次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-02-28

    ロープスキップの練習

    08:08

    本校には、ロープスキップという、縄跳びの集団演技みたいなのがあります。ここ10年くらい4年生から6年生までで毎年取り組んでいるので、伝統みたいになっています。

    6年生の卒業に合わせて、そのロープスキップも活動の中心が5年生に引き継がれます。それに合わせて、「6年生を送る会」では、その印として5年生が新ロープスキップを披露するコトになります。

    曲とかフォーメーションとかが新しくなるわけですが、彼らの中で、ああだこうだ言いながら決めているのを見ているのがなかな楽しいです。ロープスキップのリーダーが4人いて、その子たちが中心になって進めているのですが、その子たちも、

    「どう?こんな感じでいい?」

    「ここはどうしたらいいと思う?」

    なんて、体育館のホワイトボードのまで聴きながら決めています。

    「えー、それじゃ、見えないかもよー。」

    なんて意見があれば

    「じゃあ、試しにやってみるかー。○くん。ちょっとステージのところから見てみてー。」

    とかやっています。

    「ちょっと!そこの男子!ふざけてないでよー!もー!」

    なんてこともあるんですけど、それはそれで、そんなのもちょっとはあっていいんじゃない、と思うのであります。

    私が出した案は「サークルからスタートする」というところは採用してもらえたようですが、その後は練習をしながら、だんだん却下?されていきましたー。ま、いいんですけど。

    2015-02-17

    次年度計画の中から

    20:33

     年度末になってきたので,会議も次年度計画にかかわるものが多くなります。いわゆる次年度の教育計画にかかわるものです。

     校長先生から次年度の教育課程編成方針が,文書でもだされ説明も受けての次年度計画ですから,そこに書かれていることを具現化するのによりよい計画を立てることが重要になります。

     私は校内研究や志教育,総合的な学習の時間などと言った,主に学習指導の中核をなす部分を担当させていただいているので,問いかける中身も伝える中身も自ずと学校の教育目標の根幹に関わるところが多くなります。

     

     私は校長ではないので,どこまで,どういう伝え方で言ったらいいのかを迷うときもあります。それでも,

    「これは伝えた方がいいだろう,提案した方がいいだろう」

    と思うことは,やはり皆さんに伝えたり提案したりします。

     次年度は,ずっと前から必要だと思い,ぜひ実現させたいと思っていた『学校教育目標について話そう~「心身ともに豊かで,自ら創造的に生きる子どもの育成」というと?」

    が年度初めにやれそうな段階まできました。

     教育目標がイメージする子どもの姿を職員間のおしゃべりを通してイメージのすりあわせをする時間です。だれもがまったく同じイメージを持つ必要は無いけれど,学校の基本方針をつかむためには必要な時間でしょう。

     年度始めや学期終わりには,こういう話を職員みんなでしていきたいなあと思うのです。

    2015-02-16

    「明日が楽しみ!」になるのになあ。

    23:11

     先日,いろんな学校の先生とおしゃべりする機会がありました。

     多くの先生が

    「疲れている。」

    と言います。

    「忙しい,余裕がない。」

    と言います。

    「明日すぐ使えるものが学びたい,知りたい」

    と言います。そんな話をみんなで聴きあいながら,たどり着いていったのは

    「つまり,不安なんだよね,私たち。」

    ってことでした。不安だから,疲れる,忙しい,すぐ使えるモノがほしい…。その先には

    「月曜日が憂鬱になるんだよね。」

    でした。

    「なるほど。」「そうなんだ。」「もう少し詳しく教えて?」

    と聴きながら,確かにそういう一面ってあるよなあ,と思いながらも

    (私は,けっこう毎日楽しいけどな~)

    と思うのです。

    学び合い』をしていると,子どもたちにほとんどストレスがかからないし,私にもかからないから,毎日けっこう楽しいのです。

     みんなも,『学び合い』にすればいいのに,とも思いましたが。

     でも,無責任なこというと,かえってストレスを抱え込んでしまう恐れだってあるから,なんとも微妙なんですよね。

     でも『学び合い』だと,あきらかにストレス激減なのになあ。

    「明日が楽しみ」になるのになあ。だって,いつでも子どもたちの良さが見られるのだからね。

    2015-02-15

    「希望の地図」

    11:27

    希望の地図

    希望の地図

    重松清さんの「希望の地図」という作品があります。「『被災地』はいまー。」というテーマで「震災後」の時代の始まりと私たちの新しい一歩を描いた物語です。

    毎年夏、県内各地持ち回りで一泊の教育研究集会「明日の授業のための教育講座」が開催されます。この夏7/25・26南三陸ホテル観洋で、石巻・迫地区が担当で開催されます。

