次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-01-18

    人間にしかできないこと

    19:02


    近い将来、様々な仕事、役割が人工知能に取って代わられるのであろうか?(以前見たNHKスペシャルが非常に印象的だったもので…)

    その時、人間しかできないことは何があるのだろう?と考えていたら、この本の中にヒントがあった。

    問題意識を持っていると、ちゃんとそういう本に出会うし、そういう記述に気がつくものだなあ。

    「共通理解」「共通行動」「みんなで統一して」

    08:13

     先日,地元研究サークルの例会がありました。時間前に集まったメンバーで雑談をしているなかで,

    「うちの学校,いま生徒指導面でけっこう大変になってきてるんだよねえ」

    という話がでました。つまり,子どもたちが落ち着かないクラスが出始めてそれが学校全体になんとなく広がりつつある雰囲気,そんな感じらしいです。それで,学校全体で指導を強化しようとしている,という話でした。

     たとえば

    「あいさつの励行」「次の時間の授業の準備をしてから休み時間にすること」などなどの統一行動?ルール?の徹底という形で。そのあたりの指導を全職員で共通理解共通行動のもと徹底して子どもたちに当たっていこう,というもののようでした。

     要は,それで問題が解決するという見通しを職員や子どもたちがもてているか,ということは大事ではないかなあ,と思います。学校やクラスの問題を解決できるのは子どもたちであり,そこに教師がどうサポートしていくか環境を整えていくかが重要だと私は思っています。教師サイドからの一方的な指導だけでは本当の意味での解決にはつながっていかないかなあ,と思っています。

     仮に統一ルールを強化しようとして行けば行くほど,いわゆる『問題をかかえている子ども』は注意されたり叱られたりする機会がおそらく増えることでしょう。それだけでなく,『問題をかかえていない』と見える子どもも同時に冷やされていきます。そうなると,そのストレスがどこにでてくるか,だれに出てくるか。内にこもりため込むか,外に噴出するか。今度はその対応に翻弄される,指導をさらに強化する,そんなサイクルに入らないかなあ,と心配になります。

     子どもたちが落ち着かない,荒れてきているのなら,どうしてそうなっているのかな?そこを理解しようとしないと手は打てませんよね。どうしてそうなっているかは,子どもたちのことをよく見て,まずは子どもの意見を聴くこと,そして大人の願いや希望も伝えること,そしてその願いや希望は「君たちにとってもいいこと」であることを納得してもらわないとならないかな,と思っています。時間がかかりますし,時間をかけないといけません。

    しかし,その学校の先生がおっしゃるには

    「いろんな報告書だ何だで暇がないんだよね。」

    「休み時間も,時には放課後も○○の練習だとかで埋まってしまう」

    「放課後の会議の時間もとれないから,休み時間を削る特別タイムも設定するんだけど,それで余裕がなくなるし…。」

    とのこと。「忙しすぎて,なかなか時間がとれない」「余裕がない」それが学校現場の現実だったりもします。

     ストレスは,子どもにもかかるし教師にもかかります。指導が強まってくると「うちのクラスだけは,なんとか」と「がんばり」ますし,それがきつくなってくると,うまくいっていないように見えるクラスや教師を攻撃するまでいかなくても,やんわり指摘します。それでお互いがまたストレスをため込むことも考えられます。そして子どもにしわ寄せがいったりも。

     世界でも経済格差だったり,宗教問題?だったり様々な対立が連日報道されています。心が,本当にいたみます。どうしたらいいんだろう,未来はどうなるんだろう,不安になります。世の中と学校,教室はつながっています。世界の問題を解決することと学校,教室の問題を解決することは根本ではおなじでしょう。お互いの話をまず聴こう,そして一緒に考えていこう,そこから出発したい。納得のない押しつけの「共通理解」「共通行動」「みんなで統一して」は,ちょっとね。