次の場所へ行こう(旧 十人十色・宮城)

  • 宮城県石巻市の小学校教員です。 小中併設極小規模校で,「地域とともにある学校」について考えながら日々の仕事を取り組んでいます。 2016年の「教室『学び合い』フォーラム」 は宮城県・東松島市コミュニティセンターを 会場に行いました。2017年は,その後をつないでのミニフォーラムを白石で実施。2018年は11/23女川町まちなか交流館で実施。その後は、学校と地域コミュニティの間を行ったり来たりしながらの毎日を創りたい、と思っています。
  • 2013-08-25「ICT機器の教育的活用」に思う

     今日は夏休みの最終日でした。例年だと,明日から始まる新学期にそなえ,あれこれ焦って準備したり,プランを練ったりするところです。しかし,今年の場合,

    「まあ,じたばたしてもな。」

    という思いがあります。それは,悪い意味でなく,良い意味で(と自分では思っている)始まれば始まったでなんとかなる,とようやく思えるようになったかな,という感じです。

     で,その最終日も,やっぱり自分で学びたくて「宮城教育大学公開講座 iPad ,タブレット型PC,スマートフォンの教育的活用」に参加してきました。

     私の今日の結論は,

    ○多くの取組は,機器音痴の私から見ると,別にタブレットでなくてはできないものはほとんどない。タブレットのほうがよりよい,と思えるものも少なかった。それらの機器は,使う使わないということから,児童生徒に選択させたほうが,学習活動の必然性に応じてよりよい使い方を児童生徒自身が見付けていくだろう,むしろそのことの方が学びが深まると感じた。

    ということ。

     それらの携帯型IT機器のよさは何か。携帯できるとか,直感的な操作とか,それはパソコンと比べての操作性の問題ですよね。かつて,何年も前に(20年くらいかな)学校にパソコンが導入され,その当時の公開研究会では,パソコンを使った授業が発表されたりしていました。算数とかも,画面上をいちごやなんかがピューと動いてガッチャンと合わさって足し算なんかを教えていたのを見たことがあります。当時,私はそれを見ながら,「こんなの,パソコンじゃなくてもいいんじゃない?」

    と思っていました。

     20年たって,日常的に授業でパソコンを使っているでしょうか。少なくとも私の周りでは,ぜんぜんないとは言いませんが,ほとんどありません。相変わらず黒板,チョークです。国語だってワープロソフトで作文を書いていることなんて,めったにありません。

     使うとすれば,調べ学習でインターネットを使うくらい?

     今回もその同じようなイメージ,

    「タブレットじゃなくてもいいんじゃない?」

     だって,ノートを提示したかったら,

    「ちょっと○君にノート見せてもらいな。ここによっておいで」

    ですみそうです。お互いの読みの意見交流をタブレット上で一覧にして,比較し合う?

    みんなで集まってしゃべればいいんじゃないですか?同じ教室にいるんだから。え?それするんだったら三二ホワイトボードと同じでしょ?三二ホワイトボードは100円でかえるし,とか。

     特別支援では使い道はまた別な意図があるのかもしれませんね。お互いのコミュニケーションを円滑にするとか,ハンディを埋め合わせるとか。

    さすが~,と思ったのは,中学校の先生が

    「中学生くらいになると,『先生,大事なことは黒板に書いてくださいね』っていうんです(苦笑)」

    「『先生,これ(タブレット),今使う必要あるんですか?』なんて言われちゃいます。」

    と言っていたこと。やっぱり中学生もそう思うか,と思いました。

     こういう使い方はおもしろい,と思ったのは,修学旅行の自主研修の準備の時,地図アプリで徒歩でかかる時間などをあらかじめ調べて,コースの周り方を考えていた,という報告。一人一台のタブレットはあるけれど

    「一台あればいいよね!」

    と子どもたちが頭を寄せ合って調べていたという例。必要な情報に自分たちでアクセスして,コミュニケーションも深まっているかな?と思いました。

     使い方を子どもに任せる,ということがポイントかな,と私は感じました。だって,道具は「必然性」があるからそれを使うのが普通の流れ。だから,ぽんと教室においておくだけでいいんじゃない?むしろ,その方が,自分から情報にアクセスしたり,よりよい使い方を工夫したり,お互いに使い方の情報交換が始まるはず。そのほうが教育効果はグンとアップするんじゃないかな,と思いました。鉛筆やノート,消しゴムと同じ感じ。

     あと,気になったのは,教師主導でタブレット型PCを使うと,教師は,授業の時間のほとんどを画面を見ている,ということ。今日私が生徒役をしながら見ていた感じは,そう。教師が機器の操作に終われて児童生徒を見ていなかったら,やっぱりだめですよね。あと,こちらがわの生徒を見ても,じっと画面をみて,みんながみんな画面をごちゃごちゃやっている,そんなんでいいのかな?という疑問。

     さっきの修学旅行のコース決めみたいな感じの使い方なら,グループ内でのコミュニケーションは活発になりそうだけど,外国語活動や国語なんかでみんなで画面見ていたら,コミュニケーションの教科にならないでしょう?と思いました。

     まあ,私はといえば,パソコンをほとんどの人が持つようになっても

    「ワープロで十分でしょ!」

    といって「文豪」をつかい続けたような人です。携帯だって,持ち始めたのはずっと遅くです。

    それでも,今は

    「へ~,ipadっておもしろい!」

    なんていって,最近では講演会のメモはすべてこれでまかなうようになりました。えっへん(?)。それくらいシロートですけど,シロートにはシロートにしか分からない感覚があるのも事実。

     タブレットをふくめたICT機器。道具としてはとても便利な物だろうし,今後教育現場に入ってくるでしょう。以前パソコンが整備されたときから20年くらい。授業の有り様は,どうかわったでしょうか?あんまり変わったようには私は思いません。タブレットはどうでしょう?

    児童生徒が,使いたいときに使いたいように使う,そんな使い方が授業の中で「許されれば」きっとすごく便利な道具になるよね,というのが「機器音痴の」私の今回の感想です。

    そのときは,きっと。教師である私が

    「え?それどうやってやるの?」

    「なぬ!そんなことができるの!ちょっと教えてよ。」

    てな感じになりますね。たぶん。でも。これでいいのだ。