    震災後4年。被災地である石巻、迫(気仙沼、志津川地区)が担当で行われる研究会です。そこに意味を見出します。震災によりそこに生活する人たち、子どもたち、学校は大きな被害を受け生活や様子も一変しました。被災直後の瓦礫をはじめとする異常な状態は、見た目にはかなりよくなりました。しかしながら、その影響は様々な形で残り続け、場合によっては深刻化している面もあるでしょう。

    そんな中での「明日の授業」です。震災直後、どの街でも学校でも「一番大事なこと」が最優先されていました。だからこそ、一番大事なことはなんだろう、一番大事なことを一番大事にしよう、一番大事なことを一番大事にするってどういうことだろう?というメッセージと、今回の「明日の授業」の終わりがはじまりになる、新しいつながりが緩やかにスタートする、そんな研究集会を目指します。

    重松清さんの「希望の地図」にある一節。


    「夢と希望の違いってなんだと思います?

    夢は無意識のうちに持つものだけど、希望は、厳しい状況の中で、苦しみながら持つものなんですよ。78」

    「生きている人から亡くなった人へ、亡くなった人から生きている人へ、そして生きている人同士…。大切な記憶や思いが、リレーのバトンをつなぐように受け渡されていけばいい。267」

    震災後を苦労しながらここまできた子どもたちや保護者、各地から支援を続け支え続けてくれた方々、子どもたちを守り残念ながら一緒に亡くなってしまった先輩教師、今も各現場で奮闘している教師たち…。立場や考えを超えて、これからの宮城の「希望の地図」描き始める第一歩にしたい、実行委員の気持ちはそこにあります。

    だから、それに見合うような記念講演の講師選定、分科会の内容を、いままでの前例をすべてチャラにして、話し合います。ここからのプロセスがすでにスタート。それぞれの実行委員の思い共有し、合意形成をゆっくりしながら作っていきたいです。

    宮城、石巻、志津川、気仙沼。子どもにかかわる多くの方々が立場や考えを超えて、集い語り合う研究会を目指して準備を始めます。『学び合い』、信頼ベースの方々の応援もぜひいただきたいなあと思ってます。

    2015-02-13

    学校の教育目標

    22:52

     次年度の教育計画の検討会がスタートしています。

     「教育目標にある言葉について,書いてあることは,その通りで分かるんですけど,そこに書いてることの中身についてみんなでもっと話してから年度をスタートさせたいよね。」

    「それがあると,振り返りをするときに,そこをもとに話し合いが出来るしね。」

     年度初めに校長先生から「学校教育目標についての説明」がされることはあっても,その教育目標について職員間で

    「これは具体的にどういう姿かというと…。」

    みたいに話をすることは実はあまりありません。年度始めの作業にすぐに入りたい気持ちは分かりますが、1年間の活動の根本方針である学校の教育目標についてのイメージをすり合わせることは、何にも増してとても必要なことだ感じています。

    それは校内研究であれ、各行事であれ、同じことですよね。職員会議で子どもの姿や授業について対話する、そんな会議なら楽しい。学校として一番大切なところこそ、公的に時間を設定し大切にする、そんなことができそうな期待。役割分担とかは印刷物でもなんとかなりますよね。

     年度初めの「学校教育目標について話そう」会が,なんとなく次年度は出来そうな下地ができてきました。

     この根っこのところを職員みんなでイメージを摺り合わせていこう,という意志が大切なんだと思うんです。

    2015-02-08

    年休シェア

    18:30

    おもしろかったから,メモ。

    昨日の懇親会中の話。

    職場には,年休がもうあと少ししかない人もいれば,毎年ほとんど使わずに(使えずに?)残してしまう人もいるわけで。

    年休が必要になる時期も,それぞれの年代で異なったりしているわけで。

    「年休,分けてあげたいくらいですよ。」

    なんてお互いでしゃべっていたんですけど,そういうのができたらいいよな~。

    職場の中で,相互に助け合えるじゃないですか。役に立てたなあ,とか,助けてもらったなあ,とか。

    いいと思うけどな。県としてはお金かからないわけだし。(かからないよね?)

