次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2013-09-2910月は学芸会だな

     10月には学芸会があります。

     (どんなふうがいいかなあ)

    と考え始めました。

     11人と少人数だけど,エネルギーにあふれた子たちだから,なんかその良さを発揮できるもの,と考えて太鼓を提案したら,やる気まんまん。よかった,よかった。

     あとは,運動会でYOSAKOIソーランをやったので,その続き?みたな感じで「よっちゃれ」。これは,少人数担当の先生が,趣味でよさこいやっているので,そのお力を借ります。あとは,締めに南中ソーランを,と考えていますが,それは明日子どもたちと相談しようと思います。たぶん

    「やりたい!」

    っていうと思うなあ。

     11人しかいないから,その分,一人一人がかなり本気でやらないとね,と伝えないと。

    みんなが「楽しい」を大切にして,練習に取り組み始めます。

    2013-09-28あいさつについての雑談

     昨日,仲間と久々に二人で飲んで,なかなかおもしろいことをお互いでしゃべって,楽しかったので。笑

     あいさつってなんだ?というのが主な話。

    よく,学校なんかで職員室に子どもが用事があってくるときなんか

    「○年○組の○○です。■先生はいらっしゃいますか。」

    なんていうおきまりの言葉があります。(よそはないかな?)

     実はそういう言葉を聞きながら

    (知ってるよ。○くんでしょ?)

    (■先生?目の前にいるじゃん。)

    って思ってしまいます。だって,この学校で君を知らない人はいないし,あなたの目の前にいる人に向かって,「いますか?」って変でしょ,と私は思います。でも,礼儀正しく職員室であいさつする「型」はこうなっているから,その子も,職員もあまり疑問をもたないようです。

     「おはようございます」にしても,会う度に何度も言われると,

    (おいおい,それあいさつじゃないでしょ。)

    と思います。だいたいそういう時は,声の調子や表情をみても,あいさつをしているというよりは

    「おはようございます」とか「こんにちは」とかの声を発しているだけかなと思います。 だから,ときどき私は

    「ねえ,さっきも『おはよう』っていったのに,なんでまた,言うの?これで○回目なんだけど?」

    なんて尋ねちゃいます。意地悪ですね…。子どもには悪気はないから,

    「あ,あいさつは一回でいいんだよ。それも,したいなあとおもった時だけでいい。」

    と言います。

     しかし,この子たち,こんなに何遍もあいさつをしているけれど,友達にも同じように何度もあいさつをするかというとそうではありません。「先生」に対してだけです。友達同士では,「おはよう」であれば朝の1回きりです。うん,それが自然。子どもも実は分かっています。

     「先生にあいさつをする」ことが目的化しているのかなあ,と思います。教師がそれを求めているとも言えます。たまに

    「挨拶をしたのに,あいさつを返さない子がいる。あいさつ指導が必要だ。」

    なんて声を聞くこともかつてありましたが,まあ,あいさつをされたら返すのが礼儀ですよ,とは教えますが

    (あいさつを返さない,という表現もあるよなあ苦笑)

    というのも,思ったりします。

     あいさつとは何かを考える前に,まずはあいさつをすること,あいさつの型が優先されるのは,よくあることです。気持ちから入るか型から入るかの違いなのかなあと思います。型から入るのが悪いというのではありません。やっているうちに,気持ちが育ってくるというのはあるだろうし,まずはすることで「やっぱりいいものだ,必要なものだ」と体験的に学ぶこともあるでしょうから。

     私は型通りの挨拶は,あまり好きではないので(笑)全員そろっての

    「ありがとうございました」「ありがとうございました!!」

    みたいなことはクラスではしませんし,授業の始めや終わりの「起立,礼」みたいなものもやりません。でも,

    「さあ,お世話になった○さんにお礼は伝えた?」

    なんて促したり,お礼を言っている子がいることを可視化することで,補おうとします。授業でも

    「さあ,この時間,これをみんなでがんばろうね~」

    と始めます。

     そもそも,あいさつとは何?と考えれば,どういうアプローチから「指導」してもまあいいんだと思います。しかし,あいさつとは何か,を忘れて「あいさつする,している姿」に満足してしまうとダメだなあ,と自分に言い聞かせます。

