次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2014-12-31

    2014-2015

    22:11

    2014年も終わりになります。

    少しは、自分、前に進めたのかなあ、と思うとなんとも心もとないけど。どうなんだろう、前に進めているのかな。よく分からない。

    自分ができることは、ほんのわずかでしかないことが分かるだけでも、それはそれでいいのかも。相変わらず、霧の中を進むようなことを繰り返しているけれど。

    「もがき続けるしかない」のだから、来年もそうして行こう。そうするしかない。

    2014-12-28

    「できたは一瞬、しているは日常」

    09:37

    「できたは一瞬、しているは日常」

    ある方のつぶやきから。


    いやあ、なるほど。

    本当になるほどだなあ。


    どこを見るか、何を見るか見続けるか、だなあ。評価の大切な視点な気がする。

    2014-12-26

    「学力テスト」はやっぱり嫌い

    22:06

    私は,やっぱり「学力テスト」と呼ばれるものが嫌いなんだなあ,とつくづく思いました。それも,否応なく,選択の余地すらなくやらされる,ソレが。

     今まで,

    「勉強ってなかなか楽しいよね。」

    「ぼくもなかなかやれるようになってきたよね。」

    「また,がんばろう」

    なんて,思っていたとしても,そんな今までのプロセスなんて,全然おかまいなしに,どこかの誰かが決めた「学力のスタンダード」?みたいな物差しで勝手に始めておいて,一方的に

    「はい,平均以上何ポイントです。」

    「はい,あなたは平均です。」

    「あ,あなたは平均以下ですね。」

    なんて,コンピュータ-?から言われるなんて,はっきりいって腹が立ちます。

     いろんな国にいろんな文化や事情,歴史があるように,いろんな県やいろんな学校,いろんなクラス,そして個人個人にはもともといろんな違いが山ほどあるのさ。なのに,みんな同じ物差しで(それも選択の余地無く),同じように数値化され,おまけにああだこうだ言われたら,そりゃあ,たまらないよ。伸びたいと思う,伸びようとしているのは誰も同じなんだよ。そこにつまらない頼んでもいない「共通の」物差しを持ってこないでほしいんですよね。物差しは,自分で,自分たちで用意しますから。用意させてください。

     「『学力テスト』は学力の一つの側面でしかありません。」と言われます。それはそうでしょう。そうだと思います。テストで測れる「学力」なんて,そもそも一部でしょう。内田樹さんがかつてブログの中で,

    「例えば、ここに「消化力」が強い人がいるとしましょう。ご飯をお腹いっぱいに詰め込んでも、食休みもしないで、すぐに次の活動に取りかかれる人は間違いなく「消化力が強い」といえます。「消化力が強いです」と人にも自慢できます。しかし、それを点数化して他人と比べたりしようとはしないはずです。「睡眠力」や、「自然治癒力」というものも、同様のものだと思います。どんなときでもベッドに潜り込んだら、数秒で熟睡状態に入れる人は睡眠力が高いといえるでしょう。この力は健康維持のためにもストレスを軽減するうえでも、きわだって有用ですが、睡眠力を他人と比較して自慢したり、順位をつけたりすることはふつうしません。怪我をしてもすぐに傷口がふさがってしまう自然治癒力も生きるうえでは、おそらく学力以上に重要な力でしょうが、その力も他人と比較するものではありません。わたしは「学力」もそういう能力と同じものではないかと思うのです。」

    http://blog.tatsuru.com/2011/09/02_1151.php

    と述べていましたが,本当にそう思います。

     しかし,実際に現場では「学力テスト」の結果が「平均」より上か下かで結構な問題になります。新聞記事でも,「○○県の結果は全国平均より□ポイント~」とか出ますし。「一部」の学力に過ぎないはずの「学力テスト」の,おまけに「全国平均」や「県平均」との何ポイント上か下かの数字に振り回されます。学校によってはテストのための練習のテストをするとかしないとか。平均?平均で考えれば,世の中の半分くらいは平均以下になりますよね。誰かができるようになれば,誰かができなくなったようになるしくみ。底なし沼で誰かが水面に出ようと,お互いに足を引っ張り合うイメージ。誰も上がれやしないです。こんなことを競うために,毎日子どもたちと学習している訳ではないんですよね。

