次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2014-05-06

    21:09

    学び合い』が何と無くうまくいかないなあ、とか、初期の頃って、どうしても結果が欲しくなります。目に見える結果。なんでかっていうと、周囲と違うことをあえてやるからには、それだけの説得力が欲しくなるから。『学び合い』を続けて行くためには、結果を出さなきゃ、って思うのです。少なくとも私はそうでした。

    「子どもたちにとって必ずしも必要な力になる。」

    そう信じていたことには間違いはありません。しかし、「早急な」結果を求めることは、「子どもたちのため」とは思いつつ、同時に「子どもたちのために学び合いを続けるため」の結果を求めているところもあったのです。そうなると、子どもたちのほうの必要感というか思いと私の方の思いに、微妙なズレが出ます。そのズレが、焦りとなり、くるいがでてくる。そんなイメージでしょうか。

    時代は少しずつ動いているとはいえ、まだまだ一斉形式が主流な中にあって『学び合い』を選択するには、やはり教師が安心して、じっくり取り組める環境にないとなかなか継続できない面もあるということかなあと思います。

    しかし、です。とにかく続けて行くことで、状況は変わってきます。それは間違いありません。続けましょう、です。

    今、考えていること

    11:20

    不安のないこと、安心であること。大切なことってそういうことなんだろうなあ、と思います。

    子どもたちにとって、「できないこと」や「わからないこと」が不安であれば、「できるようになること」や「分かるようになること」があ不安の払拭や安心につながります。では「できれば安心か」といえば必ずしもそうではありませんよね。例えばできることで友達に妬まれたり、からかわれたりする環境であれば、できないことが安心につながったりもする。できないふりをするとか。こんなひどい状況は稀だとしても、「つねにできなきゃいけない」と思わされる環境なら、できるようになっても常に不安感は払拭されません。

    「できること」「分かること」「できないこと」「分からないこと」どれでも、不安なく安心でいられるのなら、どうでいいんじゃないかなあと思います。それは「できてもできなくてもどうでもいい」というのではないのですけど。そもそも「できる」「分かる」と「できない」「分からない」の線引きなんて、それこそどこにあるのか私にはよく分かりません。だから、できるのならもっとできるよにチャレンジできれば楽しいし安心。できなければ、できようにチャレンジできれば楽しいし、ちょっとずつでも成長しているという実感を得られれば安心。ゆっくりなペースでも「OK!」と言ってもらえれれば安心。見守ってくれている人がいる、たくさんいるんだと感じられれば安心。そして、ベースに自己選択と自己決定。そういうことなんだと思います。

    だから、ありきたりなんですけど、学校、教室が「どの子にとっても」不安なく安心な場であれば、「みんなができる」とか「みんなが80点以上」なんて言わなくてもいいんだよねえ、と思います。だって、どの子も伸びたいと思っているのですから。そこを応援すればいいのだと。

    だから、『学び合い』での教師のスタンスはそういう安心安全な場をつくることに全力を注ぐことであり、守り通すことなんだと思っています。もちろん一人だけでは難しいし、そもそも一人だけで守っていたのでは、子どもたちの「安心安全な場を作る」練習にならないので「みんなで」です。

    「できなくたっていいじゃん。次にチャレンジしようぜ〜」

    「できないことだってあるよ〜。だから面白いんじゃん。」

    言えるくらいの気持ちと同時に、でもそればかりでは萎えてしまう子だっているだろう(関係性がまだうまく作れないことか、自信が自己受容がまだ足りない子とか)から、小さな成功体験を一つずつ積ませる目配りと後押しをしながら、だんだんと子ども集団に委ねて行く、そんなことを目指して行きたいなあ、そう思うのです。

    だから、私の今のベースは「信頼ベースの学級ファシリテーション」×『学び合い』。私にとっては、一番しっくりくる立ち位置です。