     「あいさつ? してもしなくてもどっちでもいいよ。私はしたほうが楽しいからするけどね~」

    くらいで私はいきたいな。

     こんな話を飲みながら,ぐだぐだ話せる仲間がいることは楽しい。笑。

    2013-09-24給食座敷事件その後

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20130907

    http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20130909

    座敷も使って,給食を食べ始めてしばらくなります。上記のような事件?があっても,毎日数人が入れ替わったりなんだりしながら,座敷を使っています。

     男子だけとか女子だけ,というわけでもありません。男女が半々ずつだったり,男子の中に女子一人だったり,その逆だったり。全員座敷を使うわけではないので,そうなるとアイランド型になっている「テーブル席」は,給食時はなにやらしらないうちに自由席みたいになっています,大学の学食みたいに。

     特定の子たちがが常に集まっているわけでもなく,男子だけ・女子だけとかいうわけでもなさそうなので,別に何も言わず見て見ぬふりをしています。まあ,女子だけ男子だけという日があってももちろんそれはそれでもいいんですけど。もしかすると子どもなりに考えているのかもしれませんが(笑)

     流動的に誰とでも,その日の気分で,食事のグループを決められるというのもなんかいいかも。しばらく見守ってみよう。

    2013-09-23スーパーティーチャー?

    http://kokucheese.com/event/index/105946/

    参加してきました。

    ここの,パネラー(というのかな)の方々は,私たちから見れば「スーパーティーチャー」です。本もたくさんだしているし,全国的に有名だし。

    でも,でもです。決してスーパーなんじゃないんだなと思いました。私たちと同じようにうまくいかないときもあり,悩み,時にイライラし,誰かに批判されることもあり,とんでるがゆえに嫌われちゃうことだってあるんだなと。私たちと結構同じ(笑)。たぶんこの会場に集まった人たちは,おそらく同じようなことはたくさんあるんだろうと思います。

     「好き勝手」なんて言葉も出てきたけど,それは子どもたちや学校やこれからの教育のことなんかを,それこそずっと考えて試行錯誤をし,失敗もたくさん重ね,それ故に確かになってきた信念があるから,他の人から見れば「好き勝手」に見えることもあるということだと思います。「好き勝手」にやるのは,とてもストレスがかかります。みんなと同じことを同じようにやっていれば,楽です。(ほんとはこうなんじゃないかな~,おかしいなあ)と思うことに対して妥協しないで考え抜いて行動に移し続け,そして結果もだすから「スーパー」に見えるんだと。

     スーパーティーチャーと言われた方々は,その言葉に一瞬とまどわれた表情をされました。もちろんその言葉を遣った方も「 」つきの意味で使ったわけですけど。決してスーパーではなく,私たちと同じように苦しんでいる,普通の教員なんだなあと思います。

    もちろん,本当に「好き勝手」ではやっていけません。それは自分勝手ですからね。そこらあたりの折り合いを上手につけながら,子どもたちが学ぶことや,過ごすことが本当に楽しい(苦労することも含めた)学校に進化していけるように微力を尽くしたいなあと思いました。

     宮城は全国で一番不登校率が高いと聞きました。その中でもこの石巻地域は一番らしいです。震災の影響もあるのかもしれません。でも「だから仕方ない」とはなりませんよね。私がここに集まっている「スーパー」と言われる方々と直接お会いし,お話ができるのは,その震災があったからとうのが大きいです。震災への支援に何度も足を運んでくださったことがきっかけになっているからです。だからこそ,そういうつながりを大切にして,地元の学校のために役立つことをしたい,そう思います。「スーパー」じゃない人が「スーパー」な思いをもって,毎日の普通の仕事をすることが,ホントは大切だと思うから。

