次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2014-06-30

    「事務所交渉」

    22:31

    今日は先日の土曜日出勤の振替休日でした。

    ちょうどこの日,組合の「教育事務所交渉」があったので参加することにしました。いつもなら,授業日で参加できなかったので,今日なら休みだし,たまには協力しないと,という思いもありました。

     参加してみてよかったです。日常的には教育事務所長と直接話すなんて事は,まあ,ありません。しかし,こういう場なら話せます。その中で,勤務校の自慢をしてきました。

    ・この10年近く一人の不登校児童もいないこと(もっとかもしれないけど)

    ・一人の精神的な病休職員もだしていないこと

    当たり前といえば当たり前ですが,その当たり前をずっと継続できていることはやはり価値があります。

     組合交渉ですから,つまり労使交渉ってことになりますけど,学校をよくしていくということに関しては,行政とも協働できます。協働して行かなくてはなりません。こういう場にでることも出来るのが私の立場なので,生かしていかないとなあ,と今更ながらおもいました。

    2014-06-29

    学び手に

    05:56

    第二回ホワイトボードミーティング仙台練習会に参加してきました。練習会ですから,練習するのは私たち参加者です。

    そのとき,ふと思ったんですけど,私たち自身が練習者,学び手を実感するってたいせつだよなあ,と。

    子どもの気持ちが分かる。体験的な学び。

    2014-06-28

    ごちゃごちゃ好きなんですよね

    20:55

    今日は、1学期最後の学習参観&学級懇談。今年度は、敷地内併設されている仮設校舎の学校と合同で体育、音楽、家庭科を行っています。私が担当しているのは体育。今回は、その併設校とも学習参観を合わせて行っています。だったら、合同授業の様子を見せるのこんないいチャンスはありません。

    そのつもりでプロセスを作ってきました。もちろん、学習参観のためのプロセスではないけれど、学習参観を活かすプロセスです。両校の子どもたち、合同で運動会に取り組み、そのステップを活かして、今回のビニールバレー。そして、2学期につなげます。

    私の強みは「ごちゃごちゃでも全然気にならない、むしろごちゃごちゃの方が好き」です。教師としては、案外、いい強みなんじゃないかと密かに思っております。まだだれも認めてはくれませんけどね。両校子どもたちが実にいい感じでごちゃごちゃしている。体育着の違いで学校の違うことがわかるくらい。最後は親も混ざってゲームを楽しみました。

    ごちゃごちゃ万歳、です。

    2014-06-22

    開く

    10:23

     学級通信は,今年度はほぼ毎日だしてクラスの様子を伝えます。写真を入れて。懇談資料でもクラスの様子と私の考えも書きあらかじめ読んでおいてもらいす。学級懇談会では,スライドショーで学期の子どもたちの様子を目で見てもらいます。学校のなかで,一人だけ「ちょっと見た目の違う」授業をしているからには,開かないと,と思っています。

    一人だけ,の状態から早く脱したいんだけど,それには「異学年学び合い」が早道かな,うーん。

    (学級懇談資料一部)

    生活の様子

    ○明るく,前向きにチャレンジしようという雰囲気があります。クラスとしてのエネルギ ーがありとてもすてきです。

    ○男女かかわらず,ともに学んだり遊んだりできます。時々,スポーツ会社が遊びの会の 企画を立てて,全員でケイドロなどをやっています。どうしたら,みんなが楽しく遊べ るか,トラブルが起きたらどうするかなど,遊びから学ぶこともたくさんです。「ケンカ のないクラス」よりも「ケンカしても安心なクラス」「ケンカしてももう一度始められる クラス」の方がいいと思っていますし,子どもにもそう伝えています。暴力はいけませ んが。

    ○サークルで集まるときはやはり男子は男子,女子は女子で分かれます。思春期の入り口 ですから,当たり前と言えば当たり前ですから,それがよくないとは考えてはいません。 今はその段階なんだな,という感じです。普段のスポーツ会社の遊び会の様子やワーク ショップ型授業の中でも男女の関わりはたくさんありますから。つまり,授業や遊びの 会のようにある程度,形が作られている場では安心して男女で活動できるけれど,フリ ーなときは,ちょっと男女を意識する,そんな状態なんだと思います。ただ,フリーな ときにも男女をそれほど意識しなくてよくなると,クラスは学習でも行事でもその他で ももっと前進できそうです。そのことの意味を子どもたちに話しながら,2学期を見通 したいと思っています。たぶん,子どもたちなら難なくやってのけると思います。