     テストの点数の上がり下がりを教師が気にしなければいい,という人もいるかも知れません。あなた自身が「点数」にこだわるから,点数が気になるのです,と言われるかもしれません。ところが,現場での「学力向上○○研修会」なんかではほとんど必ず「学力テスト」「平均」が出てきます。または,その「結果の分析」が。あたかも「平均」を越えれば「学力向上」が達成されたかのような錯覚をうけます。そういう流れの中ではなかなか難しいこともあるんです。学力の一部,だったはずなのにね。

     「文句をいうなら,結果を出してから言え」という声もあるでしょう。すみません。そんな1年やそこらですぐに結果を出そうと思っていないんです。だって,「私が」「学力テスト」で結果を出そうとすると,きっと何人かを勉強嫌いにしてしまうことが目に見えています(私の力不足でしょうが)。それにそもそも私自身が「平均点をこえる」という「結果」にあまり興味を持てないからです。だからといって,「学力向上」を目指していないのか,ということはありません。目指しています。「勉強ってけっこう楽しいなあ」「今度はこんなことにチャレンジしたいなあ。」「ぼくもなかなかできるようになってきたなあ。」「明日は何が学べるかな。」そんなことを思いながら,楽しくみんなと学ぶ,ちょっとずつでもいいから次の一歩を踏み出し続ける,そんな学力を目指したいのです。みんながみんな同じ「学力」を目指す必要は本当はないのではないですか。あなたの目指す学力と,私の目指す学力は違って当然。アフリカで必要な学力とアイスランドで必要な学力だって(同じ所もあるでしょうが)違うところもありますよね。東京で必要な学力と石巻で必要な学力だってそう。

     学習指導要領の趣旨に沿って「学力テスト」も作られていることは分かります。でもそれで測れることはやはり一部。「学力っていったって,結局測れない。じゃあ仕方が無いから,学力テストで」というのが,だんだん「分かりやすいから,客観的だから『この道しかない』」で進んでいくのが心配です。どの子も学ぶことが好きになり,次の一歩が踏み出せるように,自信もって学び続けていけるように。そのための最終的な評価は,子どもたちとの直接的な応答関係にある者が責任をもってするものであって欲しいなあ,と思うのです。長いスパンで見続け,愛情をもって,多様に。 

     

     

    2014-12-25

    職員室に『学び合い』を

    23:43

     クラスや学校も何ですけど,いろいろ話を聞くにつけ,場所によっては職員室もギスギス(したくてしているわけではないんでしょうが)しているところもあるようです。そんな話をここのところ続けて聞いています。

     うちの職場は,ほんと,働きやすい職場だなあと感じます。

     職員室がギスギスする悪いサイクルにはまると,その影響は必ず子どもに現れていくでしょう。そしてさらに職員室もギスギスするという悪循環。

     職員室に『学び合い』マインド,なんだよなあ。

    2014-12-23

    「不安定」をつくる

    07:06

    わたしは、教室内に敢えて不安定な要素をつくります。その方がいいと思うからです。

    この場合の「不安定」とは私が決めない、ということです。クラスを構成する子どももたちが決めるということです。

    どうってことはありませんが、例えば掃除当番や給食当番も私が決めません。

    「どうする?」

    って聞きます。牛乳が誰とか食缶が誰とか決めません。子どもたちが適当に決めます。私が決めてしまえば、そりゃあ早いしスムーズにいくこともあるかもしれませんが、子どもたちが自分たちで決めることに価値があると思っているからです。もめることもありますが、そのこと自体が大切な経験になりますから。

    ある意味、「自由」ですが、「自由」は厳しいのです。個人個人の自由と自由はぶつかります。ある人の自由は誰かの自由を侵害します。だから、そういう時は、うまく調整しなくてはならなくなります。そこの部分を子どもたちから奪ってはならないと思っています。

    学校現場では時に「自由」が良くないものような印象で語られることがあります。

    「『自由』にさせておいていのか。」

    とか。時には

    「『自由』時間でいいです。」

    など、自由を教師が特別に与えるみたいなかんじで使うこともあります。自由を「好き勝手」

    みたいなニュアンスで使っているのかな、と思う時もあります。本来の自由は、お互いの自由を相互に尊重しあい、お互いにちょうどいいバランスを見つけることだと思います。お互いの最大限の利益を大切にする感じ。我慢しすぎず主張しすぎず、ちょうどいいところを探ること。