    2013-09-22反省させると犯罪者になります

    「我慢できること」「一人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」

    このような価値観は、世の中でも、もちろん学校でも、正しいこと、といて扱われることが多い。

    でも、そうじゃなくてもいいんだよって思う。我慢できないことだってあるし、弱音だって吐いていい。困った時には助けを求めたっていい。人にだって迷惑をかけちゃうことだってある。

    こんな感覚は、生活綴方を追求していたころに多分自分も培われた感覚。だから、この本の主旨は、とってもすんなり入ってきた。

    私だけでなく、多くの教員も、その通りって思うと思うんだけどね。でも、学校という組織になった時に「我慢できること」「一人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」は、「正しきこと」として揺るぎなくなり、共通理解のもと、その一線を崩さないこともある。例外を認めない、みたいな。

    みんなでやっていれば、そりゃあ、いろいろあるんだから、なんかあった時にメンバーでナントカスッペ、という雰囲気が作れることが大切なんだよねえ、と思っている。だから、私が「こうしなさい」なんてあまり言わないようにしているし、「どうする?」ってやっぱり子どもたちにききたいなあ、と思う。

    この本、教師も親も読んだ方がいいなあ、と思うけど。どういう立場にしろ、ね。

    2013-09-13考える

    ⚪⚪は教室における担任のあり方、という見方をいろんな場面で想起します。このみかたは、本当にわかりやすく、使えます。

    場面場面で、ああ、いいなあ、とおもうときもあればまずいよなあ、と思う時もあります。どういうふうに行動するか迷う時もありますが、子どもに言っていることとブレる行動はしたくありません。

    2013-09-12棒人間

    「棒人間」それは,クラスのA君が,モールで作った小さな人形である。大きさ,約3㎝。A君,とにかくそのあたりにあるものを何でも使って,常何かを作って遊んでいる,そんな愛すべき彼である。

     で,本校では夏の間にはでに生えた校庭の雑草抜きを新学期が始まってから朝,週2~3回くらいの割合で行っている(^^;)今日も,草取りが終わって,教室に帰り,さて本日の連絡をし,読み聞かせ…と思っていたら,そのA君がつかつかと近づいてきて,

    「ん?」

    と思って彼をみると,みるみるうちに目が涙目に…

    「お,お,どうした?」

    と尋ねると

    「棒人間が…」

    と。

    聞くと,どうやら,草取りの最中にも,その棒人間で遊んでおり,草を乗せるリヤカーの縁を歩かせたりまたがらせたりしていたらしい,そしたら,積んである草の中に,その棒人間くんが落ちたらしく,「彼」はそのまま草と一緒に運ばれてしまったらしい。

     で

    「棒人間が…」

    という展開に。

     うるうると涙しているA君に,クラスのみんなは

    「どうしたの????」

    と。事情を話すと,

    「棒人間を捜そう!助けだそう!」

    と盛り上がる子どもたち。

    「え?」

    っておもったけど,そういうの。キライではない。

    「よっしゃ,棒人間,救出プロジェクト!!」

    って

    わけで,草捨て場に直行。みんなで草をかきわけ,かきわけしたら…

    「あ,!!,いた!!!」


    めでたしめでたし。(^^)

    そして,図工を無事,始めたのでありました。

    あはは

    2013-09-10明日は校内水泳大会

     1学期は,プールの修理が完了しないで,1回もプールに入れなかったのですが,2学期は,幸い天候もよく,ほとんど毎日入れています。今しかないので,ここでじゃんじゃん練習するぢかないでしょ!って勢いです。

     

     水泳の学習は『学び合い』がいいなあ。と思っています。(どの教科でも本当はそうだと思いますが)水泳は,個々の子どもたちの個人差が,それが低学年であっても,大きく出やすい気がします。そんな中で,みんなが同じことをする意味はあまりありません。個々の子どもが今日のチャレンジを意識し,それぞれが相互補完的にサポートし合えば,低学年でもとってもすてきな姿を毎回見ることができます。