    ○高学年の入り口ですから,自分の思いと相手の思いを上手にバランスが取れるような大 人と同じ精神発達をしている子もいるでしょう。そういう子は時に,自分を抑えすぎて しまう傾向もあり我慢がたまってしまうこともあります。一方でまだ幼さの残る子は, 悪気なく,自分中心の言動をとってしまうこともあります。みんながそれぞれ異なる成 長を辿っているのは当たり前ですし,状況や場面によって異なりますからそれ自体はた いした問題ではありません。問題となる場合は,その状態がずっと継続する事です。だ からこそ,あらゆる場面で,「自由の相互承認」を(クラス目標を),それを『守る』と いうよりも『目指しながら,トライアンドエラーを繰り返す』ことを大切にします。

     そして,クラスの中でお互いに自由にコミュニケーションが図れる時間の保障と安心し てコミュニケーションが図れる関係作りに留意します。

    ○給食や掃除など,仕事や役割は自分やクラスのために進んでやるのが当たり前,という 空気ができてきました。自分ができることを探して,自分たちでどんどん判断して役割 をこなしていく姿がすてきです。

    2014-06-21

    整理できない振り返り オニミチ てがみち

    22:39

    https://www.facebook.com/pages/%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE%E3%82%A2%E3%82%BD%E3%83%93%E3%82%B8/434115036670131

    http://news.asobusiness.com/?eid=21

     

    教室に,アソビジ代表の中川さんを講師としてお迎えしました。そのときの私のぐだぐだな振り返り。



    ○「志教育」とかなんとかっていうのなら,まずは人との出会いを作らないとな,という思いがあります。学ぶことを,学校の中だけに閉じ込めておかない,というと大げさかもしれないけれど,今まさに教室や学校で学んでいることは,社会としっかりとつながっているんだ,そんな感覚を子どもに感じてほしいと思っています。

     子どもにとって教師とは違う立ち位置の人と,教室・学校で出会うってことはけっこう重要だなあと感覚的に思います。学校でってことが意外と大切なファクターのような気がするんですよね。子どもたちに「教師くさくなく」語る。そんな感じ。中川さんは元教員だけれでども,子どもにとっては教師ではなく「アソビジ代表」であり,ファシリテータ-。教師だとしても「教師くさくない」部類になるだろうし。

     中川さんは,子どもたちをサークルに集める。サークル形式に集まるのは,よそのクラスよりはうちのクラスは圧倒的に多いはず。きっと中川さんの「サークルになって」というのに「あ,綾さんもそういうんだ。」という思いを持った子が多分何人もいたはず。「小さく作るときれいなサークルになるね。」の言葉は子どもに残ったみたい。その後の体育の時に,サークルで体操するときも,「小さくサークルをつくるときれいにいくよね~」なんて声が子どもの中から聞こえたから。こういう瞬間ってけっこう好きだなあ。おもわず笑ってしまう。

    「好きなことを見つけよう」とは,中川さんは言っていない(多分)。そうではなく,「好きなことをやってきた。好きなことがあっていいね,って言われてきた。」そう言っていたと思う。「同じところで過ごしていたのになんでかなあ?」「好きなことにたくさんであってきたけれど,それって運かなあ?」「でもね,それって運じゃないんだよ。」じゃあ,何か?には言及しない。「じゃ,何?」と子どもの声が聞こえそう。答は自分で考えて見てねってこと。ここのところのやりとりを聞きながら,私が考えていたのは「先生はえらい」(内田樹)の内容。私の中の答はここ。運にした,という感覚かな。たぶん子どもの多くは????で終わっただろうから,そのあとを引き継ぐのは私,ということ。

    ○そして,「てがみち」。まずはオニミチはどういう思いで作られたか,という話を中川さんから。事前にもう子どもたちはオニミチで十分遊んでいる経験があるから,中川さんの言わんとすることは伝わったと思う。「共同型ゲーム」「ルール変更自由」。ゲームといえば「対戦型」で,集団やグループでの活動は,たいてい与えられた「ルール」があり,それには従うべきもの,という感覚に浸されている(おそらく)子どもにとっては,そこが面白いはず。まあ,うちのクラスは,他と比べるとそこのところの柔軟性は出せる環境だとは思うけれど。