    教室や学校がそのバランスをとる体験的な学習の場になることそう考えています。教科の学習もそのための手段。だから、いろんな場面で「不安定」を作ります。崩れそうで崩れない、そんなバランスを保ために、目に見えないことをすることに私は神経を使っています。

    2014-12-22

    「自慢」

    20:40

    今日は、2学期最終日でした。

    今まで、面倒臭くて、というか

    「やったからといってどうなの。」

    みたい思って放って置いた、学校評価アンケートこども版みたいなのやりました。今日しかないので。

    やってみてわかったこと。やっぱり『学び合い』×信頼ベースは私にはなかなかあっているんだなあということ。わたしには、というか子どもには、かな。

    ①設問「学校は楽しいところだ」A評価14人、B評価1人 C評価0人、D評価0人

    ②設問私には仲の良い友達がいる。評価15人(全員)

    その他も軒並みいい感じでした。ただ、AからDまで唯一同数ずつくらいのばらつきがあったのが以下のもの。

    ③設問「私は心配事や困ったことがあるとき、先生に相談できる」

    Dで持ってきた子に聞いてみたら

    「だって、先生に相談しなくてもうちらなんとかなるから。その方が早いし!」

    だって。

    そりゃあそうでしょうけど…。ちょっと寂しい気もするけど、喜ぶべきことですね。自分たちでなんとかできる自信ができているというのは、喜ばしいことです。

    あ、あと、

    ④設問「先生は勉強を分かりやすく教えてくれた」A評価11人、B評価3人、C評価1人D評価0人


    Cつけてくれた子に、

    「何か困っていることあるの?」

    って尋ねてみたら、

    「ううん。別に。」

    「だってここにCってなっているから、なんか勉強で困っているのかな、と思って。」

    「あ、これ?だって、先生に教えてもらわなくても大体、自分たちでできるからさ。」

    ですって。

    それならいいんですけど。

    2014-12-21

    明日の社会に参加する大人

    19:29

     私たちが,毎日接している子どもたちは「明日の社会に参加する大人」なんだよなあ。

     これからの社会を担っていく大人,なわけだなあ。当たり前だけど,そうなんだよなあ。そこんところを,しっかり踏まえて接しないと。うん。

     明日は終業式。子どもたちには,3学期への夢を語ろう。

    2014-12-20

    ゆるさ

    18:12

    うちのクラスは、けっこう「ゆるい」とは思うんですよね。(笑)

    学校的にも、ゆるいかもしれません。(笑)都会の学校と比べてはもちろん周囲の学校と比べても。教室の一角では、男子が何やら角材と段ボールで家?みたいなのを作って潜り込んでなんかしているし(女子に「ちょっと!邪魔なんですけど!」とか言われながら)、低学年は、画用紙で刀とか作って校庭でチャンバラしているし。その刀とかがどんどん進化している(鞘がついた柄がついた、形状が変わったついに甲冑まで作り出した、とか職員室でみながら大笑いしている)のを、いい意味で放って置いたりできます。それが、まあ、許される。廊下を走ってくる子がいるから、「歩いて、歩いて」という意味で手を出したら、何を勘違いしたのか、その子、ハイタッチして走って行ったなんて笑い話。

    ゆるいといえばゆるいかもしれないけれど、そのゆるさがあるから、いろんな子にフィットできてるとは思うんですよね。

    「コントローラー、握れた?」

    08:32

     昨日は、ほぼ1日「フリータイム」で過ごしました。

    フリータイムっていうのは、朝黒板に

    「今日1日の課題」を提示して、

    「これをこなしてね!」

    っていうだけ。3学期に向けての練習もかねて。 

    2学期の終わりごろからは、その時間に子どもたちが取り組む中身も違ってくるような、というか自然に違うようになってきてしまうのですが、そんな学習時間になることも結構多くなりました。算数でも、面積をやっている子がいる隣で分数をやっている子がいたり。算数が早く終わったから、前の時間に遣り残した理科のまとめを書いていたり、とか。それでも、それぞれで学習は成立しているから、じゃあ、と思ってほぼ1日お任せ「フリーデー」。