     2年生が

    「いい,ここまでもぐってみようか?」

    「だいじょうぶ,だいじょうぶ。ゆっくりやってみる?」

    なんて声をかけながら,まだ水がこわい1年生の手を取りながら練習する姿なんて,いいなあ,と思います。

     水泳の場合は?私はべつにみんなが「だるま浮きができる」とか「みんなが5m泳げる」とかにならなくてもいいと思っています。それぞれが自分のチャレンジを意識して,友達のチャレンジも分かっている,その中でお互いにサポートし合いながら楽しく水泳がやれればいいと思っています。

     昨日は,この夏やっと潜れるようになった子が,勇気を出して壁をけり水中に身を投げ出しました。浮けました。まわりのみんなで大喜びしました。今日は,ぜんぜん潜れなかった子が

    「せーの!」

    で,頭まで潜れました。

     得意な子は25mとか50mとか泳げちゃう子もいます,でも,そうやってチャレンジする子もちゃんとお互いに見ています。

     よく,

    「泳げる子はこっちで練習,泳げない子はこっちで練習」

    なんてやり方をする場合があります。もったいないなあ,と思います。

     水泳の「一人も見捨てない」はみんなが一人残らず「水泳の学習を楽しめる」だと思います。もちろん「楽しむ」は「自分が確かに成長,上達しているという感覚を味わう」という点で。

     5年生までかなづちで,プールの時間には仮病をつかって見学していた私の「一人も見捨てない」です。

     明日は,校内水泳大会です。今年の水泳学習も終わります。子どもたちのチャレンジを楽しみにしています。

     

    2013-09-09給食座敷事件2

     今日の給食のときのこと。

    「座敷で給食を食べてもいいですか?」

    と。

    (へ~,金曜日のことで「こりて」はいないようだ。いいね!)

    と思って

    「うまく相談してやってね。」

    とだけいいました。

     この前みたいに何人かが座敷に集まって食べ始めました。きゅっと集まったなかなか和やかな良い感じ。(*^_^*)

     しかし,またまた事件が!せまいところに,きゅっと集まって食べていたからでしょう。ある子がおつゆのおわんをひっくり返してしまいました。畳の上に,見事におつゆがひっくり返っています。

    (じぇじぇ,またか!)(>_<)

     でも,そこからの動きがよかった。何人かがささっと集まってきて,こぼしてしまった子と一緒に,ちゃっちゃっと始末をしていました。

     周りの子におつゆも少々かかったのですが,その子も責めるわけでもなく,という感じでした。そんな子どもたちの様子を見ていて,

    (いいねえ)

    と思いました。

    2013-09-08ゆっくり,いそいで

    「分からないなあ」とか「できないなあ」とか平気で言えるようになると,楽しくなるなあと思う。

     自分自身を振り返ってみても,まあ,とくに何ができるわけでもなく,人に自慢できるような特技もなし。英文科卒だけど,もうすっかり英語だって???なわけで,多分高校の数学なんて絶対できない!(現役のころだってできなかったんだし)

     この前,せいこさんの講座で「わたしの構成要素」やってたときに,自分の教師としての価値はなんだろう?って考えたときに,

    (人よりとくに秀でたところがなくたって,なんとかなるってことが,教師のくせに感覚的に分かることかなあ)

    と思いました。

     それでも,教師になっている時点で,秀でたところはあったんじゃない?って言う人はいるかもしれませんが,でも周囲にいる人の多くは教員なわけで,それも優れた人ばかり。それはそれで結構劣等感はあるんですよ。そんなわけだから,10年,15年前くらいはとにかく形に残る実践がしたくて悪戦苦闘していた時期もあったなあ。職員会議でもなんか主張したくなったりして。

