次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-01-04

    「斜めの関係」

    11:38

    斜めの関係、それを学校、教室でも意識的に作っていく、というか作れる場を用意する。

    子どもにとっては(まあ親子はもちろんのこと)担任とかだけでなく斜めの関係がたくさんあればあるほど、その中でいろんな考え方があって価値観があって、その中で自分に今フィットする居場所を見つけやすい。直線的な関係しかないと、それはきつい。

    よく学校なんかでは、「共通理解、共通行動」みたいにして言われることが多い。それ自体、否定するわけでもないしある意味必要なときもある.しかし実際に本当にほんとうの意味で共通理解何できないし(できる?)共通行動なんてできない。だから現実的には、

    「まあ、基本、そんな感じで…」

    みたいなところに落ち着いているんだろう、そしてそのくらいでちょうどいい、と私は思っている。

    共通理解共通行動にしないと「指導」がぶれる、なんて心配をするからだろうけれど、本当に「正しい」ことなら、それはどん言い方や接し方をしても伝わるんだと思っている。その子のことを思うただそれだけで、どん言い方でもいいわけだろう。それが全く正反対なことをいっても、である。共通理解や共通行動をことさらに求めるってことは結局のところ、子どもを、それ以上に仲間を信頼していないということなんだろうなあと思う。

    あれ、斜めの関係の話だった…。だから、学校では、先生たちみんなが、子どもにとって「斜め関係」でいるってことが実は大事なんじゃないかなあ、と。担任じゃないけど いつでも子どもの愚痴?が聞ける、「今日、◯君のこんなところ叱った!」と職員室で同僚から聞けばちょっとあとに

    「◯君、なんか元気ないけどどうしたの〜」

    「ま、そういうこともあるさなー」

    「それは大変だったなあー」

    とあえてヘラヘラ話したり。もちろん反対に私が叱って、他の先生にフォローしてもらうことだってある。

    うちの学校はたまに「ゆるい」(失礼な!笑)って言われることもあるけど(だれに?笑)それは、ゆるいんじゃなくて「柔軟」っていって欲しいなー。だから、ここ十年近く不登校ないし、保健室への愁訴もまずないし。トラブルはあっても深刻ないじめはないし。これって、今まで職員みんなが、言葉にしなくても、「斜めの関係」を守ってきたからじゃないかなあ、と思っている。

    でも、こういうのは数字で出ないんだよね。

    未来は…

    09:40

    http://www.nhk.or.jp/special/detail/2015/0103/

    この番組を見ていました。

    (こんな未来になってしまうのか…)

    というのが正直な感想。

    番組の設定は、今から30年後の2045年の日本。人工知能によって世界中のあらゆる、本当にありとあらゆる情報が集められ解析されて、それを元に「適格な」予測が立てられる。どんな音楽が次に売れそうか、どこで犯罪が起こりそうか、どの道を通ったらいいか、次に何をなすべきか、誰と相性がいいか悪いか…それらが膨大なデータによってかなりの正確性をもってはじき出される。人工知能端末によって指示され、そのように行動すれば「失敗」はない。そんな世界。コンピューター上の仮想空間で別な「人生」をおくることも可能。まるでマトリックスの世界。しかしながら、その根拠は示せない。人工知能にしか分からないらしい。人間には処理不能。

    コンピューターに支配され、駒のように動かされる人間みたい。しかしそれを選択しているのは人間自身。

    (こわい、気持ちわるい…)

    そう思うけど他に人はどう感じたのだろう。

    「こんなふうにはならないよ。」

    と言うだろうか。今回の「未来予測」だって、根拠もなしに出しているわけではない。今現実に始まっていることや研究成果を元にして語られているのであるから。いまから30年前を考えみても、当時は考えられないことがいまは当たり前になっている。

    Facebookで、この番組のことちょっとつぶやいたら、ある方が

    「その時代学校はどうなるのでしょうかね?」

    と書き込みをしてくださいました。

    (あ?)です。

    今から30年後の学校はどうなるか?戻せば今から30年前の学校はどうっだった?学校にパソコンが入ったり、土曜日が休みになったりはしたけれど 授業の骨格は変わったのか?時代はずいぶん変わったけれど、授業はどうなんだろう?と。私が中学、高校の時と変わったのかなあ変わったとすればどこが?それから、30年後の授業ってどうなるの?知識や教え方で言えば、人工知能に教師はかなわない。教師という仕事すらなくなるのか?教師は不要?どうなんだろう、想像するのもこわいなあ。

    番組をみながら感じた怖さは、「人間不在」の一点。機械が人間に取って代わっている世界の怖さ。そこに人間はいても人間がいない怖さ。そして、番組では、こういう世界を、望んで創っていったのはそして人間自身。もちろん、「幸せ」を求めて、である。

    学校がどうなるの?もだが、30年後と言えば今受け持っている子どもたちが社会第一線で活躍する時代である。そ時代を生きる子どもたちを今、育てているわけである。

    「今、やっていることは、未来に繋がっているのか?」

    「未来を生きる子どもに、本当に必要なのはどんな力なんだ?」

    それをリアルに考えないとならないなあと深く深く感じたのである。

    今から

    この方向での「進化発展」を止められないのだとしたら、機械に 取って代わられずに機会をツールとして使いこなす、そういう社会になって欲しい。人間が機械と違うところ、人間特有のよさ、そもそも人間とは何か、人間が主体になるってどういうことか、そして人間の力を信じることができる、自分の力を信じることができる…

    そんなことを体験を通して感じ、みんなで考え合う、それが最後に残った学校の役割であり、最重要なことなんじゃないの?と思った次第。世の中が変わったから新しこともというのも必要だけど変わって行くからこそ、もっと根元的なことを突き詰めていく軸をしっかり立てることが大事なんだなあと思う。

    この番組を見てから、総則を読むと、また見方がよりリアルになるなあ…。