     「自分で自分のコントローラーを握ってね!」

    といってスタート。課題とするプリントなんかもあったし、途中まで進めている理科レポート、社会の発表準備などもあったから、子どもたちにとってはやることは明確だったし、冬休みの課題も伝えていたからそれに入ることも考えられたましたし。

     帰りの振り返りジャーナルは

    「フリータイム学習どうだった?自分で自分のコントローラーは握れた?」

    というテーマで。

    ○勉強コントローラー、握れました~。自分でほとんどやることを決めてやると、自分で決めたことだから最後までやろうという気持ちになります。今日は、やることやってから、好きな勉強ができて楽しかったです。自分で決める時間っていいですね。(Aさん)

    ○なんか、ふつうの決められた勉強よりもスムーズだった。フリーのほうがいい気がするな~。3学期はフリー!?

    なんか自分の自分の好きなことできて自由にできて、疲れなかった!あまった時間に3学期にやる会社のダンスの練習もできた。なんだろう、この開放感。すごくいい。フリーっていいクラスになれそう。やってみたいな。(Bさん)

    ○フリーの勉強タイムをやってみて、ちょっとだけコントローラーが切れたけれど、すぐに持ち直して全部できた。(C君)

    ○今日は2,3,4時間目にテストプリントなどをやってよかったです。その理由は算数、理科、国語、を集中してできたからです。国語ではわからないところはバツを付けたし、算数もほとんどわかったのでよかったですコントローラーは握れました。(D君)

     もう少し、計画を立ててやる必要はありますが、同じことをみんなでやらなくてもなんとなくいけそうかな?という感触は得られました。

    難しい

    06:50

    学び合い』を説明すると言うか、分かって欲しくて話すんだけど、言葉で伝えるのはなかなか。

    Aで◯なときもあるだろうし、×になってしまう時もあるし、どちらでもいい時もあるだろうし、みたいな話になり。

    結局どうなのかなあ、ってことに。難しいなあ。

    2014-12-18

    ふーん

    21:20

    教科書の物語文を使って、ブッククラブ的なことをやっていました。

     4人でいすを持ちよってサークルを作り、おしゃべり、みたいにしてやっていました。

     あるグループで、一人の男の子が背を向けて?本を見ています。グループの女子が

    「ねえ、そんなふうにしていたら、やる気がないみたいに見えるんだけど。」

    といっています。それに対して、その男の子は

    「やる気がないわけではない。」

    といっていますが、

    (それ、どうみても、やる気んじゃいって感じじゃないの?)

    と、ちょっとおかしくなって見ていました。

     そのグループは、

    (しかたないなあ)

    見たいな感じで、残った3人で始めています。

     放っておこうかな、とも思ったのですが、おせっかいにも私も近づいて

    「なんかあったの?」

    と男の子に声をかけてみました。

    「いえ、別に。」

    というので、

    「ふーん。どっちにしても、そんな風にしているのは、君にとってもあまりいいとは思えないんだけど、どう?」

    といってみました。

     そう言うと

    「…」

     ちょっとしたら、4人で始めていました。

    2014-12-17

    大事なもの

    05:40

    本当に大事なものは目には見えないんだよ。」

    うん、確かにそうですね。そうなんですよね。

    2校一緒

    22:42

     今日は家庭科の調理実習でした,ご飯を炊く(実習田で子どもたちが刈り取った米)ことと,味噌汁づくりです。

     お隣の仮設校舎のO小学校の仲間と一緒の活動。

     実に楽しくやれてよかった。席替えもグループ決めも毎回くじ引きだから,O小メンバーもそれでまったく問題ないんですよね。それが当たり前になっているし。

     別々な学校だけど,一緒,みたいな感じになってきたかな。

    2014-12-16

    調子が狂う?

    20:19

    今年度が始まって、ほとんど欠席者がいなかったわがクラス。出席簿も本当にきれいなもんです。もんでした?