     今は,自信をもって,

    「ほんと,勉強不足。」

    って言えます。はい。だから,けっこう楽しんで,学べていると思います。焦りもないんだなあ。何かを突き詰めて研究しようとも思わないんだけど,

    学び合い』の「一人も見捨てない」ってどういうこと?ってずっと考えていくのは楽しい。そして,それを,ちょんせいこさんたちの「信頼ベース」と掛け合わせていくところに,自分としては光が見えるきがするんですよね。やっていて,楽しいし。うん,楽しいは大事。今は,そっちに向かって歩きたい。

    ゆっくり,いそいで,って感じで。

    2013-09-07給食座敷事件

    教室には3畳の畳と座卓があります。2学期から子どもたちのアイデアで教室の中央にこのスペースが来ています。11人なので,そこで朝や帰りの会のペアコミュニケーションをしたりしています。ここで,学習する子もいます。 

     昨日,A君が

    「先生,座敷で給食食べてもいいですか?」

    と聞いていたので,

    「でも全員は座れないんじゃない?もめないでうまくやれる?」

    と聞くと

    「できる!」

    と。

     で,任せてみることにしました。

     A君がみんなに声をかけたところ,11人中8人が座敷で食べてみたい,ということになって,8人なら全員座れる,ってことになり実施することに。

    「うちみた~い!」

    とか言いながら,男子も女子も和やかに食べてはいたのです。

     しかし,ここから事件が!

     

     そのA君,あまりにもうれしかったのか,ちょいと調子にのったのか,笑いすぎて飲んでいた牛乳を吹き出しそうに。で,その向かいにいた女の子が

    「やっぱり,座敷やめた~」

    と退散。ちょっとの間,そのまま食べてはいたのですが,2人さり,また2人さり,と。残りはA君と残された2人の3人。

    (お,どうなるどうなる??)

    と成り行きを見ていました。

     そうしたら,案の上,A君以外の2人もすーっとさり,中央の座敷に残るはA君のみ。

    (じぇじぇ,どうなる?)

    と,ことの成り行きを見ていました。

    「う~,一人になったべ!」

    と笑って食べていたA君ですが,みるみる顔が赤くなって目に涙が。自席に戻って食べていた子たちも,さすがにA君の様子が変わったので,何人かはA君のそばによって

    (A,泣いてる…)とか(怒ってるよ…)

    とかつぶやくものの,どうしていいか分からず,かといって再び座敷に戻ることもできず?また自席で給食を食べ始めました。険悪な雰囲気…

    (ここまでだな~)

    と思ったので,口を出しました。

    「A君,泣いてるよ。どうする?」

     子どもたちは固まってしまって,だれも動けません。

     私の悪い癖で,こういうときに追い打ちをかけてしまいます。

    「こういうのを,見捨てる,っていうんじゃないの?」

    「A君が一人になってしまったのが,みんなは分かっていたよね?」

    「A君が泣いている,怒っているのは分かっていたよね?」

    「みんなは,見て見ぬふりをしちゃったよね?」

    @@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

    「一人も見捨てない,っていうのは,いつでも何の時でもなんだよ。勉強の時だけじゃないんだ。一人も見捨てないクラスは自分も絶対に見捨てられない。そういうクラスのほうが,みんなが楽しいでしょ?」

    「あとは,どうしたらいいか考えて見て。」

    と言いました。

     一人の子が座敷に戻ると,他の子たちも,また座敷に戻って食べ始めました。よいのかどうなのか分かりませんが,A君はまたみんなと笑顔で給食を食べ始めましたし,昼休みもみんなで遊んでいたので,まあ,よかったのかもしれません。

     まあ,来週も

    「座敷で給食食べる。」

    というかは分かりませんが(笑)どうなるかなあ?本気で読めない!?

