次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2014-03-15

    やっぱり『学び合い』だとは思うのです

    23:04

    「チームワークで、べんきょうをどんどんしんかさせることができました。」

    この言葉は、クラス

    目標の振り返りをしたあとの子どものジャーナルの一部。理解がゆっくりなタイプで、学年当初は、勉強はあまり…という彼でしたが、この一年でぐんと集中して学べるようになりました。とびきりできるようになったわけではありませんが、この一年の成長度で考えると、私から見てもすごいな〜と思います。何よりも、自分が確かに成長している、伸びているんだ、と感じながら前に進もうとする気持ちが、本当にうれしいです。

    私の力不足もあって、とびきり抜群の結果が出てはいないかもしれません。(そもそも、テストで点数なんてつけていないので)でも、勉強が好き、面白い、と感じている子割合は抜群に高く、学校では群を抜いていると思っています。私から見ていても、

    「面白そうにやってるなあ。」

    おもいます。子どもの振り返りの中で、

    「べんきょうでなやんでいる人にかるく声をかけて、楽しくやってきた。」

    「べんきょうのときとか、スマイルでできた。」

    なんて言葉も出てきます。みんなで楽しく学べたなあ、そう思います。

    ある時期から、あえて『学び合い』という言葉を使わずに取り組みを続けてきました。それは、本校勤務の最初の頃に結構あって、それは自分に責任もあったことなんですけど、疲弊した時期もあったので、『学び合い』という名称を出すことで、いらない軋轢をさける面もありました。また、『学び合い』というやり方はないのに、その見え方の一面だけであれこれ言われたりするのが面倒臭かったからでもあります。また、『学び合い』よさを伝えることが一斉授業で一生懸命やっている方を批判しているような形(そうではないんだけど)になってしまいそうなことを避けるためでした。

    もっとも、今の私のあり方が『学び合い』なのかもよく分からない状態でして。『学び合い』の考え方は、頭に常にあり日々ブラッシュアップして行きたい思いはありますが。『学び合い』ベースにそこを体現するスキルとして「信頼ベース」入れ、アドラーやイエナにも興味あり、とそんな感じでやっているところですので。

    話をもとに戻すと、やっぱり、『学び合い』は間違いなくいいものであって、もっと私の近隣にも広めたいと思うのであります。実際、この石巻地区には、私の知っているところでは『学び合い』の学級はありません。私が知らないだけならいいのですが、それでも多くはありません。『学び合い』を学ぶ会、結構前にやったにもかかわらず今ひとつ広がりません。やっぱり、少々の軋轢はあったとしても、きちんと『学び合い』の名称を出して堂々といった方がいいのかなあ、そんな風に最近思っています。

    被災後3年。地域の学校は様々な問題を抱えているところも増えてきています。だから、そこを子どもたちの問題をぎゅっと押さえつけて見えなくするような方向ではなくて、今よりも子どもたち本当に仲間と学ぶことを楽しめるような教室学校にしていかないといけないなあ、と思います。それには、『学び合い』だとやっぱり思うのです。(危険性もあるのは、分かる。だから困るんですけど。)