    ところが、ここにきての急な冷え込みのせいなのか何なのか、先週末から今週頭にかけて、入れ替わりで数人が欠席という事態に。

     今年はほとんどそんなことはなかったので、いわゆる「環境の変化」。いつもいるメンバーがいないというだけでも、なんか、違ってしまうんですよねえ、調子が。

    2014-12-15

    当番きめ

    20:58

    クラスの掃除当番や、給食当番の決め方は結構適当なんですよね。10月くらいまでは、一応私が

    「こんな感じでどう?」

    みたいに、ネームマグネットでくじみたいにしていて、それで別に困ったことはなかったので。くじみたいなものですから、分担場所や役割がどうなるかわかりません。給食当番っていったって「給食当番」だけですから、だれが牛乳をするとか、食缶をするとか、そういうのもまあ、メンバーで適当にやっています。

     最近は、マグネットを貼っていくのも私ではなく、気がついた子が

    「こんな感じでいいー?」

    みたいにして決めています。ほかの子も

    「○○ちゃん、私のマグネットがでたら教えてねー。」

    なんていっています。

     そんな感じで決められるのはなかなかいいものです。

    2014-12-14

    伝える

    18:16

    「あなたにはあなたの強みがあるよ。だから大丈夫だよ。前に進んでいけるから。」

    「そりゃあ、できることも、今すぐできないことだってあるけどね。やっていれば前には進めるよ。ほら、前はこうだったけど今はこうなってるじゃない?」

    こんなメッセージを毎日毎日、言葉や場面を変えて、伝えていきたい。

    そのための場はできるだけ多様な方がいい。目的、目標は同じでもそこに至る方法はこども自身が選択できる方がその子の強みが出やすいから、そのチャンスもぐっと増える。その子の強みを伝えることも教師だけでなく、子どもができる。むしろ、その方がいい。

    2014-12-13

    素の状態

    22:08

     私は,子どもたちに素の状態でいてほしいと思っているのだ,と思います。

    教師やその他の条件等を過度に意識して「演じている」感を感じてしまうと,(おや)

    と思ってしまいます。そうさせているのが,自分だとすればすぐに,そんな必要はないよ~,と言いたくなってきます。

     公開研究会などでも,子どもたちの「演じている」雰囲気を自分が感じてしまうと,(まあ,それは私があくまで勝手に感じてしまうことだから,子どもたちその他には全く非はないんですが),もやもやとしてしまうのです。

     しかし,そういうのは,決して他者に対して不作法でよいとか,公共における態度を軽視しているわけではないのです。そうではなくて…,と。

     その人がその人としてそこにいるかどうか,みたいな感じですかねえ。例えばコンビニのレジで,丁寧に「ありがとうございました。またおこしください」と抑揚もなく,誰にも同じ調子で「丁寧に」言われても,ぜんぜんうれしくないときみたいな,そんな感じかなあ?それだったら,ちょっとなれなれしくも,その人を感じる応対の方が好きだなあ,そんなイメージ?適切な例ではないかもしれませんが。

     素の状態だけど,だれもが不愉快にならない,どちらかというと「ちょっと快」みたいなそんな感じ。

     

    2014-12-12

    会社まつり

    18:02

     今日は2学期の会社まつりでした。

    先月の中旬過ぎから,ちょこちょこと各会社ごとに準備したりしていました。的当てだったり,福笑いコーナーだったり,漫画コーナーだったり,くじ引きコーナーだったり。名前だけで判断すると,低学年でやっていた会社祭りとそんなに違わない…気もしますが,それはそれでいいと思っています。(^^)

    「みんなで楽しむためにみんなで準備する」そのプロセスも楽しいし,楽しく遊ぶことに一生懸命になる時間もとても大切だから。

    いい時間が流れていました。私もすごく気持ちがいい。

     後半部分ではスポーツ会社が「ドッジボール大会」と「バスケットボール大会」を企画しました。

     得意な子も苦手な子も,男の子も女の子も入り交じりながら,楽しむことから誰一人はぐれることなく30分かんやっていました。意見や思いの違いがあれば,その場でちょいちょいと集まってごにょごにょ相談。そしてまた再開。