     「オニミチの良いところはどこなの?」という所では,子どもの返答は「ルールが変えられる。」「面白いルールにしてやれる」というところらしい。みんなが楽しむために(だって仲間なんだもん),どうやったらちょうどよくやれるかその塩梅を相談するということは,とても貴重な体験的な場である。多数決や声の大きい人が手動で強引に決めてもなんか楽しく無い。だって誰もが「仲間」と言う設定のゲームだからね。オニミチやてがみちでこういうことを体験しておくと,他の時,例えば算数の時だって,私がぐだぐだ言わなくても,「ほら,オニミチみたいにさ,」でぱっと多くの子にイメージが伝わる。体験的な学びのよさだなあ。

     で,てがみちなんだけど,オニミチよりは基本のルールもちょっと難しい。だから,グループの子どもたちの性格でスタートの仕方は違っていた。

    「まあ,分かるところからやっていくべ。」

    で,すぐ始めてみるところもあれば,説明書を読みながら

    「えっと…」

    みたいに慎重に進めていくグループも。この場合,どっちがいいとか悪いとかではないけれどね。目的は,仲間と遊びを楽しむこと。それが大切。そのためにルールを変更したりすることも含めて,仲間とあれこれごちゃごちゃ話しながら。対戦,ではないから,仲間のみんなが楽しく無いと,なんか自分も楽しく無い。そういう設定なのである。オニミチでいえば,「鬼を起こさないで,仲間とゴールしたい」,「てがみち」なら「山羊に手紙をたべられないようにして,みんなで全てのお手紙を届けたい」とか。誰君に勝つとか負けるとか,そういうんじゃなくても楽しめる。たぶん,子どもにとっては,こと「ゲーム」でのそういう楽しみかたってかなり新鮮で強烈な体験なんじゃないかな?と思う。「あ,相手に勝たなくても,協力することで楽しめるんだ。」という感じかな。うちのクラスは曲がりなりにも「信頼ベース」×『学び合い』を目指しているから,こういうのって比較的日常でも体験できているようなきがするけれど,この「オニミチ」や「てがみち」の強みはそれが完全な「遊び」ということ。これは強い。「さあ,協力を学ぶためにオニミチしましょう。」なんて言われたら,いきなりやる気が削がれますよねえ?

     それから,子どもたちが「てがみち」をしていたときに気がついたことは,ハードルを下げることも,楽しむためには必要な選択肢,ってこと。「難しすぎたら,簡単なほうにルール変更しちゃえばいいんだよ。例えばさ,山羊がいっぱいいてどうにもダメなときは山羊同士結婚させちゃっていっしょにしちゃうとかさ!」

    って中川さんは,たしかそんなふうにいったような気がする。ハードルを下げるってのは,じつは結構勇気がいる選択なんだなあ。「え~,それでいいの~」みたいに。とくに教師なんて,もっと上,もっと上,がんばれ,がんばれって要求を出しがちだけど,どん詰まりの時にそんなことばかり言ってもやる気ってあまり起きない(ですよね。)だから,合意の上でハードルを下げるってのも十分ありだなあ,と。そういう選択肢を持てるってけっこうステキなことなんじゃないかと思うんですよね。ハードルをいったん下げても,またいつかその下げたハードルを上げたくなるときってきっと来るとおもうから。

     まったく整理されない振り返りですが,時間が経てばきっと,私の頭の中ですーっと沈殿するかのごとく,なるのかなあ?

