次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-03-15

    評価って難しい

    08:13

     評価するには,お互いの信頼関係が大切ではないかなあ。それは,評価者が評価をすることに対しての情報を持っていることも含めて。なかなか難しいかもしれないけれど,「この人に評価してほしい」と評価を受ける者が思えれば最高。それは,よく評価をしてほしいからというの,ではない。「この人は自分と同じことを目指している」と思えるかどうか。

     だから,そもそもの目的。

     子どもへの評価なら,子ども一人一人の成長だったり。子どもも成長したい,教師もサポートしたい,目的・目標は一致するはず。学校評価なら,よりよい学校づくりのために。子どもにとっても保護者にとっても,教職員にとっても,地域にとってもよりよい学校につなげていくため,だと思う。

     評価者と評価を受ける者が同じ目的を共有しない中で,もしくは十分な共有がなされないままで行う評価,またはその評価に対して双方が結果を基に,目的に沿った建設的な対話が出来ないままでは,お互いの関係をかえって損ねることにつながりがち。評価の目的とはまるで真逆の方向。

     評価の目的だったり,指標だったりを評価するものと評価を受ける者が共有・合意していることって大切だとおもう。それが無いと評価のための評価になってしまうし,評価の目的とは乖離する。しかし,それが十分でない場合ってけっこうある。もちろん自戒もこめて。

     評価に至るプロセスと,評価のあとの双方の建設的・継続的な対話。

     やっぱり,評価は目的,目標だなあ。当たり前と言えば当たり前。

    2015-03-08

    「だから勉強しよう。そして『みんなが』『楽しい』人生をおくろう」  3・11を前に

    19:44

    【通信№126】 

    3月11日を迎えます。この日は宮城県に,そして東北に住む者にとって,これから先もずっと特別な日であり続けます。

     震災後4年がたちました。震災当時,君たちは1年生でしたね。うんとこわい目,辛い目にあった人も多いはずです。震災があったから,今同じクラスで学んでいる友達もいますよね。普段はあまりにも普通に過ごしているし,わいわいやっているから,今一緒に学んでいるのが当たり前のように思ってしまうときもあるけれど,震災さえなければ自分が生まれ育った地域で,別な学校生活を送っていた人だっているんだよね。そういうことすら普段感じさせないくらいがんばっている君たちを本当に尊敬するし感謝したい,そう思っています。

     3/11をどう迎えるか。わたしは,その人その人それぞれでいいと思っています。だってその日の大切さは,みんなが分かっているんだから,自分が過ごしたいように自分が迎えたいように迎えれば良いと思っています。3/11とその日以降の出来事や思いは十人いれば十人が違います。だから,「3/11をどう迎える?一人一人で考えてみてね。」が私からのメッセージです。

     私の話もしましょう。私は震災の時の3/11はうちの小学校の3年生教室にいました。帰りの会が終わってしばらくしたころだったので,放課後に数人残っていた3年生と一緒でした。突然の大きな揺れに驚いた子どもたちが机の下のもぐるのを確認しながら,私は動き回る教卓を押さえながら,なぜか自分では教卓にもぐらず教室全体を見わたしていたと記憶しています。揺れが治まってからは,校舎に残っていた子どもたちを誘導し,まだ校舎に残っている子どもがいないかを確認しながら校庭に一次避難,そして雪が降り出したので体育館に二次避難をしました。

     こんなに近くにいたのに,津波の被害のことは夕方遅くまで知らなかったのです。それもラジオでの情報でしたから,それがどのくらいのものでどうなっているのかもよく分かりませんでした。

    「女川の役場が波にのまれたってラジオで言ってるけれど…」

    「え?どういうこと?それって本当のこと?だって女川の役場ってけっこう高台じゃなかったっけ?」

    といろんな先生たちと話していたのです。津波で大きな被害を受けた地域と,本当はこんなに近かったのに「何も知らなかった」のです。紙一重だったんですよね。

     私には新任時代からずっとお世話になり,このようになりたいと尊敬する先輩教師がいました。その方からずっと15年以上にわたり一緒に勉強会をしながら,学ばせていただいていました。私にとってはとても大切な方でした。その方を津波で亡くしました。

     実をいうと,8年前,私は前任校(OG小学校)から転任する際に,その先輩のいるO小学校に転勤し直接その先生の側で働き学べないかと願っていました。だから,雄勝地区から河北地区への転任希望を出したのでした。その希望は実際には叶わず,今の小学校に配属されたわけです。ですから,O小学校での出来事は私にとっても本当にショックな出来事でした。

     教員になってはじめて宮城にやってきた私にとって,今までお世話になった学校や地域は私にとってのふるさとです。Y小,ON第一小,OG小。どの学校も地域も大きな被害を受けました。そしてどの学校も今は無かったり,あっても当時の場所にはありません。ずいぶんとお世話になった学校や地域だったのに,ほんとうに寂しい。

