡単に自己の非を認めることは簡単では無いのかもしれません。B君もC君もAちゃんが,「ごめんさない」と言葉にしなかったことに特別こだわっている風でもなかったし,それはそれでいいのだと判断しました。

     お互いに言い分もあれば,足りなかったこともある。ほとんどのけんかは多分そう。どっちかが一方的に悪いということはほとんどありません。売り言葉に買い言葉ってこともあります。

     こういうやりとりを多くのみんなの前で出来たことも,それはそれで意味のあることだったと思います。

     ホワイトボードでの可視化,これは手段としてはかなり有効ですね。

    2015-05-02

    何と無くうまくいっている、というそういう感じ

    19:11

    何と無くうまくいっている、そういう感じが好きなんだなあ。

    うまくいくこともあれば、ゴタゴタすることもあっりで、それでいてなぜか、教師が特別出しゃばらなくてもそこそこうまくいく、そんな感じがいいんだなあ。それでちょうどいいんじゃないって思っているんですよね。実は。

    みんなにとってフィットする空間ってきっとそんな空間なんじゃないのかなあ。

    誰ににとっても、そう、一人残らず、そこそこ居心地のいい空間ってどんな空間かなあ、考えたりするんです。