    2014-06-14

    余計なお世話

    11:36


    昨日。スポーツ会社が昼休みに「陣取り遊び」イベントを企画しました。給食中にチーム決めをあれこれ行い,いざ昼休み。ところが4年生から体育館を使いたい,と申し出。それを聞いた私は,

    「そっかあ,業間休みはうちらが使わせてもらったから,そういうことなら譲った方がいいんじゃない?」

    とスポーツ会社に伝えました。スポーツ会社のメンバーもその周りにいた子たちも,残念そうではありましたが

    「うーん、仕方ないか〜。」

    という感じで了承。前日の大雨で校庭が使えないだろう、という前提の中での体育館しようでしたが、時間はもう午後。

    「あ,校庭がもう使えるんじゃね?」

    とある子が言い出し,窓から様子を見て

    「いける、いける!」

    となり,それで急遽予定を変更して校庭でケイドロ,となったのでありました。ここら当たりで,私は用事があったので職員室に降りたのでありました。

    トラブルはここから。スポーツ会社は,ケイドロなったからその「おに」(つまりケイサツ)決めに、普段使いしているマグネットのネームカードの「マグ神様」使いました。スポーツ会社のDくんがそのマグ神様をした結果,女子の3人がおにに決まった模様。しかし,その中の一人のSさんはその結果に納得がいかなかったようです。というのも,Sさんは陣取りからケイドロに変更になったいきさつは知らず,給食の後片付け終えて教室に戻ってきたらいきなり「おに」になっていて「どういうこと?」思ったようです。それで、Dくんに

    「なんで、こうなってるの?」

    問いただしたところ,(詳しくはわからないんだけど)口論になった模様です。

    で、私は、というと職員室に戻って用事をしながら校庭を見ても誰も降りてこないので(どうしたのかなー)と思っていました。それで教室に上がって見たら、前後の扉がピシッとしまっていてただならぬ?雰囲気‥。そーっと開けて中を見てみたら、ホワイトボードをみんなで囲んで、何やら。どうやらDくんとSさんのトラブルについてききながら、事の顛末を整理していたみたいです。

    「Sちゃんは,ケイドロに変わったんなら変わったって教えて欲しかったってこと?」

    「Dくんは,マグ神なんだからいいじゃんって言ったってこと?」

    などなど。ちょっとの間,私もその様子を見ていたんですが,もはや,昼休みも終わろうとしています。ある子が

    「先生,どうします?5時間目、ちょっと時間もらってもいいですか?」

    と聞きました。今思うと、私はそこで

    「そうだね,続けていいよ。」

    と言った方がいいように思いますし,いつもだったらそういうと思うのに,なぜかその時は,

    「まあ,いいんだけど,これって私にも責任があるんだよね。だって,変更になったのは4年生とやり取りがあって、直接Dくんに私がお願いしたわけで,そのことをみんなには伝えずに職員室に行ったわけだから。ごめんね。」

    と,行ったのでありました。自分から幕引きをしてしまったのですね。自分ではいい,と思ったわけですが,子どももたちにとっては余計なお世話だったのですね。だからSさんにとって,なんか釈然としないし,きちんと聞いてもらわないうちに終わりにされた感じが残ったのでしょう。実はその後に,あまりの天気の良さもあり,私の提案で「遊んですっきりしよう」としたのですが(まあ、これも余計なお世話Ⅱ!),これもチグハグなまま。(それはそうですよね…)。しかしながら、余計なお世話,とはそのときは気づいておらず,(チグハグだなあ,Sちゃんも楽しめていないようだなあ)

    と思って、一旦子どもたちにあつまってもらって,私なりの見た感じをフィードバック。子どもたちは、真剣に聞いてくれ(今思えば、ありがとう、ですね。),その後の第二ラウンドは、見事修正をかけてくれたのでした。きっと、ケイドロをしながら、私の見えないところで、いろんな子たちがSさん始め、友達にちょっとずつ働きかけてくれたのでしょうね。

    やはり、余計なお世話はするものではありませんね。


    2014-06-11

    困らない

    22:38

     私は体育の時なんかに,集まるときもあまり2列に,とか4列にとかに並ばせたりはしないんだな~。

     「ホワイトボードの前に集まってくれる?」

    みたいにすることが多い。並ばなくても困らない。

     今は,敷地内の他校と一緒に体育をしていますが,それでも同じ。むしろ,こうして集めた方が,両校の子どもたちの関わり方の変化,がよく見えるから都合がいい。

     そういえば,体操も,みんなでサークルになってやるようにしているなあ。「きちんと並んで」前を向く,スタイルの方が今はなんか「いずい」のだなあ。

     