     昨日,「第3回被災地ウォークin雄勝」という,石巻市雄勝町を4人の語り部の方と共に歩く催しに参加しました。震災当時の話,その後の話,そしてこれからの話。そこでは震災の本当に大変な部分を経験し,今まで必死にやってきた方々,かつてのクラスの子,保護者の方々,知人に出会うことができました。ほとんどの建物が津波でもっていかれ更地のような所ばかりになってしまった雄勝の中心部でしたが,そこをもう一度なんとかしよう,何とかしたいと語る方々の強さと明るい表情に本当に驚かされました。もちろん,誰もがみんなこんな心境になれないかもしれません。今日の方々でも初めからそうは思えなかったのかもしれません。まだ前向きになれない方もいて当然です。しかし,私がそこで感じたのは

    「ああ。人間は前に向かって進んでいくものなんだなあ。一人じゃ進めなくても,みんなとならいつかは前に進んでいけるんだなあ。」

    「前に進んでいるってことが,大変だとしても幸せなことなんだなあ。」

    ということ。だって,誰もが一人で立ち向かっているわけじゃあないんです。男性も女性も,地域のみんな,ボランティアの方々と,若い人も年配の方も,大人も子どもも,全国の支援団体と…。様々なつながりの中で立ち上がろうとしているんです。前に進もうとしているんです。

     私の尊敬する先輩は亡くなってしまいましたから,私はもう永久に追いつけません。しかし,近づくために私はまだまだ勉強します。勉強しなくてはなりません。クラスの子どもたちはもちろん,学校の子どもたち,石巻の子どもたちが幸せな学校生活を送り,幸せな人生をおくれるようになるには学校はどうだといいいのか,教師同士がどう連携をしていったら良いのか,学校と地域はどうつながれるのか,を考えます。そしてやれることをちょっとずつ進めます。だからもっともっと勉強しなくてはなりません。そしていろいろな学校,いろいろな県の先生,先生以外の仕事をしている方々とも会い,話し,その方々からも勉強していきます。

     話を,君たちに戻します。これから先みんなが大人になり活躍する10年後や20年後を考えてみてください。きっと今とは全然違う世の中になっているはずです。どうなっているか予想なんかできません。今やっている国語や算数が役に立たない時代かもしれません。漢字がいくら書けても,計算がいくら正確にできても意味がない時代になるかもしれません。理科や社会だって同じです。

    「じゃあ,勉強する意味がない」

    でしょうか。いえ,違います。だからこそ,勉強するのです。「勉強する」とは「前に進む」「前に進める」ことを学ぶことだからです。難しいことや困ったことがあったときでも,前に進むにはどうしたらいいいのか,どうしたら前に進めるのかを考えみんなで練習できるのが学校です。だから友達と勉強するのです。今できることも今できないこともあります。だれでもそうです。「負けて終わりではない。やめたらおしまいだ。」という言葉もありますが,本当にそうだなあと思います。一人では,大変でやめてしまいたくなるようなことも,みんなとやれば何とかなることも多いものです。少なくても一人でやるよりはがんばれるはずですよね。

     10年後や20年後。君たちはどこで何に向かって進んでいるでしょうか。どこでどんな道に進むにせよ,自分が思う通りに,自分が進みたい方向に進めていることを願っています。そしてきっとそれは「誰かの役に立つ」方向のはずです。なぜかというと,人間はそういう生き物だからです。誰かの役に立つこと,立てることを幸せに感じる生き物だからです。だれかの役に立つには,やっぱり勉強しなくちゃいけないんだよね。勉強していないといざというときに,人の役に立てないですからね。そして,この「勉強」は100点取る,とかっていうことだけじゃなくて,「前に進もうとする」「勉強し続ける」ってこと。そしていつも私が言っているように

    「自分もみんなハッピーに,楽しくやれる・過ごせるように,みんながちょっとずつ心を配ろう。」

    ということなんです。

     わたしも勉強し続けます。君たちが一人残らず安心安全に学び続けられる環境はどうしたら作れるかを毎日考えます。亡くなった先輩もそれをずっと考え続けた人だったから,その先輩をずっと追いかけるつもり。私は,その先輩の代わりに「生かされた」と思うことにしたんです。

     君たちも,今を生きているということを大切にして欲しいと思います。今を生きて,みんなと勉強できている毎日は実は当たり前じゃないのかもしれません。みんなと同じように生きてみんなと勉強できなかった人も実は大勢いるんですよね。だからこそ,みんなには幸せな人生を送って欲しいし,そのために「勉強」し続けてほしいんです。そう,「みんなで」ね。

     

    2015-03-01

    価値

    15:07

     校内研究は「主体的に学ぶ子どもの育成」というテーマで3年間,やってきました。文言は若干違いますが,その前の3年間も方向性と言う意味では大きく変わらないので実質6年間くらいでしょうか。

     「主体的に学ばせる」にはどうしたらいいか,という議論はあまり,という気がします。「主体的に学ぶ環境ってどんな環境かな?」「自分が主体的に学んでいるって感じるときはどんな時でしょう?」というところまで昨年度話してきました。

     子どもたちだって,「勉強することは大切だ」「勉強はしたほうがいい」って分かってはいるはず。分かってはいても,やれない子がいるとすれば,それは「勉強すること,学ぶことの価値」がまだ十分に確信がもてていないということだろうなあ。ならば,「学ぶことの価値って何だろう?」を教師と子どもで一緒に探れるような取組を学校としてみんなでしてみたいなあ,と私は思うんだけどなあ。