    2013-09-05職員室の夜話から

    生活科や体育はほとんど1年生と一緒にやっているから,11人という少人数学級でありながら,30人を越える仲間と学習する機会も多いです。1年生には特別支援級もあるから,なおさら多様だし教員も支援員さん含めて4,5人つけることもあります。これがなかなかいいのです。

     今日は,生活科で近くの特養老人ホームに伺い,交流学習。計画,準備の段階から,今日の活動,振り返りの時間まで一緒。この時期,プールもあるから1,2年は同じ学級みたいな感じで日々活動中。

     書きたかったことは,今日はこのことではありません。書きたかったのは多様ってすてき,多様であることってすてき,と思ったこと。

     今日は特養老人ホームに訪問。学習の目的が「○○園のおじいさんおばあさんに喜んでもらう」ことであり,そのための方法をみんなで話し合った上での今日。一緒に折り紙を折る,作った塗り絵を一緒に塗る,オープンクエスチョンで話す,肩もみをする,などなどの作戦。

     おじいさんおばあさんのなかに,ぽんと入り,大人でもなかなかできないような早さで(むしろ子どもだからかも)コミュニケーションが取れる子もいれば,最後まで遠巻きに見ながら,どう関わればいいか考えている子もいます。見ていておもしろかったのは,「お勉強」が苦手でも,マイペースでお年寄りにかかわり,折り紙でも肩もみでもできちゃう子がいます。一方で,勉強は得意でも,なかなか上手にお年寄りとの距離を縮められない子もいます。前者のような子には,比較的多くの1年生がくっついて歩き,楽しそうに活動しています。「○○せんぱい!」なんて呼ばれ方もしてもらったりもします。「教師」の目から見ると,そんな子は,いろいろやらかしちゃったりして(笑)こまったくんになっちゃうこともあるんだけど,こんな場ではヒーローみたいなもんです。

     いろんなことを,いろんなメンバーで,それこそごちゃごちゃとやれば,いろんな子がそれぞれの場面で「ヒーロー」にもなるし,時には「いまいちなボク」に向き合うこともあります。こんなことが,毎日の学校生活のなかにくるくると起こる,そういうことを大切にしたいなあ。ちなみに,学校に帰ってからの5時間目の1年生と合同で振り返りカードを書くときなんかは,その「ヒーローくん」は,あれほどがんばっていたのに文章がうまく書けなくて「ざんねんなぼく」になっちゃっていました(笑)

     今回の特養老人ホームの訪問。1,2年生で「一緒に」歌の発表や呼びかけをする,なんて選択肢もあったし,今までもそういうパターンも多かったと聞きます。しかし,そうなってしまえば,個々の子どもたちのよさも,足りなさもあまり見えてきません。見栄えはよくても,お年寄りの方の要求ともずれてしまう残念な形になってしまうかもしれません。

     お年寄りに肩をもんであげる子もいたり,折り紙を折る子もいたり,おしゃべりしながら塗り絵をする子あり。それから園の職員の方とお話をする子もあり,うまく関われなくてちょっと遠巻きになってしまう子もいたり。そんな空間がけっこうよかったなあと。笑い話?ですが特支の子は,おじいさんが寝ている?と思ったのか額をペシ,とかやって,周りを唖然とさせていました。苦笑)

     夜の職員室で残った数人のメンバーで,

    「この地域の中学校の不登校率が全国でもかなり上位らしい」

    という話になり,そのことについて,いろんなことを話しました。その話をしながら,ふとこのことを思ったのです。

     不登校がおこること,いじめ,学校現場でおこるさまざま諸問題は,けっこう根っこは同じなんだよね,ということ。だったら,なんでそこを本気で考えてやれないのか,ということも。仕事があって残ったわけですが,そんな話をしていてほとんど進まず。しかし,有意義でした。

    2013-09-04えさをとりにいく力

    子どもたちには

    「自分からえさをとりにいけるようになりなさい。」

    といいます。

     だから「みんなが」の使い方も,その時々の様子,雰囲気を感じるように心がけて伝えるようにしたいです。心を入れずに「みんなが」を使うと,「教える」「教えてもらう」ことにはしり,分かることをおろそかにするからです。