    2014-06-07

    今のところ

    07:42

    「まだ分からないことがあるなあ,くらいで勉強が終わるとちょうどいいんだよ。次のチャレンジが見つかっているんだから。」

    と最近,そんな風に言うことが多いです。

    「全部分かった,なんて思うときは。それはそれでうれしいことだよね。だからもっとチャレンジできそうってことだよね。分からないことが残るってことは,自分がチャレンジし続けたってこと。自分にちょうどチャレンジをいつも探していけるってすてきだよ。これからどんなことを学ぶにしても必要なちからだと思うよ。」

    「そしてね,いつもいつも『一生懸命』って大変なんだよ。だから疲れたら休むのもOK。そういう時は,一人で休むんだよ。周りで集中してやっている人の邪魔をしてはだめね。大丈夫。少しやすんだら,またチャレンジを始めればいいから。」

     分かることはいいことだ,それはそうだと思うんですが,どうなれば「分かる」「分かった」「できる」「できた」というのかよく分かりません。そうなると,その「分かった」「できた」ことを誰かに証明(おおくは教師に,かな)するために点数とか作品,青果物の見栄えの良さに向かいます,向かわせます。それは悪いことではないですが,教師の目がそっちにばかりに向き子どもの思いとずれたまま過度な要求を出すと,こぼれてしまう子どもがでてしまいます。

    「学び合わせる」ではなく「学び合う」。自分たちにとって,学び合うことが「楽しい」事にまでなれば,それだけの体験的な学びをしていれば「分かった」「できた」が半分で「分からないなあ」「まだできないなあ」が半分でも『学び合い』は十分成立している,そう思います。。(次のチャレンジはここだな,なかなかいいチャレンジできたな)と「分からなかった」自分や「できなかった」自分を楽しむ,できなかった自分にもOKを出してあげられるってすてきだと思います。自力で学び続けるってそういうことかなあ,と。

     学びにはその続きがまたあるのですから。学ぶ内容で考えれば明日の算数,国語…,があるし,学び続ける姿でとらえれば,算数のカバーを体育だってできるし。こういう感覚になってから,『学び合い』がすごくいい意味で私にとって楽になったし,子どもの肩の力も抜けた感じです。いちいち「みんなができる」なんて教師が言わなくてもいい状態。それが目標。

     「『内容」は学び合えない』『姿』や『向かい方』を学び合う」,そういうことの意味がやっと自分なりに「ああ」と思ってきました。だから「みんなができなくてもいい。」し,むしろ「みんなができる」なんてありえないよね

    目指すのはそこじゃない,と思えるようになりました。「みんなができる」は,そういう風に取り組むことのよさや意味を体験的に学ぶことにしかすぎないわけですよね。だから,教師は「みんなができることの本当の意味は『みんなができること』なんて実はどうでもいいんだ,ということナノダ。本当に大切なのは…。」とぶれない思いをもって,そこにいること,今のところ,そういう感覚です。そう,今のところ。

    2014-06-05

    「いじめ0」

    23:15

     学校には「いじめ0」とか。「いじめSTOP」とか「いじめは絶対ゆるさない」とかのポスターがあります。どこの学校にもあるのかなあ,と思います。

     言っていること,訴えていることは分かりますし,それに反対する人なんていません。当然のことです。正論ですから。

     でも,ですね,いじめとか本来したい人なんていないと思うんですよね。だって楽しくはないですよね。いや,あなたは分かっていない,と言われるかもしれませんが,それでも心底から人をいじめるのが楽しいって人はいるのかなあ,と思います。

     クラスの子たちには

    「いじめはよくないよね。もちろんそう。それは分かった上で,私は,いじめをしちゃう人もどこかに寂しさを感じているんだろうなあっておもってしまうんだ。みんなのなかに,いじめとは言わないまでも,人にイジワルしたことある人います?うん,いるよねえ。そういう時って,自分がいやなこと言われたとか自分が何かされた,とか,友達がいるのか不安とか,寂しいとか,どこか自分が安心できないとかハッピーじゃないとか,そういう時じゃないのかい?」