    「生き方が変わった」

    16:29

     「『学び合い』仙南の会」に参加しました。

    その中で,最後の振り返りの時間のなかで,参加されていたS先生の言葉に

    「ああ,そうだ…。」

    と思いました。

     S先生は

    「『学び合い』に出会って,生き方が変わった。」

    と話していました。(私の記憶とねメモによると)


    本当にそうだなあ,と思います。学校ですることは,本当は国語とか算数とか,体育とか,行事とか,生徒指導とか,教科や領域で分けられるものではなく,ぜーーーんぶひとくくりになるものであり,それらは,ひとつのシンプルな目的につながっていることを確かに意識することができます。だから毎日毎時間,子どもたちに求めることは同じです。

    だから,それを求めるからには,自分や自分が所属する集団もそういう規準に照らし合わせて振り返る必要がでてきます。

     だから,私も子どもも,全くフラットな学習者としての位置づけになるわけです。私の出来ることは本当に限られていて,だからこそ人の力を借りなければ前に進みません。それが分かるから,出来ることはなるべくしようと思う。そんな感じです。子どもたちに対しても,上から言う必要はないし,言えません。ただ,一緒に考えるとか方向性を示すとか,そういう応援ならできるししたいと思います。

     私も子どもと同じように失敗もするから,そういう時は素直にそれは認めたいと思うし,謝りもします。でも,そうできないこともありますし。

     子どもたちとは,学習者としてはフラットであり一つのモデルとしてありたいと思うし,子どもたちとはまた違う視座でものを見られるようになりたいと思います。だから,自分も学び続けないといけないのですね。

     

     雲をつかむようなものですけれど,でもそれは楽しい。

     

    2015-02-07

    ゆるやかな時間

    07:11

    週末になると,余計子どもたちの学習活動のばらばら感は増してきます。

    今週の課題の残った部分の追い込みをしている子もいるし,余裕があって読書に当てる子,学び直しのために1週間単位で課題として与えているプリント集をやっている子,教室の後ろでは版木を彫っている子,様々です。中にはすでに来週の課題を先取りして入っている子もいたりします。

     でも1月当初に感じたこともあった

    「大丈夫かなあ?」

    という私自身の不安感はあまりありません。はじめの頃は,私が把握できない,コントロール外に子どもたちの活動が広がることに対することへの不安があったのだと思いますが,週の「これだけは」という課題を示して提示しておけば,子どもたちはむしろ1週間という長いスパンの中で時間をやりくりして取り組めるようになっていく分かってきたからです。

     もちろん,すぐに,みんなが完璧にやれるわけではありません。うまくいかないこともそれはあります。しかし,子どもたちの学習の様子を眺めていたら大概その兆候はつかめますし,その都度アドバイスがあればすればいいだけです。はじめからすべてがうまくいくわけではない,それが当たり前で,やりながら自立した学習の仕方を練習する,そんな感覚でいます。大人が仕事を進めていく練習,みたいなものです。

     進め方や理解の度合いに個人差が出たりするのは,ある意味当たり前ではあります。しかし,その個人差が見えやすくなるのでそのためのサポートだってその気になればより手厚くできます。子どもたちどうしの,

    「これってどういうこと?」

    みたいな会話はもちろん,算数の時にはTTの先生が教室に入りますから状況によっては教師からの丁寧なサポートも受けられます。

     不安感は,「個人差」をさらに突きつけられることへの「不安」だったのかなあ,と思います。しかし,個人差は悪いことではありません。個人差はあるのが当たり前ですし,無ければ変です。個人差が問題になる場合は,サポートを必要としているときに必要なサポートがどこからも得られないままなのが問題であって,個人差自体が問題なのではないと思います。

     そう思うと,その個人差ってなかなか楽しいものです。TTの先生とも話すのですが

    「Sくんは,算数ではなかなか集中が続かないんだけど,ほら,ああいうふうに版木をほる作業なんかになると,もうかれこれ30分,もくもくとやっていますよね。ああいう一面もあるんですね。」