     そうそう,それでいいんだよ,と思って見ていました。

     「あーおもしろかったねー」

    って言いながら教室に帰り,ちゃきちゃきと給食の準備に取りかかったのでありました。

    2014-12-11

    ちょっとずつ

    19:34

    クラスがいい状態で勉強できているときの,雰囲気,起こっていいること,聞こえてくること,などをフィードバックしていくと,

    「ほら,あのときみたいな感じで」

    「今は,あのときみたいでいいよね。」

    とか,伝えるだけで全体にそのイメージがだいだい伝わるのでいいなあ。

     それに,

    「あのときを君たちの『普通』でできると,また成長できるよねえ。」

    とったえることもできる。

    「1学期のころと,こんなところが違うよね,成長しているよね,って今,S先生(TTでご一緒している先生)とも話していたところなんだ。」

    と授業の最後に伝えることもある。

     ちょっとずつ,ちょっとずつ前に進んでいきたい。

    2014-12-10

    わからない子の気持ち

    21:08

     放課後の職員室。

     算数のクイズみたいな問題を何人かでといて頭を悩ます。

    「うー、わかんないよ~」

    とかいいながら。

    「わからない子の気持ちがわかるなあ」

    と。

    うんうん、そうだよね。

    「こういうのが一日続いたら、ほんとかなわないなあ。それが今日の学びだー」

    と、ある先生が言いながら帰っていった。

     そうですよね~。

    跳び箱

    21:05

    跳び箱。かたや8段の台上前転やらネックスプリングやらにチャレンジしている子がいる一方、5段の開脚とびがうまくいかずに練習を繰り返す子がいていい。

     8段の台上前転の子が時々、5段の子のところにきて、ちょいちょいと談笑している雰囲気も、私は好きだなあ、と思ってみているのである。

     

    2014-12-09

    20:34

     一人でも学べるっていうのがとっても大切だし、それがないと『学び合い』も実は成立しないんだと思う。

     クラスはまだ前に進めそうな余地はあるんだよなあ。そのイメージを私自身がもてているか、なんだな。

     3学期に向けてよーく考えよう。

    2014-12-08

    「ところで,大丈夫なわけ?」

    21:52

    理科のふりこの実験。

    振り子が1往復する時間は「振り子の重さ」「振り子の長さ」「振り子の振れ幅」の条件によってどう違うのかを調べます。

    1つのグループの動きが不調です。4人グループなのですが,実質2人で実験をしているように見えます。残りの2人は,テーブルの上にあるたこ糸とおもりで,今日の実験とは関係ないように見えることでなにやらしています。

    「あのさ,どうも君たちのグループはこんな風に(黒板に図示)お互いに2人だけでコミュニケーションをとっているように見えるんだけど,大丈夫?2人と2人だけでコミュニケーションをとっていないで,4人でこういう風に(図示)した方がいいんじゃないかな~。ほらあっちやあっちのグループみたいに。」

    といってみました。

     意味が通じたようで,その後はうまくやっていました。よかったです。

    2014-12-07

    教員が『学び合い』を体験すること,ができたら

    23:25

     昨日の続き。

     来年度の「明日の授業のための教育講座」。宮教組の行事である。私も実行委員の一人。この行事も,一歩前に進むための一つの大事な通過点と考えています。

     石巻で若い方々とやっているサークルK。これは,私のイメージでは教員の『学び合い』。どこかの「先生」から教わるというのではなく,みんなが学び手であり,お互いの悩みや課題を共有し合いカイケツの方向性を考える,気軽に聴き合うことを通して。やがて,そういう体験をした人たちが,それぞれの職場でもそんな緩やかな対話のつくる主体者となって行く,そんなイメージ。

     サークルKはまだ石巻のごく一部の教員が集まってくるだけの小さなもの。でもそのマインドを,もっと大きな形で体現する,そんな場に「明日の授業」がならないかなあ,と思っています。もちろんそこでは聴きあう関係を大切にしながら,そこで完結しない学び方の提案。それを体験的に伝えられないかなあ,と思案中。どうしたらいいかな。

     実行委員の仲間とゆっくり考えてアイデアを練っていきたいです。

    2014-12-06

    石巻、志津川、気仙沼

    16:33

    来年の夏に、石巻・迫地区の運営で「明日の授業のための教育講座」というちょっと大きめの会を開きます。きょうはその実行委員会。

    会場は志津川。つまり南三陸町です。

    石巻、志津川、気仙沼の代表が集まって行う集会。被災後4年を過ぎて、この後をどう作るか、そんなことを集まったみんなで語り合えるような、そんな集会になるようにきょうはメンバーで話しました。