    「うんうん,そうだよね。自分がハッピーじゃないと,なんかイライラしていやなことを言ってしまったりやってしまったりすることもあるでしょう?ごんぎつねのごんだよ。」

    「だからさ,先生は『いじめはダメ』とかいうばかりでは本当のいじめ0ってなかなかならない気がするんだよね。みんながハッピーになること,ハッピーじゃなかったら,『ハッピーじゃないんだけど。』っていえること,そしてそうならどうしたらみんながハッピーになれるかみんなで考える事,そんあことが大切なんじゃないかなあって思うんだ。いつもいつもハッピーでいることはできないよね。だから,クラスでもつらいときは『つらい』って言えること,寂しいときは『寂しい』っていえること,困った時は『困った』って言えること,そして言えたらみんながその話を聞いてあげること,そんな事ができたらいいのに,と思っている。『みんながハッピーになるようにするにはどうしたらいいか』のアンテナを身につけたら,それは中学校に行っても高校に行っても,働くようになっても大切な宝になるはずだよ。だから,学校でたくさん練習しよう。クラスで,こんなふうに勉強(『学び合い』という名称では言っていないので)しているのは,毎日の国語や算数でもこの練習が出来るから。今は,勉強でも困ったら『困った』って言えるでしょう?そういうこと。だから,君たちには,クラスのみんながどうしたらハッピーになれるか,学校の全員がどうしたらハッピーになれるか,そのために自分ができることはなにかなあ,そんなふうに考えてほしいと思うんだ。」

     「いじめ0」「いじめは絶対許さない」それについての異論はありません。

    状況によってとる手段も千差万別であるでしょう。何がよくて何がだめかも決められません。でも,私の感覚はこうだなあ,という感じなんです。

    「もっと自習の時間があればよかったなあ」

    06:45

    昨日は、他の学級で授業研究会があったので、5時間目はうちのクラスは自習でした。「もっと自習の時間があればよかったなあ」は、その時のことを書いた、子どものジャーナルの言葉。他の子のジャーナルも、自習の時間がずいぶん充実したようで、満足した様子が伺えました。

    自習課題は、いくつか例を示して、その辺りから選択できたり時間配分も自分でいい具合にやっていいことにしています。あとは、

    「みんなで、いい勉強の空気が作れるようにね!」

    とだけ、注文をつけました。

    ドリルで予習する子、ドリルの遅れを取り戻す子、リーディングをする子、教科書の問題をする子、それらを、半分半分する子など、いろいろのようでした。

    5時間目が終わって、教室に戻り

    「どうだった?」

    と尋ねると

    「ばっちりだよ。」

    と。よかったよかった。

    そういえば、ずっと前に

    「あなたの授業は自習と変わらない。」

    と非難?されたこともありました。そのときは、少々イライラした思いもありましたが、、自分たちが満足できるような自習ができるようになれば、それって実はいいことじゃないのかなあ、と数年たって思うのでありました。

    2014-06-03

    ちゃんと「子ども」をやろう

    22:53

    スクールカウンセラーとして本校に来ていただいているI先生と,放課後ゆっくりおしゃべりする機会がありました。結論からいうと,とっても楽しかったです。

     「子どもであることを大事にしよう!ちゃんと子どもをやろう!」

    という点で意気投合しました。そうなんですよね,ちゃんと「子ども」をやるってとても大事です。「いい大人は,すてきな大人はきっとすてきな子ども時代を過ごしている。子どもは子どもであることをもっと大事にしていいんだよ。」

     数々の子どもたちをずっと見てきたI先生はそう言います。私も全く同感です。

     「子ども」って何?私は,楽しいこと,やりたいことにぐんぐん進んでいくパワー,楽しいことワクワクすることへのアンテナがびんびんたっていて…ってそんなイメージです。みなさんはどうですか。慌てて大人になることはないよ,今は楽しいことに思いっきりワクワクして向かっていこうよ。それでいいのだ。

     うん,「ちゃんと子どもをやろう!」宣言!