     基本的には,「分からない」と感じた子が,

    「ねえ,ちょっとここ教えてくれる?」

    といえることを基本にしたい。理解が早い,ゆっくりにかかわらずチャレンジする子には,必ずこういう問いが生まれてくるし,前に前に進もうとするからこのような問いが出てくるからだと思うからです。そして,誰かが教えてくれることを待っている子にはなってほしくないからです。世の中に出て,自分の意志で学び続ける意志をもち,学ぶことは楽しいことであることが分かっていれば,世の中きっと渡っていけるでしょう。それと,周りの人に優しく接することができること。だから,できないことがあったって別によいわけです。何が何でもみんなが100点取れなくてもいいと思うし,みんなが100点とったら,なんかどこかがおかしいんじゃない?とも思います。だから,私の場合は,どうしても何点とりなさい,とか何点を目指しなさい,という言い方はできません。私の感覚では。

     子ども自身が,それぞれ,自分からえさをとりにいく,そんな必然性生まれる環境をつくりたいと思って,毎日子どもたちの様子を見ながら考えます。そして,えさを取りにいく力を付けるには,えさを取りに行く経験を積まないことには仕方がありません。そんな経験を,成功も失敗も含めてたくさん経験させたいです。

     教師としては余計なことをしないことが一番良いことが分かってはいますが,それでも,つい余計なことをして,邪魔しちゃうこともあります。

     外部とのまどをつくる,それだけでいいのかな,と思います。

     

     

    2013-09-02いろいろですから

    今年のクラスは,11人しかいないんです。

     30何人なんてクラスを受け持っておられる方から見れば,なんて贅沢な,甘えるな,といわれそうですが,11人は11人なりにけっこう,ね。

     やっぱり,人間っていろいろなんだなあ,というのがほんと,よく分かります。少ないだけに,見えすぎて困ることもあります。

     11人+私の中で,バランスをとるように,とれるように,子どもたちにも語るし,一緒に話し合ったりもします。それでもとき(たびたび?)には大きく左や右に傾いたりすることもあり,なかなか舵取りも難しいときもあります。そんなときに安易に強圧的に,と思ってしまうときもありますが,がまんがまん。

     小舟は波の影響も受けやすいので,船頭としては,どうするかに心をくだきます。何もしていないようで一応考えてはいるのです。よくよく子どもたちを見ていないとなあ,と思います。

     それでも,日々頻繁に合同授業に協力してくれる1年生の担任の先生に感謝。これで30人以上になるから,こうなるとそれはそれで安定もするんですよね。その分,個は見えにくくなるけど。

     もう一度これを読もう,と思いました。

    多様性。なかなかのテーマです。

    2013-09-01夏合宿

    地元研究サークルあすみの会の夏合宿が31日~1日に行われました。

    今回は,講師としてPAの(といって良いのかは?だけど)甲斐﨑博史先生をお迎えしての合宿研究会でした。

     今回は,いつものメンバーに加えて,仙台圏内からも多数の参加者があり,まさに「多様な」メンバーが集まっての合宿,福島からもあべたかさんが参加してくださいました。

     参加者が例年になく多様であるだけで,ねらいの一つは達成したようなもの,なんて思っていました。それに加えて内容がPA。今日だけで,劇的に進むなんて思ってはいませんが,石巻のあすみの会のメンバーと,仙台のアンテナの高い方々と1日一緒に活動したことは,いつかどこかでしらないうちに何かが始まるきっかけになるかもしれない,なるといいなあと思っています。

     学習だって十分アクティビティになるなあと。毎日毎時間ある学習の時間を,自分たちがチャレンジするアクティビティにすることは十分可能だと思うし,そうであることが,子どもが本当の意味で主体的な学び手になることなんだとおもいました。フルバリューコントラクト,チャレンジバイチョイス…。『学び合い』の学習の中でそれらを大切にしていけます。

     何度でもトライアンドエラーができる,チャレンジの機会がる,見ていてくれる仲間が常にいる,そんなクラスや学校が作れるじゃないですか。活動,振り返り,一般化,適用。そのサイクルをまわしたほうが,自分たちにとってよいということ,そういう体験的な学びを経験させていくという,こちら側の意識をしっかりもたないといな,と思いました。