    2014-12-05

    いい一日

    00:29

    なんか,きょうは過去最高の算数だったなあと感じられた日。そして。その時間をTTで組んでいる先生と,

    「なんか,かれら,すごいですよね。」

    「いい子たちですよね。」

    と話しながら見ていた時間のなんて幸せなこと,そんな風に思います。

     いい一日でした。

    2014-12-04

    きょうのこと

    18:38

    「分数と少数が混ざった足し算と引き算ができるようになるのが、今日の課題ね。教科書で言うと25ページです。ここの黒板に、一応例題を書いていきました。これをみればできそう、という人は早速取り掛かってください。私に説明してほしい人は、この場に残ってください。説明しますから。じゃあ、どうぞ。」

    そんな感じですたーと。二人が残ってくれたので、その二人には黒板で説明。

    「やっていて分からなくなったら、声をかけてね。」

    くらいは言います。

    あとはだいたい子どもたちでやっています。基本的にそれぞれでやっていて、必要があれば

    「ねえ、Yくん、教えて。」

    みたいに声をかけています。

    (思考が止まっちゃっているかな〜)

    と思われる子には、しばらく様子をみながら、必要かなと思えば、ちょっと声をかけたり。他の子が来てくれることもあるし。

    「自分からアクションを起こせるようになってね。」

    というのは、いつも言っていること。

    自分で一歩を踏み出せるような子になって欲しい、それでも明らかに困っているようであれば一言声をかけられるような子にもなって欲しい。その辺りを線引きはぼんやり、という感じです。その辺りのバランスは子どもたちが取れるし、とって欲しいですね。私は応援役かなあ。

    2014-12-03

    かみ合わない一日

    00:06

    今日は,朝から何となく歯車がかみ合わず,なんとなく一日そのままいってしまった感じ。

     まあ,仕方がない。そんな日もあろう。リセットリセット。

    2014-12-02

    そっかあ,そうなのかあ。

    20:03

    この間,他校の先生たちと話をしていて,

    そこの職員室の雰囲気が悪いって話を聞いていました。

    そこでは,校長先生が,若手の先生たちを校長室に呼んで

    「あれがだめ,これがだめ」

    とか言うみたい。きいていると

    「そんな言い方,言葉はないよなあ…。」

    と思うものも。

    「みんなメンタルダウン…。」

    「そっかあ…。」

    みたいに話を聞いていたのです。

     しばらくして,

    「でもさ,その校長先生のいいところは?」

    ってある人が聞きました。

    「だってさ,校長先生は校長先生で本来の仕事もあるんでしょ?そこをさいてそこまで関わってるんだよね?」

    「はあ,まあ…。」

    「それにそこまで言えば,少なくても自分が余りよく思われていないだろうな,とは感じるよね。それでもなお,叱るんでしょ?」

    「まあ。」

    (このあとごちゃごちゃとやりとりは続くのですが省略)


    一足飛びに,最終的には

    「校長って孤独なんだよ。」

    「そっかあ,校長先生って実は孤独なんだあ。」

    という結論。

     私たち以外には意味不明ですよね。すみません。

     でも,なっとくしてすっきり,でした。

    2014-12-01

    文字化できないもの

    05:51

    学校に残って仕事をしていました。

    一緒に残っていた先生と話していたら,なにやらある集まり(生徒指導担当者が集まるらしい)で,クラスづくりと生徒指導?みたいなテーマで話題提供?をすることになったらしいです。

    「どうかいていいのやら…。」

    と。うまく伝わる言葉が見つからないようです。

    「そうだよね,こういうのって,言い方悪いけど『なんとなく』やっていることじゃない?やり方がどうの,ということじゃなくて,ちょっとした一言だったり目線の向け方だったり,その時々の子どもとの距離感の取り方だったりしない?」

    「そうなんですよねー,どうやるとか何をしているかってことよりも,たぶんそこ。」

     きっと言葉ではなかなか通じないことなんだろうなあ。それに,どんなやり方でも同じなのだろうなあ。

     「その人によって違うんだよねえ,うまくいく方法って。」

    結局そんな話になりました。

     実は,文字化できないことのなかに,重要な事ってありそうだなあ。