    2014-06-02

    大丈夫らしい

    23:39

    遊び会社主催の「ケイドロ大会」

     暑いんだけど,やるらしい。

     終盤なにやらもめごと?校庭のずっとあっちの方で,なにやら集まってゴニャゴニャしている。

     しばらくして,集まっている子どもたちの輪がくずれて,なんとかなったみたい。戻ってきた子どもたちに聞いたら

    「大丈夫です!」

    だそうな。

    2014-06-01

    『学び合い』の私の理解 今の感じ

    07:33

    運動会も終わり,今までの仮のクラス目標から,自分たちのクラス目標づくりへと取り組んだのが先週。

     今までも,クラス目標づくりは大切にしてきたけれど,今年度違うのは一つはこの時期,ということ。4月に仮の目標を私が示すことで私の願いを伝え,その後4月,5月の学習や行事でそれを体験的に確かめる。そして5月後半に,ホワイトボードなどを活用しながらイメージのすりあわせ,そしてシンボルづくり(掲示物)。体験の積み重ねがあるから,イメージの共有が図れるし,子ども同士のなかにぶれが少ないみたい。対立?はない。

    「そうだよね~」

    という感じ。あっても

    「これとこれは同じ事も多いから,この言葉にしよう。」

    とかそんな感じ。

     二つ目は,シンボルづくりにちょっと力を入れ時間も割いたこと。今までは私がこういうのをつくること自体苦手だったので,どこかで「

    「時間もないし,このくらいでいいかな?」

    とお茶を濁しているところがあったんだけど,今年は

    ・イメージカラーはどんな感じ?

    ・クラス目標にふさわしいデザインは,じゃあ「インテリア会社」さん,デザインのアイデア出してくれる?

    ・イラスト好きな人は,イメージキャラクター考えてね。

    などなど,作成のプロセスも大切な活動に位置づけたこと。そしてできあがったデザインから,みんなで役割を分担して協働制作。

    「このクラス目標に近づく,大切な最初の活動だよね~」

    とかいいながら。

     もちろん,つくりながらも若干の意見やイメージの食い違いがありもめそうになったこともあったんだけど,その都度子どもたちのなかで修正ができたし,ちょっと介入する場合も

    「こういうイメージにするには何がふさわしい?」

    と一言くらいで

    「ああ…。」

    と,収束に入っていったし,よかった。

     できあがった大きなシンボルも,大工の息子のRくんが

    「おれ,高いところ,得意!」

    と脚立にあがりはってくれたり,なかなか楽しかった。半日をつかった価値は大あり。

     

     今年は今まで以上にクラス目標やそのシンボルづくりへのプロセス(合意形成も含めて)を大切にしてきた。そのプロセスのなかで,合意形成の練習もしてきたしその中でお互いのことをより深く知ったり自分や友達の強みもしる機会にもなったことと思う。クラス目標は「協力して,楽しいクラス~自分もみんなも笑顔にする~」。言葉としてはなんと言うこともない,ごく当たり前の表現だし,シンボルももっと何かをすれば,さらに見栄えよくいったかもししれない。でもこの制作プロセスのなかで,子どもたちはこのクラス目標の意味を何度となく考えただろうし,体験を通して確かめてもきたはず。だからこれでいいのだ。これから先,きっとクラス目標から逸脱したりすることもある。必ずあるはず。しかし,そのときにいつでも立ち戻ることができるだろう。だから,このプロセスが大切だったんじゃないかなあ,と思う。

     きっと,こういうことは,クラス目標づくりだろうと行事だろうと,学習だろうとみんな同じなんだろう。例えば運動会,紅組優勝を目指して負けてしまったけれど,子どもたちは

    「運動会,とっても楽しかったね~。くたしいけど。」

    と心から言えればOK。勉強だって,

    「今日はここまでやれたな~。こんどはこれにチャレンジだな。」

    と思えればOK。これが,先生が「配慮」して

    「どちらも優勝」

    とか

    「大差が付いたから,僅差で発表しておこう」

    とか,余計なことをしては,がっかり。学習だって「100点をとること」がゴールじゃあ,ちょっとざんねん。もっとおもしろくできる。

     自分や自分たちの願いがあって,その実現にプロセスをつくる,みんなが気持ちのよいプロセスを探す,つくろうとする,そういうことができるようになるってことが,本当に大切なことなんじゃないかな,と思う。それが『学び合い』。だから,すべての時間で『学び合い』はできるしやったほうがいい。

     今年のクラス目標は,子どもたちだけで1から10までつくった。だからOK。ちなみに私が最初示した仮の目標は「スマイル」「チャレンジ」「チームワーク」だったんだけど,どの言葉も「採用」されず。それが結構,私にはウレシイ。