次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2015-01-03

    新春『学び合い』雑談会からの飲み会、そして今

    15:51

    いきなりですが、私は「小説を読むことは、教師としての最大の研修」と思っています。とりわけ私は重松清さんの小説。

    いままで、「なぜ重松清さんか」をうまく言語化できなかったのですが、先ほどの本の中で、NHKエデュケーショナル坂上達夫氏が、書いていたことに、

    (おお、これ!)

    と思ったのでありました。それは

    「重松さんの小説を読んでいると、これ以上、先へすすめなくなってしまうことがあります。登場人物が、その心の優しさと、或いは弱さゆえとったこうどうの、幸せとは言えない帰結に、胸を衝かれる、というより我がことのように痛みを感じるからです。

      このようなリアルな想像力を喚起する人間のモデルをできるだけ沢山自分の中に持っておく、その大切さを子どもたちに伝えることが、私たちの番組「ようこそ先輩」で、先生役を務められた重松さんの中心テーマでした。それは確かに、作家として、というより人として必要な資質です。」

    (そうなんだよなあ、想像力、人間モデル、そういうことだよなあ)

    と、やけに納得していました。でも、ここからなんです。

    「ただそれは、やたらに多くの人を知っている、というだけではあまり意味がない。誰か自分意外の人の立場で、ものを眺め、考える、という作業を経てはじめて身につくものです。」

    この言葉は、響きました。ちょうど、昨日夜の懇親会時にsumiちゃんさんと話していて、コルトハーヘンさんのリアリスティックアプローチ?についてちょっと教えてもらっていたことと、繋がっているなあ感じたからです。

    その時自分が「何を考えたか」「どう感じたか」「何がしたかったか」「どうしたか」そして、それは同時に、「相手はそれぞれについてどうだったのか?」想像力を働かせること、セットで扱うということ(私のごかいがなければ)。簡単にいうとこんな感じだったと思います。

    このことって、当たり前にしているようでしていないこと。日常では、自分の解釈や思いが優先してしまうことはよくあって、相手が今どう感じているか、どうしたいのかとかにまで思い至らないことってよくあります。私は。

    教室での日常も、「物語」。その中で、子どもが、一緒に働くみなさんが、保護者が、何を考え、どうしたいのか、どう感じているのか、というアンテナを立てることって、意識的にやって行かないと、ついつい自分の思いで突っ走る。そんなことになりがちです。いくら小説を読んで、人間モデルを溜め込んでも自分でそれを活用?しないと意味がありません。いやあ、昨日は学べたなあ。

    新春雑談会では、ナベタさんが、

    「ぼくは、生徒の名前は覚えないんですよ。あえて。覚えないようにしている。でも、顔は覚えるけど。」

    とおっしゃっていました。これも、面白いでしょう?ここだけ聞いたら

    (なんで!?)

    ってなりますが、わかる気もするんです。あえて、ですから^ ^。

    私はその域まではぜんぜんいかないなー、とは思いました。ここの話は、ナベタさんからもう少し聞きたいなあ(自分の中では未消化)と思うところです。

    なぜ、ここにいきなりナベタさんの話をはさんだかというと、実は、先の重松さんの話と、sumiちゃんとの話と、根っこでは繋がる気が、ぼんやりとしているから。どうつながるかは、いまはまだ?なんですけどね。

    「教育って、もともとは『伝える』ことでしょう?」

    11:51


    教育とはなんだ (ちくま文庫)

    教育とはなんだ (ちくま文庫)

    「教育って、もともとは『伝える』ことでしょう?」

    この本の中で、鷲田清一氏が作家重松清さんとの対談の中で発した言葉。

    先行する世代が、長い時間生きてきて、痛い目にもあってきて、「これだけはするなよ」「こうやったらうまくいかないぞ。」と、次の世代に失敗しないように伝えること、とも。

    次の世代を思って伝えること。そこにはできたことよりもうまく行かなかったこと分からなかったことにどう対処して行くかそんなメッセージも含まれる。

    わからないことにどう向き合って対処していくのか、そのための練習の場だったり経験を積む場が学校だったり教室だったりするのだろうなあ。

    人よりできること、他県よりできること、結果を出すこと…。「分かったこと」「できたこと」ももちろん大切だけど「分からないこと」「できないこと」にも価値を置く、そのあとどうするかを学ぶ…

    うーん、難しいなあ。鷲田清一さんは哲学・倫理学の方らしい。『学び合い』も「哲学」だなあとなんだか分からないけれど思ったのでありました。