    「Aさんは,ああやって計画表をチェックしながら綿密に進めているよね。」

    「Y君は,読書しながらも,ああやって隣のB君の算数のアドバイスもしているんだよねえ。すごいなあ。」

    などなど,子どものよさにたくさん気づける時間になります。子どもの良さに出会える喜びと,見つけられた自分への喜び。だから,ストレスが極端に少ないです。教師も子どもも。自分の意志でやることを選択しているから,「授業中」と「休み時間」の差があまりありません。だから休み時間になってもそのまま,ゆるやかに勉強が続いている,そんな感じ。

     必死に,ばりばり,という感じでもなくゆるやかに。ときどきうまくいかないときもあり,そんなゆるやかな時間の流れがなんか心地いいんです。

    2015-02-05

    楽しいなあ

    22:31

    1週間単位の課題で学習を進めるようになって4週。

     「なんてすてきな時間が流れるんだろう」

    と私は思っています。

     休み時間も,学習時間(あえて授業時間とは言わない)もあまり明確な区切りはありません。午前中と午後があるって感じです。もちろん,体育とか理科など特別教室の割り当てとかはあるので,ちょっとした制約はありますが,それもそんなに気になりません。

     時間も子どもに預けると,こんなにも子どもたちはゆったりとした学び方をするんだなあと感じます。必死に,とかばりばり,とかそういう感じではありませんが,私にはそれが心地いいのです。子どもたちがそれぞれのペースで学ぶ,今やることも自分で決めるし,次に取り組むことも自分で決めます。

     子どもたちに

    「ねえ,4週目だけどどんな感じ?」

    と聞いてみたら,

    「これ,いい!やらされているって感じじゃないから。次はこれやろうって思ってやるのっていいな!」

    とのこと。

     今日は週末も近くなっているので,算数をやっている子の脇で,多色版画をやっていたり,作文をやっている子もいたり,といった感じ。場合によっては

    (あれ,ちょっと華やいだかな~)

    と思うときはあっても,直にすっとまた落ち着いたりするので大丈夫。子どもたちなりに,周りにも気持ちは向けているんですね,きっと。

     とにかく毎日が楽しいんだなあ。

    2015-02-04

    しゃべろうよ

    22:12

    http://www.asobusiness.com/goods/

    朝の会。教室の後ろにサークルになって座ります。

    かんたんな挨拶をして(起立。おはようございます,なんていうのではなく,ただおはようって言うくらいです)から,毎回のおしゃべりタイム。

     「きのうと違う人と組んでね」

    と始まります。司会当番の子が,シャベリカのカードを引いて,今日のお題を決めます。

     今日のお題は

    「ぜったい言われたくないことば」

    でした。

    「ぜったい言われたくない言葉」で笑いながらしゃべりあっています。そんな一日のスタート。

     「言われたくないこと」だって,こんなふうにしゃべり合えたら楽しい。

    「しゃべってはいけません」「静かに聞きましょう」ではなくて「しゃべろう」「伝え合おう,聴き合おう」の方が楽しいし,だから,大切。

    毎日友達としゃべる。いろんな友達としゃべる。聴き合う。たいしたことじゃあないようだけど,とても大切なことだと思っています。

      

      

    2015-02-02

    今朝

    01:03

    子どもたちと今回の事件について考えるのに選んだ本は,やはりこれでした。今回の事件について,子どもに何も語らず伝えずに,一日を始めるという選択もあったのですが,一人の大人として,ここに触れずにはいられないという思いもありました。

    「子どもには,まだ理解できない」

    「いたずらに不安,興味を持たせるのはどうか」

    「デリケートな問題だから」

    様々な考えもあるでしょう。それは否定しません。しかし,何事もなかったようにして1日を始めるわけにはやはりいきません。

     考える場をつくるに当たって大切にしたことは

    ①子どもの不安をいたずらにあおらないように最大の配慮をする。

    ②今,自分たちがすること,出来ることはやはり学ぶこと

    ③クラスで大切にしていること,大切にしたいことは,日本でも世界でもどんな場面でも同じこと

    ④伝えよう,伝えたいという気持ちで

    です。

    朝の会,教室の後ろにサークルになって集まりました。

    「みんなも知っているとおり,昨日,大きなニュースがあったよね。分かるよね。」

    とうぜん子どもたちはうなずきます。顔を見合わせている子も目に入ります。

     新聞やテレビのニュースから分かった事実関係を振り返りながら確かめました。

    「私が,この件について分かることは,このくらいなんだ。人の命を奪うことは絶対に悪いことだ。それは間違いない。なぜこんなことになってしまったのだろう。こんなことにならずにすむ方法はなかったのだろうか。そもそも,こういう対立はなぜ生まれてしまったのか。そして今も続いているのか。何が正しくて,何が誤りなのかもよく分からなくなっているんだ。なぜかというと,このことに私がほとんど何も分かっていないから。知らないことが多すぎるんだ。だからもっと知らなくてはならない。知らないと,自分の判断ができなくなるんだ,そういうふうに感じたんだ。正直な気持ち。やっぱり勉強は大事だよ。

     みんなにこの本を紹介します。今回の事件と無関係ではない。関係がすごくあるとも言えるよ。聞いてくれる?」

     こう伝えて,読んだ「ぼくたちはなぜ学校に行くのか」。マララさんの言葉はもちろんのこと,石井光太さんの言葉が心に響きます。「じぶんの気持ちを伝えることばをもとう」「相手のことばをうけとろう」「伝え続ければ,ことばをうけとってくれる人は必ずいる。」これらの言葉は,石井さんの文だけれど,まるで後藤さんのことばのようにも聞こえてくる。きっと危険地帯での取材活動を続けてきているという同じジャーナリストという背景があるからかもしれない。

     「ぼくたちはなぜ学校に行くのか」の読み聞かせ。時間にして約15分。子どもたちは真剣なまなざしで聞いてくれました。マララさん,石井さんだからこそ語れる言葉がありました。私は,このことについては語る言葉を持っていません。自分で語ったなら,陳腐な上っ面の言葉になったことでしょう。読みながら,私自身がマララさんや石井さんから語られたような気がしました。

     最後に。教室で毎日行う『学び合い』は確かに,社会に,世界につながっているんだと感じます。社会は教育なんだ,と強く感じました。だから教師の役割は大きい。何を子どもたちに問いかけるか。

    2015-02-01

    明日の朝は

    20:42

     今回のイスラム国による日本人人質事件。

     

     幸せに生きたいという願いを持っているのは,だれでも同じ。

     だれも幸せにならない結果に向かいつつあるような世界をどう見たらいいのか,正直困惑し,不安を感じている。

     『学び合い』の究極の目的は「世界平和」という。教室,学校で毎日起こる様々なことが,世界に実はつながっている。そういう気持ちを持っている。一人も見捨てないように,お互いに折り合いをつけながらそれぞれの課題を達成していく毎日の経験は,そのまま民主的な社会の形成につながるはずだ。

     子どもたちが将来を生きる世界は,様々な違いを違いとして認め,お互いの存在を認め合う世界であってほしい。なければならない。

     そういう世界は,誰かがつくってくれる?つくっていくのは自分たち。一人も見捨てない教室,学校をみんなでつくっていくことが,その経験が,みんなが暮らしやすい世界をつくることにつながる。しかし,今起こっていることは,今の大人の課題。

     

     残念ながら,今回の事件についてことの明確な判断が出来るには,私はあまりにも知らないことが多すぎる。しかし,だからといって,見て見ぬふりとか考える事をやめる,というのは間違っている。やはり学び続けることが大切だ。学んでいないと,何も判断できない。判断できなければ,気づかない,知らないふりをするしかない。

     私たちが子どもに求めている様々なことが,大人はやっているか,やろうとしているか。正しいことは一つではない。

     でも,一番大切なのは,命であること,それは間違っていない。もちろん誰の命も。

     悩んだまま子どもの前に立たなくてはいけない。

     しかし,「だから,学ぶことは大切なんだ。」とは言える。

     今回のことを,世の中の教師たちは,子どもに明日,何をどう語るのだろう。どうであってもいいから,何事もなかったようにして「勉強」を始めるのは,私はよくないと思っている。子どもたちはもう「知って」いるのだから。